挿話 オルスヴィーン邸でのお話 その二
本編と関係なくはないですが、主人公ではない人から見たお話です。
ジェラード王国の貴族街、王城から見て南西に位置する、オルスヴィーン邸。
大きな通りから離れた位置にあるため、もともと屋敷の周りに人通りが少なかったこともあるが、それに加えて、ここ数か月前に屋敷に移り住んできた新たな住人が、他者との交流を避けるように生活していたため、オルスヴィーン邸はしばらくの間、殆ど来客のない静かな屋敷となっていたのだが……。
「いやはや……我が国の第三王子と比べても随分お若くあらせられるというのに、そのような公共事業を任されていらっしゃるとは……その信頼の大きさだけ見ても、殿下がいかに秀でたお方か分かります」
「ふむ……」
今から三か月ほど前、その屋敷の主がついに沈黙を破った時から、ここには、こうして頻繁に来客が訪れることとなった。
「ですが……いえ、決して殿下のお力を疑っているというわけではないのですが……どれほど周囲からの信頼が厚く、優秀な人物でも、慣れない土地では、こう……色々と不便な部分も多いでしょう……?」
「ふむ……」
「それに、ご時世もご時世ですから……今のうちに王国と帝国で協力関係を結んでおくという面でも、一人でも多く王国の貴族と手を組んでおくというのは悪くない考えかと……」
「ふむ……?」
先ほどから積極的に話しているのは、今日の来客者……。
中年の男性で、庶民からすると派手で高そうではあるものの、布地の材質も装飾に使われている金の純度などもそこまで良いものではない貴族服を着ており、しかし食べるものには困っていないのか、それなりにふくよかな体型をしている、といった外見の人物だった。
彼は先ほどから、話し相手を持ち上げたり、自分を大きく見せたりと、忙しない会話内容で相手に話しかけているが……それに対して話し相手の方は頷くばかりで、真剣に受け取ってもらえていないのか、はたまた真剣に相手を見定めようとしているのか、どうにも心情の読めない様子である。
「そうでしょうそうでしょう……でしたら……私は爵位こそ子爵ですが、だからこそ、日々実務的な仕事をしておりますゆえ、この街の庶民の動き……それこそ、この街で冒険者として働く者たちの動きに詳しく……まぁ、仕事上、どちらかといえば商人ギルドの方が詳しくはありますが……ですが……」
「ふむ……」
心情が読めないのは、彼が懸命に話している相手……この屋敷の主の……その服装も起因しているのだろうか……。
グラヴィーナ帝国の第三王子、オルスヴィーン・ゲーバー殿下……冒険者としての、冒険者ギルドへの登録名オース。
彼は、着ている服こそ、いつもの清潔感がありつつも安価で動きやすそうな、商人の子供が着るような服ではなく……グラヴィーナ帝国から持ってきた、こういった他の貴族や王族と面会する際に着る、きちんとした王族衣装ではあったが……。
「……あの……こういったことをお伺いするのは、大変失礼なこととは存じますが……お会いした時からどうしても気になっておりまして……その……お顔に身に着けておられる仮面は一体……」
オースの顔には、ベネチアンマスクのコロンビナのようなものだろうか……口元は隠さず、目の周りだけ隠すようなタイプの、装飾が控えめで、デザイン的にはそれほど派手ではない、来ている服と同じく黒を基調としたハーフマスクを身に着けていた。
「これか……ふむ……どうしても気になるか?」
「いえ! 答えられないということであれば、それで全く何も問題ございません……」
「そうか、では気にするな」
「は、はい……」
貴族はオースの言葉を承知したようだが、気にするなという方が無理な話だろう……。
彼が王族、話し相手が子爵という上下関係にあるため問題ないものの、立場が逆で、同じように顔を隠して話していたら、理由にもよるだろうが、大変失礼なことである。
加えて、これは、この貴族が手紙の返答を受けて、初めて挨拶にやってきたという、初対面の場であり、本来であればその顔を覚えて帰ってもらわなければならない状況だ。
であるのにも関わらず、彼は仮面で顔を隠しており、今のところ受け答えの内容にも進展が見られない……。
これが上下関係などのない、一般的な交流であれば、彼に意見をするか、むしろ怒って帰ってもいいような状況かもしれないが……残念ながら、仮面をつけた彼の方が立場は上で、貴族の方は、そんな彼が主導する事業に参加させてほしいと、自分を売り込みに来た立場である……。
怒るどころか、何か自分に対する悪い噂でも事前に聞いていたのではないかと……聞いた話では、ここ最近まで誰も挨拶に行く許可の返事を貰えていなかったということだが、実は返事を貰えていなかったのは信頼できない者だけで、信頼できる貴族はもっと以前にちゃんとした挨拶が出来ていたのではないかと……そんな不安を抱えていた。
「……え、ええと……それでですね……あ、あの……もしよろしければ……いえ、無理にとはいいません! もし、私に……何か、少しでもお力になれそうなことがございましたら……なにとぞ……」
「そうだな……何かあれば仕事を頼もう」
「は、はい! あ、ありがとうございます……」
「うむ」
そうして、一通りの話が終わると、オースは扉の前に立っていた使用人に頷くように合図を送り、貴族を玄関まで見送らせる……。
貴族は額に汗を浮かべ、何度も、何か謝罪の意味も込められているようなお辞儀をしながら部屋を出ていき、屋敷の敷地を出る際も、主には見えていないと分かりつつももう一度礼をしてから、馬車に乗って自分の家へと帰っていった……。
「ふぅ……今回も疲れたな……」
「殿下、お疲れ様でございました……では、拙者はまた扉の外におりますゆえ、また何かあったらお呼びください」
「うむ、ご苦労だった、コンラート」
そんな貴族の去った後、面会室に残されたオースが、固くなった肩の緊張を解き、背もたれにそっと自身の体重を預けると、それまで背後に立っていた彼の護衛を務める従者、コンラートが、一声かけてから、先ほどの貴族と同じように扉の前で振り返って一礼し、応接室を後にする。
オースは彼にご苦労と声をかけたが、特に来客者がオースに対して何か危害を加えようとしたわけでは無いので、実際にはただ側に立っていただけだ。
それでも、一時間ほどの間ずっと直立不動というのもそれなりに疲れるし、何より、相手がいつどんなタイミングでこちらに危害を加えようとしても対処できるように身構えておくのは、それだけで精神力や気力といった面でかなり疲れる。
実際、何人か前の貴族と面会した時、何の脈略もなく急に剣を抜いて相手に切りかかった者がいて、コンラートの反応が一歩でも遅かったら、殺傷事件に発展するところだった……。
まぁ、その何の脈略もなくいきなり剣を抜いて相手に襲い掛かったのは面会に来た貴族ではなくオースの方なのだが……だからこそ、今回もそんなことが起こらないかとヒヤヒヤしながら、どちらかというと相手側の護衛として、彼は十分すぎるくらいの緊張感を強いられていただろう。
「殿下、お疲れ様でございます」
そんな一般的な護衛とは異なる苦労を味わっていたコンラートと入れ替わるように、こんどは世話役の従者、クラリッサがやってきて、会話中に飲み切らなかった、冷めた紅茶を下げ、代わりに新しく温かい紅茶を淹れなおす。
彼女は会話が終わりそうなタイミングを見計らって湯を沸かし、ポットやカップをそのお湯で温めた後、ポットに茶葉と熱湯を入れて蒸らし始めていたので、時間を待たずに出されたその温かい紅茶は、ちょうど一番おいしく飲めるタイミングとなっていた。
「うむ……また腕を上げたな」
「ありがとうございます……それも、殿下に教えていただいたからでございます」
「まぁ、知識だけは豊富だからな」
クラリッサが言うように、この、グラヴィーナ帝国ではあまり飲まれなかった紅茶をここまで丁寧な作法に則って淹れられるようになったのは、オースが彼女にそのやり方を教えたからである。
彼が彼女に対して何かを教えるのは、彼が検証と呼ぶものの一環のようで、他にも、帝国にいたころから教えていた料理の延長である栄養学から、裁縫や編み物などに関する高度な技術、怪我や病気に対する簡単な医学的処置まで、日常生活に役立つものは何でも教えているようだ。
彼女の方も、最近ではもう主であるオースから直接何かを教わることに対する申し訳なさのようなものも、いい意味で薄くなってきたようで、むしろ新しい技術を身に着けて、より彼の役に立てるようになることに喜びを感じ始めているようである。
—— カラカラ ——
そうして、貴族との会話で張っていた緊張をほどき、彼女の淹れた温かく美味しい紅茶で、ひと時の休息を楽しんでいると、屋敷に馬車が乗り入れ、停車するような音がした。
「む? 今日はもう来客の予定は無かったはずだが……」
彼の言う通り、今日は先ほどの貴族の来訪を最後に来客の予定はない。
そして、予定として使用人に伝えていない突然の来客があった場合は、庭に馬車を招き入れることはなく、門の前で止めて、主の判断を仰ぐはず……。
それは既にオースが何人か前の貴族に対して、手紙に返事を出してちゃんとした予定があったにも関わらず使用人に来訪を伝えていなかったことで、実際に門の前でその貴族が立ち往生することになったという検証結果が出ているので、間違いないことだろう。
—— コンコン ——
オースはこのタイミングで、使用人にそんな対応をされる来客に対して、同等以上の立場である王族が来たのか……はたまた何かの不具合かと……何かぶつぶつと独り言のようなものを呟いてから、クラリッサに目で合図をして、扉をノックしたと思われるコンラートに事情を聞きに行くよう指示した。
指示を出された彼女は、扉の前に立ち、少し隙間を開けて、その向こうにいるコンラート殿と会話する……。
のだが……既に扉の向こうを覗いた時点で、何か予想と異なるものが見えたのか、少しだけ驚いたような表情を見せた後、しかし危険はないようで、落ち着いた様子で対応しているようだ。
そして一言二言の会話が終わると、事情を把握したようで、クラリッサはいったん扉を閉めて、オースの元へと戻り……その報告をする。
「その……予定より早くご到着されたようで……ダーフィン様が扉の前までいらっしゃっています」
しかし、クラリッサが彼の元にたどり着くより早く、そのよく聞こえる耳で何かを察していたらしく、オースはその形式的な報告を、とても苦い顔をしながら聞いた。
「そういえば、そろそろ来ると言っていたな……だが、そうか……とうとう来てしまったか……」
ダーフィンとは、三人いるオースの従者の最後の一人であり、一応、彼の文官という役割を担っている、初老の男性だ。
一応というのは、彼はコンラートやクラリッサよりも長く彼の従者を務めているからか、肩書きとしては彼の従者であり文官であるという立場なものの、他の従者よりも彼に対して強い意見を言える、いわば教育係のような役割も担っている人物なのだ。
それに、彼は、グラヴィーナ帝国でも数少ない魔術師であり、その権限を彼の息子に渡す前は公爵として政治にも広く深く関わっていたので、帝国内ではかなりの有名人であり、信用のおける人物だ……だからこそ、帝国から連れてきている使用人は、彼に対して門どころか玄関の扉まで開き、この部屋の前まで通したのだろう。
「ここで自分が取るべき行動は……」
オースは、そんな権力もあり、人脈もあり、物おじしないで強い意見を言ってくれるダーフィンに対して、何故だろう……苦手意識でもあるのか、それとも別の理由か、その顔には、彼に会いたくないという表情がありありと浮かんでいた……。
そして……。
「ふむ……なるほど……よし」
「とりあえず帝国にお引き取り願おう」
何を思ったか、きっと実現されることは無いであろうことを呟いて、さっそくクラリッサに帰らせるようにと指示を出した……。
彼がそんな行動を取る理由は、言うまでもなく、彼自身が今までに起こした行動に起因する……。
そもそも、このジェラード王国に戻ってきたのは、王族・貴族学科に入学して、王族としての務めを学ぶためだったのに、実際に入学したのは冒険者学科で……この屋敷もそれを見越して迎賓館を追い出されないようにと、誰に相談することもなく勝手に購入しており……。
加えて、グラヴィーナ帝国の公共事業を任されていると、ありもしない事をこのジェラード王国の貴族に対して吹聴して、かと思えば、その言葉を聞いて協力を申し出てくれたこの国の貴族たちに対して、あまり良いとは言えない態度をとって……。
……そんな彼の行動を、ダーフィンが咎めないはずがない。
きっと彼はこれから、それまでの報いを受けて、ダーフィンにたっぷりと説教されるのだろう……。
それもオルスヴィーン邸での日常であり、これからのオースの日常なのだ……。