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1 奪還

 夜風が草原の丈の高い草を揺らしていった。

 身の丈ほどもある草むらの中を数人の人影が音もなく進んでいく。先頭の男が肘をまげて後ろから見えるように拳を挙げた。後続の影がぴたりと動きを止める。


 一行の視線の先には大きな沼地が広がり、そのほとりに粗末な小屋が立ち並ぶ集落がある。柵で囲まれた集落の入り口には篝火のもとに立つ歩哨らしいゆがんだ姿が見受けられた。

 再び静かに風が吹き過ぎた。その風は先頭に立つ男の髪をそっと揺らしていく。月光を浴びた髪は黄金色に輝いた。


 サルデア窟の事件から一年半が経っていた。


 成人の儀式を行う夏至祭を前に、ザグレムの里に緊急の依頼があった。里からパン平原を南下したイルドゥイン川の渡し場にある集落の民が、誘拐された子供たちを取り返してほしいと訴えてきたのだ。犯人は川を東に下ったところにある沼沢地に生息するロゲスであるという。


 ロゲスは粘膜状の肌と両生類を思わせる突出した目が特徴の野蛮な種族だ。身長は百四十セム程度と子供と変わらないが、異様に広い肩幅と太い腕をもっている。知能はあまり高くないものの、野盗のまねごとをしたり夜ひとり歩きをする子供を攫ったりと、何かと厄介な連中である。


 川の北岸の渡し場はザグレムの里の勢力範囲に当たるため、領主のカルバリンは早速救出隊を編成した。その隊長として白羽の矢が立ったのがカイだった。


 サルデア窟での一件以来、次第にカイは頭角を現しはじめた。訓練でも実績をあげ、党首の娘を救った英雄の名に恥じない力をつけていった。同時に小柄だった身長も伸び、今では百七十セムを超えている。子供らしく短く刈り上げていた髪も年相応に耳が隠れるくらいの長さに伸ばしていた。


 隊長に抜擢されたとはいえ、里への正式な依頼である。未成年のカイにすべてを任せるカルバリンではない。お目付け役として腕利きのゴンザとヘルムが同行していた。実質この二人が任務を任されており、カイはリーダーとしての資質を見きわめるために指名されたにすぎない。


 しばらくの間、ロゲスの集落を観察していたカイは指を三本立てて、ヘルム、ガラ、オラフを指さした。そして集落の門番を指し示す。続いて残りのメンバーに迂回して裏手に回るように手振りで指示した。カイに続くのはゴンザとルーサーだ。


 カイは少し不安になり、ゴンザとヘルムに目をやる。ゴンザは頷き、ヘルムは黙って門のほうへ進んでいく。積極的な反対意見はないということだろう。カイの判断に多少のミスがあったとしても、少なくともこの二人の実力があれば挽回できる程度のものだということだ。


 こういった場合の作戦もすでに教練の中で叩き込まれている。二手に分かれ、一方が囮の攪乱役となり、もう一方が対象を確保する。熟練したスメクランの集団であれば、お互いの実力を知っているため、指示がなくとも各々の役割に合せて自然に各集団が形成される。しかし、今回は四人の若手が入っている。手分けの人選が重要なのだ。




 カイたち三人は密やかに進んだ。そして草むらが途切れるあたりで歩みを止め、門のほうに目を凝らす。やがて門番のくぐもった悲鳴が聞こえ、篝火台が派手に転がった。陽動部隊が動いたのだ。


 三人は集落を囲む粗末な柵を乗り越えて物陰に潜んだ。近くの小屋から複数のロゲスがばたばたとみっともない走り方で門のほうへと駆けて行く。周囲を見回していると、ルーサーがカイの袖を引いた。見ると、門のほうの騒ぎに気を取られつつも、一軒の小屋の前から動こうとしないロゲスがいる。カイは頷くと、二人を引き連れ、足音を忍ばせてその小屋に近づいた。小屋の中からは何人かの子供がすすり泣くような声が漏れている。


 カイは腰のナイフを抜き、ごくりと唾をのむ。ルーサーがその手を押えてすっと前に出ると、カイに頷きかけた。目で了解の合図をするカイの返事を待つこともなく駆け出していく。ルーサーの素早さは同僚たちの中でも抜きんでている。たちまち見張りのロゲスの背後に忍び寄り、ナイフを一閃させて喉を斬り裂いた。見張りは声をあげる間もなく息絶えた。ルーサーは倒れかかる死体をそっと受け止めて、静かに地面に寝かした。


 その間にカイは小屋のドアに駆け寄る。鍵は何度も開錠した経験のあるものだ。腰の小物入れから針金を取り出し、鍵穴を操作するとたちまち鍵は開いた。

 中には四人の子供たちが閉じ込められていた。後ろ手に縛りあげられたか細い腕に無残にも荒縄が食い込んでいた。


「しっ、声を出すな。助けに来た」


 思わず悲鳴をあげそうになるひとりに声をかけた。カイとルーサーがそれぞれひとり、ゴンザが二人を抱え上げる。ルーサーが油断なく戸口から外を窺って頷いた。三人は一斉に元来た道を駆け戻る。柵を超えたところで、ゴンザが鋭く三度口笛を鳴らした。撤退の合図だ。


 来る途中で決めておいた合流地点を目指して突っ走る。カイは危険な陽動役を命じた三人のことを案じたが、今はとにかく人質の子供たちを安全圏まで連れ出すことが優先だと腹をくくる。

 しばらく走ったところで少しペースを落とした。ロゲスは頑健で持久力に長けるが、瞬発的なスピードがある種族ではない。それに組織だった行動もあまり得意ではない。


「怖かったろう、もう大丈夫だよ」


 カイは抱いている子供に声をかけた。頬に薄汚れた涙の跡を残す少女はいつの間にかカイの腕の中で眠っていた。


 集合場所に到着して、子供たちを柔らかい草の上に寝かすと、ほっと一息ついて自分たちも草むらの上に背を預けた。もう動くこともままならないほどに疲れ切っていた。


 攪乱役の三人はまだ到着していない。追手を振り切るために遠回りして集合場所に来るのがセオリーだ。ゴンザだけは横になることもなく黙って今来た道をたどっていく。入念に草を均して足跡を消しているのだ。この場所に到着するまでも、何度かゴンザの指示で向きを変え、その都度足跡を消す作業をしてきた。ロゲスはそれほど緻密な生き物ではないが、念には念を入れることが望ましい。本来ならば、焚火でもして灯りのもとでくつろぎたいところだが、追手のかかっている身では、それもかなわない。


「ルーサー」


 カイは傍らに横たわるルーサーに声をかけた。


「さっきは……済まない」


 訓練で成果を挙げ、実力も発揮できるようになってきたカイではあったが、未だに人型の生物に対して刃を振るうことには躊躇があったのだ。その悩みは誰にも打ち明けずにきた。しかし同期であり、いつも行動をともにしてきた仲間には自然と伝わっていた。


「俺も手柄が欲しかっただけだ。気にするな」


 ルーサーはカイに漆黒の蓬髪のかかった痩せた背を向けると、のんびりとした口調で言った。

 見上げる夜空の星々がだんだんとその光を失っていく。白みはじめていく東の空を見詰めたあと、カイは決意を新たにするようにして口を堅く引き結ぶと強く瞼を閉じた。


 陽動役の三人が戻ってきたのは、完全に日が昇ってからしばらくしてからだった。


「あいつら、意外にしつこくてよ。参ったぜ」


 オラフがどっかと腰を下ろすとため息をついた。


「そうね、そんなに執念深い連中じゃないって聞いてたのに」


 ガラは額に浮いた汗を腕で拭うと、くつろげた胸元に掌であおいで風を送った。最近急に女性的な特徴を示しはじめたガラの肢体から、カイ、オラフ、ルーサーの三人が居心地悪そうに眼をそらすのを知ってか知らずかガラは続ける。


「ねえ、どうだった。今回のあたしたちの活躍は」


「まずまず合格点と言ったところだな」


 ゴンザが答えた。


「ただし、まだ体力が足りない。里に戻ったら訓練が待ってるぞ」


 その言葉に四人の若者は露骨にため息をついた。


「それから、カイ。部隊を真っ二つに割った判断は微妙だな。今回に関しては生き延びている子供の数が知れないだけにやむを得なかったのだろうが、陽動役に多めに振るのが原則だ。一応覚えて置け。ヘルム、ガラとオラフはどうだった」

 ヘルムは肩をすくめると、しぶしぶと言った表情で少し首を傾げた。


「ま、そんなもんだろうな。多少のしくじりは陽動役としてちょうどよかったというところか」


 ゴンザはヘルムの僅かなしぐさから、だいたいの状況をつかんだようだ。


「ちょっと、あたしが何をしくじったっていうのよ」


 ガラが口をとがらせてヘルムに抗議する。


「篝火台を蹴倒したのは、わざとじゃねえよな」


 オラフがニヤリと笑う。


「う、うるさいわね、あんただって」


「やかましい。とにかく帰ったら覚悟しておけ」


 ゴンザに一喝されて、二人は黙った。


 その傍らで怒声に驚いたのか子供たちが目を覚まして泣き始めた。


「ちょ……おい、泣くな。お前ら何とかしろ」


 うろたえるゴンザを尻目にガラが笑った。


「これは教官のしくじりですからね」

お読みいただきありがとうございます。

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