5 魔術師モモ
ばしゃばしゃと水面を蹴る音が続く。むわりとより濃厚な悪臭が鼻をつき、洞穴の闇から五人の男女が現れた。全身濡れネズミで疲労困憊といった有様だ。先頭のローブを着た人物はその場にぐったりと蹲り、続く四人はそれぞれ二人組で、肩に担いだ長い棒の間に、直径一メルは超えようかという泥の塊を吊るして運んでいる。
「もたもたするな。てめえらの出番だ。次の班が来ないうちに、とっとと貝を運べ」
タルベルトがカイとガラの脇に立って言った。
二人は慌てて泥の塊を運ぶ四人のところに駆け寄った。
「うっ」
ガラは思わず口を押えた。今までの悪臭とは比べものにならないほどに、ひどい臭いが泥の塊や採取隊の面々から放たれている。あまりの臭気に涙がにじむ。一方の採取隊のメンバーたちは、まるで清々しい新鮮な空気でも吸うかのように深呼吸している。いったいどれほどひどいところにいたのだろうか。ガラは荷を下ろし、次々と座り込む面々に哀れをもよおした。
カイが先棒を担ぎ、ガラが後ろを担当する。ずしりと木の棒がガラの肩に食い込んだ。重量はゆうに三十キルガンはある。
泥だらけで形もよく分からないが、これが穢泥貝なのだろう。せっかく掃除した床に汚い泥が滴る。ずるりと足が泥に取られて、冷や汗がにじんだ。なるほど、掃除をさせられるわけだとガラは納得した。
「こっちだ」
タルベルトが片隅から進み出た小柄なローブ姿の人物の前に立った。二人はよたよたとそこまで進むと、ゆっくりと荷を下ろした。
「てめえもぼやぼやするな。早く雫を取り出せ」
タルベルトが小柄な人物に向かって言った。
「は、はひ」
ローブが震えて甲高い声がした。
「え、えと……流水射」
ローブの人物が穢泥貝に向けた指先から水流が迸った。
魔術師だ。魔法を使っている。ガラが目を見開いた直後、水圧で泥がまき散らされて、タルベルトやガラたちの顔へとまともに飛沫が飛び散った。
「やめ、やめろ。この馬鹿、違うだろう」
タルベルトが喚く。
「ごごご、ごめんなさい、ごめんなさい」
自身もしっかり水を被ったローブの人物が、フードをとるとタルベルトに向かって必死に頭を下げている。
小人族だ。ガラは小人族に会うのは初めてだった。軽くカールした薄青い髪が両目をすっかり隠すほどに伸びている。その下からわずかにのぞいた小さな鼻にはそばかすが散っていた。
どうやら女の子らしい。いや女性らしいとガラは思い直す。小人族の年齢はほかの種族には判別しがたいのだと聞いていた。同時に小人族は商才に長ける者が多いと聞いていたのに魔術師になるような変わり種もいるのかと驚いた。
「このクソが」
「ぐっ」
顔を拭ったタルベルトが小人族の女魔術師の腹を蹴り上げた。彼女は軽々と吹き飛ばされて倒れた。
「だ、大丈夫ですか」
カイが駆け寄る。
「構うんじゃねえ。それより早くやり直せ」
「げほげほ……は、はひ」
タルベルトの言葉に彼女は咳き込みながらもゆっくりと立ち上がると、また穢泥貝の前に立った。
「輝水壁」
水の壁が貝を包み込んだ。しばらくすると泥の塊のようだった貝がゆっくりと開き始めた。それは巨大な二枚貝だった。泥だらけでおそろしく汚らしい外観とは裏腹に徐々に開いていく貝の内側は虹色に輝いていた。そして純白の肉がゆっくりと蠢き、その重なる襞の間から前の晩にナムルが手にしていたものと同じ、穢泥貝の雫が姿を現した。
「流水射」
魔術師の掌から水が噴き出す。その流れを調節して、貝の内側に当てると穢泥貝の雫はころりと転がり落ちた。
「ふう……」
魔術師がため息をつく。タルベルトは床に転がる雫を拾い上げると腰につけた雑嚢から布切れを取り出して包み、再び雑嚢に納めた。
「ったく、このドジが……危なっかしくて仕方がないから楽な仕事にまわしてやったってのに、使えねえヤツだ」
タルベルトが魔術師を見下ろして言った。
「す、すみません」
魔術師は小さな身体をいっそう縮こまらせて俯くと微かに呟いた。
「ほら、てめえらもぼーっとしてんな。まだ貝はあるじゃねえか。別の魔術師のところに運べ」
タルベルトがもうひとつの貝を指して、ガラとカイに怒鳴った。穢泥貝に向かって歩き始めたガラは背中で魔術師がまた小さくため息をつくのを聞いた。
採取隊は穢泥貝を回収すると、暗い洞穴に戻っていった。元の場所に貝を戻すのだ。ガラはナムルから聞いた話を思い出す。穢泥貝は数か月で雫を形成する。戻すときに貝の表面に日付を刻んでおき、一定期間が過ぎたものを探して採取するのだという。
また、貝をわざわざ外にまで持ち出すのには理由がある。穢泥貝はひどく腐敗した水中に生息し、富栄養化した水中から養分を得て生きている。その環境下では貝は十分に開かず、出水管と入水管だけを隙間から出して生きているらしい。それを洞穴の外まで運び出し、魔法を帯びた完全に清浄な水に浸すことで口を開かせるのだ。
それに、開いた口は異物が僅かでも入り込むと人間の腕などは簡単に切断するほどの力で閉じるという。そこで安全に取り出すためにも水の魔法を使うようになったのだそうだ。
その後も五つの班がしばらく間をおいては帰ってきた。その間はひたすら掃除を続ける。ほぼ同時に二つの班が帰ってきたときは、手際が悪いとタルベルトに殴られた。ガラはそれまでの人生で、これほどの忍従を強いられたことはなかった。カッとしてタルベルトに反撃しようと思ったときは、泥で汚れた手をそっと自ら短く切った髪に当てて堪えた。
長い一日が終わった。
途中で何度か粗末な糧食が支給されただけで、ほとんど休みらしい休みはなかった。ガラはズキズキと痛む肩や腰をかばいながら、黙ってよろよろと宿舎に向かった。カイも一言もしゃべらない。
宿舎に戻ると二段ベッドの上段を見上げて、ガラはため息をついた。
「代わるよ」
カイはそう言うと、ミシミシと音を立てる古びた梯子を上っていった。
「ありがとう」
何とか礼を口に出し、ベッドに倒れ込んで目を閉じる。
「あの……」
誰かがガラに話しかけてきたようだ。今はただ眠りたい。ガラは閉じたまぶたを開くことなくやり過ごそうとした。
「あの……、すみません。今日のこと、お二人に謝りたくって」
薄っすらと目を開けて振り返ると、そこには小人族の女魔術師が立っていた。昨夜は気づかなかったが、同じ宿舎だったのだろう。
「……いいのよ。気にしないで」
「疲れていらっしゃるところだったですね。ごめんなさい」
「そんなに謝ってばっかりいなくていいわよ」
なんとなく哀れに思えて、ガラは身を起こした。見ればカイも上の段から顔をのぞかせている。
「あの……モモっていいます。いつもまわりのみんなに迷惑ばっかりかけてる、ダメな魔術師なんです」
モモと名乗った魔術師は俯いた。
「俺はカイ、彼女はガラっていうんだ。それにしても、キミはどうしてこんなところにいるんだい」
カイが尋ねた。ガラは大きなお世話だろうと思ったが、一方でカイらしいとも感じて、胸の奥が暖かくなった。
「モモ、駆け出しの冒険者なんですけど……。ダンジョンの中でパーティーのみんなが見つけた大事なお宝を間違って魔法で燃やしちゃって……。それで、せめて弁償する金ぐらい稼いで来いって言われて連れてこられました」
どうやら、ダメっぷりは普段かららしい。
「ま、あたしたちもスメクランの里でドジってここに送り込まれたんだから、同じようなものよ」
「あ、あの、モモ、ここにきてから心細くって……みんな怖そうな人ばっかりだから。だから……よろしくお願いします」
どうやら懐かれてしまったらしい。誰も信用するなという注意は受けていたが、さすがにこの娘なら大丈夫だろうとガラは思った。
「じゃ、じゃあ、おやすみなさい」
そう言うと、モモはとぼとぼと自分のベッドへと戻っていった。
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