1 戦闘遠征隊駐屯地
気がつくと、カイは草原の上に敷かれた毛布の上に寝かされていた。意識を失っていたのは大した時間ではないらしい。横にはガラの姿もある。ガラはまだ目覚めていない。
「気がついたか」
アーライルがカイの顔をのぞき込んで言った。
「まだじっとしていろ。ひとまず屋形とイサリオン殿には使いを走らせておいた」
カイはゆっくりと身体を起して辺りを見回した。酷く頭が痛む。アーライルのほかにも、戦闘遠征隊の面々も集まっている。そして、例の化け物もいた。カイは思わず身震いをしてにじり下がった。
「怯えることはない、この里で使役しているミュートだ」
黒髪を顔に垂らした痩せぎすの男がぼそりと言った。まるで死体のような青白い肌をしている。
「彼が、この戦闘遠征隊の班長『傀儡師』のラドルだ」
アーライルが言った。
「ミュートを見るのは初めてか」
ラドルはその場に座り込むと、生気の乏しい目でカイを見た。
ミュート、カイも話にだけは聞いていた。先天的に肉体の欠損や過剰をもって生まれて来る者、忌むべき存在とされ、多くの場合産まれるとすぐに殺されてしまうという。
都市の上流階級では、一族からそのような穢れた存在を出したということ自体が信用にかかわるとして、闇へと葬られるとも噂されていた。しかし、中には極めて特殊な能力を持つ者もあるらしい。
ほかの種族においてはタブー視されるミュートだが、スメクランに限っては、そのような特殊能力を持つ者を手に入れて、道具として使役することもある。
というところまでは訓練所の座学で学んでいた。
「はい、初めてです」
「再生過剰のミュートだ。傷はすぐ治るし、今日斬り落とされた腕だって、そのうち生えてくる。俺たちは、厳しい戦闘が予想されるときに、あいつを盾として使うんだ。問題は下手に傷を受けると、そこから余計な器官が生えてきちまうことだがな。いつぞやは全身に切り傷を受けて、体中耳だらけになったこともある。ときどき刈ってやらなきゃならんのが面倒だ」
陰気な印象とは裏腹にラドルは早口でまくし立てた。頬に笑みを浮かべているが、その眼は笑っていない。ただ異様な光が湛えられている。カイは背筋が冷たくなるのを感じた。
「本来はまだ少し早いんだが、ミュートについて知っておくのもいいだろう。これから戦闘遠征隊の駐屯地に行ってみよう」
アーライルが言った。ほかにもミュートがいるのだろうか、それはどんな姿をしているのか、カイの心は得体の知れない不安に揺れた。
「うーん……」
ガラも目覚めつつあるようだ。カイは苦しそうに顔をゆがませたガラを見詰めた。頬が赤く腫れ、目の下に黒々とした内出血の痕がある。
「アーライル様……俺、あのとき何もできませんでした。ガラを危険な目に遭わせてしまって……申し訳ありません」
カイは、まったく背後の気配に気づかなかったこと、手も足も出ずに捕まったことを思い返して唇をかんだ。
ガラはそれでも脱出を試みようとした。それに比べて自分は……。
「逃げて行った男だがな、ドルグの里のログマールってヤツだ。かなりの手練れで、俺でも一対一ではやり合いたくない。手下も相当の腕だった、気にするな」
アーライルがカイの肩に優しく手を置いた。
「でも、でも……俺、強くなりたいです」
カイは唇を震わせながら吐き出すようにして言った。
『騙されたくないのなら、騙されずに済むように知恵をつけろ。誰かを犠牲にしたくないのなら、犠牲にせずに済むように強くなれ』
イサリオンの言葉がカイの頭に蘇った。しかし、今だけは……。カイは肩に置かれた手を握りしめて泣いた。
目を覚ましたガラは、何があったのかまるで理解できずに途方に暮れているようだった。それでもアーライルが傍にいることを知ると事情を察して、安堵の涙を浮かべた。
「この跳ねっ返りが」
「ごめんなさい」
アーライルの言葉に、ガラは素直に謝った。普段めったに見ることのできない、しおらしい姿に、なぜかカイは微かに鼓動が早くなるのを感じた。
ガラが俯き加減にした顔を上げると、視界の隅に例のミュートを見つけたようだ。とたんに震え上がる。
「な、何なの! あれ」
「お前が好奇心に駆られて見たがったものだ。……ついでに言えば、お前の命の恩人でもある」
ラドルがガラの顔も見ずに、面倒臭そうに呟いた。
「あれは、この里のミュートだ」
アーライルが言った。
「ミュート……」
ガラの表情が険しくなった。汚らわしいものを見る目になっている。
「それから、今回の件は親父にも報告済みだ。あとでたっぷり油を搾られるから、覚悟しておくんだな」
一行は駐屯所へ向けて出発した。
戦闘遠征隊のメンバーはラドルのほかに三人、男が二人に女がひとりだ。出発したときには七人いたそうだが、三人は遠征先で命を落としたらしい。それについてラドルは詳しく語ろうとはしなかった。それだけ厳しい任務だったのだろう。
カイは改めて、今まで自分が置かれていた境遇が、ぬるま湯に浸かったようなものだったことを思い知らされた。ちなみにミュートは頭数に入っていない。
ミュートは胴と手首を鎖につながれて、巨体を丸めるようにして、大人しくついて来ている。見た目は恐ろしいが、つい先ほど見たような殺戮をいとも容易く行うようには感じられなかった。実際目にしていなければ、とても信じられないだろう。
ミュートの戦いの間、気を失っていたガラは、それだけにミュートに興味津々だ。まるで珍しい動物を見物しているような気分なのだろう。周囲を回ってはジロジロと見たり、棒で小突いたりしている。ミュートは居心地悪そうに身じろぎするだけで、抵抗しようともしない。
「ガラ、やめろってば」
カイはずっと冷や冷やし通しだった。いつミュートが怒り狂ってガラに襲い掛からないとも限らない。アーライルやミュートを飼いならしているラドルがいるとはいえ、このミュートがひとたび本気になれば、止められるとは思えなかった。
「安心しろ坊主、普段は大人しいもんだ」
ミュートの鎖を持ったラドルが言った。
「今ならあの腿から生えた余分な足を刈っても大人しくしてるさ。やって見せようか」
ラドルがまた少し早口になった。どうやらミュートの特性を説明するときは早口になるらしい。
「い、いえ結構です」
カイは慌てて言った。すでに血腥いものは十分過ぎるほどに目にしている。
バグレストの森を歩いていると、何度か見張りの気配を感じた。普段より警戒が厳重になっているようだ。屋形からの指示で監視が強化されたのだろう。しかし、一行に話しかけようとする者は誰ひとりいなかった。
鉄仮面の縁と鉄の前掛けが触れ合って、ときどきガンガンと無様な音がする。スメクランの移動とは思えぬ騒々しさだ。隠密を第一にする本来のやりかたを無視してでも、このミュートを連れ出すというのは一体どんな任務だったのだろう。想像するだけでカイは胸が苦しくなるような思いにとらわれた。
森を抜け、里の西の間道を行くころには、日はとっぷりと暮れていた。
間道のそこここに見張りが立ち、昼間とは打って変わった警戒ぶりである。彼らが手にした松明の灯りが、カイの心の奥底に残る緊張感を解きほぐしていく。
「ラドルさん、駐屯地にはほかにもミュートがいるんですか」
カイは少し前を歩くラドルに気になっていたことを尋ねてみた。
「ああ、もう一匹いるぜ」
「そうですか」
「ふん、怖気づいたようだな」
ラドルは振り返ると、冷たい笑みを浮かべて言った。
図星だった。この日目にしたものは、あまりにも刺激が強すぎた。もうこれ以上恐ろしいものを見るのは御免だとカイは思った。
「安心しな、そいつはこのミュートほどぶっ飛んだ見た目はしてねえよ。でもな、そいつときたらなかなか使える能力を持っててよ……」
ミュートを繋ぐ鎖をじゃらりと鳴らしてラドルが言った。早口になりかけたところでアーライルが顔をしかめて口を挟んだ。
「まあ、それは実際に見て確かめたほうがいいだろう」
見た目は恐ろしくはないにしても、やはり何か不気味な能力を持っているのだろう。アーライルがラドルの説明を聞きたくないと思うような代物だとすれば気が重い。『まだ少し早いんだが、ミュートについて知っておくのもいいだろう』というアーライルの言葉からすると、本来は里の同年代の子どもたちに見せるには刺激が強すぎるということなのかもしれない。
確かに自分には早すぎる。カイは自分の前を鎖に繋がれて歩くミュートの巨体を眺めながら考えた。こんなにも恐ろしいものが里のすぐ近くにいることを全く知らずに自分たちは暮らしてきたのだ。
恐ろしいと言えば、また別の記憶がカイの脳裏に蘇った。喉元に突きつけられた冷たい刃物の感触、ミュートの外見や戦いぶりにもこれまでにない恐怖を味わった。
だがガラが手酷く殴られ、自分も痛い目に遭わされたときに感じた言い知れぬ恐怖。あれはいったい何だったのだろう。外部からもたらされるものではない、内なる何かが呼び起こす得体の知れない畏れ。過去にもこのような感情を抱いたことがあるような気がするのに、まるでその記憶がないことが、カイの不安を一層掻き立てた。
考えるのは止そう。それが一番いいことに思える。カイは前を行くガラを見た。ガラはミュートをつつき回すのにも飽きたようで、大きく伸びをしながらゆったりとした歩調で歩いていた。昼間に気を失うほど殴られたことも忘れたように見える。命のやり取りはないとはいえ、訓練でも随分怪我をしてきていた。こうした気分の切り替えもスメクランの素養のひとつとされている。
やがて、間道の先に岩山を削って平らに均された駐屯地が見えてきた。石造りの建物が何棟か建ち並び、門の前では篝火が盛んに炎を上げていた。
お読みいただきありがとうございます。




