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11 迎え

 意識を失っていたのはせいぜい十分ばかりだったようだ。モモが知らせに走ったらしく、カイは収容所長のリズルドに揺り起こされて、薄っすらと目を開いた。


「ううっ」


 呻いたとたんに刺し込むような頭痛と眩暈に襲われた。


「あんまり乱暴にしないでください」


 モモの声がどこか彼方で叫んでいるようにくぐもって聞こえた。


「お前の説明じゃあ訳が分からない。こいつから説明を聞きたいんだ」


 リズルドが言い返す声も籠って聞き取りづらい。


「だから言ったじゃないですか。タルベルトさんが悪い人で、ロレンゾさんもその仲間で、ガラさんを攫おうとしたって」


 だんだんと、頭も耳もはっきりとしてきた。洞窟内では何人もの者がせわしなく立ち働いている気配があった。


「で、そのタルベルトとロレンゾはどこなんだ」


 カイははっとして身を起こした。また鋭い痛みがこめかみに走るが、そんなことには構っていられない。


「ガ、ガラは……」


「おう、気がついたか。ガラ殿はここの治療所でお休みだ。ひどく衰弱しているが、足の怪我は問題ない。それより、どういうことなんだ」


 辺りを見回したカイの目はある一点で釘づけになった。


「カイ……さん」


 モモは何か言いたげに口を開いたが、そのまま黙り込んでしまった。

 カイの視線の先にはおおよそ人一人分の半ば凍結状態から溶けかけた血溜りと、タルベルトが手にしていた大剣が落ちていた。その先にはもうひとつの血溜りも。

 いったい何があったのだと訴えかけるような視線をカイはモモに送った。モモは唇を噛み締めて俯いたが、顔を上げると強く見返した。


「カイさん、たぶん初めてのことだったと思うので、気持ちを強く持ってください。あなたはちっとも悪くないんです。これは……仕方がないことだったんです」


 カイは頭痛によるものとは違う種類の眩暈に襲われた。否定してくれると縋るような想いだったものが、現実になってしまったのだ。


「あの二人は死にました。凄まじい極低温にさらされて一瞬で身体の芯まで凍りつき、その後の衝撃で……。なにが起こったのかも……分からなかったと思います」


「で、でも、俺は肩を狙って……氷柱の魔法を……」


「慣れない人がマジックアイテムを扱うと、こういうことに……なるのかもしれません」


「そんな、そんな、俺、殺す気なんて」


 カイが絶句する。


「カイさんは、ガラさんを助けたということだけ考えていればいいんです!」


 モモが苦しそうに言葉を絞り出した。


「リズルドさん、そういうわけで、あの血の跡が、二人のなれの果てなのです」


 リズルドに向き直ってモモが続けた。


「なんと……」


 リズルドも言葉を失った。同時にカイの意識は再び暗闇にのまれていった。


 カイが目を覚ましたのは丸一日後だった。

 じっと治療所のベッドに横になり、二段ベッドの上の段の木目を見ることしかできなかった。気がついたという知らせを受けたモモがやってきて、ガラは一足先に里へ搬送されたこと、怪我の経過は順調でむしろカイを心配していたこと、迎えに来たナムルによれば、知らせを受けた里中の者がカイの功績を讃えていたと言っていたことを伝えた。


 モモもルインの滝の収容所を去ることにしたそうで、カイに別れを告げると、もう一度励ましの言葉を残して出て行った。


 カイは呆然としたままそれらの話を聞き流していた。人間族とスメクランの種族の違いはあれ、言葉を交わし意思の疎通ができる相手をその手にかけてしまったのだ。過去にモンスターを倒したことはいくらもあったが、今度ばかりはそれとは違う。毛布の下で何度も掌をズボンに擦りつけた。しまいには掌がヒリヒリと痛んだが、自分の手が血塗られているような気がして見ることはできなかった。


 あくる日、体調の回復したカイは宿舎へ移り、ベッドで横になっていた。すでに日は高く昇っている。タルベルトたちに代わる新たな作業監督が任命され、サルデア窟での日常は何事もなかったように続いている。

 罰として命じられた二週間の作業は、あと一日を残しているが、ガラを救った功績が認められたことで免除されていた。しかし、たとえ働くことを命じられたとしても、それは不可能だっただろう。穢泥貝を無理に持ち上げたり、ガラを抱えるようにして水中を進んだりといった肉体を酷使した以上のダメージを、カイは受けていたのだ。


 窓の外に見える青空をゆっくりと真っ白な雲が流れていく。カイはここに来てから、昼間の風景をまともに目にしていなかったことに気づいた。

 心休まるのどかな光景だ。もう身体の傷みも消えている。思わず外に出て伸び伸びと過ごしたくなるような穏やかな日。


 カイは深いため息をついて窓から目をそらし、薄暗い宿舎の隅を眺めた。嫌な虫がいる毛布が乱雑に投げ出され、夜に配給された粗末な食事の皿が汚れたまま重なっている。

 カイは頬をゆがめて自嘲する。自分のいるべきところは、明るい空の下ではなく、罪人や無宿人を収容するこの部屋のほうが相応しい。

 唐突に宿舎のドアが開き、眩しい光がカイの目を射た。


「カイ、迎えが来た。外に出ろ」


 戸口に外の光を背にした黒い影が立っていた。声からするとリズルドだ。目を眇めて頷くと、カイはのろのろとベッドから起き上がった。


 荷物をまとめると追い立てられるようにして収容所の門へと向かう。さんさんと照りつける陽の光が、頭に打ちおろされる鈍器のようにカイを苛んだ。

 門の前に立っていたのはイサリオンだった。削ぎ落したかのような鋭角的な頬のラインはいつものように微動だにしない。


「イサリオン殿、息子さんをお連れしました」


「済まんな」


「本来であれば、もう一日任期がありますが、ご報告した事件により免除されております。どうぞお連れになってください」


 リズルドがイサリオンに頭を下げた。慇懃な口調からもこの収容所の所長もイサリオンの過去の実績を知る者であることが伺える。


「息子が世話になった」


「いえ、私の監督不行き届きで危険な目に遭わせてしまい、申し訳ありません」


 リズルドの詫びの言葉にイサリオンは手を振って応じると、浅黒く表情の読めない顔をカイに向けた。


「帰るぞ」


 カイはイサリオンの目を見返すことができず、ただ頷いた。

 森を抜け、イルドゥインの流れに沿って二人は歩き続けた。イサリオンとその後に続くカイの間には、沈黙がわだかまっていた。サルデア窟で何があったのか、当然事件の詳細はイサリオンの耳にも入っているはずだ。その上での迎えなのだろう。何度か口を開きかけては閉じることを繰り返しながら見詰める広い背中は、どこまでも遠く感じられた。


 川の流れから逸れ、行きの道のりで野宿をしたあたりでイサリオンは歩みを止めた。


「お前は休んでいろ」


 あたりは夕闇に包まれようとしていた。

 乾いた草原に腰をおろす。結局一言も話をしないまま半日近く過ごしてしまった。カイは小さくため息をつき、肩を落とす。頭の中が散漫な思考でいっぱいになり、ひとつの物事を突き詰めて考えられる状態ではなかった。膝を抱え込み、身体を丸めた。


 どさりと薪の束を地面に放る音で我に返った。イサリオンが手際よく薪を組み合わせると腰の小物入れから火打石を取り出して火をつけた。

 会話がないまま時が過ぎる。イサリオンはカイに話を促すでもなく、何事もなかったかのように振舞っていた。やがて景色を薄紅色に彩っていた夕陽の残光も消え、周囲が闇に沈んでいく。


「父さん」


 カイは、焚火に向かって呟いた。


「ああ」


 焚火の向かいに座るイサリオンの顔の上で、草原を渡る風で揺らいだ炎の影が踊る。


「俺、ひとを殺しちゃった」


「そうだな」


 イサリオンは焚火の火加減を整える手を止めることなく答えた。その傍らには十分に集められた薪の束が置いてあり、時々束から小さな粗朶を選り抜いては火にくべている。カイは、自分が何を言うべきなのか分からず、言葉を失った。そんなとき、イサリオンは急かすことなく、いつまでも口にする言葉を探すのに任せるのが常だった。

 小枝が折れる乾いた音がした。イサリオンがそれを焚火に放った。


「仕方がなかったと言って欲しいのか」


「えっ」


 思いがけず話しかけられたことで、虚を突かれた。


「無理もない。最初はそんなものだ」


 イサリオンは自分の背嚢を開き、中を探りながら言った。カイに返す言葉はない。


「今、仮に俺が『仕方がなかった』と言ってやれば罪悪感からは逃れられるかもしれん。しかし、それはひとつの基準をお前の中に作ることになる」


 相変わらず表情の読めない目がカイに向けられた。睨むでもなく、ただニュートラルな色を宿している。


「お前はこれからも、様々な状況に直面することになるだろう。もっと厳しい選択を迫られる局面もあるかもしれない」


 カイから目を離し、粗朶の束から長さ一メルほどの細い若木の枝を取り出すと、その表面をナイフで削ぎながら続ける。ナイフが動くたびにギラリギラリとオレンジ色の照り返しの光が踊る。


「俺がお前に与えた基準は、そんなときかえって足枷になるかもしれん。何事も自分で判断し、その責任を負う覚悟がなければならんのだ。自分の行いがどんな結果をもたらすのかに思いをはせ、そのときどきで最良と考えられる決断をくだす。それがどれほど厳しいものであってもな」


 薄く削がれた木の皮が焚火に吸い込まれていく。


「結果がどうなるかは分からん。ただ、決断の機会を迷って逃したことを後悔するよりは、自ら下した決断を後悔するほうがましだ」


 イサリオンが焚火の炎向こうで、また背嚢を探っている。


「自分で決めたことを後悔した後にまだ命があるならば、それが本当の経験になる……食え」


 焚火越しにイサリオンが削っていた若木の枝が差し出された。その先には柔らかそうなパンに挟まれた干し肉が刺さっていた。


「今回の一件は得難い機会だったのかもしれん」


 イサリオンは自分の手元を見ながら続ける。


「いくら時間をかけてもいい。自分自身で決着をつけろ」


 静かに抑揚もなく言葉は続く。


「俺が言うべきことはほかにはない。今必要なものは……これだ」


 悪戯っぽい笑みを浮かべるとイサリオンは自分も枝に刺したパンを炎にかざした。

お読みいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 初めて人を殺せばそりゃ落ち込むのも無理はないよね。 特にカイみたいな性格なら。 でもイサリオンが居てくれて良かったですね(ㅎ.ㅎ )
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