挿話 オルスヴィーン邸でのお話
本編と関係なくはないですが、主人公ではない人から見たお話です。
ジェラード王国、王都。
街の中央に近い区画、城の外側に位置する貴族街には、その名の通りこの国の貴族たちの住むような大きな家が立ち並び、その代わりに食品や日用品を売るような商店が殆どない、現代日本で言うところの住宅街のような区画である。
その中でも、東の門から城までほぼ一直線で続くメインストリートを含む大きめの主要な道から離れており、交通の便があまりよろしくないという、貴族街の中では少々劣る立地に、年季の入った一軒の屋敷が建っていた。
どうやらその屋敷を建てた貴族は、今はこの王都にいないのか、それともこの世にいないのか、少なくとも既に屋敷の所有権を手放しており、最近までその場所は国から空き家の管理を任されている貴族が管理していたようだ。
しかし最近になってその屋敷は新たな住人に使われることになったらしく、最低限の維持しかされておらず少し老朽化が進み始めていた家は綺麗に修繕され、雑草が伸び荒れ放題だった庭も手入れがされたうえで新たに低木や花が植えられて、今では周りの屋敷と変わらない見た目で立派に整えられている。
「あー……そこの庭師」
「? あ……はい、このお屋敷に何か御用でしょうか」
そんな綺麗に整った庭で、低木や花に水をあげていた使用人に声をかける人物が一人……。
彼は、外出の道すがら通りかかった、どこかの貴族なのか、立派な馬車の窓から少し顔を出すような形で声をかけているが、その口調は、使用人に声をかけるにしては柔らかい、かといって同じ身分の人物と話すような態度でもない、そんなどこか歯切れの悪いものだった。
声をかけられた使用人は、それでも相手の身分が確かなものであると分かったらしく、すぐに作業の手を止め、少し汚れた手をエプロンで拭きながら男の馬車へと近づいていく。
ただ、その声をかけられた使用人の方も中途半端で、服装の種類こそ、この国の客間女中もよく着ているようなフリル多めの黒いドレスに白いエプロンという組み合わせだったが、それであれば庭仕事のような手が汚れる労働をしていることは珍しいし、かといってその容姿は家女中や雑役女中にしておくにはおしい、かなり整った見た目である。
なので、声をかけた人物も彼女の地位を判断しかね、どう呼べばいいか迷った結果、最終的にジョークも込めて、そのどれでもない庭師と呼ぶことにしたのだろう。
その考え方は彼女や彼女の主人の出身国が異なるからで、このジェラード王国のメイドが仕事内容ごとに身分も呼び方も違うのに対して、グラヴィーナ帝国のメイドはあまりそういった区切りが無いからなのだが、それはよほど各国の違いを把握している人物でないと分からないものなので仕方がない。
「あー……だいぶ前にこの屋敷の主人、オルスヴィーン殿下宛に、近いうちに空いている日があれば挨拶に伺いたいという旨の手紙を出したんだがね……これと同じ封蝋と差出人の手紙がちゃんと届いているか分かるかね?」
そういって客人は馬車の窓から封蝋のしてある手紙を使用人に見せる……。
手紙を見せた男自身も、もし分かったら程度の確認で、庭師がそんなことを把握しているわけがないと分かっているのだろう……その顔に最初から期待の色は無かったが、使用人が少し確認したのち首を横に振ると、それでも少し残念そうにため息を漏らした。
「すみません……何しろ、オルスヴィーン殿下への手紙は数が多いものですから……」
「そうか……いや、そうだろうな……まぁ、それならばそれでいい……では、もしかすると重複した手紙が既にあるかもしれないが、念のためこの手紙を直接殿下に手渡してくれるか?」
そう言って彼は、確認のために見せた手紙をそのまま使用人に差し出すと、使用人は一瞬だけためらったのち、もう一度改めてエプロンでよく手を拭いてから、その手紙を受け取る。
そして、貴族の男は彼女が手紙を受け取ったのを確認すると、続いてチャリンと少量の硬貨が擦れるような音のする、小さな硬貨袋を使用人に手渡した。
「あの……こちらは……」
「? それは君への仕事を頼む礼金だが……あー、もしかして少ないかな? いや、すまんな……私はグラヴィーナ帝国の事情には少々疎いもので……」
男は、渡された硬貨袋を手に首をかしげる使用人に対してそう答えると、隣に座っているらしい誰かと何かを話して財布を受け取った。
しかし、それを見た使用人は慌てて男のその行動を制すると、首を横に振り、逆に渡された硬貨袋を返そうとする。
「いえ……その、私の国にはそういった文化は無いもので、申し訳ありませんが、むしろこういったものを受け取るわけにはいきません……オルスヴィーン殿下への贈り物でないのでしたら、こちらはお返しします」
「うーむ、そうなのか? いやしかし、手紙をちゃんと渡してもらえないのも困るからな……そうだな……それはここに落ちていたものということにしよう……本当に受け取れないのであればオルスヴィーン殿下へ落とし物として届けてもらっても構わない」
「あの……ですが……」
「おっと、少し長く居すぎてしまったようだな……じゃあ、私はこれで失礼するよ、手紙、ちゃんと渡してくれよ」
貴族の男はそういって使用人の返答を遮ると、返事も待たずに御者に声をかけてさっさと馬車を走らせてしまう。
使用人はまだ少し男に対して何か言いたげではあったが、自分の仕事とマナーを優先したようで、それ以上は何も言わずに、馬車が見えなくなるまでそれを静かに深々と頭を下げて見送った……。
♢ ♢ ♢
「……と、また手紙を受け取ってしまったのですが」
屋敷の中……本来はメイドを束ねるメイド長や家政婦と呼ばれる役割の使用人が在中するような、簡単な書類仕事もできる小さな書斎で、この屋敷の主、オルスヴィーン殿下の従者であるクラリッサが、もう一人の従者であるコンラートに先ほどの出来事を報告していた。
報告している彼女が、祖国では地味な和服だったところ、この国にきてから現地に合わせて、色こそ地味なものの、たくさんのフリルがあしらわれたドレスを身に着けていたり、護衛騎士のような役割だった彼が今は家政婦のまねごとをしていたりするが、この二人がオルスヴィーン殿下……オースの従者であることは変わらない。
持ち運びやすい太刀は腰に身に着けているものの日本甲冑は来ておらず、それどころか服装も和服ではなくこの国の貴族服を着ているコンラートが、既に手紙が山積みになっている執務机で、彼女から追加の手紙と硬貨袋を受け取ると、何かを諦めたように肩を落としながら溜息を吐く……。
「はぁ……これはもう、殿下にはそろそろ本格的に手紙の返信を決めていただかなくてはだな」
「そうですね……中には二度目の催促をいただいている方もいらっしゃいますし……」
そう……今日のようなことはクラリッサには珍しいことではなく、すでに何度も経験していることであり……それどころか、おそらくこの街に住む貴族の殆どから、既にああして直接手紙を渡されているのだ。
「勝手に屋敷を買われたり、入学する学科を変えられたり、こうして返事を出さないといけない手紙にいつまでも返事を出さなかったり……元気に過ごされているのはいいが、殿下の自由さにも困ったものだな」
「はい……」
そういって、二人は同時にため息を漏らす……。
本来は仕える王族の主人に対して、その従者がため息を漏らすなど、あってはならない行為だとは思うが、それだけオルスヴィーンというグラヴィーナ帝国の第三王子が問題ばかり起こす人物なので仕方がないだろう。
この二人は、数か月でこの国での生活には慣れたものの、彼の起こす行動の自由奔放さには未だに慣れていないのだ。
「こういう時に、ダーフィン様なら殿下に強い言葉をかけられるのだが……そういえば、ダーフィン様はいつごろこちらにいらっしゃるんだったか?」
「あ、はい、季節が変わるころにはあちらに待機する従者の選定と教育、引継ぎが終わるので、その後にこちらに向かわれるそうです」
「そうなると実際にこちらにこられるのは夏に入ってからか……それまでに少しでも現状の課題を片付けておかなくては、また殿下と共に私たちにも長いお説教が待っているな……」
「そうですね……私もなるべく努力します」
そういって二人は、その後も帝国からの仕送りとこの国での消費のバランス、屋敷の維持や殿下の身の回りのお世話など、様々な仕事の打ち合わせを少し続けてから、お互いの仕事へと戻っていく……。
それは、主が今も学校でその自由奔放さを存分に発揮しているときでも、家族からは生活するための仕送りが来て、家では頼まなくても従者が留守中の接客や家事などをこなしてくれている……。
そんな屋敷の、日常の一部だった……。