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21 闇夜の道行き

 目の前には荒涼とした大地が広がっている。


 彼方にはぽつぽつりと貧相な木々が身を寄せ合うように生え、背後にはイルドウィンの大河が滔々と流れている。眼前の光景は夕闇に沈もうとしていた。


 カイにとっては初めて見る景色だ。


 イルドゥインの渡し場でカイを待っていたのはジグだった。


 伝書小竜による連絡があったのだろう。静まり返った渡し場の集落の門前に佇んでいたジグは黙って顎をしゃくると、ついてこいと合図した。


 みすぼらしい小舟を自ら掉さし、ジグは対岸にカイを送り届けた。縁のあるジグが自分のために労を取ってくれたのか、ただ単にミュートに近寄ろうとする者がほかにいなかったのかカイには判断がつかない。いや、何事かを判断しようという気力すらなかった。


 対岸の集落を出たところで、ジグはカイの手に小さな革袋を押しつけると踵を返して去っていった。


 ジグの姿が薄汚い街並みに消えるまで呆然と見送ったカイは、はっとして袋の中身を掌にあけてみた。十枚ばかりの銀貨と雑多な貨幣だった。


 なぜ追放されたスメクラン、しかもミュートの自分に情けをかけてくれるのだろう。カイは漠然と訝しんだが、その答えは虚ろになった心には浮かんでこなかった。


 カイは渡し場の集落を出て続く埃っぽい街道に目をやると、蹌踉めきつつもあてどなく歩き始めた。


 普段のカイであれば、ジグが去ったあとであろうと律儀に頭をさげて心遣いに感謝を示していたことだろう。しかし、今のカイはまるで抜け殻のようになってしまっていた。カイをカイたらしめていたアイデンティティーが抜け落ちている。


 ほどなくして陽が落ち、周囲は闇にのまれた。


 当然野営の支度などない。ただカイにとって幸いだったのは、成人の儀に当たって最高の装備を整えていたことだった。飛龍の胸当ても不知火も手もとにある。


 愛刀の不知火に想いが至ったとたんに、カイの心の安全機構が何かを遮断した。ただ、頭を空っぽにして歩き続けた。


 ここは辺境のスメクランの里へと続く街道である。元々通う者も少ない。しかも夜となれば人っ子ひとりいない。誰とも関りになりたくないカイにとっては好都合であった。何も考えずにただ只管に歩き続けた。


 どれくらい歩いただろうか。夜が更け、足が棒のようになったところで、カイは手近な木の根元に崩れるように座り込んだ。


 このまま寝てしまおう。夜盗に襲われたところで構うものか。いずれ野垂れ死ぬのだから。そんな諦念が夜の帳とともにカイを押し包む。


 ごろりと横になると、脇腹にごりごりと硬く不愉快な感触があった。手をやるとそれはオラフから預かったナイフだった。


「死ぬなよ」


 オラフの言葉がカイの脳裏に蘇る。


 しかし、今の自分に生きていく価値などあるのだろうか。カイの口許が引き攣る。腹の中を渦巻く自嘲が表情の抜け落ちたカイの顔貌に浮かんだのだ。


 もう眠ろう。身の振りかたを考えるのも厭わしい。カイは丸くなって目を閉じた。




 音が聞こえる。


 重量のある何かが大地を蹴る音だ。蹄か。


 薄っすらと開いたカイの目を夜明けの光が射た。


 心当たりのない足音は自然に眠りを追いやる。スメクランとして暮らした中で身についた習慣だ。即座に木の陰に身を隠す。これも反射動作だった。夜盗に殺されるのも悪くないなどと思いつつも、幼い頃から染みついた習慣を覆すことはできない。


 街道の彼方にシュトゥラが姿を現した。どれほどの距離を走り続けてきたのか、微かに足どりに乱れがある。トゥルではない貴重にして高貴、計り知れぬ力を秘めた乗騎シュトゥラは一日三百ケムを駆けてなお疲れを見せることはないという。


 何者が駆っているにせよ、やり過ごすにしくはない。カイは古木の根方に身を潜ませた。


 やがて蹄の音は大きくなり、速度を落とすとカイが身を隠した古木の前で止まった。


「そこにいるのだろう」


 突然声をかけられてカイは身を竦めた。怯えた動物の仕草だ。音を立てぬように静かに不知火を鞘から抜く。

 今の自分には敵しかいない。勝つも負けるもない。せめて戦って死のう。

 そんな考えにとりつかれるほどにカイは追い詰められていた。


「落ち着けと言っても無理だろうが、まずはその無茶な殺気を鎮めろ」


 その声は理性を失い、ぎりぎりに張り詰めていたカイの緊張の糸を僅かに解きほぐした。


「ア、アーライル様……」

お読みいただきありがとうございます。

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