セントクロフト伯爵家(アレックス視点)
殺される。まず俺が思ったのはそれだ。
俺は愛しのカサンドラちゃんと廊下でちょっと踊っていただけなのに、何故、こうなった。
いや、カサンドラちゃんのせいだと思う。俺がいい人だとか恥ずかしげもなく言ってくるから、くすぐったくて仕方なくて、もう勘弁して欲しくて、踊ることでごまかそうとした。
つまり、それだけだった。なのに、殺気を放ちながら、王子がやって来た。
カサンドラちゃんをさも自分の物のように振る舞う王子に何となく腹が立ち、俺がついつい調子に乗ってしまった挙げ句、王子は俺にではなく、カサンドラちゃんに腹を立て・・・
『レオ様なんか嫌いです!』
カサンドラちゃんは泣きながら行ってしまった。
そして、俺は王子と残されてしまった。
王子はカサンドラちゃんを泣かせたショックなのか、嫌いと言われたショックなのか、どちらのかは分からないが固まってしまっている。
この状態、どうしたらいいわけ?!
それにしても、王子が俺の名前を聞こうとしなかったのは、聞きたくなかったわけではなく、俺を、いや、セントクロフト伯爵家を知っているからなのかもしれない。
知っているのなら、情報源はカーライル公爵しかいない。
『カーライル公爵家当主アンドレアス・ロクサーヌです。以後お見知り置きを』
そう言って、カーライル公爵は14歳の子供でしかない俺に向かって、優雅にお辞儀をした。
俺がカーライル公爵に初めて会ったのは、あのダンレストン公爵家襲撃事件の数ヶ月後だ。
あれが五大公爵の嫌われ役担当?『火を吐く竜』?全く見えない。
俺はパレードなんか見に行ったことはなかったから、カーライル公爵を見たのは本当に初めてだった。
上品で物腰は柔らかく、愛想が良くて、そして、えらく男前・・・それがカーライル公爵の第一印象だった。
挨拶を終えた後、俺の父とカーライル公爵は我が家の書斎に入った。
このセントクロフト伯爵家には隠し扉や隠し通路が有り得ないくらいある。
書斎までの行き方は誰も教えてくれなかったが、自力で見つけていた。
ばれたら、お仕置きされるが、五大公爵がどんな人間なのか、どうしても知りたくなって、隠し通路を使い、書斎に繋がる隠し扉の前に来ると、俺は息を殺し、聞き耳を立てた。
『この数ヶ月は本当に大変でしたね』
『全くだね。ただ私たちの大変さなど大したことはない。・・・亡くなった方、そのご家族に比べたらね』
二人はこの後、しばらく黙っていたが、
『某国の魔術師が先にカーライル公爵家に来ていたら、こんな結果にはならなかったでしょうね』
『そうだな。セントクロフト伯爵家のお陰で妻も子供たちも常に守られているからね。優秀な人間を我が家に送ってくれて、本当に感謝している。・・・ダンレストン公爵には前々から、対策を講じるよう言っていたが心配はないと言い張るから信用していたんだが・・・。巻物を守る方法についてはそれぞれの家で考えるべきだし、強制は出来ないからね。そりゃ、ダンレストン公爵自身は心配なかっただろうが、あの愚かな息子について、対策を全くしていなかったのには呆れたよ。あの呑気さは代々続いて来たと言っていい。ダンレストン公爵家は魔力量が低い以前に意識の低さが問題だったんだよ。・・・切り捨てられて、当然だったわけだ。私には庇うつもりは全くなかった。お友達同士じゃあるまいし、庇い合って何になる』
『そうですね』
『もちろん、ダンレストン公爵には同情はする。その恨みも晴らしたつもりだ。ただ、私は以前から、あの息子を消すことを考えていた。五大公爵に相応しくない人間だと思っていたからね。長い歴史の中でもあれは最低の部類に入る。娘のサラ様がジャスティン殿下の婚約者となったことが更にあの息子を駄目にした。それに気付いた時点で消しておかなければならかったんだ。これまでも五大公爵に相応しくない人間は同じ五大公爵が粛清として、始末していたのだからな。・・・全く。五大公爵は辛いものでしかないと思わないか?仲間に見限られないよう、死ぬまで五大公爵として相応しい人間で有り続けなければいけないんだからな』
『ですが、だからこそ、五大公爵はここまで続いて来たのでしょう。それに貴方なら大丈夫ですよ』
『はー』
カーライル公爵は深々と溜め息をついて、『簡単に言うなよ。・・・話は戻るが、あの息子は娘と親しいサラ様の父親でもある。そして、ダンレストン公爵の跡を継ぐのはあの息子しかいないと思うと、思い切れなかったんだ。私も甘くなったものだな。結局、そのせいで、たくさんの人が犠牲になった。私の罪だ。生涯背負っていかなくてはならない』
『私がダンレストン公爵の息子を消しても良かったのですよ?』
と、父が言うと、カーライル公爵は苦笑いして、
『他人にやらせるくらいなら、私がやるさ。あんな男でも同じ五大公爵家の一員で、家族と同じ様に思っていたんだから。一緒に馬鹿な遊びをしたこともある。・・・他の誰かではなく、私が消さなければならなかった。でなきゃ、卑怯と言うものだろう』
・・・家族と同じように思っている人間を殺してまでして、五大公爵は続けていかなければならないのか?
そこまでして、王族の盾にならないといけないのか?その王族は五大公爵なんて、ただの駒としか思っていないのに。
『ですが、五大公爵が表なら我々は裏。裏の私たちがやって当然の仕事ですよ』
・・・その時の父の声は初めて聞く声で俺はとても恐ろしかった。
多分、人を殺すことを『仕事』だと言ったことも恐ろしかったのかもしれない。
我がセントクロフト伯爵家は五大公爵家を支える貴族家の中の一つだ。
国でも、王族でもなく、五大公爵家に忠誠を誓っていて、もちろん、この存在も王族には秘密にしている。
父の裏の顔は五大公爵家に忠誠を誓う貴族家を率いるリーダーで、表の顔は反五大公爵派の議員。
情報収集が主な仕事だが、カーライル公爵の夫人と子供たちを常に守っている影を育てたのもセントクロフト伯爵家だ。
『あの夜、使者として、お屋敷に行った弟から聞きましたが、ずいぶん、暴れたようですね』
『え?ああ。ダンレストン公爵家の事件が起こった夜か。書斎の壁に穴が空いたくらいだよ』
・・・穴が空いたくらいって。
『影たちも奥様やお子さんのことを心配していましたよ。王族の盾であるカーライル公爵家の令嬢が治癒魔法しか使えないとは神も酷いことをするものですね』
父は神妙に言ったのだが、すぐに笑い声が響いた。ん?
『いや、すまない。皆、心配してくれていたのに笑うのは失礼だな。しかし、私は娘が攻撃魔法も防御魔法も出来ないことは、本当に全く気にしていないんだよ』
すまないと言いながらも、カーライル公爵はまだ笑っている。・・・は?
『はあ?』
『私は世界一強いからね。娘が例え世界一弱いとしても、どうってことないさ』
はあっ?!この人、頭、大丈夫?!
『あ、あの、真面目に言ってますか?』
父は信じられないと言った様子だ。
『もちろん。第一、中途半端に攻撃魔法が出来たところで何になる?あの魔術師と同等の力を持つ敵に勝てるわけがない。敵が大人数だった場合は尚更だ。おまけに娘は何をやらかすやら、予測不能だ。だったら、最初から危険な目に遭わないよう守ってあげた方がいい。私は子供たちが生まれる前からありとあらゆる手を講じて来た。それはこの先も変わらない。私が生きている限り、娘は安全だ。そして、その後は息子が上手くやってくれるだろう』
『奥様にはその話をしていたのですか?』
『いや。影のことも息子にしか話していない。妻と娘には今後も話すつもりはない。守られていると言う安心感を与えるつもりはないからね。・・・妻は平和な日常に安心し切ってたから、ただの公爵家の人間ではないのだと、改めて思い知らせる為、気を引き締めさせる為に、娘にああ言うように頼んだんだ。事件が起こらなければ、私から話すつもりだったよ。双子には五大公爵家の一員としての自覚を持って欲しかったからね』
『貴方って人は・・・』
父は溜め息をついて、『お嬢さんは食べた物を吐くくらい苦しんでいたと言うのに・・・貴方は影が奥様にそのことを報告することも止めましたよね?』
『そう睨むなよ。それにはもちろん私も参ったが、そこで私や妻が助けたところで、何になるんだ。試練を与えた意味がないだろう。まあ、何とか乗り越えてくれて良かったよ。娘の友達のお陰だと思う。娘は恵まれているよ。ただ、娘には彼等に甘えることなく、成長していって欲しい』
・・・治癒魔法しか使えない子か・・・どんな子なんだろう?卑屈な暗い子だったりして。
すると、父が小さく笑って、
『失礼ながら、お嬢さんはやや想定外なことをされますね。あの酒樽事件は影も落ち込んでいましたよ』
カーライル公爵も笑って、
『全くだ。怪我人が出なかったのは奇跡だね。誰か軌道を変えてくれたのか?』
『いいえ。酒樽は既に影の魔法が届く範囲にはなかったらしいですから。本当に奇跡でしたよ。あんなことはもう二度とないよう祈りたいですね』
『確かに。やはり学園に入ってからが心配だな。一番、安全だと思われている学園生活の方が何があるやら分かったものではない。私が入り浸るわけにも、影を送るわけにもいかないんだからね。あの学園はともかく閉鎖的で、父兄の介入を極端に嫌う。さすがの私でもどうしようもない。・・・実は迷ったんだが、娘にあれを渡したんだよ。だが、あれは酒樽事件のような突発的な事故には向かないし』
『あれですか・・・確かに心強いでしょうが・・・』
『娘が正しい使い方をしない限り、命の危険はないだろう』
『正しい使い方を教えたのですか?』
『まさか。・・・ただ、学園の図書室にはあれの正しい使い方が記された書物があるはずだ。それを見つけるのではないかと、少し心配している』
『大丈夫ですよ。図書室は学園の奥の奥にあって、普通なら誰も寄り付きませんし、そう言った書物も図書室の奥の奥にあります。そう簡単に見つけられはしないでしょう。そう言えば、あの図書室はどういうわけか、恋愛小説がたくさんありますよね。お嬢さんはそちらに興味を示しても、古い書物には興味を持ちはしないでしょう』
『うーん。娘は恋愛小説には興味がないと思うんだが。・・・恋愛小説が多いのは何代か前の学園長のせいらしいな』
『貴方が脅していたと言う?』
カーライル公爵の笑い声が響いて、
『恋愛小説好きな学園長は女性だった。会ったこともないし、いくら私でも女性を脅すようなことはしないさ』
『では、男性の学園長は脅していたと言うことですか?』
と、父が聞くと、
『さあ。どうだろうね』
そう言って、カーライル公爵はまた笑った。何か含んだようなその低い笑い声に俺は背筋が震えた。何だか色々と恐ろしい人だな。
『国王陛下とはどうなんですか?』
『どうもこうもないな。元々が最悪だったからね。・・・まったく。私やアンバーが優れているのがそんなに気に入らないものかね。私が優秀なのはどうしようもないことなのに』
『そういうところが嫌われるのでは?』
カーライル公爵は鼻で笑って、
『配下の人間が優秀な方が自分にとっていいことだと思えないものかね?楽でいいだろうに』
『王族としての誇りから、自分が誰かより劣ることが許せなかったのでしょう』
『誇り?そんなものがあの国王にあるのか?私が5歳の時に剣術で負かしたら、剣を捨てて、殴り掛かって来やがった。おまけに背後からだぞ?7歳とは言え、王子のすることか?』
『な、何とも言えませんが、それで貴方はどうしたんですか?』
『一発で倒してやった』
『な、何てことを・・・』
『何度避けても向かって来るから、気絶させてやった方がいいと思ったんだよ』
『その後はどうなったんですか?』
『父親にはお仕置きされたが、前国王陛下は国王を叱ってたな。私は前国王陛下には気に入られていたからね。まあ、それも国王に嫌われた理由の一つだが。それにしたって、根に持ち過ぎだと思わないか?国王陛下はあんなに狭量だとこの先も心配だな。だが、そう思っていても、何も言えないからね。特に私が何を言っても、あの国王は聞きはしないだろう』
『レオンハルト殿下が退位に追い込んでくれればいいのですが』
『退位はともかく、あの方が変えてくれればと思っているよ。結局、私たちは盾でしかない。残念ながら、何かを変える力は五大公爵にはないんだよ。だが、私たちも王族の盾でありながら、王族を信用出来ない状態には限界を感じる。せめて、息子たちにはそんな思いをして欲しくない』
『ええ。分かりますよ』
『殿下は私たちの希望だ。だから、王太子になれるよう、殿下を何としても守らなければならないと思っている』
『私で出来ることがあればなんなりと』
『ああ。頼りにしているよ。今回の事件での陰の功労者は君だな。君のお陰であの魔術師をカーライル公爵領に追い込むことが出来たんだから』
『いえ。とんでもない。表の功労者である貴方が一番大変だったでしょう』
と、言いつつ、父はどこか嬉しそうだ。
『いや。表の功労者は団長の息子さんだよ』
『あの女装はなかなかの物でしたね』
そして、書斎には二人分の笑い声が響いた。
女装?なんだそれ?と、思いつつ、俺はその場を離れた。
『私は世界一強いからね』
・・・あんなことを本気で言える人間がいるとは・・・どこからあの自信が出て来るんだ?と、思いつつ、俺が服の埃を払っていると、
『こら。坊主』
『?!』
驚いた俺が振り返ると、すぐ後ろにカーライル公爵がいた。いつの間に?!
カーライル公爵は手を伸ばすと、俺の髪をぐしゃぐしゃにしてから、
『盗み聞きは良くないね。お仕置きだと父上が言っていたよ』
『う・・・』
やっぱりばれていたようだ。
『君は13、いや、14歳か。私の子供たちと同じ歳だね。学園で息子と仲良くなってくれたら嬉しいな』
『・・・』
・・・あんたの息子も怖そうだから、無理。
俺の考えを読んだのか、カーライル公爵は愉快そうに笑ってから、
『君は父上と同じように、私たち五大公爵を支えたいと思うかい?』
と、俺に問い掛けた。
『・・・五大公爵はどうでもいいけど、父を尊敬しているから、跡はちゃんと継ぎます。本来継ぐはずだった伯父さんの分も俺が頑張りたいと思います』
と、俺が答えると、カーライル公爵は目を細めて、
『いい人だったのに、残念だ。よりによって、奥さんがバドレー公爵夫人になるとは』
『・・・あんなんでも、おばさんからしたら、ましなんですよ』
と、俺は呟いた。・・・メグから余計なことはするなと言われている。おばさんは誇り高い人だ。セントクロフト伯爵家を頼ったり出来ないんだ。ほんと誇りなんて、面倒な物でしかない。
『うん?何だい?』
『あ、いえ・・・何でもないです』
俺が小さく首を振ると、
『坊主』
カーライル公爵は俺の頭を大きな手で撫でて、『セントクロフト伯爵家のお陰で、私の妻と子供たちは守られている。だから、何か困ったことがあったら、何でも言いなさい』
俺がカーライル公爵を見上げると、
『私は世界一強いんだからね』
と、カーライル公爵は盗み聞きしていた俺をからかうように言った。
『どこからその自信が来るんですか?』
俺が呆れつつ、そう聞くと、
『今までの努力の積み重ねから、確かな自信が得られたのかもしれないね。そう思い、口にすることで、自分は強いんだって、気持ちにもなれるしね。何より私には守らなければならないものがある。だから、強くなれるんだ』
『・・・前向きですね』
『まあ、そうだね』
カーライル公爵はまた愉快そうに笑って、『私が言ったこと、良く覚えているんだよ。頼ってくれていいからね』
『・・・分かりました』
俺は仕方なくそう言った。
個人的な理由で五大公爵を頼れるわけないのに。どうせ、適当なことを言ってるだけだ。
『あ、これも覚えておいてね』
『はい?』
『息子はいいけど、私の娘には近付かないようにね。君、女好きっぽいからね』
『・・・』
そりゃ、綺麗な子は大好きだけど・・・。なんて、俺が思っていると、カーライル公爵が顔をぐっと近付けて・・・。
『もし、娘に近付いたら、灰にしちゃうぞ♪』
『?!』
笑顔なのに、軽い口調なのに、目が全然笑ってない!
青くなった俺を残し、カーライル公爵は声高らかに笑いながら去って行った。
俺にとって、カーライル公爵との出会いは強烈だった。
なのに、何故、カサンドラちゃんに近付いたんだろう。




