15 ラシュメニア龍傭兵
カジメルは薄汚れたマントを風にはためかせ、広大なパン平原とバグレストの森との境へと歩みを進めた。腰をかがめるようにして歩く矮躯の男、カジメルの顔には、眉毛から頬にかけて古い刀傷があり、右目が醜く潰れていた。
バグレストの森外縁部にいたザグレム党の見張りは既にすべて始末されているはずだ。部下は腕利きの者を集めている。しかも、夏至祭を楽しめない損な役回りということで、敵の見張りの士気はいくらか落ちていたことだろう。それも、計画通りだ。ここまでおおむね順調だった。しかし油断はできない。
「鼠が。こそこそと陰湿な戦をしおって。我らの力で一揉みに揉み潰してやれるというのに」
がさつに草を踏みしめて近づいてくる男の言葉に、カジメルは微かに顔をしかめる。無論気取られるようなドジは踏まない。相手は途方もない巨漢なのだ。ラシュメニア軍を追放された異端の龍兵を率いる男。残虐無比で軍の制御下に置けず、平時の飼育にさえ多大なリスクを抱えるラグトールを、やすやすと使役する傭兵団の隊長である。ラグトールはもちろん、この大男自身もまったくもって危険極まりない。
「もちろん、ラシュメニアの龍傭兵の力は存じておりますとも。しかしながら、今回の作戦は慎重にも慎重を期さねばならぬものですから」
カジメルは慇懃に答えつつ、「傭兵」の部分に微かな棘を付け加えるのを忘れなかった。
「ふん、こいつらに十分な殺戮を味わわせてやれるなら、それでよい」
カジメルの皮肉に気づいた様子もなく、傭兵団長のドリスコルが言った。彼の背後には五十名ばかりの部下と口輪で口を開かないように固定された三十頭ほどのラグトールが続いていた。
これだけの戦力があれば、あるいは当分の間ザグレムの里の機能を失わせるほどの損害を与えることもできるかもしれない。
しかし、カジメルの目的はそこにはない。金にあかせて便利に使う――扱いには注意を要するが――傭兵どももあずかり知らぬ目的。彼の上役であるログマールによって綿密に計算され、どう転がろうとも、それなりの成果が期待できる計画。ザグレムを壊滅させるもよし、そうでなくとも……。カジメルは頬を醜く引き攣らせた。これが彼なり微笑みである。
音もなくカジメルのもとに駆け寄ってきた部下が告げる。
「森の中ほどまでの見張りはすべて処分いたしました」
「そうか」
「あのシロモノは対処のしようもなく、ヤツらの真っただ中に飛び込むことになるでしょう」
部下はラグトールを見やって陰鬱な目を光らせた。
「森の中にいる者どもを全員退かせろ」
カジメルは部下に命じた。貴重な戦力をラグトールの巻き添えにするわけにはいかない。ラシュメニア正規軍が手放すほどに厄介な暴龍なのだ。血に酔えば、敵味方の見境もなく攻撃してくる。
「もたもたするな。可愛い化け物どもが待ちくたびれておる」
背後からドリスコルの喚き声が響く。カジメルは小さく舌打ちをした。この大雑把な傭兵隊長のせいで、計画が危うくなったことを思い出す。おおむね順調だった計画の唯一の齟齬、龍傭兵の管理するラグトールの一頭が逃げ出した一件である。そのはぐれラグトールはザグレムの里の者たちによって処分されたようだが、万一その背後にこの傭兵団の存在があることを感づかれでもしたら、面倒なことになるところだったのだ。
「はは、今暫しお待ちを。我が部下風情では、ラグトールの嵐の如き攻めに巻き込まれでもしたら、ひとたまりもありませぬゆえ」
内心の苛立ちをおくびにも出さず、カジメルは深々と頭を下げて見せた。
「ふん、急がせろよ」
「承知いたしました」
ドリスコルに最敬礼をしつつ、カジメルは計算する。傭兵団の連中はスメクランを甘く見ている。この襲撃でザグレム党のスメクランが大損害を受けるのは間違いないが、一方で、ラグトールも大半が退治されることだろう。いくらか残ったところでもはや使い物にはなるまい。傭兵団の大半は戦士というよりはラグトールの調教師である。
(ことが終われば、こいつらを苦もなく処分できよう)
問題はこの巨漢のドリスコルだが、雇い主であるドルグの里のスメクランが裏切るなどとは夢にも思っていないようだ。その上、スメクランを舐めきっている。毒の刃で傷のひとつもくれてやるのは容易い。ドリスコルさえ倒せば、あとは烏合の衆だ。(だからラシュメニアの連中は扱いやすい)
ラシュメニアにスメクランの里はない。もしあったとすれば、スメクランが向背常ならぬ種族であることを知り、ここまで油断することはなかっただろう。
襲撃のあとにラシュメニアの龍傭兵どもの死体がザグレムの者たちに発見され、最終的にはドルグ一党の陰謀であることがザグレム党にバレる可能性は高い。しかし、その時はすでに手遅れなのだ。またカジメルの頬が引き攣る。
ひとり、またひとりとカジメルの部下が森から姿を現す。その誰もが一癖も二癖もありそうな面構えをしていた。スメクランの里の警戒網を無力化するだけに、えり抜き精鋭をかき集めてきたのだ。誰一人怪我ひとつなく引き返してきた。
「大変お待たせしました。ではお願いいたします」
そう言うと、カジメルは手下を引き連れ、龍傭兵たちの後方へと引き下がる。
「よろしい、では準備に掛かれ」
ドリスコルが部下の龍傭兵たちに命じた。ラグトールの口輪が外される。血の予感を感じるのか、ラグトールが長くしなやかな首を振って暴れた。ほっそりとした優美ともいえるシルエットの裏には無慈悲な殺戮の意志が宿っている。
「往け!」
ドリスコルが叫んだ。一斉に手綱が解かれ、満々と引き絞られた弓から放たれた矢のように、三十頭に及ぶラグトールが一斉に森へと突入していった。首を前に突き出し、長い尾を後方にたなびかせてバランスをとる。筋肉質の力強い脚が大地を蹴立てて疾駆する。
「さあ、お楽しみの始まりだ」
カジメルが不敵に呟いた。
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