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8話

中程から折れた木々、踏み倒された草花、煤けたり砕けたりした墓石があちこちに散乱し、所々に生々しい血の痕が残る墓地。


戦いから十数時間が過ぎ夜が明けたばかりのミニースの墓地は、早朝の澄んだ空気と言うには程遠く、散乱していたむくろこそ片付けられていたが、未だにその戦いの痕跡が色濃く残っていた。


そんな景色の中には何らかの作業をしている人影が疎らに見えるが、話し声などの音は殆ど聞こえてこず、周囲の惨状を除けば穏やかで静かな時間。

ただ、今も警備団が武器を持って建物を取り囲んでいる状況を考えると、仮初めの平穏である。


そんな中で黒髪の一人の少年、ジルが呟いた。


「・・・酷いな」


静かながらも何処かぴりぴりとした重苦しい空気を感じながら、ジルは荒れた墓地の中を見回して歩いていた。

その足取りはしっかりとしており、先程までベッド上で身動き取れなくなっていた面影は少しもない。

あれから治癒魔法によって、普通に歩けるまでに回復したのだろう。


血が滲み所々破けてしまっていた学生服はさすがに着ておらず、誰かから借りたのか黒のTシャツにくすんだような白っぽいパーカーを羽織り、だぼっとした黒のズボンを履いている。


「ここに木が立ってたはずだけど・・・跡形もないな」


記憶の中にある綺麗な景色が壊れてしまった事実に少し寂しさを覚えながら、ジルはある場所を目指して、割れて歪んだ石畳の上を少し歩き辛そうに歩く。


長いことこの場所には足を運ばなかったが、それでもその目的の場所が何処にあるのか、随分と景色が変わってしまった今でも何となく分かるから不思議である。


ジルは迷うことなく歩を進めながら、数十分前の病室での出来事を思い返す。



◆◇◆



「ーーー誘ってるんだよ、仲間に。一緒に来ないか?」

「・・・はい?」


ベッド上のジルから、隣のベッドに腰掛けているブロドに向かって気の抜けた声が漏れる。

ブロドはゆっくりと噛み砕くように、同じ内容を繰り返す。


「だから、俺達の仲間にならないかって言ってるんだよ」

「い、いや、それは分かったんですけど。何で俺なんかを?」


動揺が見てとれるジルの言動に、ブロドは焦れったそうにしながらも言葉を返す。


「お前なあ、今までの話を聞いてなかったのか?ついさっき、魔力を持たない人材が必要だろうって流れになっただろ」

「魔力を、持たない人材・・・」

「そう。まあでも俺は正直、魔力を持たない云々(うんぬん)はあまり関係ないと思ってるけどな」

「え・・・」


何処か残念そうに漏らしたジルを、ブロドは特に気にする様子もなく続ける。


「ククルーはああ言ってたが、魔力を持ってようが持ってなかろうが、あの剣が反応を示したのはお前で、それを使って戦ったのもお前だからな。ま、当のお前は覚えてないみたいだが」

「・・・えっと、それってつまり」


喜色が伺えるジルに、ブロドは小さく笑って応える。


「そういうことだ。で、どうだ?にわかには信じられないが、お前が本当に魔力を持ってないんだとしたら、そう悪い話でもないはずだが」


ジルという人間について殆ど情報を持たないブロドであったが、魔力がないということが本当なのだとしたら、今まで、そしてこれからの生きづらい生活が容易に想像できた。

さらにリブから聞いたジルの人物像からは、この町に対する少なくない閉塞感、そして外の世界に対する憧れが感じられた。

その為、悪い話ではないと言い切ることができたのだ。


ジルのその若さも手助けして、まず好感触の返答が返ってくるだろうと予測していたブロドに対して、ジルは何の言葉も返さずに、難しい顔で考え込むように少し俯く。


ブロドは意外に思いながらジルの評価を少し修正して、畳み掛けるように言葉を足した。


「無理なら無理で構わないぞ。面倒だが、その時は他の魔力無しを探すだけだ」


ジルはブロドの言葉に焦るように顔を上げると、少しだけ言い辛そうに、そしてブロドの顔色を窺うような素振りを見せながら話し始めた。


「えっと・・・お話はとてもありがたいんですけど、一つだけ、どうしても気になることがあって・・・」

「何だ?」

「その、ブロドさん達って・・・賊・・・所謂悪い人達なんですよね?」


小さく放たれたジルの言葉に、ブロドは虚をつかれたように眉を上げた。


「悪い人達?随分可愛らしい表現するんだな。俺達が悪い人達か」

「・・・何度も言わないで下さい」

「お前が言い出したんだろうが。悪い人達」


にやにやと悪戯っぽい笑みを浮かべて言うブロドに、ジルは若干睨み付けるようにして言う。


「悪い人達なのかどうかはともかく、ブロドさんが悪い大人なのは理解できました」

「俺もお前が何となくわかってきたところだ。素晴らしいな、相互理解を深めて関係を強めていこうじゃないか」

「仲間になるかどうかの回答は、まだした覚えないですけど。って言うか、早くこっちの質問に答えて下さい」


焦れったそうな語気のジルに、ブロドは悪戯っぽい笑みを一層深めたあと、一つ小さく息を吐いて言葉を発する。


「それじゃあ答えだ。何を持ってそう思ったのかは知らないが、俺達はお前の言うところの悪い人達じゃない。言葉にするなら、そうだな・・・行商人ってところだな」

「行商人?」


ある程度想像していた答えのどれとも違うその答えに、ジルは困惑顔でただ復唱した。


「ああ、この車であちこち回ってる。いいだろ?」

「・・・警備団とやりあえるぐらい強いのに、行商人?」

「強いにこしたことないだろ?それに、扱ってるのは物だけじゃない。警備団とやりあえるぐらいの強さも商品なんだよ」


そう言って不敵に笑うブロドから妙な迫力を感じたジルは、ベッド上で少し身動いで口を開く。


「聞いた感じグレーなんですけど」

「何言ってる。俺達だって仕事は選んでるさ。健全だぞ」

「警備団と戦うようなことが健全ですか?」

「ちょっと待て、大前提に間違ってる。あの戦いは意図しないもの、不可抗力だ。だいたい、仮にそんな仕事を持ちかけられたとしても、まず間違いなく断る。面倒が目に見えてるしな」

「じゃあどうして・・・?」

「さあな、こっちが知りたい。向こうがかかって来たからやむ無く反撃しただけで、戦いたくて戦った訳じゃない」


ブロドはベッドに腰掛けたまま後ろ手に体を支えて上体を仰け反らせ、視線を中空に据える。

そうして心底鬱陶しそうに話すブロドは、ジルの目からして嘘をついているようには見えなかった。


「な、何だ。そうだったんですね。でも、それじゃあどうして警備団は・・・?」

「分からない。それこそジル、お前が言ったように賊でも紛れてたんじゃないか」


上体を仰け反らせたまま興味なさ気に言ったブロドは、首を少し動かしてジルに視線を向ける。


「それで?」

「それで・・・?」


視線の合ったジルは、おうむ返しで困惑を伝えた。

ブロドは体勢を戻した後、ジルの困惑に応える。


「お前からの質問には答えた。今度は最初にした俺からの質問に答えてくれ」


ブロドはそこで一拍間を置く。


「ーーー俺達と来るか来ないか」

「・・・」


ジルはその質問に答えようと僅かに口を開き、そして閉じた。

ブロドは暫く次の言葉が出てくるのを待ったが、ジルは所在無さげに視線をさ迷わせたまま何も答えない。


やがてブロドが待ち疲れたように小さく息を吐き出すと、ジルは焦ったように顔を上げて口を開く。


「あの・・・」

「ま、すぐに答えを出せってほうが無理あるよな」


ジルの言葉を遮るようにブロドは言って、そのまま続ける。


「答えはもう少し先でいい。ただ、そんなに時間を取ってやれる訳じゃないけどな」

「・・・時間?」

「ああ、俺達は準備ができ次第ここから脱出するつもりだ。だからその時までに答えを出してくれればいい」

「脱出、ですか」


深刻そうに呟くジルを見て小さく笑みを浮かべたブロドは、そのままベッドから立ち上がった。


「心配するな。別に誘いを断ったからって、ここに置き去りにするなんてことしない」


その言葉を聞いたジルは一層深刻そうに顔を歪めたが、すぐに悪戯が成功したような笑みを浮かべるブロドに気付くと、その笑みの理由に察しがついたのか、僅かな間を空けて鋭くブロドを睨み付けた。


「わざわざ言葉にして頂いて・・・本当、悪い大人ですね」

「悪い悪い。ただ、今の言葉に嘘はない。だからしっかり考えて、自分で答えを出してこいよ」


ブロドはそう言いながら踵を返して、部屋の出口へと歩き始めた。

そんなブロドの背中を見詰めていたジルは、やがて思い出したかのように、若干言いたくなさそうに声を出す。


「あ、あの・・・ありがとうございました」

「・・・じきに先生、腕の良いうちの治癒魔法使いが来るだろうから治してもらえ。その後は・・・特にないな。好きにしてていいぞ」


振り返ることなく告げたブロドは、肩越しに小さく手を上げてひらひらと振り、そのまま部屋を出ていった。


「・・・」


暫くの間ブロドが出ていった扉を見つめていたジルだったが、やがて自身の手元に視線を落とした。

何かを確かめるようにゆっくりと掌を握り、そして開く。

何度かそれを繰り返したジルは、自嘲的な笑みを口元に浮かべて言う。


「何やってんだよ、おれ」


その後時間にしてほんの数秒の間、ジルは身動ぎ一つすることなく沈黙していた。

やがてゆっくりと顔を上げたジルは、何を思ったのかベッドから立ち上がろうと体を動かし、そして当然の如く苦悶の声を上げたのだった。



◆◇◆



「っ・・・」


その時の痛みを思い出したのか、僅かに顔をしかめたジルは、無意識にか腰のあたりを小さく擦った。


あれから自分一人しかいない病室で断続的な苦悶の声を上げること数分後、来ると聞いていた治癒魔法使い、ヤノックと名乗った男性が病室を訪れ、呆れられながらも治してもらったのだ。


ジルは町に数人程いる治癒魔法使いしか測るものさしを持っていないが、少なくともその町にいる治癒魔法使い達よりは、ヤノックの腕は良かったように思う。


魔力()無しとして生きてきた上で度々お世話になることがあった治癒魔法使いであるが、ここまで早く治してくれた例は初めてである。


ジルがその身を持って経験したことがあるのは、段階を踏んで徐々に治していくというそこそこ時間のかかる方法なのだが、今回はそれを殆どすっ飛ばして完治となった。

その際に専門的なことを何やら熱心に説明していたが、難しく理解できるとも思わなかったので聞き流していた。


こうして普段通りに歩けている。

自分にとって重要なのは、その部分だけである。ジルは静かな墓地の中を進みながらそんなことを考えていた。


「・・・」


自分の歩く足音だけが、妙に大きくジルの耳に届いていた。


荒れた墓地の中は相変わらず音が少なく、割れた石畳をジルが踏みしめる音がむなしく響いているだけだったが、やがてその音も唐突に途切れてしまう。


当然の如く、ジルが歩みを止めた為である。

その理由として考えられるものは幾つかあるが、今回は単純に目的の場所にたどり着いたからであろう。

ジルは一つの墓石の前に立ち止まっていた。


隣り合った右手の物を見れば、墓石がその台座ごと粉々に砕けており、左にいたっては何かによって深く抉られたのか、文字通り跡形も無く、剥き出しの茶色い地面が見えている。


そんな周囲の物と比べれば随分とましな形を保っている、ジルの前にあるその墓石。とは言っても、台座には大きな亀裂が幾つも走っており、墓石本体は所々が欠けてしまっている上に大小様々な無数の傷のせいで、そこに刻まれているのだろう何者かの名前を読み取ることがほぼ不可能になってしまっている。

が、しかし


ーーードル・バケット


ジルにはそこに刻まれている名前を読み取ることが出来た。

それは何もジルに特別な才能が有るというわけではなく、最初からその名前が刻まれていることを知っていたからである。


ジルにとって、それは懐かしい名前。

今となっては全くと言っていい程に聞くことが無くなり、口にすることが無くなり、目にすることが無くなった名前。父親の名前である。


ジルは一歩前に進み出て墓石の前にしゃがみ込み、傷だらけのその表面を指先で一つ撫でる。


予想以上にざらざらとした感触。

砂埃が着いていたのか、指の軌跡がうっすらと表れる。


「何でだろ・・・」


無意識に口から漏れでたのは、疑問の言葉。

そこにはジルの内にある思いが込められていた。

なぜ先程病室で、ブロドの問いに答えられなかったのかということ。

自分自身でも明確な答えを持っていないその事柄を、少し考えてみる。


ブロドの誘い。それはつまり、自分の願いであったこの町を出ることの実現である。

ずっと願っていたものが運良く手元に転がり込んできたにも関わらず、しかし自分は答えられなかったのだ。


いきなり過ぎて戸惑ってしまったと言えれば良かったのだが、こうして落ち着いて考えられる今でも、『はい』か『いいえ』かではっきりと答えることは出来そうにない。


自分では、深く考えすぎてしまうのが原因だと思う。優柔不断という言葉でも例えられるだろう。

目前の問題に対して確りと考えてから答えを出す。それ自体は良い習慣だと思うし、殆どの人が無意識の内に同じような作業を行っているだろうが、あの場で『お願いします』と深く考えることなく即答出来る性格であれば、どれだけ楽だろうかとも思う。


しかし、そう思ったところでそんな思いきりの良さは自分には無い。

どちらか一方だけを取るということが出来ない人間なのだ。

ブロド達に着いて行ってこの町を出たいとは思うが、今回みたいな騒動にまた巻き込まれるのは怖いし、着いて行ったは良いものの、自分が思っているものとは大きく違う生活が待っているかもしれない。それならば、この町でこのまま平穏に暮らしているほうがましだと思ってしまう。


つまり現状を手放したくはないが、ブロド達に着いて行ってもみたいという、どう足掻いても実現不可能な方法を求めているのだ。


考えないようにしているだけで、自覚はしている。

夢の実現の為に危険を冒すだけの覚悟が、自分には決定的に足りていないのだ。


薄っぺらい。

いつか誰かに言われた言葉が頭をよぎる。

そんな時、


「・・・こんな所にいた」


誰に向けてなのか、声が放たれた。

それはジルの背後から発声されたもので、ジルにとっては聞き覚えのある声。


記憶にあるものと変わらないその声が聞こえたことで、ジルの中に喜び、安堵といった感情と共に、その相手と顔を会わせたくないという思いが生まれた。今の自分が酷く恥ずかしく思えたのだ。


「リブ・・・」


ジルは己の一方の思いを黙殺して、立ち上がりざまに背後を振り返る。

そこに居たのは声に出した通り、リブという一人の女の子だった。


女の子にしてはという注釈がつく短めの透き通るような白亜の髪、大きな翡翠色の瞳からは、相変わらずあまり感情というものが感じられない。

ジルは気を失う前と変わらないその姿を視界に捉えた後に、ホッと短く息を吐き出し一言。


「良かった、無事だったんだ」

「・・・?私は全然平気だったけど・・・」

「そういや、そうだったらしいね」


仄かに苦笑を浮かべるジルに、リブは語気に僅かに心配そうなものを含ませて言う。


「それよりジルの方こそ、動いて大丈夫なの?治ったばかりでまだ本調子じゃないんじゃ・・・」

「大丈夫。ヤノックさんに完璧に治してもらったから」

「ヤノックに?なら取りあえず安心は出来るけど、でもやっぱり、まだあんまり動かないほうがいいよ。あんなに凄かったんだから」


言いながら近づいてくるリブに、ジルは僅かに首を傾げる。


「凄かった?」

「ああ、そう言えば覚えてないんだっけ。ジルがタイタンを倒したんだよ」


リブの口からさらりと出てきた言葉に、ジルは固まってしまった。


あの病室でもブロドに言われたのを思い出す。

自分がタイタンを倒したという、とても信じられない話。

あの時はからかわれているのだろうと一笑に付したが、からかうような性格でもなさそうなリブも、たった今同じことを言った。

加えて自分には、その時の記憶が抜け落ちている。覚えていないのだから、リブ達の言う言葉が嘘であるとも言い切れないのではないか。


そう考えたジルであったが、しかし今の自分の状態を思い出して考えを改める。


タイタンを倒す程の力。

本当に自分にそれだけの力があるのなら、それを多少なりとも自覚できるはずである。

しかし今の自分はいつもと何も変わらない、何の力も持たない非力な存在のままだ。


ジルがそんなことを考えていると、固まっているジルを不思議に思ったのか、リブが首を傾げる。

しかしそれ以上気にしないことにしたのか、はたまた割とどうでもよかったのかは分からないが、リブは周囲へと気のない視線を向けながらジルに近づいて行った。


「・・・それで、ここは?」


ジルの少し後で立ち止まったリブが言う。

ジルは一瞬だけどう答えようか迷い、結局は正直に答えることにした。


「俺の父さんの、お墓」

「そっか。それは・・・」


リブはジルの背後の墓石にちらりと視線を向けた後、表情を変えることなくジルに視線を戻した。


「残念だったね。壊れちゃってる」


言葉と態度が全く噛み合っていない。

ジルはそんなリブの様子が何処が可笑しく、小さく笑ってしまった。

何故笑われたのか分からないというふうに頭に疑問符を浮かべるリブに気づいて、ジルは誤魔化すように咳払いをしてから話し始める。


「いや、まあ残念でもないよ」

「どうして?」

「墓って言っても形だけだしね、ここに何かあるわけじゃないから。思い入れも特に、ね」

「ふーん。それじゃあ、何でここに来たの?」

「それは・・・何でだろ」


言葉に詰まったジルは、誤魔化すような愛想笑いをした。

そんなジルに対して、リブは不思議そうに小首を傾げる。


「分からないの?自分のことなのに」

「情けないけど、そうみたい」

「そうなんだ。変だね」

「うん。ほんとに変だ」


ジルは疲れたように息を吐き出し、頭部を擦る。


「色々ありすぎて、正直訳が分からなくなってる」

「色々?」

「警備団だったり、タイタンだったり、人の死体だって初めて見た。ブロドさんには仲間に誘われるし、何故か体がめちゃくちゃ痛かったし、俺がタイタンを倒したとか訳わかんねえし・・・」


流れるように言葉を吐き出しながら、ジルは思う。

変化を待ち望んでいたし、平凡な日常から抜け出したいとは考えていた。それは事実だ。


でも自分が欲しかったのは、ずっと求めてやまなかったものは、違うのだ。

こんな過激な変化ではない。

怖くて痛くて、人が平気で死ぬような非日常ではない。


分かっている。そんな考えが浮かんでくるのは、自分の考えが甘かったからだ。

リブの背中を追い掛けようとして一歩を踏み出した、夕暮れのあの時、こんな世界が待っているかもと想像力を働かせなかった自分の責任だ。


しかし、それも仕方がなかったと擁護できる部分もまた存在している。

何故ならそんな想像が出来るほど、自分は世界を知らない。知ろうとした結果が今なのだ。


自分の知らない非日常を予感して、何かを期待して、あの時リブを追い掛けた結果。

絵に描いたような平凡なこの町しか知らない自分では想像もつかない、あんな血生臭い世界が割と身近にあるのだと知って、夢であった外の世界に対して尻込みしてしまっているのが現状だ。


「こんなはずじゃ・・・」


消え入るようなジルの言葉が不明瞭に耳に届いたのか、リブは僅かに眉を潜めたが、反応としてはそれだけであった。

リブは別の事柄を言葉に乗せる。


「ブロドに誘われたの?」


ジルは思考の渦から戻ってきたのか、小さく息を吐いてから、少し恥ずかしそうに顔を背けて答える。


「うん。まあ・・・一緒に来ないかって」

「何て答えたの?」

「まだ答えてないけど・・・その、さ、ブロドさんから何か聞いたりした?」

「何かって?」

「いや、聞いてないならいいよ」


リブの反応から自分が魔力無しだと知られていないのだと分かって、ジルは表情にこそ出さないが安堵する。が、しかし、それからすぐに何かを思い直したのか、掌を握り締め唇を一度強く引き結ぶと、リブに正面から向き直った。


「・・・いや、やっぱり・・・聞いて欲しい」

「ん?」

「俺はさ、その、皆とは違うんだ。リブが、他の皆が当たり前のように持っているものを、俺だけが持ってない」

「・・・それは?」


逃げること、誤魔化すことを許さないとでも言うように、自分だけを映す翡翠の瞳がそこにはあった。

ただ元よりジルは、一度言葉にし出したものを引っ込めるつもりはなかった。

それを知ったリブがどう反応するのか。それが知りたかったのだ。


それは無意識の内に、ブロドの質問に対する答えを外部からの情報、意見によって求めようとするジルの心の表れ。

ジルは視線を僅かに落として口を開く。


「俺には魔力が無い。変な意味とかじゃなくて、本当の意味で魔力が無いんだ。だから当然、魔法はいっさい使えないし、普段の生活でも困ることばっかり・・・言わば能無しだ」


ジルの告白を、リブは表情を変えることなく黙って聞いている。


「よく分かんないんだけど、そんな俺をブロドさんは仲間に誘ってくれた。凄く嬉しかったけど、でも、同時に怖くもあった。失望させてしまうんじゃないかって」


嘘だ。

本当は、自分が使えない人間だと自覚してしまうのが、自分自身に失望してしまうのが怖いのだ。


「俺、どうしたら・・・っ」


こんなことをリブに聞くこと自体間違っている。

でもこの答えを聞ければ、宙ぶらりんな現状から決心が出来そうな気がするのだ。


軽蔑するのか、嘲笑するのか、罵倒するのか、リブの反応としてはどれもあまり想像が出来ないが、恐らくそんな様な反応だろう。

リブが目に見えて拒否を見せてくれれば、自分は諦められる。仕方がないと誤魔化せる。


最低だ。

嫌だというなら仕方がないとリブを理由にして、逃げ道を作って、腑甲斐ふがい無い自分を誤魔化す気なのだ。


ジルは視線を戻してリブを見る。


「・・・っ!」


そこにあったのは、先程までと何も変わらないジルだけを映す翡翠の瞳。

何をするでもなく、ただ真っ直ぐにジルを見詰めるリブは、ゆっくりとその口を開いた。


「・・・ジルの為を思うなら、私は断ったほうがいいと思う」


ああ、やっぱりかと、一瞬でも期待した自分が馬鹿だったと、ジルはリブから目を反らした。

リブは構わずに言葉を続ける。


「最初に会った時も同じようなこと言ったと思うけど、この町はジルが思ってるより良いところだと思う。今回はこんなことがあったけど、でもそれって、例外みたいなものでしょ?だから私達と一緒に来るよりは、ここで平和に暮らしていたほうが、ジルの為だと私は思う・・・」


(・・・要は一緒にいたくないってことだろ)


顔を背けたまま聞いていたジルは、言い終えたであろうリブに愛想笑いを浮かべようとして、続けて放たれたリブの声に遮られた。


「でも、私個人としては・・・一緒に来て欲しい」


その声は、妙に響いてジルには聞こえた。

ぽかんとしたまま固まっているジル。

少し遅れてその言葉の意味を頭が理解してくると、胸に何か熱いものが込み上げてくる。


そんなジルの心情に気付く様子もなく、リブはジルの顔を見つめて自身の右手をジルに向かって差し出した。


「今回みたいに辛い目に会うかもしれない、嫌なものを見るかもしれない、一緒に来たことを後悔するかもしれない。それでも私は君に、ジルに一緒に来て欲しいと思ってる・・・どうしてそう思うのかは分からないけど」


考えるように少し俯くリブ。

ジルは差し出されたリブの右手に視線を落としていた。


「・・・」


女の子にこんなことを言われたのは、はっきり言って初めてである。

そしてそれ以前に、誰かにこんなふうに必要とされたのは初めてだった。


ジルは思う。

自分はこんなにも単純な人間だったのかと。

ただ、悪い気分ではない。


それまでの葛藤など初めから無かったかのように、ジルの心は決まった。


確かにリブの言うように、自分は後悔するかもしれない。

今のこの決断が失敗だったと思う日が、いつの日か来るかもしれない。


だがそれが何だ。

失敗なら慣れている。失敗だったと気付くまでに費やす時間が無駄になると言うのなら、自分はこの町でどれだけの時間を無駄に消費したと言うのだ。その消費してきた時間と比べたら、この失敗かもしれない選択はきっと有意義である。そう結論した。


と言うより本当ところ、一緒に来て欲しいという言葉だけで、他に理由なんていらない。


目の前にいる女の子の力になってあげたいと、強く思う自分がいる。

この一瞬だけかもしれないが、その気持ちは他の全てを無視できる程に強かった。


だからジルはごくりと大きく唾を呑み込み、ぎゅっと拳を固く握り締め、勢い良く顔を上げた。

その動きに気がついたのか、俯いていたリブも釣られるようにして顔を上げる。


真っ直ぐに自分を見詰めるジルを不思議に思ったのか、小首を傾げたリブの差し出されたままであった右手を、ジルは両手で確りと握り締めた。


(・・・や、やわらかい・・・っ)


柔らかかった。

ジルの頬が赤く染まる。

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