23 イサリオンの手紙 Ⅰ
カイへ
まずはお前がこの手紙を読んでいることを心から喜ぼう。
私は前夜祭の晩にこの手紙を書いている。
現時点で、私はお前が明日、幾重にも張り巡らされた死線を掻い潜らなければならないことを知っている。
お前がこの手紙を読むことができない――つまり、もしものことがあればと想像するだけで私の心は千々に乱れる。
いっそ今からすぐに、お前を里から逃げ落ちさせようかとも思った。
しかし、定められた運命に逆らうことはできない。おそらく無理に逆らえば取り返しのつかないことになるだろう。それは明日お前の身に降りかかること以上に致命的で、この世界をも巻き込む過酷な運命を導くことになりかねない。
今のお前は、里を追放になった身だろうか。寄る辺ない身の上に打ちひしがれ、これ以上悲惨な目に遭うなど考えられないと思っているだろう。
本当に済まない。
私は、来るべき未来を告げずに一晩過ごすことに、この上ない罪悪感を味わっている。
ただ、どうかこれだけは分かってほしい。この手紙をアーライルから受け取って読んでいるならば、お前は数ある危難を乗り越え、考えうる限り最良の道を歩んでいるのだと。
私がなぜ未来のことを知っているのか。
おそらく、お前の頭の中はその疑問でいっぱいだろう。しかし、それを説明するにはお前の生い立ちから語らなければならない。
ああ、この話はお前がもうすこし成長したときに二人差し向かいで、私の口から語りたかった……。その願いも今は空しい。
明日になればお前と今生の別れとなるだろうことも、定められた運命なのだから。
まずは結論から言おう。
カイよ、愛しい我が子よ。
お前は、私の実の子ではない。
ひょっとすると薄々感づいていたかもしれんな。
お前は、とある都市国家の王族の生まれだ。
私は先代の長、ルイドから密命を受けてその国へと派遣された。
スメクランの中で優秀な者は他国に送り込まれて働くが、最高の技量を持つものは長の手元に置かれる。これがスメクランの常識だ。派遣の話を長から聞かされた時には、自分に何か落ち度があったのかと訝ったものだ。
何しろそれまでルイドの信任厚く、絶えず長の傍近く仕えていたからな。
お前が生まれた都市国家というのは、当時ザグレムの里と非常に親密な間柄にあった。
その国の王は表向き、他の里のスメクランを使役することもあったが、最も重大な秘密に関してだけはザグレムの長、ルイドとのみ共有していたのだ。
里の者にはルイドの勘気を蒙ったという噂が広がる中、私はその国に向かった。それほどまでに秘匿しなければならない任務だったのだ。
その任務とは、国王の娘の護衛だった。
うら若き王女は体内に小さな命を宿していた。
カイ、その小さな命こそが、お前なのだよ。
王女は美しかった。
陽光をいっぱいに浴びた秋の麦畑を思わせる黄金色の髪、白磁のようにつややかな白い肌。その碧き瞳は深い知恵の光を宿し、慈愛に満ちた笑みはどんな気難しい者も頬を緩めるほどに無垢で人の心を和ませる力を持っていた。
それは彼女の心根の表れだったのだろう。
私には不似合いな賛辞だったかな。
私は国王の命の元、影となって王女を見守り続けた。このことを知るのは、国王とその腹心である宮廷魔術師だけだった。無論王女自身もスメクランなんぞが護衛についているとは夢にも思っていなかったはずだ。
にもかかわらず、ひと気のない城の高い塀で囲まれた小さな庭で花を愛でた後、王女はふと私の潜むほうに目を向け、笑みを浮かべて小さく会釈をすることがあった。
ザグレムの里で誰よりも隠密の腕を買われた私が、なんの訓練も受けていない姫君に気配を悟られるはずがない。そう思って周囲を確認しても、他に誰ひとりいないのだ。
若き王女、お前の母は途方もなく優れた勘の持ち主だったようだ。
やがて臨月が近づいてきた。そんな中、国王は定期報告に出頭した私に思いもよらぬことを口にした。
「もはや時間はない。娘の胎内に育った子にも感情が芽生えつつある。今後は宮廷魔術師に命じて、思考波結界の秘術を展開させる。しかし、おそらくは討手の目をくらますことはできまい。もし、わが娘の子が産まれたら、そなたは他の何もかも捨て置き、持てる限りのスメクランの技を駆使してその赤子を連れて即座に落ち延びよ。この命令は儂や娘の命より優先する」
思いもよらないことだった。護衛対象の王女の命が二の次などとは……。
他種族から蔑まれ、畏れられるスメクラン。王女は陰ながら見守っている存在がスメクランだとは知らなかったかもしれない。しかし、私はあれほどの慈愛と感謝に満ちた笑みを、それまでの生涯で向けられたことがなかったのだ。
「姫君をお見捨てになるつもりですか」
任務と命令を遂行し、生き延びるのが、何よりも優先するスメクランの掟、例外はない。にもかかわらず、私は雇い主である国王に反駁していた。
例えどんな相手であろうとも命を懸けて王女を守り切ろう。
私は固く決意していた。しかし、そんな私の意志を打ち砕く言葉を国王が口にした。
「おそらく……始祖たるケルーンの王族自らが討手となって現れよう。儂とて可能な限りの手立てを尽くし、娘を守るつもりだ。しかし――」
国王の顔には重い心労の陰があった。愛する娘の命を諦める父親があろうか。その上で苦渋の決断を下しているのだ。
「もしもの時は、必ず産まれてくる子の命を繋げ」
始祖たるケルーンの王族。
大陸の奥にある霊峰とその周囲を取り巻く太古の大森林に籠り、孤高にして世界の情勢に口を挟むことはないとされる者たち。
強大な魔力を有し、千年もの時を生きる古の種族ケルーン。中でも始祖たる王族は神々の恩寵を色濃く残し、三千年にも及ぶ寿命を持つ者すらいるという。その力はまさしく半神と呼ぶに相応しく、伝説や信仰の対象にすらなっている。送られてくる刺客はそんな存在なのだ。
「な、何故……」
私は自らに課せられた使命に慄きつつも問うた。国王の目に途方もない信念の籠った異様な光が浮かぶ。
「娘の胎内に宿った命は我らが一族の悲願、この世界の理を収束させる運命の子……」
そこまで言った国王の目に疲れ果てた父親の眼差しが入り混じる。
「儂にも……儂個人としては何が『最良』であるのか判断はできん。まさか儂の代で運命の歯車が動き始めるとは……。ケルーンの王族はこの世界の『維持』を司る。彼らはリスクを許さんのだ。儂にできることは連綿と伝えられてきた一族の義務を果たすことのみ。我らはそのために存在してきたのだから」
一度言葉を切った国王は一度言葉を切ると、昂然と顔を起こして続けた。
「二千年の昔、黎明戦争によって歪められたこの世界は維持するだけではいずれ滅びに瀕することになるのだ」
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