イコライザー
「ということで、ぜひこの商品を試していただきたいわけでして―」
ヨーロッパの建築を模倣した少しオシャレな喫茶店。太陽が少し傾き、心地よい日差しが差し込む窓際の座席で、俺は向かいに座る女性の説明を聞いていた。女性は、おそらく新品なのだろう、シワ一つないスーツを身にまとい、グラフが書かれたパンフレットを見せながら、商品の説明をしていた。
「なるほどな。」
俺は、目の前のコーヒーカップを手に取ると、口を付ける。少し、酸味が強いような気もするが、別にコーヒーにうるさいわけではないし、そこまで味に文句を言う必要もない。女性は、次の一言を待ち構えているのか、真っ直ぐこちらを見つめている。女性の少し目尻が垂れ下がった目は、おっとりとした印象を与え、ある男性には、いわゆる、「守ってあげたくなる」ような気持ちを引き出しそうだった。
「それで、俺にどうしろと?」
「ぜひ、この商品を試していただきたいわけでして―」
女性は先ほどと同じことを、同じ抑揚で伝えてくる。
「なぜ?」
「向井様、この世界は不均衡だと思いませんか?」
「そうだろうな。みんな同じだと気持ち悪い。」
女性の眉間にわずかに皺が寄る。感情はあるんだな、と思った。まるで、いままでの説明を聞いていないかのような発言に、流石に不快感が伴ったのだろう。
「おっしゃる通り、流石に同じ人間があちこちにいたら、気味が悪いです。しかし、この『イコライザー』は、全く同じ人間を創りだす装置ではないのです。その人の持ち得る能力をどのように引き出すか、それを調節するための装置なのです。」
「例えば、算数が少し苦手だから、算数の能力を上げよう。その代わり、国語はそんなに必要ないから、代わりに国語の能力を下げよう。そんな感じか。」
「概ね、おっしゃる通りです。」
「ただ、ないものを増やすわけではないから、数学者になれるかどうかは分からない、と。」
「可能性は否定できませんね。」
「必要か?」
すると、女性は机に両手を置き、身を乗り出してきた。喫茶店のBGMもちょうどそこで途切れ、またゆっくりとピアノの音が鳴る。香水なのか、柑橘系の香りがした。
「必要です。少なくとも、あなたには。」
行動の割には、淡々とした口調だった。おっとりとした顔つきと冷淡な声のギャップが、どうも違和感を抱かざるを得なかった。『女の声は信じないほうがいい。あいつら、声なんていくらでも変えられるからな』とあいつが言っていたのを思い出す。
「必要なのか。」
「あなたは気がついていないだけです。我々の調査によると、あなたは二重人格だそうですね。」
「何かの間違いだ。」
実際、間違いだ。俺は、二重人格ではない。時と場合によって見せかけの性格を変えているだけだ。ごくありきたりな人間だ。ただ、そのことをこの女性が『二重人格』と定義しているのなら、間違いではないが。
「コントロールする必要があるんじゃないですか?どうしても出てきてしまう、もうひとりの自分を。」
「それなら、心配ない。」
俺は席を立つ。なんだか、話が変な方向に進みそうだったからだ。『もうひとりの自分』という単語を、恥ずかしげもなく口に出していいのは、本当の多重人格者に対してか、物語が好きな少年少女だけだ。
すると、女性も立ち上がる。立ち上がり、俺の腕を掴む。腕が動かなくなる。それどころか、少し力を入れられると、そのまま筋肉が潰れてしまいそうだった。女性とは思えない握力だ。女性は、いまにも鼻歌でも口ずさみそうな涼しげな顔をしている。
「気分を悪くされたのなら、申し訳ありません。ただ、この『イコライザー』の性能は本物です。」
その説明に納得したわけではないのだが、俺はそのまま席に座る。女性は手を離すと、そのまま俺の向かいに座る。
「『イコライザー』は、その人の隠された能力を引き出す装置なんです。」
その説明は何度も聞いた。しかし、今回は、今までの説明によって得られなかった結論が得られた。
「なるほどな。自分もそれを試したから間違いないと言いたいわけか。」
女性は、ゆっくりと頷く。なるほど。目尻が垂れ下がったおっとりした顔つきからは想像できない淡々とした口調。そして、先ほどの握力。それらは全て『イコライザー』とやらで引き出したと言いたいのだろう。
「仮にそれが本当だとして、俺には必要ない。」
「我々の調査および研究結果だと、向井様、あなたは、この『イコライザー』を使って引き出さなくてはならない能力があります。その能力が、多くの人を救うことになり、果てには世界を救うことに―」
今度は何も言わず立ち上がった。また捕まるのも面倒なので、早足から徐々に速度を上げ、駆け出した。扉の向こうに人がいないことが幸し、俺はそのまま外に飛び出した。
店を出ると、射し込んでくる太陽の光に思わず目を細める。店の外の人々は、そんな俺を一切気にせず、ただ真っ直ぐ前を向いて歩いていた。




