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7 密会

 夜道を歩くひとつの影。

 もし、その姿に気づいたスメクランがあれば、あまりにも周囲への警戒をなおざりにしたかのような様子に呆れるだろう。しかし、人影もわずかな夜の道を歩く彼の姿に気を止める者はいない。


 気配を消すというのは、こそこそと隠れることではない。そこにいることを意識させないことだ。

 影の主はひとりほくそ笑む。古い師の教えをようやく体現できるようになってきた。彼は幼いころに二人の師を得た。ひとりは自らの父、このザグレムの里の長。そしてもうひとりは隠遁生活を送っていた至高の技を持つスメクラン。


 今、アーライルはイサリオンの家へと向かっていた。

 アーライルの笑みには、もうひとつの意味もあった。数時間前、自らの父親を前に、今できる全身全霊の交渉をしでかした妹の成長を思ってのものだ。自分が大切に思う者が、予想を超えることをやり遂げたのを見るのは、これほど嬉しいものなのか。己の研鑽を積むことにのみ集中してきた若いアーライルは、これまでそのようなことを目の当たりにしたことがなかった。


 固く閉ざされた大門の前を左に折れる。門の内側にある詰め所にいるトリクとヘルムの眼はさすがに欺けない。アーライルは軽く目礼すると、イサリオンの家へと続く路地へ足を踏み入れた。

 昔から通いなれた道。イサリオンの元での修行の日々にアーライルは思いをはせた。


 父は十歳になったばかりの自分をイサリオンに弟子入りさせて、隠密の術を学ばせた。通常、基本的な隠密の術は家族から日常の生活の躾同様に仕込まれるものだ。そこからもう一歩進んだ段階になると、剣術などとともに里の指導教官から学ぶことになる。


 父から命じられたときは、イサリオンの元で学ばされることが不満だった。自分は長の子だ。里で最も力がある父から確かな指導を受けている。それが、里でまっとうな仕事すら与えられていない、得体の知れぬ男の下に置かれるとは、と。そこで今まで父から学び、兄たちすら超えると言われた技をみせつけ、師と仰げと父に命じられた男に一泡吹かせてやろうと思ったのだった。


 幼いころの自分を思い返して、アーライルは苦笑いを浮かべた。さらに額にはほんのわずだが冷や汗がにじむ。


 小賢しい企みはイサリオンの元に行かされた初日に見事に打ち砕かれた。父から仕込まれ、歳の割にはずば抜けた才とも評された技術は所詮基礎の基礎だった。新たな師匠が叩き込もうとしたのは、実戦で通用する技だったのだ。


 まだ初歩の探索訓練すら受けていなかっただけに、自らの実力を客観的に見極めることなどまるでできていなかった。なにしろ実戦を経てきた猛者の実力を見る機会はほとんどなかったのだから。しかも、イサリオンは超一流の腕前ときている。地面に叩き伏せられ、泥まみれになりながら、それを実感した。


 見事に鼻っ柱をへし折られてからは必死にイサリオンの訓練に食い下がった。挫折の悔しさが前向きな姿勢に繋がったのだ。それが今の自分を形作っているのだろう。


 それ以来、イサリオンを師として仰ぎ続けている。里を出て冒険者として活動を始めてからも、書簡でのやりとりを続けてきた。たまの帰郷の際には、必ず会って旧交を暖めてもいる。

 そして、実力をつけ、イサリオンの信頼を勝ち得たことにより、今では二人だけの秘密も共有していた。

 イサリオンの家に近づいた。数々の教えを受けた小さな家。その前の道で何度土埃にまみれて倒れたことか。


「たびたび済まんな」


 闇の中から小声でありながら不思議なほどによく通る声が届き、アーライルの思いを断ち切った。


「不意打ちとは、相変わらずお人が悪い」


 アーライルは声のほうに顔を向ける。


「どうしたんですか、こんな夜中に外で」


「カイが一回り大きくなって帰ってきた。念のために、な」


 暗がりから溶け出すようにして影が現れる。イサリオンだ。


「なるほど、たしかに……。

 さて、報告はカイの処分についてです。ガラのヤツが思いのほか奮闘しましてね。おかげで私と兄の二人で決めることができました」


 イサリオンの身体は月明りの下に見えるが、その顔は未だ陰に隠れてうかがうことができない。しかし、その気配がふと和らいだように感じられた。


「ガラも一皮剥けたようだな。楽しみなことだ」


「父がどう思うかは別ですがね」


「ああ」


「話を先に進めます。二人には二週間サルデア窟で『穢泥貝(わいでいがい)の雫』採取に当たらせるというのが兄と相談した結果です」


「そうか」


「あそこの環境はよろしくないですよ」


「知っている」


 イサリオンの反応はうかがい知れない。


「これは、私の提案が通ったものです。まあ運よくいろいろな条件が整いまして」


「ふっ、ならば構わん」


 イサリオンがまた闇に溶け込むように姿を消す。


「ちょっと待ってください」


「なんだ」


 アーライルには気になっていることがあった。前の晩にもイサリオンにも尋ねようと考えていたのだが、自分の思い違いかと迷って聞けなかったことだ。


「私は二人からある程度距離を置いて監視していました。まさかログマールが入り込んでいるなんて思いもよりませんでしたからね」


「下らん闖入者だ」


「いや、かなり危なかったんですよ……。

 それはさておき、二人が捕まる直前に森の中でほんの一瞬妙な気配を感じたような気がしたんです。位置的に里の見張りでもログマールでもない、勿論あの二人のものでもありません。もしや、何か心当たりがあるのではと」


 その気配について、アーライルは心のどこかに小さな棘が刺さったかのように気になって仕方がなかった。数々のダンジョンを潜り抜け、戦いに明け暮れてきた中でも一度も感じたことのない気配。


「……いや、心当たりはない」


 イサリオンの気が微かに揺らいだ。


「本当ですか。異様な気配だったのですが」


 イサリオンはこの件で自分にも隠していることがあるのだろうか。


「ああ」


「それならいいのですが。では」


 そう言うとアーライルは踵を返して来た道を帰る。イサリオンを相手に腹の探り合いをしたところで詮無きことだと分かっているのだ。



 ※※※



 闇に佇み、イサリオンは去っていくアーライルの後ろ姿を通して遥かを彼方を眺めた。


「しかたあるまい……」


 その言葉は闇に消えた。

お読みいただきありがとうございます。

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