ニンフとサテュロス
私主催の「アートの借景」企画 参加作品です。
「こんなのハーレムじゃないよ」
「は?」
「だって……、君主じゃないんだもん」
実は口を尖らせた。
昔と変わらない彼のあどけない仕草に、千秋は思わず笑みをこぼしてしまう。
この二人は、幼馴染という間柄だった。オサナナジミという響きはどことなく安易で、安っぽい物語にありがちな型にはまった設定のようにも聴こえるが、実際そうなのだから仕方がない。二人は小学校から大学まで、同じ経歴を歩んだ。
とはいえ、中学、少なくとも高校に上がってからはそれぞれメインの交友範囲といったものが別に存在していて、二人は近くにいながら、会話することはおろか、挨拶さえなおざりになることもままあった。同じ大学を選んだのも偶然で、入学式で顔を合わせて、初めて知ったくらいだ。
大学生活が始まってから、会うことが増えた。といっても、懐かしい過去の友人といった間柄で、食堂やどこかでたまたま居合わせたとき、昔話なんかを交わす程度だった。
最近、実はなぜか女子学生に囲まれていることが多く、千秋は彼を見かけても、挨拶をせずに済ますことが多くなっていた。このときはたまたま、木陰のベンチに座っているところを見かけたのだ。
「スルタンってそんな、オリエンタリズムじゃないんだから」
「でもハーレムって、そういうことでしょ。そういうイメージで言ったんじゃないの?」
「まあね」
「あーあ、やんなっちゃう」
端々に現れる子供らしいところが、彼のチヤホヤされる所以なのだろうと、千秋は思っていた。
実の話によると、夏休み前、ある講義の受講中に居眠りをしてしまい、教授に起こされたときの反応が周囲におもしろく受け取られたらしく、今のような状態に至ったのだとか。
周囲の女子学生の嗜好というものをなんとなく感じ取っていた千秋にとっては、遅かれ早かれ、彼が人気者になるだろうということは想定のうちではあった。
「何が不満なわけ?」
「だってほら、あの子たちの顔を見てわかんない?」
「あんた、面食いだっけ?」
「違うよ」
その表情にまた、千秋は反応してしまう。
「笑うなよ」
「ごめんごめん。なんとなくわかるよ、ああいうチャラい子たちに慣れないんでしょ」
「チャラいっていうか……、引きずりこまれるような感じなんだよね」
実が言うには、彼女らはいたずら好きの妖精たちで、寄ってたかって自分をからかっては、強引に池の中へと引きずりこむような邪悪な存在に見えるのだとか。
「邪悪っていうのも少し違うな。でも……、とにかく僕にはそう思えるんだ。なんだかこう、信頼が置けないっていうか……」
「悪い子たちじゃないと思うけど」
「わかってるよ。だけど……」
「わかってないんだ」
「うん……」
実は彼女らをわかっていない。でも、彼女らも実のことをわかっていない。
彼には内向的なところがあって、もちろんみんなの前で明るく振る舞えるくらいのユーモアは持ち合わせているけれど、本来は決して社交的な性格ではなく、疑り深いところもあるのだ。見た目以上に真面目で神経質な人間だから、彼と仲良くなろうとするなら、もっと慎重に寄り添っていかなければ難しい。荒々しく腕を引っぱったり、耳をつかんだりしてはだめなのだ。千秋には、それがわかっていた。
「スルタンとは言わないまでも、もっとこう……、ねえ」
「愛されてる感じがしないんだ」
「うーん、そうなのかなあ。自分でもよくわからないんだけど……」
生暖かい風が吹いた。物静かだった周囲に、なんとなく、活気の色が沁みだしてくる。
その風に乗るかのように、幾人かの女子学生が集まってきた。
「なんだ、実くん、こんなとこいたの?」
「え、何この子。カノジョ? 実くんに?」
「えー、ウケんだけど。マジ?」
「ねーねー、遊び行こうよ」
女子学生たちは当然、千秋の方へも目を向けたが、
「あんたも来る?」
彼女らの純粋な瞳には、敵意の影など見当たらなかった。
「いや、私はいい」
千秋が女子学生の誘いを断ると、実は困ったような笑みを浮かべたまま、「じゃあ、また」と言って、彼女らに腕を引かれていった。
生暖かい風が抜けていった。幼馴染の姿は、すでに数十メートル先へ。
その距離は、近いのか、遠いのか。
たしかなことは、千秋が彼の顔色を窺うことのできる距離ではあった、ということだ。
「結構うれしそうな顔してんじゃねーか」
千秋はひとりつぶやいて、口を尖らせた。
ウィリアム・ブグロー作『ニンフとサテュロス』
1873年
なんだか説明的な掌編小説になってしまいました^^;
フランス映画の作中の会話の小ネタなんかではありそうですが(笑)
ブグローといえば、私の好きな印象派にとってはライバルですね。
後の時代、しばらくは印象派、ポスト印象派、象徴主義と続いて、彼のようなアカデミズムの画家はあまり語られなかったようです。