5 ガラとカイのおでかけ
背後から吹く爽やかな風がガラの髪を揺らしていった。探索や戦闘訓練のときはきっちりと編み上げている栗色の長髪を今は解いている。今は亡き母譲りの美しく流れるような髪。
スメクランの女性は長髪にする者が少ない。女性とは言え、ひとたび事あれば里の戦力として期待される。そのため少しでも動きやすいように、長くとも肩くらいというのが普通だ。
しかし、ガラは幼いころに病気で失った母と同じく髪を長くのばしていた。僅かであっても思い出の名残にと。本人はさほど意識していないが、成長するにつれ、周囲の人々から母の面影が色濃く顕れてきたと言われることが増えてきた。里の人々に慕われた長の奥方、そして懐かしい母。その姿に似ていると言われると、ガラは浮き立つような照れ臭いような気分になるのだった。
石造り三階建てのザグレム屋形は、小さいながらも城と言っていい備えを誇る。その屋上の胸壁にもたれて、ガラはよく晴れた朝の景色を楽しんでいた。
眼下には目覚め始めたザグレムの里の家並みが見える。里のまわりには広大なバグレストの森が広がり、さらに先はなだらかな丘陵が連なる草原が遥か彼方にまで続いている。
(あの草原のもっと先にはいったい何があるんだろう)
まだ見ぬ領域にガラは思いを馳せる。想像もつかない冒険、網の目のように張り巡らせた策謀が広がる未知なる世界。
振り返って背後を見上げた。屋形の後にはトリュムラ山脈が連なり、その峰々の彼方に白く輝く万年雪をまとった峨峨たるマルト山がそびえている。険峻な山懐に包まれ、背を守られている。その事実がガラと、この里に住むすべての者に安らぎを与えてくれるのだ。
ガラは元の方角に目を戻す。屋形の先に続く目抜き通りに朝の活気があふれ始めていた。商店が軒を連ねた市場に人々の喧騒が満ち、今日という日の生活が始まる。
その中に特徴のある金色の髪をした少年を見つけた。カイだ。今日は訓練が休みなので、きっと父のイサリオンに言われて買い出しにでも来たのだろう。
ガラは自分の服装を見下ろして微笑んだ。キャキュンの花から取った淡い紫色の染料で染め上げた、卸したてのワンピース。腰には誕生日に父からもらった黒光りするまでに磨き上げられた地竜の革のベルトを巻いている。提げていくのは昨日のミスリルナイフはやめて、鞘に白銀の飾りがついた守り刀のダガーにしよう。
ガラは身を翻して屋上から駆け下りて行った。
自室で身支度をしていると、ドアがノックされた。
「誰?」
「俺だよ」
「アー兄さま、どうぞ」
ドアを開けて、スメクランにしては長身の男が入って来た。ザグレム家の三男アーライルはガラとよく似た栗色の長髪と切れ長の目をしている。ガラには三人の兄がいるが、このアーライルとは歳が近いこともあって一番気が合った。歳が近いといっても八歳も違っているのでいつまでも子ども扱いなのが、ガラの不満の種でもあったのだが。
「なんだ、どこかに出かけるのか? 今日は訓練が休みだと聞いていたけど」
アーライルはガラの姿を見てため息をついて見せた。だがその顔は面白がっているようにも見える。
「ええ、ちょっとね」
「たまに帰郷して可愛い妹の顔がじっくり見られると思えばこの始末だ。相変わらず落ち着きがないな」
アーライルは三日前に旅から帰ったところだった。
「そんなことないわ、訓練でも『沈着冷静だ』って言われてるもん」
「でも、昨日は宝箱の罠の解除に失敗した、と」
アーライルが笑って言った。スメクランの長の子である。どんな情報もたちまち筒抜けになってしまう。しかも、ただでさえも早熟なスメクランにあって幼いころから天才と称された相手なのだ。
「むう、あれはたまたまよ」
「どこに出かけようとしてるのか知らないけど、たしか午前中は家で開錠術の座学があったはずじゃないかな」
「うう……」
ガラは兄から目を逸らせた。なんとかこの場を切り抜けないと。
「俺を出し抜こうったって無理だからな」
アーライルは笑みを絶やさずに言った。兄はこの旅でフリーのパスファインダーになったという。この世界に数多存在する迷宮の探査を生業とするエキスパートで、とくに誰も足を踏み入れたことのない迷宮の深部踏査を専門とする者の称号だ。まるで隙が無い。
「お願い、見逃して」
実践訓練は得意だが、ガラは座学が大の苦手だ。
「誤魔化しは効かないけど、『お願い』じゃあしょうがないな」
アーライルは扉の前から脇によけた。
「ありがと」
身支度を終えてアーライルの前を通ろうとすると、兄はガラの細い腕を取って引き留め、小声で言った。
「こんないい天気だ。どうせお前がズラかるだろうとにらんで、家庭教師のナムルが玄関先で待ち構えてるぞ。裏手の厨房から抜け出せ」
ガラは背伸びして兄の頬に軽くキスをした。
人ごみの中をガラは駆け抜ける。すでにこの程度の混雑をかき分けて素早く移動するくらいの足捌きは心得ていた。走りながらも方々へ目を走らせる。動体視力には自信があった。すぐに少し先の青果市場で野菜を手に取って、ためすがめつしている金髪の少年が目に留まった。ガラはそっと足を忍ばせて、カイの後ろに立った。
「カイッ!」
「うわっ、びっくりしたよ、ガラ」
カイが慌てて振り向く姿に思わず笑みがこぼれる。まだまだ背後は隙だらけだ。だいたいカイは普段暢気するのだ。
「買い物? あたしも付き合ったげる」
「うん、ありがとう」
ガラは、少しはにかみながらそう答えるカイの金髪を眺めながら、横に並んで歩き始めた。
カイの家には、あまり表に出たがらないイサリオンしかいない。買い物はもっぱらカイの役目だった。
カイはイサリオンが最後の任務から戻ったときに一緒に連れてこられたと聞いている。そのときは、まだ赤ん坊だったらしい。イサリオンの髪は漆黒だ。きっと母親は綺麗な金髪だったのだろう。
スメクランにはめったに金髪の子は生まれない。ひょっとしたら、イサリオンは人間の女性との間にカイをもうけたのかもしれない。それならば、カイのスメクランらしくない性格もうなずける。
ガラは金色になびく髪を見詰めながらそんなことを考えていた。
「あれ? 今日の午前中は家で勉強するんじゃなかった?」
その言葉にガラは我に返った。それにしても痛いところを突いてくる。カイの記憶力はいやになるほどに確かだ。
「うーん、えへへ、いい天気だったから逃げてきちゃった」
ガラはちょっと舌を出して答えた。
「えー、大丈夫? 叱られない?」
どうしてこうも生真面目なんだろう。ガラにしてみれば出し抜かれるほうが悪いのだ。親だって気の利いた手を使ってやれば、そうそう文句は言わない。
(イサリオン殿はそういう教えをカイにしていないのかしら)
ガラはいつもそんな疑問をイサリオンに対して持っていた。
「平気、平気、ナムルの裏をかいてやったから。ま、ちょっとだけアー兄さまの知恵は借りたけどね」
「わぁ、アーライル様が帰って来てるんだ」
幼い頃からガラと遊ぶことが多かったカイにとって、アーライルは憧れの的だった。
「畜生ッ、待ちやがれ」
そのとき、市場の喧騒を打ち破って大声が響いた。二人が振り向くと、果物売りが片腕を押さえて膝をついている。その方向から大型のブエルがクミの実を口に咥えて飛んできた。
ブエルは体長四十セム近くにもなる透明な羽根を持つ虫だ。尻にある針で相手を攻撃することはあるものの主食は植物という変わり種で、市場の品物を狙う厄介者だった。
果物売りと言えどもスメクランの男だけに、すかさず店主は腰のベルトから投擲用の小刀を抜いた。しかし、この混雑では外れれば誰に当たるか分からない。
ブエルが二人の頭上に差しかかろうとした瞬間、カイの短刀が一閃してブエルを両断した。
カイの剣技は同世代の中では抜きんでている。ブエルに商品を取られる野菜売りが間抜けなだけだと思ったガラは、たしかに自分のダガーを抜こうとはしなかった。しかし、もしその気があったとしても、カイより先にブエルを斬ることはできなかっただろう。
カイはそれだけの実力を持ちながら、訓練ではまるで結果を残せていない。すべて優しすぎる性格のせいだ。
ガラが真っ二つになったブエルの死体を見ながら考えていると、いつの間にか傍らにいたはずのカイが消えていた。見ると果物売りの元に駆け寄っている。
「大丈夫ですか?」
「え? ……ああ、イサリオンさんのとこのカイか。これくらい何でもねえよ」
思いもかけず心配された野菜売りは、カイを見て納得したようだ。
「ごめんなさい、クミの実まで切っちゃいました」
「ブエルが咥えた実なんて、どうせ売り物になんねえから気にすんな。それにしてもお前は変わったやつだなあ」
そう言い残すと、果物売りは少し照れた様子を見せながら店へと帰って行った。ガラはカイのもとへと歩み寄ると、ため息をついた。
「まったく、あんたはどうしようもないお人好しね」
スメクランにとって『お人好し』は『間抜け』以上の罵言である。しかし、ガラはカイと知り合ってから、この言葉を口にするときに前ほどの悪意が籠らなくなったような気がしている。
「……お人好しか……」
カイは俯くと唇をかんだ。ガラは軽はずみな言葉を掛けてしまった自分に心の中で舌打ちした。惨憺たる結果に終わった昨日の訓練のため、カイは気落ちしているはずなのに。いくら『お人好し』という言葉に対する意識が自分の中で変わってきたと言っても、辛い一言のはずだ。
「そうそう、アーライル様が帰ってきているんだよね。小さいころはよく遊んでもらったよね」
カイはすぐに顔を上げると、何事もなかったかのよう笑顔になって言った。
「そ、そうね、今度はしばらくこっちにいるらしいわよ。でね、アー兄さまパスファインダーになったんですって。すっごいよね!」
ガラは自分の失言を打ち消そうとばかりに饒舌になる。
「パスファインダーかあ……」
カイはザグレム屋形のほうほ見上げて呟いた。その眼には羨望の色が宿っていた。
市場で買い込んだ荷物を持って、二人はカイの家へと向かった。
普段からカイと親しくしているが、カイの家に赴くことは珍しかった。主のイサリオンのすべてを見透かしたような目で見詰められるのが苦手だったのだ。
「父さん、ただいま」
「こんにちは!」
カイの後に続いて家に入ると、ガラは必要以上に快活にあいさつをした。イサリオンのことは尊敬していたけれど、あえて弱みを晒すこともない。そんなガラの気持ちを知ってか知らずか、カイはニコニコしている。
「うむ」
イサリオンが書き物机に座ったまま二人の方へ向き直った。
「ガラお嬢さん、ようこそ。むさ苦しいところですが、どうぞごゆっくり」
「はい、おじさま。お邪魔します」
カイの家は、質素なつくりだ。玄関の扉から入ると、まずイサリオンがいつも調べ物をしている部屋だ。向かって右手に片隅に寄せられた書き物机と本棚があり、その脇にはイサリオンの愛用の剣が無造作に立てかけてある。戸口を入って左手すぐの棚はカイの装備品をなどを置くためのものだ。その奥には雑多なものが積み上げられている。
「行こう」
カイが奥の部屋に向かった。次の間へ続く扉の脇に階段があり、その上にはカイの寝室とイサリオンの寝室が廊下を挟んで向かい合わせになっている。ガラは幼い頃から一度入った場所の間取りは完全に覚えるように仕込まれていた。
カイが先に立って奥の部屋へ続く扉を開いた。その先は台所と食堂になっていた。カイは荷物を机の上に降ろすと、床板を持ち上げて床下の収納庫に買ってきた食料をしまい始めた。
買い物の途中でも感じていたことだが、ガラから見れば、どれも粗末なものばかりだ。スメクランにとって食事は命をつなぐための手段でしかないが、あまりにもひどい。やるせない思いがガラの胸の内に渦巻く。イサリオンとカイの生活はそれほどまでに苦しいのか。
「カイ」
いつの間にか戸口にイサリオンが立っていた。
「何? 父さん」
「お前の防具もだいぶ傷んできたようだ。武具街に行って誂えてこい」
そういうとイサリオンは小さな袋をカイに向かって放った。放物線を描いた袋はカイの手に収まると、ずしりと重そうな音を立てた。
「ありがとう、父さん」
カイの顔が輝く。
「ガラお嬢さんとよく相談して、いいものを買え」
イサリオンはガラを見て言った。その眼はあくまでも穏やかだ。ガラはイサリオンが自分の目利きを評価してくれたことが嬉しかった。今は落ちぶれていたとしても、やはり伝説と言っていい存在なのだ。イサリオンに向かって力強く頷いて見せる。
その一方で普段からの疑問も頭をもたげた。父から極稀に耳にするイサリオンの噂はザグレム党随一の腕利きにして、冷徹非情な男だったというものだ。今は、あの何事も見透かすような目以外は、その片鱗を垣間見ることすらできない。見事なまでに隠しきっているのか、それとも穏やかな余生を過ごしていくことにしたのか。イサリオンの育てたカイの性格を考えると後者のほうが可能性が高いような気がした。
ガラはひとつ頭を振ると、すでに喜び勇んで駆けてゆくカイの後を追った。
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