表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
田中天狼のシリアスな日常  作者: 朽縄咲良
第二章 田中天狼のシリアスな日常・創部編
12/73

田中天狼のシリアスな署名

 おそるおそる振り返る。艶やかな黒髪がしゃらしゃらと音を立てるような、優雅な雰囲気を纏って、撫子先輩がやって来た。


「あ、なでしこセンパイ! おはよーございまーす!」

「おう、ナデシコ。遅かったな。朝、家に行ったのにもう出かけてるって言われたから、早めに学校に行ったのかと思ってたんだけど、どこに寄ってたんだ?」


 朗らかに挨拶をする春夏秋冬(ひととせ)と、片手を挙げて応える矢的先輩。俺は、凍りついたように固まっていた。


「あら、ごめんなさい、矢的くん。ちょっとした用があって、道場の方にいたから……ちょっと長引いてしまって、いつもよりも遅れてしまったわ」


 優しげな微笑みを浮かべる撫子先輩。

 と、彼女の視線が俺を捉える。


「あら……田中くん、どうしたの?」

「あっ! いえ! 何でも……何でもないであります!」


 咄嗟に、直立不動の姿勢になってしまったのは、本能的なものか。無意識に敬礼しようとする右手に気付いて、慌てて引っ込める。


「そう……何か顔色が優れないみたいだけど……。具合が悪いなら、無理しない方がいいわ」

「い……いえ! 大丈夫であります!」


 俺は、それだけ言うと、撫子先輩から目を逸らした。――正直に、『顔色が悪いのは、貴女が怖いから』……とは、流石に言えないわな……。

 だが、撫子先輩は、心配そうな顔で、まじまじと俺の顔を覗き込んでくる。普通ならば、こんな美人に顔を近づけられて、嬉しいやら何やらでドキドキするシチュエーションなのだろうが、今の俺は、違う理由(・・・・)で心臓が破裂しそうだ。


「……そう?」

「……………………」

「おい、ナデシコ! そんな事より、ほら!」


 矢的先輩が、割り込んできて、撫子先輩が彼の方に視線を向ける。……正直、助かった。

 矢的先輩は、誇らしげに、A4のプリント用紙を掲げた。


「アクアがサインしてくれたぞ!」

「まあ。ありがとうね。アクアちゃん」

「えへへ~。なでしこセンパイ、よろしくお願いしまーす」


 ニッコリと春夏秋冬(ひととせ)に微笑みかける撫子先輩と、照れる春夏秋冬(ひととせ)

 と、撫子先輩が再び俺に視線を向ける。


「……田中くんは、まだサインしてくれていないの?」

「……あ……あの、そ……その……」


 俺の背中が、滝のように吹き出た冷や汗で、ぐっしょり濡れてくるのが分かった。


「あ、そう言えば、何か言いかけてたよな、お前」

「えーと……確か、『自分は入部を……』って言ってたような……」

「あー、そうそう。確かにそう言いかけてた!」


 ――止めて。


「――スマンな、シリウス。お前の話の腰を折ってしまったようで。大事な話なのか? 続けてくれ」

「……あ、いや……。えっと――」

「どうしたの、シリウスくん? 顔が真っ青……なでしこセンパイの言う通り、ホントに具合が悪いんじゃない?」

「おいおい、マジで大丈夫かよ? お前、顔色が信号機みたいになってんぞ!」


 心配そうな表情で、二人がグイグイ近づいてくる。俺は、目を白黒させながら、二人の圧に押されて、じりじりと後ずさる。


「田中くん……」

「――!」


 と、それまで沈黙していた撫子先輩が口を開いた。硬直する俺。


「田中くん……もしかして、入部するのを止めたくなったとか……? 『自分は入部を止めます』って言おうとしてたんじゃないのかしら?」

「「……エ――――――――ッ?」」


 撫子先輩の鋭い言葉に、仰天する矢的先輩と春夏秋冬(ひととせ)

 二人は顔色を変えて、俺に詰め寄る。


「おい! お前それマジか? あの日、俺たちは一緒に頑張ろうって、夕日に向かって誓っただろうが!」

「……い、いや……夕日に向かって誓ってなんかないですけど……第一、昼休みだったじゃないっすか、あの日……」

「シリウスくん! 一緒に、同じ部活で『炎極』バナで盛り上がろうって言ったじゃない?」

「――い、いや、そんな事言ってない……」


 二人の剣幕に圧倒されて、しどろもどろになる俺。


「……で、正直なところ、どうなのかしら」

「!」


 静かな声色でかけられた言葉に、俺の心胆は再び凍り付く。今度は、背中だけじゃなく、顔面からも冷や汗が吹き出す。

 撫子先輩は、あくまで優しげな微笑を浮かべながら、静かな口調で俺に言う。


「田中くん……あなたは、本当に奇名部に入部したい気があるのかしら? ……もちろん、選ぶのはあなたの自由よ」

「…………」

「もちろん、私たちとしては、せっかくあなたとこうした縁が結べたんだから、これからも一緒にやっていきたいのだけど……。嫌がっている人に無理矢理居てもらうのも心苦しいし……」

「……………………」

「……まあ、正直、『人に期待させておいて、今更止めるとか、無いわー』って思う、嫌な気持ちが無いでも――」

「――アッハッハッハッハ! な、撫子先輩、何言ってるんですか! そんな訳ないじゃないですか! 『自分は入部を』……よ、『喜んでします!』って言おうとしただけッスから!」


 俺は、そう大げさに笑うと、矢的先輩の手にあった創部届を引ったくり、胸ポケットから取り出したボールペンで、サラサラと『田中天狼』と署名した。


「あははは! これでいいっすか!」

「お……おう! 何だよ、もったいぶりやがって!」

「そうだよ~。シリウスくん、あたし達びっくりしちゃったよ~!」


 ホッと安堵の表情を浮かべる矢的先輩と春夏秋冬(ひととせ)

 撫子先輩は、ニッコリと菩薩のような微笑みを浮かべている。


 俺は、変な表情で爆笑(わら)いながら、心の中は土砂降りだった。

 ――ああ。悪魔との契約書にサインをしてしまう時も、丁度こんな気分なんだろうなぁ……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ