始まった異世界生活④
きらびやかな都会で塾講師として華々しく働いている俺の故郷の話をしよう。
我が故郷は、いわゆる田舎と呼ばれるところにある。近くには大きな山があり、そこそこ大きい流れの緩やかな川では小中学生がきゃっきゃっ遊んだりしている光景が当たり前に広がっているような、そんな牧歌的という形容がふさわしいような自然豊かな場所である。
今もその風習が残っているかは知らないが、俺が小さいころは橋からその大きな川に飛び込み、度胸を試すみたいなイベントがあった。俺の背中を押して橋から落とした藤川は絶対に許さないぞ。
そんな田舎にあった我が家はそこそこ大きな農家であった。山の近くにいくつもの畑を持ち様々な野菜や果物を育てることを生業としていたわけである。日に焼けた父の肌、土がこびりついた祖父の手は、今でも鮮明に思い出すことができる。
典型的な百姓であった祖父と父には、許し難い存在がいた。害獣ーーすなわちイノシシやシカなどである。ヤツらは縄張りに食料がなくなると山からおりてきて、うちの畑を荒らすだけ荒らして自分の腹を満たしてお家に帰るのだ、マジ許せない。鼻でほじくり返され、野菜をかじられたあとの畑を見た祖父の悲しげな表情を、俺は決して忘れることはないだろう。
何十万とお金をかけ、手塩にかけた野菜が売れなくなると我が家には収入がなくなってしまい、ただ出費が嵩むだけになる。そういう年は俺の小遣いがなくなってしまうのも許せなかった。植え直せば良いと思うかもしれないが、時期によっては不可能なときもある。理科で習うことだが、植物にはそれぞれ芽吹育つ時期、というものがあるからね。
当然、義憤に駆られた当時の幼い俺は決意するわけである。あいつら絶対許さないぞ、と。死んで詫びろ、とか結構過激なことを言っていたような気もする。
だから、俺は狩猟期になるとマタギの親方と一緒に山に狩りにいくことにしたわけだ。今思えば大概無茶な思いつきだと思うが、快笑して連れていった親方も大概無茶なオッサンだと思う。いろんな方面から怒られるに違いない。
いや、狩りにいっしょに行った、というのは少し語弊があるか。実際のところ車に乗せられて山まで行き、車の中で待機していただけだ。そりゃそうだよね、猟銃はもちろんのこと、罠の設置にも免許がいるわけだからね。何より普通に危ないし。
俺がやったことといえば、仕留められたシカとかイノシシとかを、親方に教わりながら解体したことだけだ。
祖父を悲しめ、俺からお小遣いをとりあげた許し難いシカの死体を初めて見たときは、恐怖しか感じなかった。頭をかち割られ、心臓を貫かれて血を流すその姿は、にっくき敵と思えなくなるには十分すぎたのである。
その後、解体場までシカを運び、血を流して綺麗にし、脚を棒にくくりつけて吊し上げたところで、当時の俺は絶叫したような気がする。そこまでするなんてひどいよ、とか泣き喚いたかもしれない。
そんな俺を親方は怒鳴りつけ、なんならゲンコツまでくれたね。
ーーうるせえ、良いから黙って見てろ!
初めて死体を見て怖がっている小学生をぶん殴れるのはこのオッサンくらいだと思う。いや、親方なりのしつけというかそういうものだったとはわかるんだけどね?
そうして俺は見続けることになったわけである。シカの毛を剥ぎ、薄ピンクの肉体になる過程を。腹を裂いて出てくる臓物を。慣れた手つきで少しづつシカを捌いていく様子を。解体後、ほぼ肋骨しか残っていないように見えるぷらぷらと揺れるシカの残骸とでも言うべきものを。
俺? ギャンギャン泣いて嗚咽をもらし、なんならゲロ吐いてましたけど? その後、何年か肉は食えなくなったね。ちなみに肉がまた食べられるようになったのも、親方のおかげである。
初めて自分で解体しようと思ったのは、たしか中2のころだったと思う。肉を断つ、肉を切るという本来の感覚を、そのとき初めて体感したのである。スーパーで売っている肉を切るのとはわけが違うの知ったわけですね。
今は慣れたのか、精神がすり切れたのかわからないが、なんとも思わないけどね。なんなら脂のさし具合をチェックして良い肉かどうか審議し始めるまである。
その経験が活きるかどうかは分からないが、少なくとも魔物と戦って斬り殺したり、返り血を浴びてたりしても動揺しない自信がある。
そんな自分を顧みて思う。神様から能力を授かってとんでもパワーを発揮して子どもたちがモンスターと闘ったとしよう。
肉を断つ独特な感触のおぞましさに武器を手放してしまうかもしれない。
返り血を浴びてパニくってしまうかもしれない。
闘いが終わったあと、謎の罪悪感に引きこもってしまうかもしれない。
いずれにせよ、俺が地球に帰る術を見つけるまでにそうなってしまったら致命的だ。
俺が全員守ってみせる、とか言えれば主人公っぽくて良いのかもしれないが、そんな自信、あるはずがない。“妖精王”も、そもそも戦闘向きのスキルではないし、そもそも解体作業に慣れているだけであって戦闘に慣れているわけではないし。もし何かがあって、マモレナカッタではすまないのですよ。
よって、俺が優先すべきだと判断したのは以下の3つな訳である。
1つ、実際の戦闘のとき、予想されることに慣れさせること。肉を切る感触とかね。
2つ、神からもらった能力を使えるようにすること。そもそもそうしないと魔物と戦えるわけがない。死なないよう自衛手段は身につけるべき。
3つ、殺伐とした世界観で鬱にならないよう、楽しみーー異世界の良さと言ってもいいーーを見つけさせること。人生潤いが肝要だ。こんな意味不明な世界に娯楽あるかは知らんけど。なかったらどうすんべ。そのときは後から考えよう。がんばれ、未来の俺!
そのため、まずは歴史の授業をしたわけである。あまり成功したとは言えない。いや、地球に帰ろうという気持ちは強くなったはずなので、ある意味成功とも言えるかな。
「はい、というわけで食育のお時間です。そこで君たちには解体を体験してもらいます。やったね、実技の時間だよ、ぱちぱちー」
1時間目の授業の空気を引きずっていたので明るく始めてみる。おかしいな、さらに空気が重くなった気がするぞ。
「ふむ」と、解体場に移動したらなぜかいた王女がしたり顔で頷いている。「賢者より聞いている人物像通りだな、先生よ」
あのじじいの未来予知はそこまで高性能なの? 俺の行動逐一まで視えて人物像まで分かっちゃうとか怖すぎるよ。なんなら次世代型ストーカーと言ってもいい。
「生徒たちの空気を敏感に察し、自分の株を下げてまで道化ぶるーーいや、あえてもといた世界のように振舞うことでその3人を遠まわしに元気付けようとしているのか? いずれにしても好感の持てることだ。改めて良い男であるな」
そしてだいたい当たっているし。確かに先生なにやってんの馬鹿なの死ぬの、とかツッコミ待ちだったけども。
出会って間もないのに子どもたちより俺のことわかってくれるんですけど。なんなのこの人、俺のファンなの? 好感度が謎に高くて恐怖しか感じない。
「はあ、ありがたきお言葉を賜りまして、身に余る光栄でございます、王女様」
尊き身分の方の言葉を否定するわけにもいかず、とりあえず感謝の言葉を述べてみた。授業の邪魔なのでどっか行って欲しいと思う。何しに来たの?
「なに、我が師である“時詠みの賢者”が先生を絶賛しておってな? 我が師が認める異世界の教師が行う指導に興味が湧いたのだ。妾のことは気にせず始めるがよいぞ」
どうやら品定めに来たらしい。あと好感度が高いのはじいさまのほうだったのかよ。さすがの俺もじじい相手に恋心は芽生えない。王女だったらマジで見た目はすごく好みドンピシャなので恋に落ちていたかもしれない。
「はあ、それではお言葉に甘えさせていただきますね」
ここでようやくツッコミをする元気が出てきたのか、凪ちゃんが口を開く。
「さすが先生だよね。その切り替え能力だけはほんとにすごいと思う」
「あんまり褒めないで、照れる」
「いや、そういうところはウザいけど。そもそも別に褒めてないし」
「じゃあむしろ褒めてよ。ほら、先生ってば褒めると伸びるタイプだし」
「はあ? いや、先生授業のときそういうタイプを自己申告する人のことぼろくそに言ってなかったっけ?」
そうだっけ? 毎日いろんな生徒と益体もないことを話してるから細かい内容あんまり覚えていないんだよね。
「え、マジ?」
「マジマジ」
「じゃあ俺ってばボロクソ教師ってこと?」
「そうなるんじゃない? だって他ならぬ先生がそう言ってたわけだし」
「なにそれショックなんですけど。それで言うと、先生ってば凪ちゃんに斬新な自己紹介してたってことになっちゃう」
「あはは、そうだね。ウケる」
と、いつもの授業の感覚で凪ちゃんの息抜きがてら話していると、
「先生!」と勇人くん。「早く授業を始めてください!」
若干キレ気味だった。キレる若者。最近の子はやあねえ、怖いわあ。
「ああ、ごめんね、勇人くん。それでは授業を再開します」
魁くんはニヤニヤするのを止めるように。
なんにせよ、とりあえず3人ともいつもの空気戻りつつあるのでよしとしよう。
「さて、それでは勇人くん」
「ーーーー。なんですか?」
「君はこの世界の困ってる人たちに手を貸したい、と言っていたね?」
「はい。先生に反対されたって、その気持ちは変わりません」
どこか意固地になっているように思われる。
「反対? とんでもない、むしろ俺は応援する側だよ。だからこそ、この授業をするわけだし」
俺はもとから全員で地球に帰ることしか考えていないが、それについて話し合うつもりは一切ない。そもそも議論すらしていないのだから賛成も反対もないのである。
「えっ?」
予想外の答えだったらしく勇人くんは戸惑いを見せる。
「えー? 危ないし、先生として止めないのはマズくない?」
勇人くんの心情を語るがごとく魁くんが言う。
「マズいとは思うけど、先生が反対したところで、いつかはこの街もモンスターの襲撃に遭うだろうし、そうなったとき自衛の手段は持ってなきゃいけないでしょ、どっちにしてもね」
理想はそんなときが来る前に地球にとんずらすることなのは言うまでもない。
「自衛? 先生は守ってくないの?」
「可能な限りは君たちが闘わずに済むようにはするつもりだけど」
ぶっちゃけムリ。襲ってくる魔物の数がインフレしている。昨日、廊下ですれ違った可愛いメイドに聞いてみたんだよね、歴史上で1度にこの街を襲ったモンスターの数を。平均は分からないけど、最も多いときで100万だって。ちなみに一番少ないときで1万くらいらしい。
「少年よ、ムチャを言うでない」と、王女。子どもの授業参観のとき、迷惑を考えず授業中に話しだすタイプと見た。「そなたらの力がどの程度のものが分からぬが、モンスターの数が数だ。1人の手では限界もあるだろう」
「えっと、何匹くらいなんですか?」
「うむ、運が良くて1万。平均すれば30万体くらいではないか?」
「え、そんなに?」
あまりの規模にさすがの魁くんも驚いていた。
そうなんだよ、正直言って多すぎる。マジクソゲー。初めの町で、初期レベル初期装備の勇者が30万ーーなんなら1万の相手すらもできないでしょ。いつかスタミナレ切れで倒れてそのままゲームオーバーだ。四、五体斬り殺してなんとか逃げ切れれば上出来だろう。だから一体殺して動揺して逃げることができない、なんて状況にならないよう、俺も必死に考えたわけだ。
その結果が、食肉を作るために必要な解体作業で慣れていって欲しい、という策なわけで。
それがうまくいく自信は、あまりない。ぶっちゃけやるだけやってみるか、ていうのが正直なところだ。生徒たちには言えないけどね。
「そうである」偉そうに王女は魁くんに言葉を返す。「“槍神”や突破者、“加護”持ちでもないかぎり、1人で万を相手にはできぬだろう」
いきなり俺も知らない言葉をいきなり話すなよ、なんだよそれ⁉︎
「いずれそなたらにもその域に到達して欲しくはあるがな」などと遠い目をする王女。
おっぱいオバケはちょっと黙ってろ。