行方彩女のシリアスな判断
「――で、人影が部屋を飛びだしてから、アタシは急いで点検口にカメラを隠し直して、部室の鍵を閉めて出ていったの」
原先生は、ハンカチを取り出して、目元に当てた。
「――で、カメラをそのままにしている内に、オレたち奇名部がこの部室を使う事になった事を知って、慌てて夜中に潜入してカメラを回収しようとしたんですね」
「ええ……。人影……行方さんと鉢合わせしてからは、警戒して部室には近寄らなかったんだけど。部室が奇名部のものになってしまったら、いつかこのカメラの存在がバレてしまうか分からない。……それに、梅雨に入って、カメラのレンズにカビが生えたら大変だと思って――」
授業中に、それとなく十亀先輩に確認したというアレか。確かに、古い部活棟の天井裏では、カビにとってはこれ以上無い環境だろうな。原先生が焦るのも分かる。
「……それで忍び込もうとしたら、今度はあたし達と鉢合わせしたって事かぁ」
「おむすびちゃんともですね」
春夏秋冬と黒木さんが顔を見合わせる。
「そこで失敗したけど、再度チャレンジしたのが、俺たちがカラオ……校外活動に出た日。――でも、扉を開ける事が出来なくて断念した――と」
あの日、丘元先生と話をしていて原先生に注意された時、本当は注意される前から、こっそりと後ろで一部始終を聴かれていたという事か。
そして、絶好のチャンスを潰され、焦りに焦っていた時に、偶然矢的先輩が部室の鍵を紛失して、今日一日は213号室の鍵が開きっぱなしだという情報を耳にして、再度潜入を図り、見事俺たちの仕掛けた罠に嵌まり――今に至るという訳だ。
「……その通りよ」
原先生は、頷き、そのまま深く項垂れた。
「バレたからには仕方ないわ。奇名部だけならともかく、生徒会にも知られてしまったのなら、観念するしか無いわね……。迷惑をかけてしまってゴメンなさい……。どうぞ、煮るなり焼くなり好きにしてちょうだい」
殊勝な態度で、深々と頭を下げる原先生を前に、俺たちは顔を見合わせる。
現行犯で捕まえた。証拠を突きつけた。完全論破して、自白を引き出した――。
――で、次は?
今更気付いたが、俺たちのプランでは、それから先の事は全く考えられていなかった。
窃盗で警察に突き出す? 丘元先生あたりに報告して、教員達に処分を委ねる? それとも、いっそこの場で集団リンチ……それは無いか。
この場で、深く打ちひしがれている彼女の姿を見ると、俺たちが以前に抱いていた負の感情は霧散し、ただただ哀れな思いだけが残っていた。
「原先生……顔を上げて下さい」
気まずい沈黙を破って口を開いたのは、越後の縮緬問屋のご隠居……では無く、水戸のご老公……でも無くて、生徒会会長の行方彩女だった。
彼女は、腰をかがめて原先生の目線に合わせ、彼女の肩に手を置き、優しい口調で言った。
「貴女のなさった事は、良い事ではありません。隠し撮りも、ましてやカメラの無断拝借も」
「――! 無断……拝借?」
原先生だけでは無く、俺たち奇名部や生徒会の二人も、会長の言葉に驚いて目を見開いた。
行方会長は、ニコリと微笑むと、爽やかな声で言った。
「そうです。これまでのお話をお伺いして、貴女には盗む意図は無かったと判断しました。――で、あれば、これは『原先生が、写真部の十亀君に無断でカメラを借りて、こっそり相撲部の活動を記録していた』ということでしょう」
会長は、そこまで言うとすくっと立ち上がった。
「――もちろん、被写体である相撲部部員本人の許可を得ない写真の保存・観賞は、看過できませんので、原先生が撮影なされた写真データは、消去させて頂きますが――。我々生徒会としては、それ以上は何もする気はありません」
そこまで言うと、行方会長は、武杉副会長と黒木さんに視線を移す。
「武杉、黒木君。私の判断はこうなのだが、君たちに異論はあるかい?」
会長に意見を問われた武杉副会長は、不満そうな様子ながらも、小さく頷く。
「いえ……会長のご判断に従います。学校側の立場としても、教員の不祥事というものは避けたいところですので、妥当な所かと――」
「私も、今回はそれでいいと思います」
二人の承諾を得た行方会長は、今度は奇名部に視線を向ける。
「生徒会としては、こういう結論に至った訳だが……。事件のもう一方の当事者は君たちだ。君たちが厳罰を望むのなら、その意志は尊重したいと思うが……どうかな?」
「あたしは会長に賛成でーす!」
行方会長の声に、真っ先に賛成したのは春夏秋冬だ。
俺も軽く手を挙げる。
「俺も……今更、原先生を吊し上げてどうこうしようって気は、正直ありません。会長の判断に従います」
俺の言葉を聞いて、撫子先輩も手を挙げる。
「……原先生には、ペナルティは課さなくて良いと思います。……正直、原先生の動機には、酌量の余地もあると思いますし……」
「……君たち。私の判断に賛同してくれてありがとう」
行方会長は、ニコリと微笑んだ。――ああ、畜生。ただの微笑みがクソかっこいいな、全く……! イケメンすぎるだろ、この人。……男としては立つ瀬がない。
「――あとは君だけだが。どうだい、矢的?」
「…………」
行方会長の問い掛けに答えない矢的先輩。拳をふるふるさせて、顔を伏せている。
「……? どうしたんだい、やま――」
「ずーるーいーッ!」
矢的先輩は、突然顔を上げて絶叫した。
「は――? や、矢的先輩、ずるいって何がですか?」
「今回の……今回の事件の謎を解いたのは誰だよ? 作戦を立てて、この場のお膳立てをしたのは誰だよ? 先生を論破して自白させたのは誰だよ?」
矢的先輩は、拳で自分の胸を叩いた。
「全部俺だよ! 『じっちゃんの名にかけて』でお馴染みの、名探偵矢的杏途龍だよ!」
……いや、お馴染みどころか、そんな科白、めっちゃ初耳なんですけど。
「なのにさあ! 何で最後の一番いい所を全部持っていくんすか、会長オオォッ! アンタ、酷えよ! 極悪人だよ!」
あ……キレてるの、そこなんだ。
「このッ! 行方会長の人でなし! 冷血超人! クッソイケメン! 文武両道! 性格美人!」
……途中から褒めちぎってるだけなんですけど、それは……。
「ハッハッハ、それはスマンな、矢的」
行方会長は、矢的先輩の怒りを爽やかな笑いで返した。
「でも、しょうがないのさ。何せ、私はどうあっても物事の中心に立ってしまう、生まれながらの主人公体質なのだからな!」
「キーッ! いつの間に、俺から主人公の座を奪い取るなんて……! 行方彩女……恐ろしい子……!」
実に絵になる仕草で髪を掻き上げる行方会長を前に、地団駄を踏んで悔しがる矢的先輩だった――。
……あれ? でも、この物語の主人公って……田中天狼じゃね……?




