田中天狼のシリアスな短距離走
全力で走る。両腕を振り上げ、両足で交互に地面を蹴りつけて。
ヒッヒッフー、ヒッヒッフー……あれ、コレって違う呼吸法だっけ?
レーンの終わりの白線がドンドン近づいてくる。
「はい! ゴ――――ル!」
「ヒッヒッフ――――っとととととぉっ!」
白線を踏み越えると同時に、足が縺れて、盛大につんのめる。バランスが崩れ、視界がぐるりと一回転。
「あーっ! シリウスくん、大丈夫っ?」
90度傾いた視界に、体操服姿の春夏秋冬が慌てた様子で走り寄ってくるのが見えた。
「いちちちち……あ、大丈夫……。ちょっと膝を擦りむいただけ」
俺は、照れ笑いを浮かべて、膝の砂を払いながら立ち上がった。本当はケツとか左掌がじんじんと痛かったが、強がって痛くないフリをする。一応、男の子なんで。
「なーに転けてんだよ。ダッセエなぁ」
レーンの横で矢的先輩が笑う。そして、傍らでストップウォッチを構えていた撫子先輩に尋ねる。
「ナデシコ。シリウスのタイムは?」
「――7.47秒ね」
「……速くも遅くもねえな」
うーんと唸って、難しい顔で腕組みをする。
「ホント、ツラと同じで平凡な奴だな……」
「矢的くん、言い過ぎよ」
「ハイ! ゴメンナサイ!」
矢的をやんわりと嗜め、撫子先輩は俺に優しく微笑みかける。
「気にしなくて良いわよ、田中くん。今からいっぱい練習すれば、本番までにはもっとタイムが縮まるわ。――でしょ?」
「あ――は、はい……善処しますです」
……これは、猛練習しなければ。危険だ――命が。
「えーっと……。コレでみんなのタイムが揃ったね……」
記録係の春夏秋冬が、手にしたバインダーを確認する。それには、俺たち四人の50メートル走のタイムが、
・ヤマト……6.21秒
・ナデシコ……8.25秒
・アクア……7.53秒
・シリウス……7.47秒
と記入してある。
矢的先輩が、スマホで高校生の平均タイムを検索してみる。
「うーん……みんな、平均以上のタイムではあるっぽい……。あ、違う。シリウスだけ高1男子の平均ジャストだわ。お前どんだけ平凡なんだよぉ」
「――好きで平凡な訳じゃないんですけど……」
矢的先輩の軽口が、地味に俺の心にダメージを与える。言い返せないのが哀しい。
「アクアちゃんが意外に速くてビックリしたわ」
撫子先輩の言葉に、春夏秋冬は「エヘヘ」と照れた顔を見せる。
「あたし、中学の頃は陸上部だったんだよね。途中でケガして辞めちゃったんだけど」
「へ――――」
本当に意外だった。ただのBL好きの腐女子じゃなかったのか……。
――にしても、
「……つーか、何でそんなに足速いんすか、矢的先輩……」
「スゴいよねぇ。アンディ先輩も、陸上部だったの?」
そういえば、最近春夏秋冬は、矢的先輩の事を『アンディ先輩』と呼ぶようになった。『杏途龍』→『アンディ』って事らしい。
アンディ先輩……うーん、西海岸な響き。とてもそんな柄じゃない、矢的先輩は。
アンディ先輩もとい、矢的先輩は、俺と春夏秋冬の問いに、首を横に振った。
「いーや。オレは今まで部活に入った事は無いぞ。でも」
矢的先輩は、そう言うとエヘンと胸を張る。
「ガキの頃から、確かに脚は速かったな。近所の奴らには負ける気はしなかったし、負けた事も無かったしな。俺ん家の近所で知らない者はいなかったぞ、『ピンポンダッシュのヤマト』と言ったら」
「ピンポンダッシュかーい!」
思わずツッコむ俺。
「でも、確かに、現行犯で捕まった事は一回も無かったわね、矢的くん」
と、微笑みながら、撫子先輩。
「……で、いっつも状況掴めずに逃げ遅れて、何もしてないのに怒られるのが、武杉くん」
「すっトロいんだよなぁ……アイツ」
ああ、心から同情します、副会長……。
「でもさ、コレって結構イケそうじゃない?」
春夏秋冬が、タイム表を見て、目を輝かせる。
「あたしとアンディ先輩がリードを広げて、なでしこセンパイがリードを保てれば、……シリウスくんが差を詰められても、何とか逃げ切れるんじゃない?」
……いや、俺が足を引っ張るのは確定なのかよ、春夏秋冬……。一応俺のタイムも、高1男子平均ジャストではあるんですけど……。
「いや、まだ楽観は出来ないぞ。いくら、文化部対抗リレーだと言っても……」
矢的先輩は、珍しく難しい顔をしている。
「体育祭本番まであと2週間あまり……。これから毎日練習をして、0.1秒でもタイムを縮めていかないと……」
「うええ……毎日っすかぁ~」
思わず声が出た。何で陸上部でもないのに、何が悲しくて毎日トラックを走り回らなきゃいけないんだか……。
「当然だろ? 我々は、文化部対抗リレー、絶対に負けてはならないんだ!」
「そうそう! あたし達の部室が賭かってるんだから!」
「あーはいはい。そうっすね! ――ちょっと、二人とも、近い!」
顔を真っ赤にしてグイグイくる矢的先輩と春夏秋冬に、俺は辟易する。
しかし、確かにそうなのだ。体育祭の一種目でしか無い筈の『文化部対抗リレー』……とても重要な位置づけにあるのだ。我々『奇名部』にとっては――。




