6 上級探索訓練
夏至祭まであと一週間という時期を迎えたザグレムの里には、どこか浮ついた雰囲気が漂い始めていた。
ガラが参加したロゲスの棲み処の探索については、その後大規模な再調査が行われたが、新たな発見はなかったらしい。事件があった当初は暴龍の出現という異常事態に里全体が震撼し、警戒態勢を強めていたが、今ではだいぶ落ち着きを取り戻している。
ただ、里の長であるカルバリンや側近のケイドル、ナムルといった顔ぶれとともに暮らしているガラは、首脳陣が密かに厳戒態勢を維持していることを知っていた。長の指示のもとで通常の警備とは別にトリクやヘルムが一握りの精鋭とともに、その任に当たっているのだ。これは夏至祭が里の者たちにとって数少ない楽しみだということを踏まえて、必要以上に人心を乱さないようにするための配慮だった。
ガラは朝の身支度をしながら、ロゲスの棲み処への偵察を思い返してため息をついた。
あれ以来、カイの口数がめっきり減っていた。ガラが話しかけても、最低限必要な答えしか返ってこないのだ。
リータの最期がカイの心に深い傷を残しているらしい。
「いってきます」
ナムルの見送りを受けて訓練場へと急ぐ。街を過ぎ、バグレストの森を駆け抜けて訓練洞窟へと向かう。今では成人前の最終段階、上級探索訓練に励む日々だ。
洞窟の前に着くとカイ、オラフ、ルーサーのいつものメンバーはすでに揃っていた。周囲の教官たちの中にはゴンザの顔もある。
二歳年下の子供たちが初級探索訓練に出発するところだった。四、五人ずつのパーティーを組み、緊張の面持ちで洞窟へと消えていく。
ガラの頬がふと緩んだ。仲間を出し抜いてはトップの成績をあげていたころの思い出が懐かしく蘇ってきた。とくに『お人好し』のカイはいつも格好のカモだった。
「おせえぞ、ガラ」
肩に斧を担いだオラフが声をかけてきた。その脇ではルーサーがニヤニヤしている。
「お嬢は朝の支度が大変なんだろうよ」
「うっさいわね」
気心の知れた仲間とのいつものやり取り。しかし、カイはその輪から外れてひとり遠い草原の彼方を見ている。
最近はオラフもルーサーもこうしたやり取りをことさらに際立たせているようだ。カイが輪の中に戻ってきてくれることを願って。
同世代の別の班が、ゴンザたちの指示を受けて洞窟へと入っていった。今ではもう自分たちの周りに見張りの者はついていない。その必要がないからだ。
サルデア窟での一件から、カイは急激に力を発揮するようになっていった。行動が自信に満ちて的確になり、リーダーシップまで発揮するようになったのだ。その原因が自分を救った行為にあることを人づてに聞いて、ガラは喜んだものだった。
「第四班、来い」
ガラたちの班が呼ばれた。
「東第五層の第八洞窟の深部まで行け。帰りは明日正午までとする。油断するな」
ゴンザの言葉が終るか終わらないかのうちに、カイは洞窟へと歩みを進めていた。メンバーの三人はその後に続く。
洞窟に入って十分もしないうちに、見張り役が脇に気を失った子を抱えて出口に向かって駆けていくのに出会った。幸い傷はたいしたことがないようで、見張り役は笑みを浮かべながら片手をあげて挨拶をしていく。ガラも挨拶を返したが、見張りを見送ったあとでその表情が曇る。前を行くカイが気を失った子に目もくれなかったのだ。ただじっと前を見詰めて進んでいく。
ロゲスの棲み処での一件以来、またカイは変わってしまった。その変化は歓迎できるものではなかった。
以前のカイならば、大丈夫だと分かっていても人の心配ばかりしていたのに。ガラが小さくため息をつくと、肩に大きな手が置かれた。見上げるとオラフがガラの目を見て僅かに頷いて見せた。それは「今はそっとしておこう」とでもいうような仕草だった。
初級探索訓練のころは洞窟の第一層、せいぜい第二層の入り口程度までが行動範囲だった。出会うモンスターもそれなりだ。当時必死に戦ったモンスターも今では、まるで問題にならない。隠密や索敵の技量も上がったので、出くわすこと自体がほとんどないのだ。ごくまれにデリムやジオスラッシャーとはちあわせすることがあるが、先頭を行くカイが相手に目をやることもなく刀を一閃させて片付けてしまう。歩調を緩めさえしないのだ。
見事な隠密技量に、素晴らしい剣技の冴え。カイの成長は目を見張るものがあった。スメクランとして任務実行に対する指向性も十分だ。その能力はロゲスの棲み処での出来事以来、一層高まっている。仲間としては頼もしいことこの上ない。しかし、あの日から、カイは何か大切なもの、言うなれば、カイらしさのようなものを見失ってしまったようにガラには思えてならなかった。
(まるで、切れすぎる抜身の剣みたい。今までは能力はあっても、きちんと鞘に納まってたのに)
ガラはそんなカイの姿を見ていると、ひどく遣る瀬ない想いに囚われるのだった。
第二階層へと下る階段は、いつかカイと二人でピコルワームを倒したあの神殿の隠し扉の先にあった。その扉の存在をゴンザから知らされたのは、何度も訓練を繰り返しいくらか技量の上がったあとのことだった。一行はそのまま第二階層、第三階層と洞窟を下っていく。
次第に姿を現す生き物たちの危険性も上がってきていたが、ガラたちに出番はほとんど回ってこない。ここまで相手にしたのは、数を頼みに襲ってくる飛ぶための皮膜をもった両生類ファバッドの群れくらいだ。
第三階層から第四階層へ降りる扉の門番、大蜥蜴グノテクは岩に擬態していた。カイは一瞬不意を突かれたようだが、壁を蹴って背後に回り、一撃で背中の神経節を刺し貫いた。その動きに予想外の出来事に対する動揺は見られなかった。
「よう、俺たちの分も少しは残してくれよな。これじゃあ訓練にならねえよ」
オラフがカイに軽口をぶつけた。
「ああ、気をつける」
カイの答えには、心ここにあらずといった雰囲気がうかがえた。ガラの心にまた不安が渦巻く。カイがどんどん遠くに行ってしまうような、取り返しのつかないことが進みつつあるのではないかという焦燥感が頭をもたげる。
「カイ……」
「さあ、先に進もう」
カイはガラの言葉を遮るように背を向けると第四階層への階段を下って行った。
第四階層に降りると洞窟は広くなったが、それまでにも増して足元が悪くなり、あちこちに泥沼のようなものが増えてくる。湿気がひどく居心地の悪い空間だ。
次第にガラたちにも戦闘の機会が回ってくるようになってきた。これまでは一部の例外を除いて、敵は単独もしくは少数のグループで襲ってきたのだが、この階層には群れでパーティーを襲う厄介な敵が多いのだ。
三十セムにもなる巨大な吸血羽虫、熱で獲物を探知するデルムーズや、見た目は無害なブエルそっくりだが、鋭い牙をもつブエラスなどである。
またここにはブエラスの幼虫で死肉に群がるブエラルゴも大量に生息している。ブエラルゴは僅か三から五セムと小さいが、一斉に毒ガスを吐くので油断ならない。しかも数百匹単位で地面を覆い尽くして蠢いているのだ。パーティーに魔術師がいれば範囲魔法で一網打尽にすることができるのだが、スメクランだけのメンバーでは刺激しないように素早く迂回するほかない。
一行はこれらの始末の悪い生物を極力回避しつつ、歩みを進めた。
岩陰から這い出してきたピコルワームの頭部を一刀のもとに斬り捨てたカイが、不知火を一振りして付着した粘液を飛ばした。無数の歯をもつ頭部を処分してしまえば、神経節の残る胴体がのたうち回ったところで問題ない。後も見ずに歩みを進めるカイの後ろ姿をガラは見詰めることしかできなかった。
第五階層に下る階段がある部屋まであとわずかだ。
「今日もカイの独り舞台だな」
オラフがため息とともにポツリと漏らした。
「まだ第五階層があるわ。あたしたちも負けないわよ」
ガラはあえて明るく言い放つ。しかし、その言葉にカイは反応を返してよこさなかった。
足元の水溜まりを飛び越え、音もなく進む。ほんのわずかに足元から舞う水滴や砂が水面に波紋を残し、松明の灯りに照らされた影が踊る。
天井に潜んでいた一匹のブエラスがカイの背後を急襲した。ガラが腰にいくつも差した長さ十セムばかりの小刀の一本を投げる。ブエラスを貫いた小刀はカイの頭をかすめて、三メルほど先の壁に軽い金属音とともにぶつかった。
「ありがとう」
この日初めて聞いたカイらしい言葉だ。しかし、ガラには分かっていた。小刀がかすめるときに、カイは避ける動作すらしなかった。なんのことはない、ブエラスが接近したことも、ガラが行動を起こしたことも、すっかり見切っていたのだ。
やがて第四階層の最奥の部屋の前に到着した。
カイが無言で扉の鍵を改め、罠を解除する。扉を開けると、そこは燐光を放つ苔に覆われた広い空間になっていた。天井からは無数の鍾乳石が下がっているが、地面の大半は平らに均され、隅のほうにだけ石筍が立ち並んでいる。水の滴る音がまるで止むことのない雨のように響いていた。この雫が長い年月をかけて鍾乳石による奇怪な地下の景観を作り上げてきたのだろう。
カイを先頭にして両脇にオラフとルーサーが展開し、後方にガラが控える。暗く視界の効かない洞窟の奥から重々しい足音が響いてきた。
四人が得物を手に息を凝らす。苔の放つ微かな光の中に大型の獣が姿を現した。分厚い甲羅のような皮に覆われた六足の怪物、リグラスだ。苔や粘菌などを好み、肉食性ではないが縄張り意識が強く、頭部にある二本の角で相手を攻撃する。視力は衰えているが、並外れた嗅覚と聴覚をもち、侵入者に対しては一テロンに及ぶ体重にものを言わせて押し潰そうとする。
「やれやれ」
ルーサーが細身の短剣を抜き、軽く肩をまわした。それを抑えるようにカイが一歩前に出る。
「いや、俺がやる」
「いい加減にしろよ、あいつにはそうやすやすとダメージは通らないぞ。今度こそ俺の出番だぜ。」
オラフが斧を手に進み出た。
「まずは、一度だけ俺に任せてくれ。それが失敗したら……頼む」
オラフとルーサーはあからさまに顔をしかめつつ、左右に分かれた。残されたカイがリグラスの正面にひとり立ちはだかった。ガラは両手に小刀を二本ずつもち、いつでも投擲できる姿勢を取った。小刀などでダメージを与えられるとはガラも思ってはいない。僅かでも陽動になればと準備をしたまでだ。
カイは不知火の柄を逆手に握り、刃を外に向けて左脇に添え、軽く腰を落とす。一般的な戦士の構えとはかけ離れた構え、スメクランの戦闘法としても異形の姿勢だ。ガラにはカイが何をしようとしているのか想像がつかなかった。
リグラスは前足で二、三度足元の苔を後ろにかき上げると、一気にカイに向けて突進した。カイはじっと動かない。ガラは背筋が凍るような想いに襲われた。
やられる。
その瞬間、カイはリグラスの鼻先で右に体を躱すと、眼にもとまらぬ早業でリグラスの耳の後ろへ柄も通さんとばかりに刀を突き刺した。リグラスは即座に足を縺れさせて倒れ伏したが、勢いのついた身体は五メル以上も滑ってから止まった。カイの愛刀不知火がリグラスの耳の後ろに突き立ったまま震えている。即死である。全身を覆う分厚い皮の僅かな隙間、一撃で倒すにはここしかないという箇所をピンポイントで刺し貫いたカイの勝利だ。
「カイッ」
ガラはカイに詰め寄った。
「あんたどうしてこんな戦い方ばっかりするのよ」
ギリギリまで我が身を危険に晒してのクリティカルヒット狙い。たしかに種族としては比較的非力で重厚な防具などを扱いきれない傾向にあるスメクランらしい戦い方ではある。しかし――
「何のためのパーティーだと思ってるの」
カイは唇を噛んで答えない。
「全部あんたひとりで背負うことないのよ……」
目元に熱いものを感じて、ガラはカイに背を向けた。
「お前の重荷、少しぐらいは俺たちにも分けてよこせよ」
オラフがカイから目を逸らしながら鼻を擦って言った。ルーサーも腕組みをして頷く。
「……ありがとう……。でも、まだ今の俺じゃダメなんだ。もっともっと……」
乾いた音が洞窟に響いた。
掌に痺れを感じ、思わずカイの頬を打っていたことにガラは気づいた。
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