5話
タイタンによって振り上げられた巨大な槍は、言うまでもなく、何の前触れもなくジルに向かって降り下ろされた。
それは道端の小石を意味もなく蹴飛ばす子供のように、搭乗者のイメージを忠実に再現したためか、無機物で構成された自我を持たないはずのタイタンの挙動からは、そんな気まぐれが感じられた。
気まぐれであったとしても死に直結する、理不尽な暴力の塊が、ジルの頭上に迫る。
避けようと必死に動けば避けられるかもしれないそれを、しかしジルは見ていることしか出来なかった。
ただ、自分の置かれている状況がどういうものなのか、そこだけは理解していた。
自分はこれから死ぬのだ。
大した意味もなくそこらに転がっているのだろう死体と同じように、その生命活動を終わらせる。
ただそれだけのこと。
だから足は震えていないし、心臓の鼓動も平常運転。
びっくりするくらい、今の自分は落ち着いている。
数秒後に訪れる最悪であるはずの未来を受け入れていた。
意味もなく引き伸ばされていく時間の中、ジルは考える。
自分がここで死ぬことに、いったいどれ程の意味があるのだろう。考え得る限り、その答えは空白だ。何の意味もない。
十五年前に『能無し』として生まれて、家族に助けて貰いながら過ごして、父さんに憧れて、身の丈に合わない夢を抱いて、儘ならなくて、それでもその意志だけはと頑張って来たけれど、結局は逃げてしまってーーージル・バケットという人間は、まだ何も成していない。
急に、怖くなった。
目前に迫ってきている巨大な槍にぺちゃんこに潰されるという未来よりも、自分が何も成しておらず、何も残していないという事実が怖くなった
塞き止められていたものが溢れだすかのように、その思いは奔流となってジルの体を駆け巡る。
その瞬間。ジルの思いに呼応するかのように、一つの影がジルの前に躍り出た。
影は自身の倍以上もあるタイタンの槍を、一本の剣で受け止める。
衝撃を吸収するように腰を落とした影の足元に無数の亀裂が走り、そのまま影は数センチほど陥没。
影から微かな呻き声が聞こえると、強い風圧がジルの身を叩いた。
思わず閉じてしまった瞼をゆっくりと開くと、目の前では黒く綺麗な長髪が、先程の風圧の余波を受けて揺れ動いていた。
重力に従いだんだんと振れ幅が落ち着いていく様をじっと見ていると、切羽詰ったような余裕のない声がジルの耳に届く。
「馬鹿か君はっ!?死にたいのか!?」
どこかで聞いたことのある声・・・それもつい最近だ。
記憶を辿り、数瞬の後に答えを見つける。
声の主は確か、ギムレットとかいう女性である。
突然現実に引き戻されたかのように、ジルは現状を再認識し始める。
手があり、足がある。
思い出したかのように体が、意識が覚醒していく。
心臓がうるさいくらいに動き出す。急激に寒気がして鳥肌が立ち、ひやりとした嫌な汗が背中を伝う。が、それでも生きている。
その事実に安堵できている自分に何処か安心するも、すぐに数秒前の光景を思い出し、ジルは顔を青ざめさせる。
「リ、リブが・・・」
「あのくらいでっ・・・あの娘は死なない。障壁も展開できていたっ・・・いいから早く退けっ」
ジルの震える呟きに、ギムレットが苦しそうにしながらも応える。
その言葉にジルは期待、と言うよりは縋るような目をギムレットに向けた。
視線を向けられたギムレットは、しかし受け止めている巨大な槍から全く視線を外さない。と言うより、その余裕もないのだろう。
整っているその顔は苦痛に歪んでおり、ぎりぎり、みしみしと軋むような音が、ギムレットの呻き声の中に混じって聞こえる。
当然だ。
驚く暇もなかったが、ジルの目の前には馬鹿みたいな光景が広がっている。
タイタンが振るったこの巨体な槍を、倍以上も小さな一人の人間が受け止めているのだ。
そう、受け止めている。
ジルはそこでハッと気が付いたように体を揺らす。
今この瞬間自分が生きていられるのは、目の前にいるギムレットがタイタンの槍を受け止めてくれているからであることに気が付いたのだ。
ジルは反射的に逃げ出そうとするが、しかし腰が抜けているのか、立ち上がろうとしても上手くいかない。
「ちっ・・・!」
振り向かないまま気配でそれを察したギムレットは、苛立たしげに舌打ちを一つすると、眼前の敵を鋭く見据える。
(何でこんなものがここにっ)
心の中で悪態をつき、ギムレットは思考を加速させる。
この目障りなでかいのはタイタン。
全高十数メートルの金属の巨人。
動力は魔力で、人間が搭乗して操る人形兵器だ。
灰色の逞しいフォルム。長い足に力強い両腕。魔力で鍛えられた丸みを帯びた堅牢な装甲。搭乗者の魔力を介してそのイメージ通りに動くため、効率を考えての人形。故に大きい割りにとても敏捷で、様々な武器を器用に使うことができる。
先の戦争でその有用さを証明し、両国が競うように開発を進めたのだ。
その外見からスマートで格好いいという感想を持つ者が多くいる上にコアなマニアも多くいるが、以前に何度か現状と同じように対峙したことのあるギムレットにとっては、不条理な暴力の顕現とも言える忌むべき存在であった。
しかし、とんでもない戦力ではあるが、タイタンの内部フレームに使われている素材がとても希少であるため、国内だけでなく世界的に見ても、生産台数はそれほど多くない。
故に言うまでもなく、とても高価な兵器である。
だから失念していた。警備団がこれを投入してくる可能性を、失念していたのだ。
そもそも、こんな田舎町での小競合いにタイタンを投入してくるなど、考えられる人間のほうが少ないだろう。
相手方にとっては、それだけこの戦いが重要ということだろうか。
相手は誰一人ここから生かして出す気のないであろう警備団だ。そう考えると、このタイタンの存在も多少は納得できる。
『ギシ・・・ッ』
身体強化を施した腕から、軋むような音が聞こえる。
ギムレットは歯を食い縛り、気合いを入れ直す。
この存在に対抗できるだけの策を、こちらは何も用意していない。
しかも奴はご丁寧に、こちらの逃げ道を最初に封じた。
壁をぶち破るなりすれば、車でも脱出することはできるかもしれない。
がしかし、本調子ではない車ではあまり速度は出せないので、いずれ追い付かれることになるだろう。
ここでタイタンを破壊、もしくは追いかけてこれない程度のダメージを与えなければ、ここから脱出出来たとしても私達にそれより先はない。
(できるのか・・・私に?)
ギムレットは知っている。
誰よりもよく分かっている。
一撃を受け止めているだけの現状でさえギリギリなのだ、自分にそれ程の力はない。
だから数秒の逡巡。そして決断。
勝てないのかもしれないが、それでもやるしか、戦うしかない。
だがその決断の中には、タイタンを破壊するという意図はない。
あくまで時間を稼ぐ為に戦うのである。
今のところ、タイタンによる犠牲者はいない。
もろ手を挙げて喜べはしないが、このタイタンは私に注意を向けている。
このまま引き付けることぐらいなら出来るかもしれない。
最初のあの攻撃なら心配ないだろう。
あの娘は強い子だ。
槍が接触する直前、自分との間に魔法障壁を発動させていた。
まぁそれを突き破られて吹っ飛ばされた訳なのだが、それでも見た目以上に威力は落ちていたはず。
あの程度では何ともないだろう。
そんな確信の元に視線だけを横に向けると、数十メートル離れた所に、砕けた墓石に背中を預けたリブがいた。
服は所々小さく破れているが、流血は見られない。
むくりと顔を上げこちらを確認すると、感情のあまり出ないその顔を注意深く見ないと分からないぐらいに険しくし、タイタンに向かって行くため体を起こした。
(待て・・・っく!?)
ギムレットがそれを視線で制するのとほぼ同時に、受け止めている槍から伝わるタイタンの力が強まった。
何とか持ち堪えている自分を押しつぶすために、搭乗者が魔力の量を上げたのだろう。
技でも何でもない、単純で理不尽な剛力。
それだけで、ギムレットの意識はタイタンへと強引に引き戻された。
「ば・・・か・・・力があぁぁああっ!」
気合いを入れ、襲い掛かる力に体を対応をさせる。
魔力を思い切り捻り出し、それを練って体に流す。
少し押し込まれはしたが何とか体勢を持ち直したギムレットは、隠すつもりもない敵意を持って鋭くタイタンを見上げる。すると、感情というものを持ち合わせていないはずの二つ目からは、どこか怒りのようなものが感じられた。
(・・・ふむ。なるほど)
額に冷たい汗を感じながら、ギムレットはそれでもにやりと口角をあげた。
今の攻防で何となく察しがついたのだ。
これを操っている搭乗者は経験の少ない・・・言ってしまえば素人だろう。
タイタンは単純な力だけで脅威となりうるが、一番の強みはそこではない。
人形である為に可能な、立体的な動きである。
人体で実現可能な動き、時にはそれ以上のことまで可能な性能を持っているタイタンのはずが、目の前のこいつは力押しだけしかしてこなかった。
これは、まだタイタンを操るのに慣れていない者によくある傾向だ。
先述した通り、性能的には確かに色々な動きが可能であるが、それを行うにはそれなりの経験、スキルが必要なのがタイタンという兵器である。
したがって、それらを有してしない経験に劣る者達は、単純にその剛力に頼りがちになるのだ。
(とは言っても・・・)
生身の人間にとっては、単純なその力だけでも脅威になることは変わらない。
今はこうして耐えられているが、そう長くは続かないだろう。
タイタンの全力はこんなものではない。こちらを侮って、まだ出し惜しみしてくれている。
全力を出される前に、この状態から抜け出さなくてはいけない。
操る者が未熟であろうとも、それがタイタンであるというだけで、こちらの勝ち筋がほぼ無くなってしまい、逃げの一手しか選択できないのだ。
(が、それでいいっ)
元々これに勝とう等とは考えていない。
注意を引き付け、なるべく時間を稼げればいいのだ。
それなら自分にもやりようはある。
結論したギムレットは、自身の一連の思考の間にも目立った動きを見せない背後のジルに叫ぶ。
「動けっ!少年!」
「・・・っ」
そんな簡潔で分かりやすい叱咤を受けたジルは、しかし体を震わせるだけでその場から動けない。
ギムレットは心中で嘆息するも、一度瞑目してすぐに思考を切り替えた。
あのリブが珍しく気にかけている様子の少年であるが、思えば田舎町に住んでいるただの学生である。
こんな状況の中で、まともに動いてくれというほうが無理があるのかもしれない。
だから、
ーーーやむを得ない。
人によっては冷酷ともとれる選択をしたギムレット。
それに従って体を動かそうとした瞬間、男の声がギムレットの鼓膜を叩き、その動きを中断させた。
ギムレットにとっては、普段からよく聞き知った声。
「ギムレット!」
「ブロド隊長っ!」
声のしたほうを向くことが出来なくとも、ギムレットは声の主を確信した。
少しだけ表情が明るくなったギムレットだったが、それも一瞬、すぐに表情を鋭く改めた。
視界の端で、タイタンの周囲数箇所の地面が隆起していくのを認識したからである。
それは、明らかに魔法によるものだった。
数は見えるだけで四ヶ所。
力強く、見事なまでのその堅実な魔力行使は、術者の性格をよく表しているようで、故にギムレットにはその魔法がどんな現象を起こす物なのかが手に取るように分かった。
その魔法によって数秒後に行き着く未来の状況と、その際に自分がどう動くべきなのかを頭の中で整理し、結論を出して、ギムレットはその時を待つ。
隆起した地面はやがて土色の蛇のようにうねりをあげ、タイタンの四肢、そして武器である槍へと絡み付き、拘束する。
一つ一つが人の胴ほどの太さがある五本のそれに動きを封じられたタイタンは、搭乗者の魔力から送られてくるイメージを再現してか、狼狽して視線をさまよわせる人間のように首を左右に回した。
目の前にいるのが無機物で構成された命のない兵器であることを忘れてしまいそうなその行動に、ギムレットはやはり経験の少ない搭乗者であると、意識の端で結論する。
それと平行して、槍から伝わる圧力が弱くなったのをしっかりと確認すると、ギムレットは後ろへ軽く跳躍。
尻餅をついたままのジルの隣へ着地すると、何も言わずにジルの上着の襟を乱暴に掴み上げ、そのまま後ろへと投げ飛ばした。
「ちょ、ちょっ・・・!」
投げ飛ばされる瞬間ジルが何かを言いかけたが、ギムレットはそれを完全に無視する。
言いかけたのは、どうせ感謝の言葉であろうと推測したからである。
平時ならともかく、今はそんなことに構ってはいられない。
そのままジルが固い地面に身を打ち付けるのを見届けようとする素振りもなく、ギムレットはタイタンへと向き直りつつ周囲に目を走らせた。
数十メートル先に、目的の人物を確認する。
浅黒い肌。ブラウンの髪の毛。間違いなくブロド・ミリガン隊長である。
そのブロドと一瞬だけ目が合うも、ギムレットは流れるような動きを止めずにタイタンへと向き直り、愛用の片刃剣を腰だめに構える。
そして迷わず魔法を発動。
瞼を閉じて小さく息を吐き、そして止める。集中する。
得意である風の魔法を、可能な限り構えた剣に纏わせる。
視線の先ではタイタンが土の拘束を力ずくで振り解き、真っ直ぐに二つ目をギムレットへ向けた。
槍を両手で構え、ギムレットに向けて鋭い突きを繰り出す。
それはギムレットが最初に受け止めた気まぐれのような攻撃ではなく、明確な殺意を乗せた一つの暴力。
死に直結することを否応なく確信させるその攻撃を前にして、しかしギムレットは微動だにしない。
何かに憑かれたように淡々と魔法の発動を続けて、いまやギムレット愛用の片刃剣の刀身の周りは、風の魔法で歪んで見えている。が、やはりギムレットは動かない。
ギムレットと槍の先端の間が残り数メートルとなったところで、突如『ガゴッ!!』という鈍い音が響き、タイタンの体勢がわずかに崩れた。
見ると、タイタンの頭頂部をアームズが魔力を込めた拳で殴り付けていたのだ。
タイタンは"搭乗者の身体の延長線"という構想のもとにあるため、その構造は人体と似通ったところが多い。
故にあらゆる状況にも柔軟に対応できるのであり、それが強みではあるのだが、その質は所詮搭乗者の技量に左右される為、場合によっては弱味にもなりえる。
今回のことを言うならば、タイタンの搭乗者は頭上という死角に移動していたアームズに気づかず、突き出した槍に体重が乗った状態のところで上から攻撃を入れられ、ほんの少しだけ体勢を崩してしまった、といったところだろう。
しかし、タイタンにとってのほんの少しは、一回りも二回りも体の小さい人間の間隔では大きな影響を与える。
迫り来るタイタンの槍は元の軌道からずらされギムレットのすぐ右側を通過し、大きな音をたてて後方の地面に突き刺さった。
風圧がギムレットの長い黒髪を揺らし、衝撃により飛び散った小石がギムレットの右頬を小さく切り裂いた。
その顛末に動揺した様子もなく、構えた姿勢から眉一つ動かさなかったギムレットの頬を一筋の朱が伝い、シャープな顎の先から地面に滴り落ちる。
その刹那、ギムレットは瞼を開き、その腕が常人では視認できない程の速度で鋭く稼動した。
逆袈裟斬りに振られた剣先が音の世界を飛び越え、ギムレットの魔法により生成された高密度の風の剣撃が飛んでいく。
目標は、無防備にさらけ出されたタイタンの胸部。
丸みを帯びたその装甲に向かって、透明な風の刃が飛んでいく。
『ギイィィイン!!』
金属同士が激しくぶつかり合ったような甲高い音が響く。
タイタンの片方の手が槍の柄から離れ、その巨躯が小さく後ろに仰け反った。
若干息を荒げながらも、ギムレットは緊張の糸を切らさずにタイタンの挙動を注視ずる。
今の攻撃は、溜めの時間が充分ではなく、大技とは言えない威力の攻撃であったが、それでもあの短時間で出来るギムレットの全力である。
しかしそれをもろに受けたはずのタイタンは、胸部装甲に小さな刀傷を穿ってはいたが、それ以上の損傷は確認できなかった。
「・・・相変わらず自信を無くすな。これは・・・」
諦めにも似た言葉を吐き、ギムレットは苦々しげに歯噛みする。
元より分かっていたことだが、明らかに火力不足。
タイタンは自身の損傷を確認するかのように幾ばくかの時間をおいてから、片方の手で地面に突き刺さったままの槍をギムレットに向かって横凪ぎに引き抜いた。
その行動を予想していたギムレットは、大きく後ろに跳んで苦もなく回避する。
「すまないギムレット。少し遅れたな」
そんなギムレットに、ブロドが小走りに近づいてきた。
様子見するように動かないタイタンに気を配りつつ、ギムレットは鋭い表情を無意識に緩めてそちらに顔を向ける。
先程は一瞬で気がつかなかったが、何故かブロドは左手にトランクケースのような物を持っていた。
どこまでも黒く、純黒と表すに相応しいそれには装飾が一切なく、蝶番すらもない。
開くのかもどうかも分からないそれにはただ取っ手がついていて、そこだけが唯一、これがトランクケースなのではないかと思わせる所以であった。
ギムレットはそのトランクケースのような物を見たことがあった。
それは、もしかしたら強力な武器となりえるかもしれない代物ではあったが、しかし現状では何の役にも立たないはずの物。
タイタンの登場という危機的な状況であるにも関わらず、どうしてブロドが荷物にしかならないそんな物を持っているのか。ギムレットはそう疑問を感じずにはいられなかった。
「ブロド隊長。その、どうしてそれが?」
「ん?ああ、まぁ色々とあってな・・・。それよりも、なんだこれは?トランからある程度の状況は聞いたが、ここにいないはずのリブがいる上に、タイタンなんて聞いてないぞ」
ギムレットは黒いトランクケースから視線を外すと共に、トランがしっかりと仕事をしていたという安堵を胸の奥にしまった。
今は目の前にいる敵に集中しよう。
ギムレットは苦笑いしながら剣を構え直し、顔をしかめているブロドに言葉を返す。
「愚痴ったところで事実は変わりません。ということで、少しばかりの重労働です」
「・・・よし、腹を括るか」
腹を括ると言うよりはどこか諦めたような小さいため息をついたブロドは、持っていたトランクケースを少し離れた場所からこちらを見ているリブに向かって放り投げた。
トランクケースはリブの少し前に落ちて、それに一度視線を向けたリブが怪訝な顔でブロドの方を見る。
「車に戻ってろ!」
ブロドは車の停まっている方向を指差し叫ぶと、有無を言わせぬようにリブから視線を切ってタイタンを睨んだ。
「行きますよ」
ギムレットの声を合図にして、二人はタイタンへと向かって走り出した。
◆◇◆
白い髪の少女リブは、乱れた前髪を指で横に退けながら、二人の仲間がタイタンへと向かって走り出したのを確認すると、指示された通り前に落ちている純黒のトランクケースへと近づいていった。
先程タイタンの攻撃をもらってしまったが、咄嗟に発動させた魔法障壁によりダメージ自体はそれほどでもない。
まぁそれでも多少の痛みはあるのだが、こうして普通に動けるのなら問題はないな。と、リブは自己診断した。
リブは周りに気を配りながら移動する。
見たところ、警備団と仲間を含めて、動いている者は近くにいない。
警備団側は前から知っていたのだろうが、タイタンの突然の登場により、その戦いの巻き添えになるのは嫌だと無意識、もしくは故意で離れたのかもしれない。
そのおかげでこうして敵に絡まれることもなく動けるのではあるが、正直に言えば、仲間の一人や二人は近くにいて欲しかったと思う。
ブロドとギムレットの二人が強いのは知っているが、それでもタイタンを破壊するのは難しいだろう。と言うより無理だ。
二人は無理をせずに時間稼ぎの為だけの戦いと考えているのかもしれないが、それでも少し心配になる。
「・・・」
自分が加勢に行こうかという考えが一瞬頭をよぎるが、ギムレットには止められたし、ブロドにはあのトランクケースを持って下がれと言われたのだ。
少しだけ考え、リブは小さく頭を振る。
やはり言われた通りに動くことにしようと結論すると同時に、リブはトランクケースの元にたどり着いた。
装飾らしきものが一切ない黒いそれから不自然に生えている取っ手を掴んで、持ち上げる。
見た目以上に感じる、ズッシリとした重量。
リブは取っ手をギュッと握りしめて、ブロドに指差された方向を見る。
ここを出て町に買い物に行った時と、多少周りの景色が変わってしまっているが、車がどの辺りに停めてあるのかは大体分かる。
「・・・よし」
リブはタイタンの方にちらりと向けた視線をすぐに切って、小さく頷く。
そしていざ移動を始めようとしたところで、形の無い何かが体を引き留めた。それは、何か大切なことを忘れているような欠落感。
何かを忘れていることは分かっていても、それが何だったのかが分からない。
歯の間に挟まったものが取れない時のように、気になって仕方がない。
眉をひそめながら、何だっただろうと思考を働かせているリブの目に、唐突にそれは映った。
「あれって?・・・そうだっ」
そこにいたのは、うっかりと忘れていた存在。
黒髪で同い歳ぐらいの、親切だけど何処か頼りない少年。ジルだ。今は地面に倒れている。
彼は町中で偶然会っただけにも関わらず、買い物を手伝ってくれた上に、リンゴまでくれたのだ。とても親切な人である。
こんな事に巻き込んでしまって申し訳なく思う気持ちが沸き上がる。
(・・・ん?)
いや、違う。そうじゃなかった。
別に巻き込んではいなかったはずだ。
今までそれどころじゃなくて考えもしなかったが、よく考えてみれば不思議である。ジルはどうして着いてきたのだろうか。
よく分からない。
まあ、とにかく。
こんな状況にあるのだから、全く面識のない人間なら無視しただろう。けど、ジルには荷物を持ってもらった恩がある。
受けた恩は返さなければいけないと、以前ギムレットが言っていたし、何より、ジルには死んで欲しくない。
ならば、少しぐらい時間を取られても助けるべきだろう。
リブはそう即断して、少しの寄り道を決定する。
そして無事ジルの元まで走ってたどり着いたリブは、土埃にまみれたまま腹這いになって動かないジルを見て、不安に駆られた。
ーーー死んでしまっているのだろうか。
元々感情があまり顔に出ないリブであるため表立っては分からないが、内心ではとても動揺していた。
今日会ったばかりのジルに対してここまで感情が動くなんて、自分はそこまで優しい人間だっただろうか。
リブのそんな少し歪な疑問は、ジルの体がピクリと動いたことで霧散する。
リブはこれまたよく見ないと分からない程度に小さく安堵の息をついて、空いているほうの右手をジルの前に差し出した。
「ジル。大丈夫?」
少しばかりの気遣いが垣間見える声色に、ジルはゆっくりと顔を上げた。
視線が交差する。
「ごめん。少しだけ忘れちゃってたんだ。けどもう大丈夫だから、さ、一緒に行こう」
「・・・」
「ジル?」
朧気な視線で差し出されたリブの右手を見るジルは、放心したように何の言葉も返さない。
ただ、ゆっくりとその右手が持ち上がった。
とその直後、轟音が鳴り響く。
「っ!?」
リブが反射的に振り返ると、ブロドがタイタンに地面に押さえつけられていた。
否。それは押さえつけるという表現では生易しいものだと、遠目からでも理解できる。それは、押し潰されるというのが適切だろう。
ブロドの下の地面には無数の亀裂が走っており、みしみしと歪な音をたてている。
その音は亀裂が走る地面から聞こえるのか、それともブロドの肉体から聞こえてくるのか、どちらにしても、常人であれば有無を言わせずに圧殺できるその剛力を受けているのだが、しかしブロドは殆ど押されていない。両足で踏ん張り耐えている。
あんな化け物じみた芸当が出来るのは、仲間内でもブロドとギムレットぐらいだろう。
リブは安堵と共に若干引いている自分に気づかずにそのまま暫く見ていると、横合いからギムレットが斬撃を飛ばしてタイタンの注意を引き、力が緩まったその隙にブロドが抜け出した。
やはり助けに行く必要はなさそうだなとリブが安堵していると、黒いトランクケースを持っていた方の右手に、ふと余分な重量が増すのを感じた。
何かと思いそちらに顔を向けると、相変わらず地面に倒れたままのジルが、その右手を伸ばしてトランクケースの端を掴んでいたのだ。
リブがそれを認識した直後、トランクケースに変化が起こる。
「っ!?」
「・・・」
何かが擦れるような音をたてながら、青い光を放ち始めたのだ。
光は急速にその強さを増していき、リブは反射的にトランクケースを手放してしまった。
ジルは相変わらず放心した様子で、力無く掴んでいたトランクケースから同じく手を離してしまった。
地面に転がったトランクケースは、何かを喜ぶように一際強い光を放つと、やがて鋭い音を立てて二つに分かれ、中から待ちきれなかったかのように勢い良く何かが飛び出してきた。
それは空中で何十回と回転しながら、重力に従って落ちてくる。
数秒後。ジルとリブの間を裂くようにして地面に突き刺さったそれは、一本の異様な片刃の剣であった。