田中天狼のシリアスな重労働
「はい! いきますよ〜! いっせーの、せっ!」
「ぐわあ~、重ぇ~!」
俺と矢的先輩で長机を持ち上げるが、あまりの重さで移動させる事も出来ず、また同じ場所に下ろす。
「もう……矢的先輩、マジメにやって下さいよ……」
「何言ってんだよ! 超マジだっつーの!」
「こんなんじゃ、いつまで経っても終わりませんよ……」
俺は、室内に文字通り山積みになっている、机・椅子・棚・段ボール箱などなど……の山を見て、大きなため息を吐いた。
俺たちは今、213号室を奇名部の部室として利用できるようにする為の、大掃除を実施中だ。……もっとも、一番最初の物資搬出の段階で、既に大きな困難に直面していたが。
あの日――この部室で怪しい人影と遭遇した後、俺は、古野屋で大盛り牛皿を2皿平らげて、上機嫌で学校に戻ってきた矢的先輩をとっ捕まえ、部室に放り込み、「お前一人で、部室の安全を実証しろ!」と言い捨て、置き去りにして帰った……らしい。――春夏秋冬が言うには。
……やっぱり、頭に血が上ってからの記憶が定かでない。
でも俺は、ブチキれながらも、護身用として、部室に転がっていた木刀を、暴漢対策で渡してあげたり、外からも、中からも、簡単に引き戸が開かないよう、つっかえ棒の細工をしてあげたりと、春夏秋冬曰く「シリウスくんらしい」細やかな気配りを発揮していた……らしい。
矢的先輩は、ずっと『置いてかないでくれー!』『何かあったら、お前を呪ってやるからな~!』などと喚き叫んでいたらしいが、俺たちが帰った後、朝まで本当に部室の中で耐えきった。それに関しては、素直に称賛したい。
――もっとも、翌日に登校して、まっすぐ部室に様子を見に行ったら、驚くほど精神的に憔悴してしまっていたが……まあ、それも無理もない事だろう。
完全に自業自得でしかない、が。
「……本当に、大丈夫なのよね……?」
引き戸の陰から、恐る恐る覗き込みながら、撫子先輩が不安げに聞いてきた。撫子先輩は、今日は柔道部の指導で、ここには来ないはずだったが、俺たちの事が気になって、部室に来たみたいだ。
「ええ。大丈夫みたいです。何せ、矢的先輩が、身体を張って証明してくれましたから。――ねえ、矢的先輩?」
「お――おう! 俺が朝まで、ひとりで部室の中で見張ってたけど、全く何も起こらなかったぞ! 安心しろ、ナデシコ! この部室に、幽霊だ妖怪だ怪奇現象だは存在しないッ!」
「……それは良かったわ。……本当に凄いわね。こんな部室で、たったひとりで夜を明かすなんて……」
撫子先輩は、それを想像したのか、ブルリと身体を震わせ、それから矢的先輩に優しく微笑んだ。
「見直したわ、矢的くん」
「……いやぁ、それ程でも……あるけどぉ〜♪」
「…………」
矢的先輩が、後輩を置き去りにして、古野屋で夜食を堪能した事は、撫子先輩には伝えていない。
「ナデシコにバラすのだけは止めてくれ! バラされたら……比喩じゃなく、命が危ない!」
と、矢的先輩から土下座せんばかりに懇願されたからだ。まあ、俺としても、無駄な血を見たい訳でもないし……と思って、矢的先輩の願いを聞いた訳だが、こんなドヤ顔されると……ムカつく。
なので、少しイジワルしてやる。
「あー……、撫子先輩、話は全然変わるんですけど〜」
「え? 田中くん、何かしら?」
「撫子先輩は、牛丼屋で古野屋と竹家、どっち派ですか?」
「‼」
矢的先輩の顔から、血の気がサーッと引く。
「――私は、どちらかと言うと、竹家の味の方が好きね……」
撫子先輩は、首を傾げながら、俺の問いに答える。
「……でも、何で突然、牛丼屋さんの話?」
「いやー、大した事じゃ無いんですけど。夜食だーって言って、古野屋の大盛牛皿を2皿も平らげた奴がいましてね――」
「さーっ! シリウスくん、頑張って労働に勤しもうじゃあないかッ!」
矢的先輩は、俺の話を強引に遮ると、俺の肩をガシッと掴んで、耳元で苦々しく囁いてくる。
「……お前さぁ……、最初に会った時より、大分性格が悪くなったんじゃないの?」
俺はその言葉に、可能な限りの悪そうな微笑を作って応えた。
「ええ……お陰様で。大分鍛えられましたからねぇ……どこかの誰かさんに……」
「ああ〜……もう限界! もう力が入らねぇ〜!」
「ハァ……ハァ……、限界っすよ……」
俺と矢的先輩は、疲労困憊で、213号室の壁に凭れ掛かる。
進捗は、まだ全体の30%くらいだ。
部室の奥には、様々な物が雑然と積み上げられたままだ。
「矢的先輩……今何時ですか……?」
「……5時13分」
無理だな、うん。
「――どーします、コレ?」
「……また明日、かなぁ……」
「うへ……明日もこんな重労働するんですか……? 下手したら、明日は筋肉痛で、学校来れないかもしれませんよ、俺」
「――あ、ソレいいな!」
「オイ」
と、そこに春夏秋冬がやって来た。彼女は、主に書類や布物関係の、重量の軽い荷物を本校舎の方へ持っていって、そこでより分けと処分をする役を担っていたのだ。
「やっほー! こっちは終わったよ〜……って、どうしたの?」
春夏秋冬は、俺たちの様子を見て首を傾げて聞く。
「ガス欠〜」
「……活動限界点を超えました、ってヤツ」
「あれれ……でも、そうだよねぇ。沢山あるもんねえ……」
「二人とも、もうギブアップかしら?」
今度は、撫子先輩がやって来た。
撫子先輩は、室内の様子を覗き見る。
「あら……思ったよりも頑張ったのね」
「何だよ、皮肉かよ〜」
「そんなんじゃないわよ。本当に頑張ったと思うわ」
「……でも、まだまだ先は長いですよ……」
「そんな事だろうと思って、助っ人を連れて来たのよ」
撫子先輩は、ニコリと微笑って言った。
「……助っ人?」
「はい、皆入って〜」
撫子先輩は、背後を振り返って、手招きをした。
「「「「ウスッ!」」」」
「!?」
野太い声と共に、柔道着を着た、屈強な男達がドカドカと足音を立てて、室内に入ってきた。
「な……な……?」
「柔道部のみんなよ。私がお願いして、練習後に手伝ってもらえる事になったの」
「押忍ッ! ナデシココーチのご命令とあらば、喜んでお手伝いさせて頂きまッス!」
「おお! ナデシコ、でかした! これで奇名部は、あと十年は戦える……って、クサッ!」
一瞬、歓喜の表情を浮かべた矢的先輩の顔が、苦悶に歪む。
「押忍ッ! 申し訳ないッス! 練習後に直行したんで、シャワーにも風呂にも入ってないッス!」
「無駄話してる時間は無いわ。みんな、早速取り掛かって頂戴」
「「「「押忍ッ!」」」」
いや、それからは早い早い。あれだけ物が溢れていた213号室は、ものの30分で、見事に空になった。
「何か……すみません。柔道部の皆さんに、こんなに手を貸して頂いちゃって……」
俺は、柔道部の猪鹿部長に、お礼を言った。
「押忍ッ! ナデシココーチのご命令とあらば、例え火の中水の中ッス!」
猪鹿部長は、そう言った後、小声で付け加えた。
「……断ったら、何されるか分からないんで……」
「……………………ウチの部員が、本当にスミマセン……」




