ブレイカー
「ということで、ぜひこの商品を試していただきたいわけでして―」
俺は、全く同じ喫茶店で、またこの説明を聞いていた。目の前の机には、ポケットに入るくらいの液晶画面の付いた端末が置いてある。女性曰く、『イコライザー』というやつだ。
「マジかよ!なら、使ってみればいいんじゃね?っていうか、俺が使ったらダメなの?俺じゃ、世界は救えねえの?」
隣に座っている杉山が自分を指差しながら、身を乗り出す。女性は杉山を一瞥すると、こちらを見る。杉山は、こんな感じで先ほどから女性の説明を中断させていたのだが、杉山が『イコライザー』に興味を示しているからなのか、嫌な顔ひとつすることはなかった。
「もちろん、杉山様でも使うことはできます。ご満足いただけると思います。だた、私たちの望んでいる結果を生むことにはなりません。」
「なんでだよ!?俺の潜在能力って、その程度?いや、あんた俺のこと知らないから分かんないんだなあ。かわいそうに。俺がこれ使ったら、世界征服できるよ。」
杉山がそう言って、『イコライザー』を手にする。電源が入ってないのか、どんなにいじっても、真っ暗な画面なままだった。
「世界を救うんじゃなかったのか。」
「馬鹿だな。世界征服してから、世界を救うんだよ。とりあえず、全ての揉め事は俺が預かって、あとは俺が解決してやるって感じで。」
「それは、独裁だろ。独りよがりで危険だ。『国家』っていうのは、ひとりの人間が背負っていいものじゃないんだよ。」
「だからさあ。『国家』ってのは、とりあえず人々から権利とかを預かっておいて、あとで与える存在が必要じゃねえか。俺がそれになろうっての。」
杉山は、得意げに胸を張る。ちょうどそのとき、喫茶店のBGMが鳴り止み、ゆっくりとピアノの音が始まる。この男は、いつもこうだ。気がつけば、話が脱線している。
「もしかして、ホッブズの『リヴァイアサン』の話か?いつの時代の話をしているんだ。」
というより、きっと最近どっかで小耳に挟んだのだろう。得た知識をろくに理解していないのに、勝手に解釈して披露したがる。こいつは、そんなヤツだ。
「なんだ、知ってんのか。だったら話は―」
「すまない。トイレに行かせてくれ。」
なんだ、頻尿か。杉山は、そう言って席を立ち、俺は席を離れる。女性が真っ直ぐ俺を見てくる。今度は、逃げるんじゃないぞ。女性の垂れ下がった目がそう言っているとは思えなかったが、恐らく、そう思っているだろう。トイレに向かう途中で、店員とすれ違う。俺は意味もなく会釈をする。丁寧に、店員も会釈を返してくれた。
トイレに入って、個室に入ると、まず俺は杉山を連れてきたことを後悔した。いや、こうなることは分かってはいたのだが、俺は俺の理解を越えた状況に陥ったとき、なぜかあいつに助けを求めてしまう癖があった。高校の頃からの長い付き合いだということもあるのだろうが、『毒をもって毒を制す』という具合に、うまくいくんじゃないかとどこかで思ってしまうようだ。
俺は、携帯を取り出した。何度か呼び出し音が繰り返される。頼む。出てくれ。
「もしかして、『イコライザー』の話?」
電話の向こうから、気怠そうなような、退屈しているような女性の声が聞こえてきた。実際、退屈だったのかもしれない。
「なんで知っている?」
「あいつが言ってたから。『俺が蛍を救うんだ』って張り切ってましたよ。どうですか。うまくいきそうですか。」
あいつとは、杉山のことか。どうして、一緒に来てくれなかったんだ。しかし、楓の性格を考えると、とてもついてくるとは思えなかった。もし、俺がその立場だったら、ついていかない。
「うまくいっていると思うか。」
誰も見ていないトイレの個室で、俺は肩をすくめる。
「じゃあ、大丈夫だね。」
「大丈夫じゃない。もう、滅茶苦茶だ。説明しなくても、想像できるだろう。」
電話の声の主、楓と俺、杉山は高校の頃からの知り合いだ。なぜか、一緒にいることが多く、杉山の自由奔放な思考回路と短絡的な行動に、いつも振り回されていた。
「いつもそうじゃん。あいつが滅茶苦茶にしてくれるんだよ。少し歪んだ君の日常を一回リセットして、また君の日常は始まる。退屈な日常がさ。」
楓は、何の感情も込めず、事務事項を伝えるようにその言葉を伝えてきた。いつもそうだ。だから、大事なことまで聞き逃してしまいそうになる。
「退屈、か。」
「そう。退屈な日常。」
俺は、ふと今までの杉山との思い出を振り返ってみる。ろくな思い出がなさそうだった。ありきたりで、笑えない思い出ばかりだった。
「そうでもない。」
気がつけば、俺はそう答えていた。
「――だね。」
楓は電話の向こうで、小さく笑った。俺も、笑ったと思う。よく分からない。