矢的杏途龍のシリアスな紛失
「な……失くしただって――?」
放課後、職員室前の廊下で、丘元先生の素っ頓狂な叫び声が響く。
「しーっ! 声が大きいっすよ、丘ちゃん……!」
慌てて口を塞ぐ矢的先輩。そして、愛想笑いを浮かべる。
「いやいや。失くしたなんて人聞きの悪い。ちょっと鍵ちゃんがかくれんぼしている最中なだけで……」
矢的先輩が、ヘラヘラした顔でとぼけた事を言う。――と、背後から、撫子先輩が薄笑みを浮かべながら、彼の肩を叩いた。
「……矢的くん?」
「はっ! いえ! 失くしましたッ! 申し訳ございませン!」
慌てて背筋を伸ばし、軍隊式敬礼をして報告する矢的先輩。
「おいおい……。新しい鍵渡して何日目だよ……」
頭を抱える丘元先生。
「まったく……俺の管理不行き届きになっちまうじゃねえかよ……。やっぱり、気安く奇名部の顧問なんて引き受けるんじゃなかった……」
「……で、モノは相談なんですが……」
苦悩する丘元先生に、顔を近づけて、耳元で囁く。
「……何だよ? つうか、気持ちワリいから離れろ……俺は、男に顔を近付けられて喜ぶシュミは無え」
「あら、そうっすか? じゃ、ナデシコに代わってもらお――」
「矢的くん、内臓破裂ってどの位の痛みなのかしらねぇ?」
「――申し訳ございません!」
顔を蒼白にして、90度に身体を折って謝罪する矢的先輩。
その一方で、丘元先生は「……撫子も、そんなに全拒否する事ないだろう……」と、地味にダメージを負っていた。
「……話を戻しますね」
しょうがないので、俺が口を挟む。
俺は、声を顰め――かつ、顰めすぎないように注意しながら、言葉を継ぐ。
「――丘元先生には、俺たちが鍵を見つけるまでの間、鍵が無くなっている事をナイショにしておいてほしいんですよ……」
「は――?」
丘元先生は、思わず口をあんぐりと開ける。口の端に咥えた禁煙パイプが、床に落ちた。
「そ――そんな事、ハイ分かりましたと言える訳――」
「いやぁ、それが一番ベターなんですって! 鍵が無くなったって表沙汰になれば、せっかく獲得した部室を取り上げられかねないし、そこまではされなかったとしても、鍵の複製代で5万円なんて出せないし……。それに」
矢的先輩は、顔を苦々しく歪めて、言葉を続けた。
「――何より、生徒会副会長の野郎に紛失の報告をしなければならないのが、イッチャン嫌なんすよ!」
「……最後の理由はともかく――」
俺は、矢的先輩に続けて口を出す。
「多分、すぐに見つかると思うので、その間だけ、目を瞑っていてほしいんです……」
「すぐに見つかる……って、目星は付いているのか?」
「…………多分」
「何だ、その間ァ!」
言い淀んで目を逸らした俺に、鋭くツッコむ丘元先生。
と、今度は、撫子先輩が前に出る。
「……じゃあ、先生は、正直に報告なさるので? また、色々言われてしまいますよ、原先生あたりに」
「う――……」
撫子先輩の言葉に絶句する丘元先生。
彼女は、穏やかな笑みを浮かべながら、追い打ちにかかる。
「私達に、3日間……いえ、明後日まで時間を下さいませんか? ――よろしくお願いします」
そう言って、美しい姿勢で、深々と頭を下げる撫子先輩。俺と矢的先輩も、慌てて彼女に倣う。
丘元先生は、黙って何やら考えて、ボソリと呟くように言った。
「つうかよ……。それって、部室の鍵が開いたままだって事じゃないのか?――大丈夫なのか? この前の不審者がまた……」
「部室の中には、昼間にだけ居るようにします。万が一侵入されても、盗られて困るモノも無いですし……。おむすびは、ちょうどいい機会なので、健康診断と去勢手術を受けさせます。今夜は動物病院に入院させるので……鍵が開いたままでも大丈夫だと思います」
「まあ、いざとなったら、ウチには最終兵器ナデシコがい――グファッ!」
「――人をロボットアニメみたいに呼ばないでももらえる? 矢的くん」
「ず――ずびばぜん……」
「……まあ、大丈夫か……」
「――あの、先生? どこで大丈夫だと判断されたのかしら?」
「撫子先輩! 先生に掌底は止めてっ!」
「――――何の騒ぎですか!」
職員室の前で騒ぐ俺たちの後ろから声がかかる。
俺たちは、職員室の扉に視線を巡らす。
――開いた扉の向こう側に、不機嫌そうな中年女性教諭の姿があった。
「――あ、は、原先生……」
丘元先生が、狼狽える。
「……また、貴方たちですか。矢的……」
「は~い、スミマセーン。反省しまーす」
「…………」
原先生は無言で、ギロリと矢的先輩を睨み、「フンッ!」と鼻を鳴らしてから、今度は丘元先生に視線を移した。
「……丘元先生。何のお話をされていたんですか?」
「い……いえ。別に――」
「――何か、鍵がどうのという話が耳に入ったんですが」
「……え、ええと……」
原先生に睨み付けられて、冷や汗をダラダラ流す丘元先生。
「――あ、それは、シリウスのヤツがチャリの鍵を落として困ったな~って話ですよ!」
矢的先輩が口からでまかせを言い、俺に横目でアイコンタクトを送る。
ええ……俺、アドリブ苦手なんですけど……。
「あ……あの~――そ、そうなんですよ! ス、スペアも無いんで困っちゃって……でも、ウチは近いから、そこまで困るって訳でも、な、ないかな……?」
しどろもどろになりながら誤魔化す俺を、細い目でジッと見ていた原先生は、もう一度「フンッ!」と鼻を鳴らしてから、ドスドスと足音を立てて、無言で立ち去っていった。
「「「ふぅ~……」」」
角を曲がって、原先生の姿が完全に見えなくなってから、俺たちは大きく安堵のため息を吐いた。
「ふぅ~……心臓に悪い」
「見たかよ、あの目……蛇みてえな冷たい目しやがって……」
「……おまえら、ホントに勘弁してくれよ……」
丘元先生が、額の汗を拭いながらぼやく。
――その様子を見ていた俺たち三人は、目を見合わせて、小さく頷く。
矢的先輩はニヤリとほくそ笑んで言った。
「――細工は流々、仕掛けは上々、後は仕上げをご覧じろ……ってね」




