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4 サルデア窟での労役

 男はタルベルドと名乗った。人間族だけに、長の娘というガラの立場など歯牙にもかけないといったそぶりが不愉快だったが、かえって気楽だとガラは思い込むことにした。


「俺がてめえらの監視に当たる。今後はすべて俺の命令に従え。いいな」


 タルベルドが横柄な態度で喚くのを横目に、ガラは苛立ちをぐっと抑える。

 初めて父の庇護下から離れた。今までは鬱陶しいとばかり思っていたくびきが外れたとたんに心細さを感じる。そんな自分が腹立たしくなり、はからずもタルベルドを見上げる目つきが険悪になものになった。

 ずしんと鳩尾に衝撃が走り、呼吸ができなくなる。


「俺が『いいな』と訊ねたら。すぐに『はい』と返事をしろ」


 タルベルドは声を低めて言うと、ガラの鳩尾を突いた剣の鞘先を戻し、腰に提げた。

 ガラにはタルベルドが腰から剣を外すのが見えなかった。激しく咳き込み、悔しさに涙がにじむ。


「大丈夫かい……ひどいじゃないですか」


 カイがしゃがみ込んだガラの脇に膝をつき、人間族の男を見上げて叫んだ。


「お前も分かってねえようだな。囚人は看守様の言うことをよく聞くもんだぜ」


 タルベルトが鼻で笑う。


「だ、大丈夫よ」


 ガラは苦しい息をおして立ち上がった。涙を浮かべたのは咳き込んだせいだとカイが思ってくれればいいのだけど、それだけが頭の中でまともに考えられた唯一ことだった。


「へっ、威勢だけはいいようだな。さて、それがいつまでもつかな」


 タルベルトの言葉に、ガラは無理やりニヤリと笑って見せた。


「さて、まずてめえらの宿舎に連れて行く。今日のところは用がねえしな」


 タルベルトは素知らぬ振りで背を向けて歩いていく。ガラもカイも黙ってついていくしかない。やがて、三人は幾棟か並んでいる粗末な掘っ立て小屋のひとつの前に立った。


「ここで二週間を過ごすんだ。備品は大切に扱え。勝手に外はうろつくな。分かったな」


「はい」


 タルベルトの目つきが剣呑な色をおびる前に、ひとまず素直に返事をすることにした。この試練を無事乗り切ることが重要なのだ。そのためにはプライドなど邪魔なだけだ。


「結構、それから武器を出せ」


 タルベルトが二人の武器を顎で指して言った。


「面倒は御免なんでな」


 ガラは感づかれないように歯を食いしばって、腰にさげた愛刀のシャムシールを渡した。カイは刀を渡すのをためらっていたが、意を決したようにして鞘ごとベルトから抜いた。タルベルトは満足そうに頷いて、小屋の扉を開けた。


 薄暗い部屋の中に二段ベッドが詰め込まれている。ぷんと饐えた臭いが鼻をつく。空気はじっとりと湿り気を含み、とてもではないが居心地のいい空間とは言えない。

 二人はタルベルトに背中を押されるようにして、小屋に入った。洞窟の探索訓練で不愉快な場所での休息には慣れているつもりだったが、それとは別種の嫌悪感が湧いてくる。

 先客のいるらしいベッドは薄いマットと汚れた毛布が敷きっぱなしになっている。


「ガラ、このベッドが空いてるみたいだ。上のほうがましだから、そっちにしなよ」


 カイが一番隅の二段ベッドの様子をあらためて言った。マットと毛布がたたんで置いてある。ガラは身軽にベッドの上段に登って横になった。イヤな虫でもいそうな湿気たマットの感触にため息をつきながら目を閉じ、夕食の合図があるまでそのままじっとしていた。


 その日は眠れぬ夜を過ごした。

 同室の囚人や出稼ぎの連中からはそれほどの脅威を感じることはなかった。夜中に何人かが、ガラの寝息をうかがって近づいてきたが、その都度睨み据えてやると、すごすごと引き下がっていった。あわよくば装備のひとつもくすねようとしたのだろうが、なにしろ疲れ果てたありさまで盗みにも意気込みが感じられない。下ではカイも何度か同じようなことをしていたようだった。

 

 窓の外が微かに明るくなり始めると、乱暴にドアが開け放たれた。タルベルトが破れ鍋の内側を棒切れで擦り回し、耳障りな音を立てて囚人たちを起こしにかかった。


「おら、いつまで寝てやがる。この部屋のものは立派なベッドも、暖けえ毛布も俺のもんだ。いつまでも勝手に使ってんじゃねえ。ついでに、てめえらもベッドや毛布よりずっと価値は下だが俺のもんだ。今日もこき使ってやるから、覚悟しやがれ」


 タルベルトの胴間声が響く。ほかの囚人たちが俯き加減でのろのろと身支度をして外に出て行く。ガラも慌てて支度をして外に出た。

 圧倒的なまでの水量が流れ落ちる轟音が耳を打ち、周囲を舞う細かい水の粒子がたちまち肌をしっとりと濡らす。


 広大な滝つぼには清冽な水が満ち溢れ、驚くほど透明度が高いにもかかわらず、岸から十メルも先になると、その深淵は水底をうかがい知ることができないほどになった。

 ガラは眩暈を感じて滝つぼから目を逸らし、滝の脇から裏側へと入り込んでいくタルベルトの背中をじっと見つめて歩いた。


 滝の裏側は思いのほか広い空間になっていた。しっかりとした平坦な岩場が続くのを見て、ガラはほっとため息をついた。しかし、自分が歩くところから、ほんの数メルほど左側を計り知れない重量をもった水が流れ落ちているという事実は、絶えずガラの心を落ち着かなくさせた。

 やがて、右手の岩壁に巨大な洞窟が姿を現した。


「ここがお前たちの作業場だ」


 タルベルトが先に立って洞窟へと入っていく。続いて足を踏み入れたガラは息をのみ、その場に立ち尽くした。

 洞窟の壁面すべてを水晶が覆いつくしている。

 入り口よりも天井は高く、幅も広い。高さ二十メル、幅三十メルはあるだろうか。床を除くすべての壁面が水晶の結晶で埋め尽くされ、外から入り込む僅かな光が水晶を煌めかせ、屈折した光が洞窟全体をぼんやりと照らし出していた。


「何してやがる、とっとと来い。ぼんやりしてる暇はねえんだ」


 タルベルトのだみ声に我に返る。脇を見ると、カイも呆然としていたらしく、激しく頭を振って気持ちを引き締め直している。


「てめえらの仕事は水揚げされた穢泥貝の運搬と、ここの床の掃除だ」


 洞窟の景観に圧倒されて気づかなかったが、あたりにはひどい臭いが充満していた。汚泥の臭いに加えて、動物の死骸を腐乱するに任せて何日も放置したかのような悪臭も混じっている。どうやら三十メルほど奥にある暗い洞穴付近が臭気の源のようだ。


「採取班が戻るまでに、きっちり床の泥を片付けて指定の場所に集めておけ」


 せっかくの言葉を失うほどの美しい光景だというのに、この悪臭は何とかならないものか。そう思いながらも、ガラはタルベルトの命令に素直に返事をした。


 床には奥の洞穴から続く汚泥がべっとりと付着している。泥の汚れで気付かなかったが、どうやら床も素材は水晶らしく、それを粗く削って滑り止めにしているようだ。


 あたりをよく見ると、灰色のローブにフードを被った人影が二、三人、水晶の結晶の凹凸に隠れるようにして静かに立っていた。そのうちの一人は子どものように小柄だった。


 床に溜まった泥をスコップでかき集め、洞窟の脇へと運ぶ。ずっくりと水を含んだ汚泥は重く、そのひどい臭いも体力の消耗に一役買っているようだ。不自然な呼吸が疲れを呼ぶ。タルベルトは作業を続ける二人を欠けて平らになった水晶の上に座って、ただ眺めている。少しでも手を抜けば何をされるか分からない。ガラは、無心になって作業に集中した。


「採取隊第三班、水揚げ」


 奥の洞窟から低い声が響いた。

お読みいただきありがとうございます。

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