仄かな
私に抱きしめられたレオ様は驚いたように震えると、私から離れようと、身をよじりながら、
「頼むから、離れてくれ!それから、すぐにここから立ち去ってくれ!」
私は更に強くレオ様を抱きしめると、
「嫌です!絶対離れません!どこにも行きません!どうして、そうやって、一人で苦しむんですか?!」
私が涙声になっていることに気付いたレオ様は顔を上げると、私の涙を見て、顔を歪めましたが、
「酷く暴力的な気持ちになるんだっ。ところかまわず、暴れたくなるんだよっ。キャスを傷つけるかもしれないだろうっ。離れろって!」
「いいですよ!」
「ー・・・」
「引っ掻いても、殴ってもいいですから!傍にいさせて下さい!私、自分で治せますからっ、大丈夫です!」
「殴るなんて、そんなこと出来るわけがないだろうっ」
「・・・ええ。レオ様は我慢強い人ですもの。そんなこと出来ませんよね。でも、そんなに我慢しないで下さい。・・・どうして、何にも言ってくれないんですか?」
「・・・」
しばらく待ちましたが、レオ様は何も答えてくれません。
「・・・そうですよね。レオ様は自分から苦しいなんて、簡単に言える人じゃないのに・・・なのに、私・・・」
自分のことで精一杯で。
悪役令嬢の役目を全うしなきゃいけない。
レオ様とローズマリー様が結ばれて欲しい。
・・・そればっかりで、レオ様が毎日どう過ごしていたかなんて、私には答えられません。レオ様のこと、何にも分かりません。距離を置いていたとしても、もっと、気をつけて見ていなければならなかったのに。
なのに、私はお父様に言われていたことも忘れて、何も深く考えることなく、表面的にしか見ていなくて、レオ様がローズマリー様と上手くいっていると喜び、ただはしゃいでいただけでした。レオ様は毎日苦しんでいたのに、私は毎日を呑気に過ごしていただけでした。本当に恥ずかしいです。
私が声を殺して、泣いていると、
「ごめん・・・キャス・・・ごめんな・・・昨日、あんなに酷いことを言って・・・本当にすまなかった」
レオ様が震える声でそう言いました。
「・・・いいんですよ。気にしてませんから」
「良くないだろう・・・」
「いいんです。それに私こそ、今まで何にも気付かないで、本当にごめんなさい」
レオ様は首を振ると、
「私は大丈夫だと思っていたんだ。闇に蝕まれる人間は弱い人間だと思い込んでいた。私はあの魔術師のようにはならないはずだと信じていて、カーライルの話もまともに取り合わなかった。何よりカーライルにそんな可能性がある人間だと思われたことが嫌で仕方なかったんだ。カーライルが言っていた闇に蝕まれた人間の状態が自分に当て嵌まっていることに気付いてからは、酷く恥ずかしくて、情けなくて・・・とても、誰かに相談しようなんて思えなかった」
「情けないことなんかないのに・・・闇の属性を持っている人なら、誰でも今のレオ様のようになる可能性はあるんですから」
「・・・」
レオ様は黙って、頷くと、「でも、分かっていても、認めたくなかった。誰にも知られたくなかったんだ」
「レオ様・・・」
「・・・それに、アナスタシアに酷いことをした頃のまま成長していないと、弱いままだと誰かに思われたくなかった。カーライルやリバー、シュナイダーにルーク・・・それから、キャスに」
「私、そんなこと思いませんよ。私なんて全然成長していないのに・・・。それに、父もリバーもシュナイダー様もルークも、そんなこと絶対思いません」
「・・・」
「皆、頼ってくれないと悲しいと思うんです。ルークもシュナイダー様もレオ様に頼られるようになりたいと言っていたんですから・・・」
「そうだな・・・ただ、私は3人の上に立たなければならない人間だ。ルークたちに弱いところを見られるのは耐えられないんだ。それぐらいなら、一人で苦しんでいた方がましだと思ってしまう。・・・毎日、必死だった。誰にも知られないで済ませられたら、それでいいと思っていた。その思いがあったから、今日までやって来れたんだ。・・・ある意味、それが支えだった」
「レオ様・・・」
「皆が頼りないだとか思っているわけではないんだ。・・・本当に馬鹿だと思う。だが、私はこういう風にしか生きられないんだ。変えられないんだよ」
「なら・・・」
ローズマリー様を頼っても良かったのでは?と、言おうとした私でしたが、言葉を飲み込みました。何となくローズマリー様の話はしない方がいいと思いました。
私はしばらくレオ様を抱きしめたままでいました。レオ様もいつしか私に体を預けてくれていました。
「あ・・・もう授業が始まるな・・・」
と、レオ様が呟くように言い、
「はい・・・」
と、私も答えましたが、「・・・」
「・・・」
どちらも動こうとしませんでした。
・・・私は今、ずっと、レオ様を抱きしめていたいと思っています。離れたくないと思っています。私は一体どうしてしまったのでしょうか。レオ様の苦しみを少しだけでも和らげてあげられたらと思う以上に・・・何か・・・。
「???」
それ以上に何があると言うのでしょう?私が首を傾げていますと、
「・・・キャス?」
「はい?」
レオ様は眠そうな顔をしていますが、もう何ともないようです。良かった!
私は笑顔を見せると、
「そうだ。次の授業、お休みしましょうよ!レオ様、眠そうですよ!」
「ああ・・・つい寝そうになった・・・。キャスの胸が気持ち良くて」
レオ様はそこまで言って、真っ赤になりました。
「は?私の胸?気持ち良い?」
この王子様は何を言ってるんですか?やっぱり、変態さんですか?
「い、いやっ!違う!」
レオ様はぶんぶん首を振って、「今のは違うんだ!胸じゃなくて、昨日の夜は、ねっ、眠れなくて、そっ、そのせいだ!そのせいで眠いんだ!それだけだ!」
「えっ!また眠れていないのですか?!」
それはいけません!大変です!レオ様は子供の頃、眠れなくなることが良くあったのです!
「き、昨日だけだ!子供の頃とは違う!」
「本当ですか?嘘つかないで下さいよ?」
「ああっ!嘘なんかつかない!」
「・・・」
・・・と、言われても、レオ様、隠し事ばっかりするので、明日から何時間寝たか毎日聞くことにしましょう。
その後、私はレオ様に言われて、ルークに次の授業を休むと伝えるため、鳥を飛ばしました。
すると、
「ルークをごまかすのは大変だったな」
と、レオ様が思い出したように呟きました。
「ルーク?」
「同じ授業だと自分のことより、私をじっと見てるんだ。・・・ルークもカーライルから聞いていたんだろう?」
「はい・・・」
そっか・・・。ルークは父が言ったことをちゃんと覚えていて、レオ様のことを見ていたんですね。なのに、私ったら・・・。
私はずーんと落ち込みましたが・・・暗いのはダメです。レオ様が気にします。明るくしていないと!
「あ!そうです!今度のお休み、めだかさんを見に行きましょう!あれから、一度も行ってませんからね!レオ様もいい気分転換になりますよ!気分転換しなきゃです!」
レオ様はまた私の方を見てから、
「そうだな」
と、言って、笑顔を見せると、「じゃあ、明後日に」
「レオ様。明後日はお茶会ですよ?」
忘れてはダメです!
「あ、ああ。そうだったな・・・」
「上手く行くといいですね。めだかさんはまたにしましょうね」
「・・・ああ」
・・・何故かまたレオ様の表情が暗くなりました。ええと、あ、そうだ!
「そうです!レオ様。私、しばらくお茶の時間はレオ様とここで一緒にいますね」
「え・・・」
「人とお話しているだけでも、気が紛れると父は言っていました。だから、私がレオ様と一緒にいます。・・・でも、いつか、レオ様も闇の力と上手く付き合えるようになって、入学したばかりの頃のように、皆でお茶が出来るようになりますよ」
私はそう言ってから、安心させるようににっこり笑うと、レオ様も微かに笑って、
「そうだな。・・・そうなれるよう、頑張るよ」
「だから、頑張ったら、ダメなんですよ」
「そ、そうだな。すまない」
「無理しないで、ゆっくり、自然でいいんですよ」
「ああ。ゆっくりな」
それから、私とレオ様はぼんやりと空を見上げていましたが、
「・・・レオ様」
「うん?」
「昨日は嫌いなんて言って、ごめんなさい」
「いや、全面的に私が悪かった。嫌われても仕方ない」
私はレオ様に顔を向けますと、
「嫌ってません!!」
レオ様はびくっと体を震わせて、
「い、いきなり大きな声を出すなよ」
「だって、私がレオ様を嫌うわけないでしょう!私、レオ様があんな風に言うから、私がレオ様に嫌われたのだと思ったから、つい嫌いなんて言ってしまったんです」
「すまない。でも、私もキャスを嫌うことなんて、絶対にないから」
と、言って、レオ様は私の髪に触れようとしましたが、「・・・」
何故か手を引っ込めると、
「そ、そう言えば、あいつ・・・アレクサンダー・ラングトリーのことだが・・・何故、あんなところで踊ってたんだ?」
「アレックスはメグの従兄弟さんで私とルークにダンスを教えてくれていたんです。とっても厳しい先生ですよ。昨日はちょっとふざけていただけなんです」
「・・・」
レオ様は俯くと、「・・・キャスは私と踊るのは嫌なのに、ルークやアレクサンダー・ラングトリーとは踊るんだな」
「は?嫌?」
「嫌ですって、言い張ったじゃないか・・・」
と、言って、レオ様はややむくれました。
「あ、それはレオ様とローズマリー様の邪魔をしたくなかったからですよ。嫌じゃありませんよ」
「何だ・・・紛らわしい」
レオ様は眉をしかめて、「私はキャスと踊りたかったぞ」
「えー、下手だったら、怒られそうですー」
「怒るか。少しだけ見ていたが、あれはルークの方が悪いだろう。まあ、引きずられるキャスもキャスだが」
「ですよね・・・リバーとは息がぴったりだったので、私、自分ではちゃんと踊れると、思い込んでたんですよね・・・リバーが上手くリードしてくれてただけなのに。私、まだまだ完璧なレディには程遠いですね・・・」
レオ様は吹き出して、
「か、完璧なレディになるつもりなのか?キャスが?それで?」
私は真っ赤になりますと、
「いいじゃありませんか!目標は高くです!」
レオ様は震えながら、俯くと、
「そ、そうだな。ど、どうせなら、目標は高い方がいいよな・・・っ」
「もうっ!」
私は頬を膨らませてから、「笑いたければ、堂々と笑えばいいじゃないですか!」
「す、すまない」
「謝らなくても結構です!」
・・・こうなりゃ、レオ様をぎゃふんと言わせるために、完璧なレディに・・・くっ。目標が高すぎます!
4時限目の授業が終わり、皆さんが教室に戻り始めた頃を見計らって、私とレオ様が教室に戻ると、
「カサンドラ様!」
ルークが飛んで来て、「どこに行っていたのですか!休むだけじゃ、心配しますよ!」
「あ・・・」
『次の授業は休みます』とだけしか鳥さんに言っていませんでした。
「殿下とは同じ風の授業だったのに、殿下もいませんし、心配しましたよ。お二人はご一緒だったのですか?」
うっ!本当のことは言えません!
「えっと、あ、わ、私が寝不足のせいか貧血を起こしちゃってね!レオ様が座り込んでいた私に気付いて、医務室まで連れて行ってくれたのよ。ほら、レオ様、お母様のように口うるさいでしょう?医務室に行ったはいいけど、私に長々と説教を始めちゃったんです!ろくに眠れませんでしたよ!あははーっ!」
私はそこまで言ってから、レオ様を見ると、「ね?レオ様?」
レオ様は頷きましたが、
「お母様のように口うるさいは余計だ」
ルークはホッとして、
「なら良かったです」
「ごめんね。ルーク」
「すまなかったな」
と、私とレオ様が謝りますと、
「いえっ!カサンドラ様はともかく、殿下が謝ることはありませんよ!だいたいどこでも寝れるカサンドラ様が寝不足だなんて、おかしいですよ。もしかして、おかしな妄想をして、眠れなかったのではないですか?やめて下さいよ?」
「?!」
おかしな妄想ですって?!レディに向かってなんて言うことを!
私に怒られると思ったルークが逃げ出し、自分の席にスッと座りました。
ルークったら、お澄まし顔ですよ!ムカつきます!
ですが、皆様がいらっしゃる教室で怒るわけにはいきません!今は堪えるしかないようです!
「後で見てなさいよ」
と、私がぷりぷりしていますと、何とか笑いを堪えていたレオ様が私に顔を近付けて来て、
「キャス。・・・ありがとう」
と、私の耳元で囁きました。
レオ様はすぐに離れましたので、それはほんの一瞬のことで・・・。
私が自分の席に着くと、
「あ、キャス」
と、メグが振り返って、「戻って・・・あら。どうしたの?顔、真っ赤よ?」
「え?どうしてですか?」
と、私がきょとんとすると、
「知らないわよ!」
と、メグは強い口調で返しましたが、「・・・大丈夫?熱でもあるんじゃない?」
私の額に触れました。
メグの手は少しひんやりしました。確かにちょっと頬が熱いようです。どうしたのでしょうか。
・・・今日の私はちょっとおかしいです。




