4話
地面に力なく倒れる警備団員達。
事の一部始終を強制されたかのように黙して見ていた野次馬の中に、堰を切ったようにざわめきが広がっていくと、ちらほらと確認できるリブの魔法に腰を抜かした人達も我に返っていく。
次第に、『今の少女は? あれはなんだったのか?』倒れている警備団をそのままに、場の空気がその疑問一色に染まり始めた頃。
「今のは何だったのだ!」
大きな怒声が聞こえた。
この場を指揮している、警備団のグレゴール・ロンドである。
簡易な天幕から出てきた彼の顔は、その心情を如実に表し、不愉快そうに歪められていた。
「・・・っ!?」
そんなグレゴールの表情が驚きに固まる。
グレゴールの目の前には地に伏している自身の部下達がおり、小さな呻き声を漏らしている。
目の前の事態を咄嗟に理解できないグレゴールは、更なる情報を求めて周囲に視線を這わせる。
見える限りでは、ここを守っていた部下の全てが地面に転がっており、何やら悶えながら無様な声を垂れ流している。
設置してあった捕縛結界は、先端の結晶部分が粉々に砕けており、もはや使い物にはならないだろう。
なかなか値段の張る捕縛結界をこんなにしてしまったからには、上から一言二言はあるだろう。と、意識の端で煩わしく思いながらも、どういう状況なのかを朧気ながらに察したグレゴールは、興奮している野次馬の方を忌ま忌ましそうに一瞥した。
そして小さく舌打ちしたあとで、近くに転がっている部下のもとへ歩いていく。
「ーーーおい。何があったのか説明しろ」
「ぅ・・・はい。こ、子供が・・・一人、いや、二人。少年と少女です。奇襲を受けて・・・その、すいません」
何とか立ち上がろうと藻掻く部下の男だったが、しかし力が入らないようでそれは叶わず、結局倒れたままの状態で顔だけをグレゴールに向けて言った。
それを受けたグレゴールは激しい怒りを覚えながらも、自身の置かれている状況を改めて理解する。
結界は破壊された。
部下に死んだ者はいないようだが、目の前で倒れているこいつと同じような状態が六人、後の奴は意識すらない。
とにかく、こいつらの減俸は確定である。と、グレゴールは心の中で堅く決意する。
「ーーーいつまで、寝ているつもりだぁっ!!」
グレゴールは気を失っている部下を手加減なしに蹴り飛ばし、溢れる怒りをどうにか抑える。
苦しそうに悶える姿を見下ろしていると、段々と気分が晴れていくのを感じた。
忌ま忌ましい野次馬の声を一時的に頭から除外して、思考を始める。
言うまでもないが、状況は最悪である。
町の中に賊の仲間が紛れている可能性は考慮していた。
だからこそ、外に数人待機させていたし、結界も用意していたのだ。
馬鹿な野次馬共の存在を考えて捕縛結界にしていたのだが、もっと強力な、攻撃的な物にしておけばよかった。
グレゴールは顎に手をやりながら天幕の中に戻り、テーブルの上のティーカップに手を伸ばす。
ゆっくりとそれを一啜りし、乾いた唇を湿らせる。
ーーー間違いなく、これは失態だ。
騒いでいるバカ共には何と説明しようか。
使えない部下のせいで、自分にその皺寄せがくるとは、全くもって許容できない。
一刻も早く、中にいる賊を処理しなくてはならない。
グレゴールはミルクティーを飲み干して天幕から出る。
倒れていた部下の何人かが、徐々にではあるが起き上がり始めていた。
頭を抱え、あるいは軽く振りながら、それでも指示を仰ぐように視線をグレゴールに向けてくる。
「さっさと持ち場に戻れっ!ーーークソッ!」
視線に気付いたグレゴールが叫ぶと、団員達はよろめきながらも動き始めた。
騒いでいる野次馬をある程度治めて、その中に怪我人がいないかを確認。
墓地の入り口にぴたりと付いて、中の状況を確認。
それらはなかなかの良い手際だったのだが、グレゴールは一顧だにしていなかった。
考えることは一つだけ、「自分は悪くない」と、そう言い切れるだけの結果。
(・・・そもそも、中にいる部下達は何をしているのだ!)
数では圧倒しているはずである。それなのに、もうかれこれ何分が経っただろうか。
赤く染まっていた町には、夜の帳が降り始めている。
頭上を見ると、薄明の中に月と無数の星が散りばめられている。
広場にある魔灯が白い光を放ち始めるのを視界の端で確認したグレゴールは、脈絡もなくにやりと笑みを浮かべた。
近くにいた部下の男を一人呼ぶ。
中の状況を手っ取り早く片付ける方法を思い付いたのだ。
その準備をさせるために、その部下の男にあることを耳打ちをする。
驚いたように目を見開く男。しかし小さく了承の言葉を残して動き始め、天幕横の大型のトレーラーに近づくいて行く。
トレーラーの荷台にはカーキ色のシートが被せられた何かがあった。
部下の男がそのシートを一気に剥がすと、中から現れたそれに、野次馬が再び騒ぎ出した。
「これで全部解決だ」
グレゴールは満足げに呟くと、再び天幕の中に入っていった。
◆◇◆
【爆発から二十分後 墓地内部】
前方から猛スピードで飛来してくる、複数の石の礫。
ギムレットはそれらを愛用の片刃剣で弾き、或いは避けながら、礫を追うように猛進してくる国境警備団の男を注意深く観察する。
男は国境警備団の魔法戦士に支給される鉛色の鎧を身につけており、その辺のなまくらでは傷一つ付けることさえ難しいその鎧には、各所に大小様々な傷が確認できた。
それは彼の未熟さ故か、それともそれだけの戦いを生き抜いてきたという勲章なのか。
(ーーーふむ。考えるまでもないか)
男の顔を見る限り、おそらくは後者であろう。
男は両刃の剣を左下段に構えながら、なかなかの速度で迫ってきている。
あの装備でこれ程の速度なのを考えると、おそらくは身体強化の魔法を使っているか、装備自体の重量を軽くしているか、或いはそのどちらもか。
とにかくいい気迫である。
ギムレットは素直にそう評価して、一歩前に出た。
「ハアアアァァアッ!」
国境警備団の戦士が声を上げながら間合いに入ってくる。
鋭い切り上げ。
ギムレットは必要最低限の動作でそれを避け、すり抜け様に可能な限りの最速で腕を稼働させる。
次の瞬間、ギムレットは剣を横凪ぎに振り切った姿になっていた。
残されたのは、同じく剣を振り切った姿勢のままで止まっている警備団の男。
ギムレットがそちらに一瞥をくれると、男の腰の辺りから上半身だけが、下半身を置いてきぼりにしてずるりと崩れ落ちた。
下半身もそれに釣られるように地面に崩れる。
切断面からは大量の血液を伴って内臓が這い出して来ており、周囲を紅く侵食していく。
自身の血の池に沈む男の表情に苦痛は見えない。おそらく、自分が斬られて死んだことさえ分かっていないのだろう。
ギムレットの片刃剣は、これといって名のある物ではない。
剣の師から譲り受けた無名の一本。
しかし、ギムレットは師がそうしていたように、毎日その剣を魔力を使って鍛えてきた。
歴史に名前を残すような名工によって最良以上に鍛えられた、いわゆる業物や名剣には劣るだろう。
だが、長い年月をかけて鍛えられた無名の一本は、大抵のものなら切れるし、簡単には折れない。
ギムレットは手に馴染むその片刃剣に視線を向けて、状態を確認する。
血糊もなく、刃こぼれもない。
どことなく満足げに顔を上げたギムレットは、小さく鼻から息を吐いた。
「ーーー何を考えているんだ?」
各所で怒号や悲鳴、金属のぶつかり合う音、魔法による爆発、そして噎せ返るような血の臭いがしている。
特に意味もなく視線を彷徨わせれば、あちらこちらに当たり前のように死が転がっている。
元からそうではあったが、ここは文字通りの墓場となってしまった。
「ふむ・・・」
一般的に見るなら、これは凄惨な状況と言うに十分だろう。
だがしかし、自分自身でも心底嫌になるが、こういう状況になればなるほど、体はいつも以上に動いてくれて、頭はどんどん冴えてくるのだ。
(・・・職業病というやつか)
ギムレットは短いため息をつくと、意識を切り替え思案する。
警備団は中に一般人がいるのにも関わらず、避難させようともしなかった。
団員の一人が墓地に入ってきたと思ったらいきなり爆発して死んでしまい、それを皮切りにして警備団が突撃してきたのである。
まったくもって理解できない。
いったい奴等は何がしたいのか。
相手が警備団であることから、自分達がこの事態に全く関係ない、と言い切れないのが心苦しいが、それも関係のない一般人を巻き込むだけの理由にはならない気がする。だとすると、全くの別件だろうか。だとしても、ここにいる一般人は何も知らされないままこの状況に巻き込まれているのだ。そんなことはお構い無しとばかりに警備団が派手に暴れているのを見ると、これではまるでーーー。
考えかけて、ギムレットはその思考を遮断する。
近くに転がっていた亡骸に気付いたのだ。
それは壮年の男性。
警備団の服装ではなく武器の類いも持っていないところを見ると、おそらく関係のないこの町の人間。
腹部から大量の血を流し、目を限界まで見開いて苦悶の表情で絶命している。
ギムレットは静かに腰を下ろし、そのまぶたをゆっくりと手で下ろした。
今ここで自分がしてやれるのはこれぐらいだ。
可哀想だとは思うが、今は彼等のことを考えている余裕はない。
薄情だと何と言われようが、自分達の事のほうが優先事項である。
ギムレットは隙をついて斬りかかってきたつもりであろう警備団の一人を感慨もなく斬り捨てながら、ゆっくりと立ち上がった。
剣に付いた血を振り払い、簡単に周りの状況を確認したあと呟く。
「ーーー厳しいな」
警備団は遠距離から集中して、こちらの足である車を攻撃してきている。
他にも停めてあった物が何台かあったが、既に原型を留めているのは自分達の車のみである。
車を守っているこちらの人数は、自分を入れて二十一人。
総数は三十一人なのだが、戦闘が出来る者は自分を入れて二十一人にまで減るのだ。
相手の人数は定かではないが、わざわざ数える気にはなれない。
こちらよりは多いことは確実だ。
もともとの人数で負けているのだから、大勢で車を狙われれば守る側のこちらに隙が生まれる。
そしてその隙を狙って、さっきのように攻撃してくるのだ。
単純な作戦だが、今確認しただけで仲間が二人殺されているのが見えた。
いずれもよく見知った顔である。
が、それを嘆く暇はない。
頭の中で、二十一の数字を十九に減らすだけにとどめる。
とにかく、このままではジリ貧だ。
「・・・どうする」
ギムレットは自分に語りかける。
決まっている、逃げるのだ。
相手の戦力の全てを把握していない現状で、奴等と最後まで戦ってやる必要は無い。
しかし、すぐにそれが難しいと気づく。
車を動かせばそれだけ注目が集まる。今ですら厳しい状況なのに、これ以上増えたら捌ききれないだろう。
何より、もともと車が本調子ではないのだ。何かあれば、動かなくなるという可能性が高い。
となると、車を捨てて逃げるしかないか。
色々と惜しくはあるが、命あっての物種だ。
とは言っても、車を捨てても、いや、車を捨てるからこそ、ある程度の犠牲は必ず出てくるだろう。
車の中には先程言った、『戦闘ができる者』以外がいるのだ。
この場にあの子がいないのが、せめてもの救いだと割り切るしかない。
この状況で、少数の犠牲は諦めるという判断は正しいと思う。
しかし、表には出さないが、ブロド隊長はきっと苦しむのだろう。
指揮官としてどうあるべき、なんて物は分からないし興味もないが、私はそういうところを含めてあの人を慕っているのだ。
ならば、私がやることは決まっている。
犠牲を最小限ーーいや、完全に抑えるのだ。
それは一番理想的で、一番難しい結果。
頭の中で瞬時に目算。
出来るという確約はないが、やりようはあると思う。
ギムレットはそう結論付ける間に、七人の警備団を葬っていた。
「さて・・・」
ギムレットは軽く息をはいて、剣に着いた血を振り払う。
とそこに、後ろから魔法による炎の矢が飛んできた。
真っ直ぐに向かってくるそれに当然のように気づいたギムレットは、それを打ち払おうと剣を持ち上げるーーーと、別の方向からもう一つ炎の矢が飛んできた。
その行き先はギムレットではなく、最初に出現した炎の矢である。
ギムレットがその存在に気がついてやや怪訝な顔をした数秒後、空中で炎の矢どうしが衝突し、無数の火の粉を撒き散らして跡形もなく消えた。
ギムレットは少し不愉快そうに剣を下げると、やはり不愉快そうな声音で言った。
「トラン。お前には言いたいことがある」
「おいおい姐さん場所考えろよ。校舎裏でも伝説の木の下でもないぞ」
ギムレットが声のした方を向くと、長身の男が一人立っていた。
さらさらの金髪に、吸い込まれそうな青い瞳。
誰の目から見ても爽やかな美青年である。
にかっと白い歯を見せて笑っている彼は、耐性のない者にとっては吐き気を催すに充分な周りの惨状と、どこかちぐはぐな印象を与える。
トラン・クーパーは、ギムレットの言った戦闘の出来る仲間の一人である。
「ーーーふん」
女性であればその大半が見惚れてしまうであろうトランの微笑みを前に、しかしギムレットは小さく鼻で笑ってから睨み付けるという反応を返した。
平時であり、尚且つギムレットがトランのことをよく知らなければ、少しは心を動かされたかもしれない。しかし、
「どうしたよ怖い顔して?あ、もしかして月のモノか?それとも便秘?」
トランと言う男の軽薄さと壊滅的な品位の無さを、ギムレットはよく理解していた。
「ーーー幸い私の体調は万全だ。ただトラン、お前に対して込み上げるものがある。そしてそれを抑えられそうにない」
「おいおい姐さん、愛を囁くなんて状況考えっグフォッ!」
一瞬で間合いを詰めたギムレットが、トランのお腹に右拳をめり込ませる。
「ふむ。よく聞こえなかったな。何だって?」
「い、いや、その、すんませんした」
「ーーーまあ、お前がサボったからあの子がここに居なくて済んでるんだ。このぐらいで許してやろう」
「ったく、クソ尼が・・・」
「あん?何か言ったか?」
「いやっハハハハッ。美人で話の分かる上司で良かったって言ったんだよ」
「微塵も嬉しくないな」
トランはひきつった笑顔を浮かべながらギムレットから数歩後ずさって、この話は終わりとばかりに大袈裟な身振りを交えて話し出す。
「とにかく。今はこの事態をどうするかだけ考えよう、な?」
「・・・まあ、一理あるな」
「はぁ~」
「・・・ならトラン、まずはお前の無線機を貸してくれ。私のは何故だか使い物にならないんだ」
ギムレットが腰に着けた携帯用の小型無線機を恨めしそうに小突いて見せると、トランは調子良く「あ~それな」と、苦笑する。
「姐さんのだけじゃない。俺のも他の奴等のも、ノイズだらけで使えやしない。たぶん、妨害系の魔法だろうな」
「なるほど・・・また、厄介だな」
「そう、使い手の少ない厄介な魔法だ。ここまでして、あいつら何が目的なんだ?」
「私たちを殺したいんだろう」
ギムレットは斬りかかってきた警備団の男を軽く処理して、にべもなくトランに言葉を返す。
トランも炎の矢を五本宙に浮かべたあと、それらを全て別々の方向に飛ばしながら会話を続ける。
「いや、そういう事じゃなくてだな」
「・・・考えるだけ無駄だろう。話が出来るような雰囲気ではないし、逃がす気も生かす気もないんだろう。相手は有るものは何でも使って、全力で私たちを殺しに来ている。それだけだ・・・」
「の割には納得できてなさそうに見えるぜ。不機嫌そうだ。顔こえーよ?」
「・・・不機嫌にもなるだろう。お前はもう少し顔を引き締めろ。色々と垂れ流してるぞ」
トランはギムレットの言葉に少し考えるように自身の顔を撫でて、
「・・・愛とか、勇気とか?」
「軽薄さとか品位のなさとかだ」
「なるほど、綺麗な花にはトゲがあるって言うもんな」
「トゲと言うよりは腫瘍だろう」
「腫瘍のある花ってなによ?」
「知らん。はぁー・・・まったく」
ギムレットは小さく頭を振ると、近くに転がっている自身が斬り捨てた警備団の亡骸を一瞥し、不快そうに顔を歪めた。
中にいる一般人もろともという警備団のやり方。
常識的に考えて、いくら警備団と言えど、そんな強引がまかり通る訳がない。
そう考えると、今行使されているこの妨害系の魔法は、自分達の行いが外部に漏れないようにする為のものでもあるのだろう。
数えきれない程の人を斬ってきた自分が言えた義理ではないかもしれないが、どうにも気に入らない。
「・・・姐さんこそ顔に出てるぜ。まったく、真面目だねぇ」
「うるさい。とにかく、この魔法は私達ではどうにもならない。エミリア達が対処してくれるのを期待しよう」
「だな。で、これからどうする?」
「・・・逃げるだろうな」
ギムレットはきっぱりと宣言した。
その瞬間、トランの雰囲気が鋭く変わったのを感じたギムレットだったが、かまわずに続ける。
「トラン、お前は一応車に戻って指示を仰げ。私はそれまで逃げることを前提で動く」
「逃げるってか?」
「そう言った」
「・・・向こうで、ダンジとラッツが殺られてた」
「ああ、確認している」
ギムレットから発せられたのは、まるで感情の無い機械のような声。
それから数秒の間、二人は黙って睨み合っていた。
言葉は無くとも、ギムレットにはトランが何を言いたいのか理解できていた。
だが、現状でそれを認める訳にはいかない。認める訳にはいかないが、個人的に言うと、トランという男のそういう部分には好感が持てる。
普段の軽薄な言動を知っていて、それでもこの男を嫌いになれないのは、これが理由だろうか。
ギムレットの中に、ふとそんな考えが生まれた。
だがやはり、認める訳にはいかない。
ギムレットが目を細めると、トランは観念したかのように大きくため息をついた。
「わーったよ。仇討ちなんてキャラでもないしな・・・尻尾を巻いて逃げるとするか」
「ああ、そうしてくれ」
ギムレットはそこで初めて笑顔、と言うよりは苦笑を返した。
戦場という場面であることを考えると、ギムレットにしては珍しいその反応に驚きつつ、トランは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「姐さんでも笑うと可愛いんだな」
「いいから動け」
「へいへい」
背中を向けて、手をひらひらさせながら歩いていくトラン。
数歩進んだところで何故か立ち止まり、不意にギムレットを振り返ったトランは真顔で、
「・・・報酬は、姐さんの情熱的なチューが欲しいな」
「お前が死んだら泣くくらいはしてやる」
「素直じゃねぇなー」
呆れたように半目で応えるギムレットに、トランはからからと笑うと、魔法を使って宙に炎の矢を五本待機させてから、今度こそ車がある方へと歩いていった。
その姿は目立つので周りから狙われやすくなる心配はあるが、トランであればどうせ大丈夫であろう。
むしろ、わざとやっているようにも見える。
ギムレットはトランに対する信頼からそう結論すると、タイミングを見計らったかのように襲ってきた二人の警備団を軽くいなし、これといった感慨もなく当たり前のように斬って捨てた。
「・・・さて」
口から軽く息を吐き出して、ギムレットは踵を返して車とは反対の方向へ走り出す。
トランが隊長に話を通しに向かっている間、自分はなるべく敵を引き付けることに専念する。
要するに、暴れればいいのだ。
得意分野である。
ギムレットの双眸が鋭くギラリと光る。
しかし走り始めてすぐ、ギムレットの耳は、自分の名前を呼ぶ何者かの声をとらえた。
それは、ここにはいないはずの少女の声。
まさかとは思いつつ、ギムレットは声のした方を振り向いた。
◆◇◆
【少し時間を遡って】
前を行くリブの背中を追って建物の中に入ったジルは、がらんとして人の気配のないロビーを進んでいた。
外にいても僅かに聞こえていた戦闘音は、余計に強く鼓膜を叩くようになり、踏み出す一歩一歩を重く感じさせる。
ふと考える。
ここに来たのはいつぶりだろうか。
じっちゃんに無理矢理連れ出されなければ、ほとんど来ることは無かったと思う。
興奮なのか恐怖なのか、或いは全く別の何かなのか、自分でも説明できないものを紛らわす為に、ジルはキョロキョロと辺りに視線を巡らせる。
「・・・」
最後にここに来た時の景色とあまり変わってないな、と、ジルは自信のない記憶を辿って思う。
まぁ、それもそうだろう。
家具や陳列棚なんかが有るわけでもないし、模様替えみたいなのはそうそうないはずだ。
ジルは模様替えというものがあまり好きではない。
それまで慣れ親しんだ場所が全く違う所になってしまったようで、簡単に言えば落ち着かないのだ。
他の人に言わせれば、その変化がいい刺激、いい気分転換になるのだとか。
その気持ちが分からないこともないが、やはり自分としては、いつも通りのほうが落ち着く。
とまあ全く関係ないことを考えながら、ジルは歩みを進めていた。
何事かを考えていないと不安が押し寄せてくる。落ち着かないのだ。
(・・・にしても、誰もいないんだな)
ふとした疑問に隅の方を見ると、そこにあるのは無人の小さな喫煙所。
記憶の中では人懐っこい笑みを浮かべたお姉さんが座っていた事務所の窓口には、今は誰の姿も見えない。
仕事を放って何処に行ったのだろうか。
決まっている、外へ逃げたのだ。
やはり、自分も逃げてしまおうか。
別に強制されてる訳じゃないし、誰も文句は言わない・・・ああ、これで何度目だろう。
考えを振り払うように、ジルは頭を振った。
つくづく情けなく思う。一度決心しても、隙を見せれば弱気の虫が出てくるのだ。
その理由は恐らく、中に入るに連れてどんどん大きくなっている戦闘の音。
意識の外に追いやろうとするが、それが却って逆効果になり、心臓を無遠慮に叩いてくる。
鋭い金属音と、命を燃やすような雄叫び。
怒声や罵声の中にたまに混じる苦痛に満ちた悲鳴に、何度足を止められそうになったことか。
それでもジルが歩みを進められるのは、偏に前を行く少女のおかげだろう。
ふと、先程の光景が思い出される。
警備団を一瞬で無力化したリブの手腕。
何かあったとしても、大抵のことは何とかしてくれるだろうと思えてしまうくらいには強かった。
自分の中に漠然とある普通の女の子の基準を、目の前の女の子は余裕で越えてきている。
そこまで考えて、ジルは前を行くリブに視線を向ける。
歩調に合わせて柔らかく揺れる、肩には届かないくらいの綺麗な白い髪は珍しいが、それ以外の見た目は普通の、可愛い女の子だ。
普通の可愛い女の子のはずなのだが、こんな状況にあっても緊張の色はあまり見られず、足取りには迷いがない。自分のように、現実逃避にも似た思考に陥っている様子もない。
目の前にいるこの自分と同い歳くらいの女の子は、こういう状況を慣れてしまうぐらいには経験したことがあるのだろうか。
そんな疑問が自然と湧いてくるくらいには、リブの様子は堂々としており、すぐ目の前にいるはずなのに、ずっと遠くに感じてしまう違和感がする。
今思うと、自分がリブに声をかけることが出来たのは、思春期の男子としてその容姿に惹かれるものがあったことも確かだが、一目見たその瞬間から、そんな違和感を少なからず感じていたからかもしれない。
退屈な日常の外からやって来たその違和感に、無意識の内に何らかの変化を期待していたのかもしれない。
そして、その期待は間違ってはいなかった。
数時間前の自分であれば考えられないような状況に、今の自分はいる。
退屈だった今までが何だったのかというぐらい、確かな変化が起きている。
まるで物語の主人公になったかのようで、ジルの中から少しだけ恐怖や不安が薄らいだ。
「・・・ん?」
リブが後ろを着いてくるジルを肩越しに振り返り、『どうして着いてくるのだろう?』という顔をしている。
しかし、その疑問を口にすることはなく、すぐに顔を戻した。
どうやら気にしないことにしたらしい。
おかしな奴だと思われたのかもしれない。
やはり物語のようにはいかないなと、ガックリ肩を落としたジルは、ふと鼻をつく異臭を感じ取り顔を歪めた。
特別に嗅覚が優れている訳でもないのでそれが何の臭いなのかは分からないが、何となく気分の悪くなる臭いである。
リブはこの異臭いに気づいて、視線を前に戻したのだろうか。
そうジルが考えていると、リブは不意に足を止めた。
「・・・見えた」
「ん、もしかしてリブの友達?見つかったの?」
ジルはリブの呟きに応えながら、その隣に移動する。
「・・・っ」
前方に広がる光景を見て、ジルは絶句した。
そこにあったのは、記憶の中にある厳かながらもどこか落ち着く雰囲気のある墓地ではなかった。
綺麗に手入れされていたはずの草木はなぎ倒され、踏みにじられ、燃えている物もある。
ずらりと等間隔に並んでいた墓石は、その大半が砕かれ、削られ、所々に破片らしき物が転がっている。
「・・・何だよ、これ・・・」
怒号や悲鳴の中で戦っているのは警備団、そして、聞いた限りでは賊だという連中、だと思う。
あちこちで殺意のある魔法が飛び交い、鈍く光る剣が振られては、鮮血が宙を舞う。
周囲に当たり前のように転がっている死体が目に入り、心臓を鷲掴みにされたかのような息苦しさがジルを襲った。
服に血を滲ませ、周囲を赤黒く染めながら打ち捨てられているそれらから、思いとは裏腹に目が離せない。
その有様が隅々まで鮮明に見えて、頭が理解していく。
中身をぶちまけている上半身だけの中年男性。首をへし折られ、そこから骨が飛び出している若い女性。炎によるものか全身が焼けただれ、ぐちょぐちょになっている、恐らくは青年。中には明らかにジルより年下の女の子も、首を真一文字に切り裂かれて絶命していた。
警備団だと分かる身なりのものが大半だが、いくつか見慣れたような服を着ているものも確認できる。
それらは恐らく賊だと言われていた連中と、この事態と何の関係もない町の人間だろう。
ジルが視界に捉えていたそんな亡骸の頭部を、警備団の一人が気付かずに踏みつけた。
頭は『ぶちゅっ』という不快な音をたてて、なんとも簡単に潰れてしまった。
コロコロと転がり、墓石の破片で止まったあれは、眼球だろうか。
ーーー込み上げる吐き気を抑えるように、ジルはその場に蹲った。
(何だよこれはっ!?)
頭の中で反復するのは、味わったことのない程の恐怖と嫌悪感。
思考が定まらない。
心臓が狂ったように稼働し、四肢が勝手に震えている。
壊れてしまったかのように、体が正常に機能しないのだ。
そこにある人の命が当然のように消えていく。
自然的なものではなく、不慮の事故でもない。全てその意思を持った人間が為していることだ。
そして、その行為を正当化してしまうような場の空気。
見える範囲にいる人間は、打ち捨てられている骸には殆ど目をくれない。
「ジル、大丈夫?」
ふと頭上からそんな声が落とされる。
それは、不思議なくらい先程までと何も変わらないリブの声。
すがるように、ジルは頭上を見上げる。
そこにあったのは、心配そうに自分を見るリブの顔。
ジルはその顔を見つめるだけで、何も言い返すことが出来なかった。
「・・・?気分でも悪いの?」
小首を傾げてリブが言う。
こいつは何を分かりきったこと言っているんだ、と言う思いを抑えつつ、ジルは一度目前に広がっている戦場に視線を戻した後、掠れそうな声で言う。
「・・・リブは、なんとも思わないの?」
「何が?」
「な、何がって」
ジルは再び目の前に広がるものに視線を移した。
その仕草に意味を察したのか、リブは同じように視線を前に移す。
「ああ。まあ、思ったより酷いみたいだけど、一応は無事みたいだから大丈夫」
淡々と答える少女。
その声、その顔、その態度に、動揺は一切見えない。
ジルはそんな様子に唐突に理解した。
ーーー狂っている。
これが彼女の生きている世界。
(もう、嫌だ。帰りたい・・・)
一切の迷いなくそう思った。
何を期待して、勘違いしていたんだ。
少し前の自分を殴り付けたくなる。
普通とは違うリブの空気に当てられてここまで来たが、自分という存在は本質的に何も変わっていない。
特別なのはリブであって、自分は何も出来ない能無しだ。
その事実は変わらない。
慣れ親しんだようなその思考に、ジルは奥歯を噛み締めた。
これが、ジル・バケットという人間なのだ。
大した覚悟も出来ないのに盛り上がって、虚勢を張って、すぐに逃げ出し、その事実に言い訳を張り付ける。
魔力があるなし以前の問題だ。
心が弱い。
虚勢でもなんでも、貫くだけの強さがない。
自分はこれからも、何かある度最後には諦めるのだろう。
信念を曲げて、生きていくのだろう。
いや、それはもう信念などとは呼べない。
最初から半ば諦めているそれは、弱い自分を誤魔化すための張りぼてにすぎない。
『お前の語る夢は、現実から目を背ける為のものだ』
じっちゃんの言葉が甦る。
本当にその通りじゃないか。
情けなさを通り越し、悔し涙で視界が滲んでいる。
ジルは視線を床に落とし、蹲ったまま手を握り締める。
鼓膜を叩く戦闘音は鳴り止まず、相変わらず体を襲う恐怖は治まらない。
この場から逃げ出したい。
けれど、立ち上がれない。立ち上がりたいけれど、その方法が分からない。どうすることも出来ない。
ジル・バケットは、そんなに強い人間ではないのだ。
それまで自分を形成していた何かが、音を立てて崩れていくような気がした。
「ジル?」
頭上から、リブの不思議そうな声がかけられる。
しかし、ジルはそれに応えない。応えられない。
助けて欲しい。
けれどどんな顔をすれば、どんな声を出せばいいのか分からない。
思考は恐怖と絶望と混乱で塗り潰され、何も出来なかった。
「ギムレット!」
リブが再び声を上げる。
その声は、明らかにそれまでと調子の異なった、喜色の伺えるものだった。
ジルがちらりとリブを見上げる。
予想していた通り自分を見ていなかったリブの視線を辿っていくと、少し離れた所に一人の女性が立ってあるのをジルは見つけた。
キョロキョロとしている。
「ギムレット!」
リブが再び叫ぶと、ギムレットと呼ばれた女性はこちらに気が付いたようで視線を定めた。
雰囲気で驚いたのが分かる。
何となくそのまま見ていると、こちらに気付いた女性が周りを気にしながら近づいて来た。
近づくにつれ、その容姿がはっきりと見えてくる。
後ろで一つに束ねた長い黒髪。
強い意思を感じさせる瞳はどこか怒っているように見える。
総合的な結論としては美人であるが、右手に持った片刃の剣と、返り血の着いた服と頬。
なんとも危険な印象を受ける女性である。
「何でここにいる・・・!?」
ギムレットと呼ばれた女性はジル達の近くまで来ると、肩越しに後ろを気にしながら言った。
やはり何かに怒っている様子である。
見知らぬ相手を警戒してか、ギムレットから一度鋭い視線を向けられたジルだったが、自身でも不思議に思うくらいに何とも思わなかった。
「何でって、ピンチでしょ?」
「それはそうだが、もしかして、使ったのか?」
「大丈夫、ちゃんと制御できたから。それで、どうすればいいの?状況は?」
「・・・まあ、来てしまったものはしょうがないか」
ギムレットはそこで怒気を抑え、代わりに呆れたようなため息をついて続ける。
「詳しいことは後だ。とりあえず、私と一緒に来てくれ。それで・・・」
ギムレットは再びジルに鋭い視線を向ける。
「そこの君は誰なんだ?」
「・・・」
「彼は親切なこの町の人。親切でここまで着いてきてくれたけど、これとは無関係だから逃げてもらおうと思って」
「・・・無関係・・・」
俯いたジルの呟きに、リブは「何か言った?」と言って視線を向けた。
ジルは何も答えない。
「・・・ふむ、警備団側の人間ではないようだな。なら、君も私に着いてこい」
ギムレットはジルに害はないと判断したのか、幾らか目付きを和らげて告げる。
リブが若干驚いたようにギムレットに視線を向け、続いてジルに視線を移す。
「え、でも・・・ジルは関係ないんだよ?」
「二人でここに入ってきたのだろ?しかも力ずくで・・・なら、外の奴等は彼を関係ないとは思っていないだろう。一人でここを出るのは危険だぞ?」
ギムレットの頭の中に、先程の考えが甦る。
警備団の目的。強引すぎるやり方。
奴等にとって、この少年が何処の誰かなんて些末な問題だろう。
中に入られ、この場を目撃してしまったということが問題なのだ。
となると、今この少年が出て行けば、どうなるのかは予想がつく。
それは彼にとって良い結果ではないだろう。
「君が何か目的があってここに来たのかは知らないし、それを手伝う気はない。私たちは逃げる。で、悪いがあまり時間が無いのでな、君も逃げるということなら・・・」
「着いて、いきます」
ジルは答えて、よろよろと立ち上がる。
「・・・よし。なら、後ろを離れるなよ」
「はい」
すんなりとジルが答えたのは、しっかりと考えて出した答えではなかったからである。
この場所から逃がしてくれるというのなら誰でも良かったのだ。
「大丈夫。ジルは私が守るから」
「・・・」
ジルはリブの言葉をぼんやりと聞き流す。
「行くぞ!」
ギムレットが走りだし、ジル達はその後ろに着いていく。
おかしい。
悪いことではないが、先程までの気持ち悪さが何処かへ行ってしまった。
気付けばいつの間にか足の震えも止まっていて、自分のことながら面白いくらいにしっかりとした足取りをしている。
さっきまで五月蝿いくらいだった心臓の鼓動は、本当に動いているのか心配になるくらい静かである。
前を行くギムレットは走りながら、向かってくる警備団を何でもないかのように斬っている。
それを気のない視線で見つめるジル。
自分の中の何かが欠けているような気がするけれど、その何かが分からない。
大切なものだった気もするし、どうでもいいものだった気もする。
ぼんやりとした、だが妙に気になる違和感。
その答えを探すように頭上に目を向けると、ガラス張りの天井から、無数の星が輝く薄明の空が見えている。
意味もなくそのまま見ていると、その中に何か黒い物が見えた気がした。
いや、気のせいではない。
それは落下してきているようで、どんどんと大きくなっていく黒い影は、人の形をしている。
だが人ではない。
ジルは以前に一度だけ、それを見たことがあった。
あれはまだジルが幼く、ルダル王国が公然と隣国と戦争していた時期。
国境の防衛任務に就いていた王立軍が、偶然町の近くを通った時に目にしたもの。
それは全高十数メートルの金属の巨人。
(・・・タイタン)
そう呼称される巨大人形兵器。
魔力を通わせることで、操縦者は自身の体を動かすイメージで機体を動かすことができるという。
ジルの持っている知識では、それ以上の詳しいことは分からない。
呆然と見ていると、落下するタイタンが右手に携えている長大な槍が、ガラス張りの天井を突き破った。
甲高く響くその音に気づいた何人かが、頭上に迫る巨影を見上げ、表情を驚きで満たした。
ジルの側にいるギムレットとリブも、同じくその存在に気づいたようで、
「なっ!?」
「ギムレット。もしかしてあれ・・・」
言葉は途中で遮られた。
タイタンは操縦者のイメージを忠実に再現したのか、空中で姿勢を整え、槍を構える。
数瞬の後。凄まじい轟音と共に、タイタンは先程までジル達がいた付近に、後ろ向きで着地した。
衝撃で土砂や石片や肉片が宙に舞い、ぼとぼと、ぱらぱらと音を立てて落ちてくる。
やがて土煙が収まり視界が晴れると、先程までジル達のいたロビーの入り口が、タイタンの持っている槍によって崩されているのが見えた。
ギムレットが小さく舌打ちする。
タイタンは着地時に緩衝魔法をフルで発動させたのだろう、随分高くから落下したにも関わらず、目に見えての損傷はない。が、それでも機体が熱し過ぎたのか、自動で発動する冷却魔法の際に出る水蒸気を関節のあちこちから音を立てて噴出させると、タイタンは姿勢を直立へと直した。大きい。
この時になると、建物の中にいる全ての者がタイタンの存在に気づいていた。
その反応は大きく分けて二種類。
嬉しそうな者と、苦しそうに顔を歪める者。
その場の視線を一身に受けながら、タイタンは自然な動きで振り返った。
そして無機的な二つ目を鋭く光らせると、虫でも払うかのように槍を横なぎに振るう。
ジルの目の前にいる少女がその巨大な槍を避けられなかったのは、単純に対応出来なかったからなのかは分からない。
とにかく、ジルの目に残ったのは、巨大な槍に吹っ飛ばされる少女の姿、耳に残ったのは、微かな短い呻き声。
矢継ぎ早の事態に理解が追い付かない。
ジルはその場に尻餅をついた。
リブがジルの視界から消えて、何秒くらいが経っただろうか。
地べたに尻餅をついているジルを嘲笑うように、タイタンは緩慢に、その巨大な槍を振り上げた。