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3話

太陽が中天に差し掛かる頃。

しかし頭上は敷き詰めたような雲が陽光を遮り、今すぐにでも一雨来そうな曇り空。


そこはルダル王国のとある町、ミニース。

今現在している戦争の相手である隣国との国境に近い町だと言われているが、近いと言っても何百キロと離れているため、実際はそこまで生活に大きな変化はなく、どうしても感じてしまう不安や恐怖を除けば、比較的平凡な生活がなされていた。


そんな平凡の例を挙げる訳ではないが、頭上の曇天よりもなお黒い漆黒の髪をした幼い少年が一人、何かに急いでいる訳でもなく、ミニースの町の中を何処かへ向かって歩いていた。


そこは住宅が密集している為か、普段から日の光があまり入らない細道であるため、曇天の下ではやはり薄暗く、どことなくどんよりとしている。


そんな道を歩いているからかは不明だが、黒髪の少年の表情は心なしか沈んでいる様子で、まさに陰鬱という言葉が当てはまるだろう。


「・・・」


少年は地面に転がっている特定の小石を蹴りながら、黙々と家路を歩いていた。

蹴った小石を目で追いながらその後をゆっくりと追って行って、前方を確認してから再び蹴る―――を、ひたすらに続けている。


その行為にはこれといったルールも特別な意味も無いが、数分前から蹴り続けているその小石に、少年は『ザック』という名前を付けていた。


しかし、名前を付けたからと言って小石に情が移るはずもなく、寧ろ少年は自身の内にある負の感情を吐き出すように、無遠慮で一方的なスキンシップを取り続ける。


自宅に着くまでという短い期間限定の相棒ザックは、カラコロと小気味良い音楽を奏でて先を行き、まるで自らを蹴れと促すように道のど真ん中で止まった。


「ん・・・」


そんな結果を見ても少年は特に感想はないようで、気のない視線のままザックの元まで行き、蹴る前にふと空を見上げた。


灰色の冷たい空は今にも落ちてきそうで、圧迫されるような錯覚を覚える。


「―――降るかな」


一頻りその体勢を続けた少年は、心配そうにそう漏らした。

と言っても、雨が降ったところで急に土砂降りになるわけではないし、何より少年の家はもうすぐだった。

降り始めたとしても、ザックを無視して急いで帰れば、それほど濡れることはないだろう。


「ふぅ・・・」


少年は息を吐いて視線を下げいき、足下の何故か堂々と構えているように見えるザックを見つめる。

そのままにべもなく蹴られたザックは、結果として数メートル先の曲がり角まで転がっていった。


少年はそれまでと同じようにザックを追いかけていき、曲がり角を右に曲がる為にザックの左側に立つ。

蹴る方向の先をちらりと確認した少年の顔に、疑問の色が浮かんだ。


「?」


通りの先には少年の家があるわけなのだが、どうやらその家の前に、人が二人がいるようなのだ。


それだけなら「お客さんかな?」と、特に疑問も浮かばないのだが、その二人の着ている服が問題だった。


少年の記憶では、その二人の服は軍隊というところの人達が来ている物と同じ物だったのだ。

以前に同じものを見た時、(どうして皆おんなじ服を着ているのだろう?)と、すごく不思議に思ったのでよく覚えていた。


何の用だろうと首を傾げながら少年は考え、やがてハッと気がついたようにザックーーーいや、小石を無視して走り出した。

その表情は、今までと違って喜色満面である。


「じっちゃんッ!!」


軍隊の服を着た二人と軒先で話している自らの祖父を見つけ、少年は叫び声を上げた。


見知らぬ二人の男が驚いて振り返り、少年の祖父は何とも形容し難い顔で少年を見た。


そのことに一瞬疑問を感じた少年だったが、すぐに今はそれどころではないと思い出し、祖父に嬉しそうに問いかける。


「この人達、"ぐんたい"の人達だよねっ!もしかして父さんがっ?!」


少年はちらりと傍らの二人を見て、祖父に答えを促すような視線を向ける。


「・・・後で話す。お前は中に入っとれ」

「えー何でだよ!?今話してくれればいいじゃん?」

「いいから・・・中に入っとれ」


少年はいつもと何処か違う祖父に困惑しつつ、それならばと軍隊から来たのであろう二人に顔を向けた。


「ねえ、おじさん達"ぐんたい"から来たんでしょ?」

「あ、ああ・・・そうだよ」

「やっぱり!」


少年は笑顔になり、そこでふと、二人の内の一人が抱えている箱に気がついた。


「それ、父さんから!?・・・手紙が入ってるにしては大きいけど、何なの?」


その箱を抱えている男は少年の質問には答えず、無言でもう一人の男に何かを伺うような視線を向けた。

視線を向けられた男は静かに首を横に振ることでその答えとしたようで、首を傾げて疑問符を浮かべている少年を一瞥した後、少年の祖父に向き直った。


「ーーーそれでは、こちらを」


男はそう言って、箱を持つもう一人の男に促し、少年の祖父に箱を渡させた。


「ーーーーー」

「私達はこれで、失礼します」


受け取った箱に無言で視線を落とす少年の祖父に、見られていないと知りつつ慇懃いんぎんに頭を下げた二人は、それに反応する言葉を待たずに去っていった。


「・・・変なの」


二人組の背中を見送って不思議そうに呟いた少年は、箱を持ったままの祖父を仰ぎ見る。

その瞳には好奇心という名の獣が宿っていた。


「それより、ねぇ早く開けようよ!きっと手紙だよ!」

「ーーーーー」


少年の祖父はそれに答えなかったが、それでもその場に膝を付いて、箱をその場に優しく置く。


それが言外の肯定だと捉えた少年は、目の前に置かれた箱と祖父の顔を交互に見やって、やがて箱の方に視線を定着させた。

少年は逸る気持ちを押さえて、祖父が箱の蓋を開けるのを待ことにしたのだ。

少年の祖父は、ゆっくりと箱の蓋を開ける。


「ーーーやっぱり手紙だ!と、これは・・・?」


箱の中身は一通の手紙と沢山の写真、そしてジャラジャラと音のする小袋と、綺麗に折り畳まれた複数の衣類や、使い古された見覚えのある装飾品だった。


「写真って"きちょうひん"なんでしょ?こんなの送ってくるなんて凄いや父さん。あ、こっちにはお金が入ってる。見てよこれ!

父さんのペンダントだ」


少年が興奮しているのを他所に、少年の祖父は入っていた一通の手紙を、封を切らずにただじっと見ていた。

ぽつぽつと雨が降ってくる。


「うわ、やっぱり降ってきたよ。・・・じっちゃんどうしたの?その手紙、開けないの?」

「・・・いいかジル。これから言うことを良く聞くんだ」

「え?う、うん」

「デルはーーーいや、お前の親父おやじは・・・」


逆らえないような空気をだす祖父に若干驚きながら、少年は言われた通り落ち着いて、じっと耳を傾ける。


きっと字を満足に読めない自分の代わりに、手紙の内容を読んでくれるのだろうと勘違いをしてーーー



◆◇◆



【爆発から五分後】


「はっ・・・はっ・・・はっ・・・!」


夕日に赤く染まるミニースの町。

黒髪の少年ジルが、昼間よりも活気が出てきた通りを全力疾走していた。

他の通行人は走っているジルのことを見ると、何事かと道を空けていく。

しかし、ジルはそれらには目もくれず、ただ足を動かし続けている。


ジルの耳に聞こえているのは、自身の断続的な荒い息づかい、そして狂ったような心臓の鼓動。


額を玉の汗が伝い、湿った服が体に纏わりついてくる。

体が重い。少しだけ止まって休んでしまおう。

そんな思いを押し殺して、ひたすらに足を前に出す。

リブに置いていかれたくない。もはや意地になっていた。


リブの買った荷物を抱えて走っているジルは、当然ながら満足に腕を振ることができないぶん遅く、視界に捉えているリブの後ろ姿は遠ざかっていくばかりである。


(ーーーなんで、昔のことなんか・・・)


ジルはふと、疲労から若干曖昧になっている頭で考える。

それはつい先ほど、ぼんやりと脳裏に浮かんだ昔の記憶だった。


唐突に思い出された理由を漫然まんぜんと考えてみるが、既に答えは分かっていた。

これからあそこに行くからだろう。


ジルはそこまで考えると、リブから一旦視線を外し、正面に見えている高い建物を見つめる。


先ほどまで空にあった黒煙はもう見えないが、それがどの辺りから立ち上っていたのかは推測できていた。それが正面に見えている建物。つまり、現在リブと、そしてジル自身が向かっている建物。墓地である。


ふと考える。

自分があそこに足を運ぶのは、何年ぶりだろうか。


父親の墓参りに何年ぶりだろうか、等と考えるのはその時点で親不孝者だと方々から非難されそうではあるが、それでもジルは進んで足を運ぶ気にはなれなかったのである。

あそこには父親の名前が刻まれた石があるだけで、何かが埋まっている訳でも何でもないのだ。


しかし、『だから行こうと思わないのか?』と聞かれると、そこはどうにも曖昧になってしまう。

正直に言って、自分でもよく分からないーーと言うより、あまり考えたことがなかったと言うのが適切だろう。


改めて疑問に思う。

どうしてだろう。どうして足を運ばなかったのだろう。

父親との関係は、どこかでたまに聞くような険悪なモノではなく、寧ろ仲が良かったし好きだった。

ならばこの答えは、自分自身でも言葉では説明出来ない心の問題、いわゆる『理屈じゃないこと』なのだろうか。


「おっとと」


意識をそちらに向け過ぎたためか、抱えていたリブの荷物を落としそうになって、ジルは慌ててバランスを取る。


お陰で荷物を落とすことはなかったが、思わずその場で立ち止まってしまった。


息を整えながらちらりと前を見ると、どんどん遠ざかっていくリブの背中。

ひどく空しい。

ジルは一度深く深呼吸すると、再びゆっくりとだが走り始めた。


それまで周りを意識していなかった為か気が付かなかったが、そこで初めて、ジルはいつの間にか商店街まで来ていたことに気が付いた。


日が暮れてきて昼間よりもいくらか涼しくなった為か、道には人の姿が多く見られる。

商店街を流れる空気は、いつも通りのどこか退屈な、それでいて不思議と落ち着くもの。


学校帰りだろうか、ジルと同じ学校の制服を着た男女が、駄弁りながら歩いているのが疎らに見える。

主婦達は夕飯の材料が入っているのであろう買い物袋を手に下げて、心なしか足早に家路についているようだった。


そう言えば、今日の夕飯の当番は自分であったと、ジルは主婦達を見て思い出す。


だが、はっきり言って作りに帰るのは面倒くさいし、やっぱり顔を合わせるのは気まずい。

冷蔵庫の中には何かしらあるだろうし、作りに帰らなければ勝手に何か作って食べてくれるだろう。


そう結論したジルは、暫くして周囲の異変ーーとまではいかないが、ちょっとした違和感に気づいた。

それは周囲の反応。

走る自分を呆れの混じった目で一瞥して、すぐに興味なさそうに視線を外す人が多いのだ。


あまり気にしていなかったので曖昧だが、さっきまではこんな反応ではなかったはずである。


恐らく大体の人は、平和な日常が流れている所で突如として走っている人を見れば、何事かと取り合えずその姿を追うだろう。

それは危機察知と言うか、防衛本能と言うか、きっとそういう本能的な何かだと思う。

それなのに自分は何故か、最初から呆れの目で見られているのだ。


そのことに少し疑問を感じたジルであったが、すぐに「まあ、こんなものかな」、と考えるのを止めた。

呆れの視線など向けられ慣れているし、これぐらいは可愛いものである。気にもならない。


そうして再び、ジルは意識を前方にいるリブに戻す。


(・・・ん?)


先ほど立ち止まった時よりも、何故かリブとの距離が縮まっているように感じる。


おかしい。

自分の足が速くなった訳ではない。

なら、リブが速度を落としたのだろうか。


そうこうしている内に距離はどんどん縮まっていき、やがて手を伸ばせば届きそうな所までーーー追い付ける。

そして、


「ーーーこれは?」


リブはそう言って、突如として立ち止まった。

その背中にぶつかりそうになったジルは小さく驚きの声をあげて、体を捻らせてギリギリのところでリブを避ける。


リブを数歩追い越した所でたたらを踏んで止まったジルは、息を切らしながら顔だけでリブに振り返った。


息が切れている為か何も言わないジルではあったが、目は口ほどに物を言うという言葉をそのままに、その瞳からは何故止まったのかという疑問が伝わってくる。


伝わってはくるが、しかしそれはジルの目を見ていればの話である。


リブの瞳はジルを映しておらず、その背後に向けられていたのだ。

どこか納得いかない気持ちを押さえながら、ジルはリブの視線の先を追いかける。


「ーーーこれは?」


奇しくも先ほどのリブと同じ台詞を吐いたわけだが、そんなことになど気づかないジルは、目の前の状況を理解することに勤める。


走ることに夢中、と言うよりは追い付けるかもしれないリブの背中に夢中で気がつかなかったが、いつの間にか目的地にたどり着いていたのだ。


そこは、普段通りの小奇麗な石畳の広場。

由縁の分からない女性の銅像が置いてあったり、少しだけ水が濁っている小さな噴水があったり、魔法の光が灯っている幾つかの魔灯・・が等間隔に並んでいる。


そしてその広場の中心に当たり前のように構えている大きな建物が、ジルとリブの目的地である墓地である。

しかしジルが驚いたのは、そんないつも通りの光景があったからではない。


「さっきの、ただの事故じゃないのか?」


五秒ほど息を整える時間を置いてから、ジルは誰にでもなく呆然と言葉を漏らした。


いつも通りの広場であるならば、銅像の台座の周りに待ち合わせの為に腰掛けている人や、犬の散歩なんかで歩いている人影が疎らにあるだけなのに、今日の景色は見慣れたそれとは大きく違っていたのだ。


まず最初に目に入るのは、この町では珍しい程の人混みだ。

墓地の入り口へと続く階段付近に広がっているそれは、何の催しもない平日の夕方には不釣合いであり、長らくこの町に住んでいる者からすれば、異様とも言える光景であった。


一年に二度ある町総出の祭りでもなければ、これほどの人間が一堂に会することなどまず無いだろう。

それに祭りなどとは表現したが、目の前に広がっているものは、そんな楽しそうな雰囲気ではない。


ざわざわと喧騒が聞こえてくるが、その中にあるのは不安や恐怖の類いであり、決して笑い声などではない。


それによく見てみると、国境警備団の紺色の制服を着た数人が、人混みの先頭に立ち、人の立ちりを制限しているようである。

さらに、建物を取り囲むようにして、武装している大勢の警備団員の姿が見える。


(・・・分かりやすい面倒事だな)


ジルは無意識に口元を歪めつつ、心の中で嘆息した。


国境警備団と言えば、その名の通り国境を守っている組織である。


今でこそ知らない人はいないような有名な組織ではあるが、その歴史は意外と短い。

隣国であるガーランドとの戦争が、表面上は休戦という名の局地的な小競り合いに落ち着いた、約十年前に新設された組織だったなと、ジルは若干曖昧な記憶を辿る。


ちなみにその十年前より以前は、王国軍が今の警備団の位置を担っていたのだが、休戦に基づく両国間の取り決めにより、王国軍はそれまでより幾らか力を削がれ、そして攻める為ではなく国防・自衛という名目で、今の警備団が組織されて現在に至るわけだ。


自衛だけの目的で作られたという話をまともに信じる人間は少ないのだが、隣の国でも同じようなことをしているので、そこはおあいこと言えるだろう。


話がそれたが、今のルダル王国では王国軍と同じ位、いや場所によっては王国軍より力、発言力があるのが警備団である。そして、現在のおおやけになっていない局地的な小競合いで戦っているのは警備団である。


何が言いたいのかと言うと、つまり町に常駐しているだけでろくな戦闘もしていない王国軍の人間ではなく、武闘派である警備団が出張ってきているという事実が、それだけで相当そうとうな厄介事なのだと分かるということだ。


ジルとしては、今すぐこの場を離れたい気分であった。


「な、なにがあったんだろうね?」

「ーーー」

「ねぇ、リブ・・・聞いてる?」

「みんな!」


それとなく帰ろうという流れに持っていくつもりだったジルの声など耳に入っていないようで、リブは人混みの方へかけていった。


「ちょ、ちょっと、危ないって」


先程からリブが見せるどこか焦った様子に若干戸惑いながら、ジルもその後に続いた。


リブは人混みの中に割って入ろうとしたが、無理やりに入ろうとした為に弾き飛ばされ、地面に尻餅をついてしまう。


「言わんこっちゃない!」


律儀に抱えていた紙袋を近くに置いたジルは、すぐさまリブに駆け寄り、


「大丈夫?だから危ないってーー」


と、リブを助け起こそうと手を伸ばしたが、ふと女の子の体に触るということを変に意識してしまい、伸ばした手は何をするでもなく虚空で固まった。

全くもってヘタレである。


ジルが自分自身の情けなさに胸中で肩を落としていると、変な姿勢で固まっているジルを見て落ち着いたのか、不思議そうに首を傾げるリブが話し始めた。


「ありがと。でも、何とかして入らないと」

「ん?は、入るって、まさかあの中・・・な訳ないよな」

「うん?いや、あの中だよ」

「・・・マジで?」

「マジで。あそこには、皆がいるから」

「いやいやいやっ!皆がいるって言ったってーーー」


ジルは若干ひきつった顔で、人混みの奥へと視線を向けた。


遠目からもどこか張り詰めた様子で、ピリピリとした空気が伝わってくる警備団員逹。

耳を澄ますと、時おり建物の中から何かが爆発したような音が響いてきて、その度に人混みに不安が広がっている。


その様子にどんどん顔を強張らせつつ視線を這わせていくと、ふと奇妙なものが目に入った。


地面に置かれた何かの上に、大きな布が被せられている。

元々は白い布だったのだろうが、今は半分近くが赤く染まっており、端から何かがはみ出している。


暫く目を凝らしてそれが何なのかを理解したジルは、急速に顔から血の気が引いていくのを感じた。


それは人間の右手であった。


ジルが理解したのとほぼ同時に、建物の中から何かが爆発したような音が響いてきて、集まっている野次馬逹にざわめきが広がる。


それに警備団の指揮官らしい男が指示を出し、その場にいる団員達の半数が建物の中に入っていった。

ジルは冷たい汗を額に感じながら、ごくりと唾を飲み込んで、緊張した面持ちでリブを振り返った。


「や、やばいって。警備団が出張ってくるほどの大事だし、今の音だって聞こえただろ?たぶん、中で戦闘が起きてるんだ」


自身の声が微かに震えているのを自覚したジルは、何故か幾らか冷静になれた。


その上で考える。

やはり、早くここから離れるべきだ。

何があるのか分からないし、巻き添えはごめんである。

集まっていた野次馬達も、今の一際ひときわ大きな爆発を聞いて散り始めた。


ジルはその様子を横目で流しながら、リブから返ってくる当然であるはずの言葉を待った。

しかし、


「ーーそれでも、行かなきゃ」


平然と、それが当然であるかのようにリブは言った。

一瞬きょとんと呆けたジルだったが、すぐにその言葉の意味を理解して、聞き間違いではないかとリブの目を見る。しかし、大きなエメラルドグリーンの瞳は、すでにジルを映していなかった。


そんなリブにジルは絶句して、何の言葉も返せない。


リブはジルの言葉を待たずにすっと立ち上がり、再び人混みに向かって行く。

先程とは違い、ジルはその背中を追いかける気にはなれなかった。


異性との交流が壊滅的に無いジルは、普通の女の子の定義を曖昧にしか持っていなかったが、それでもふと思ったのだ。思ってしまったのだ。

この女の子はおかしい、普通じゃないと。


自分なら、こんな訳が分からないことで巻き添えをくらって、怪我をするのはごめんだ。

一般人の自分達がここにいたって何もならないし、何も出来ないし、中に入ろうなんて考えもしない。

例え仲間がいたところで、警備団に任せるのが当然である。


(ーーーリブとは、あの子とは今日会ったばかりだ)


こんな無茶には付き合いきれない。

そっと離れよう。

自分は一度止めたのだから、義理は通した。何も責められることはないし、たぶんもう二度と会うことはないだろう。

だから、今日は大人しく家に帰ろう。


今日は自分が夕食の当番である。

じっちゃんとは今少し気まずい状態だけど、旨いものを食えばなんとかなるだろう。

二人暮らしなのだから、顔を合わせづらいというのはお互いに良くないはずだ。


そうと決まれば、早く家に帰ろう。

冷蔵庫の中身を確認して、何を作るのか考えるのだ。

まだ時間には余裕があるし、場合によっては買い物に行こう。


そうだ、それがいい。

ジルはそう思って、しゃがんでいた腰を上げる。


夕飯を食べた後は、今日も暑いからシャワーだけ浴びて、風呂上がりに冷やしていた牛乳を一気に飲めば、多少暑くても気持ちよく眠りにつけるだろう。


明日になれば、今日ここで何があったのか具体的に分かるかも知れないが、その時にはもうどうしようもないし、たとえ詳細が分からなくても、あの子とは今日会ったばかりで連絡の方法もないのだから、その時には自分も「しょうがなかった」と、言っていることだろう。
















































・・・最悪だな。


それは自分への評価。たっぷりの軽蔑。

この数秒の間で、よくもこれだけのことを自然に考えつくものだなと、ジルは口元を歪めた。自分で自分が嫌になる。


視線を下に向けると、微かに震えている自身の手があった。

その震えを抑えるようにぎゅっと拳を握り、ジルは静かに目を閉じて、深く空気を吸い込んだまま息を止める。数秒その状態を持続させて、やがてゆっくりと息を吐き出しながら目を開いて顔を上げる。


先ほどの爆発によって野次馬が少なくなったこともあり、リブはずいぶん前の方に移動していた。

それでも建物に入れた訳ではなく、無理矢理に入ろうとするリブを、警備団の二人が止めているという状況だ。


そんなリブの瞳は相変わらず真っ直ぐで、おもしろいぐらいに真っ直ぐで、ああそうか、とジルは思い至った。


おかしかったのは自分だ。


少し前、ジャンク屋を出てから暫くしてのリブとの会話を思い出す。


最初から諦めて何もしないほうがいいと言ったリブに対して、自分はそんなことはないと、諦めずに足掻くべきだと確かに言おうとしたのだ。


でも今の状況は、それと全くの逆ではないか。

いざとなったら当然のように逃げることを考える自分と、些か強引ではあるが、必死に行動する彼女。


本当は分かっていた。

これがジル・バケットという人間の本性。

どうしようもなく臆病で、今だって震えは止まらない。怖くて、逃げ出したいと考えている。

それでも、


「ーーーッ!」


自己嫌悪を吹き飛ばすように、ジルは両の手のひらで自分の頬を叩いた。ぱしんと乾いた音が喧騒に流れる。

若干涙目になる程の痛みと同時に、強張っていた表情が冴えてくる。

活は入った。


どうしようもなく臆病な自分だけれど、それでも夢は、自分でも無謀だと思いながらも捨てられないあの夢は、間違いなく本物だ。であるならば、あの時に言おうとした言葉をリブに、何より自分自身に証明するために、ここで逃げてはいけない。


自分は無知で、未熟で、臆病で、欠陥品なのかもしれないけれど、何も出来ない訳じゃない。


ここからだ。

行くぞジル・バケット。

踏み出した足が震えているのは武者震いだ!



◇◆◇



「ーー君!もう諦めなさい!」

「行かせて・・・!」

「ちっ・・・頼むから、もう諦めてくれっ!」


リブを押し止めている警備団が、辛そうな顔をしてリブを突き飛ばした。


こういう場面では、嘘でも「私達に任せなさい」とでも言ってなだめるのが普通なのだが、そんなことを気にする人間は誰もいなかった。

文字通り、リブの周りには誰もいなかったのである。


リブを端から見れば、何やら騒いでいるおかしな女の子、という所だろう。

そんなものには関わりたくないと思うのが普通である。


故に、突き飛ばされたリブはバランスを崩して、誰かに支えてもらうこともなく、背中から地面に倒れ始めた。


そのまま地面にぶつかるという一歩手前で、突然リブの動きが止まる。

何が起こったのか分からないというように、リブが首を回して後ろを向くと、そこには知っている顔一つ。


「君は・・・」


第一印象でどこか頼りなさそうだなと思っていたその顔は、やはりどこか頼りなさそうである。

しかしそれと同時に、先ほどまでとは違う不思議な力強さも感じられた。

それはそうと、どうして顔を赤くしているのだろうか。


そんな疑問を胸にしまって、少女は礼を言って体を起こした。

すると唐突に、


「無理矢理に行ってもダメだ」

「・・・え?」

「さっきより少なくなったけど、振り払って行くのは無理があるよ。何とかして、出し抜くなり何なりしないと」

「う、うん・・・うん? それってどういうーー」


ジルはリブの声を意識して頭から切り離し、顔を正面に向ける。

最初の時は集まった人の壁に阻まれてよく見えなかったが、人が幾らかけた今ならば、中に入る方法のヒントでも見つかるかもしれない。

集中しよう。


最初こそ警備団の数は多かったが、先程の爆発音の後に、そのほとんどは建物の中に入ってしまった。

その際にひょろ長い指揮官らしい男も、近くにある簡易な天幕の中に入ってしまい、ここから見える限りだと、外にいるのは十四人だ。

いずれも武装している。


指揮官らしい男が入っていった天幕の横には大型のトレーラーが停めてあり、荷台は大きなカーキ色のシートで覆われていて確認できない。


そんな風にして周囲に気を張っていると、ふと、近くにいた男二人の話し声が耳に止まる。


話を要約すると、警備団が追っていた賊をこの建物に追い詰め、なんやかんやで戦闘になったらしいーーということだった。

予想していたことだが、戦闘という言葉に体が強張ったのを自覚したジルは、小さく息を吐いて再び気を引き締める。


戦闘と言っても、そこまで酷いことにはなっていないだろう。

警備団と賊の戦いだ。

中では一般人の避難誘導が警備団によって行われ、警備団の一方的な展開になっているはず。


そんな考えが頭を過った瞬間、『では、やはりこのまま待っていた方がいいのでは?』という考えが生まれた。まあ当然だろうとは思う。

だが、ジルはその考えをすぐさま斬り捨てた。


この時のジルは、先ほどの『諦めずに足掻く』という言葉を少しズレて認識していたことと、警備団による一方的な展開になっているのならば、建物内は懸念していたほど危険ではないだろうという認識もあり、些か調子に乗っていたのである。雰囲気に流されていたとも言えるだろう。


とにかく、ジルは何とかして中に入ろうと決意を新たにし、何かないだろうかと視線を巡らせる。


すると、一つ気になる物を発見した。

それは地面に立てられている細長い棒らしきもの。

先端に付いている赤い水晶のようなものが怪しく光っている。


見た限りで周囲に六つ程あるそれらは、町中でよく見かける魔灯とは大きくデザインが違っていて、何より光っているとは言っても、暗闇で辺りを照らし出す程のものではない。おそらく別の何かだ。


では一体なんなのだろうか。

ジルはきょとんとしたままのリブに向き直って疑問を口にする。


「ねえちょっと。あれ、何か分かる?」

「あれ?・・・あ、結界」


ジルの指す先を確認して、たった今気がついたような台詞を漏らすリブ。

それを見たジルは、不謹慎だと自覚しつつも思わずくすりと笑ってしまった。


自分もそれほど余裕が無かったし、彼女はあまり顔に出ないタイプみたいなので分からなかったが、焦っていたのだろう。

それこそ、周りが見えなくなるくらいに。


考えてみると当然のことである。

リブは建物の中に『皆』がいると言っていた。墓地ここに用事があるとすれば、それは大抵の場合は一つしかない。

そう考えると、リブの言う『皆』は家族や親類縁者という可能性が高くなってくる。

それは必死にもなるだろう。


「ジル?」


笑ったことがバレたのだろう、リブは怪訝そうに首を傾げていた。

その様子に、リブもある程度は落ち着いてきたのだと確信したジルは、口元の笑みを消した。


「いや、ごめん、なんでもない。それよりあれ、結界って言ったっけ?」

「うん。あれはたぶん、捕縛結界」

「・・・なにそれ?」


結界。

そんな物が教科書に書いてあった気がするが、内容自体は詳しく覚えていない。

授業をサボっていた過去の自分を呪いながら、ジルは恥じらいを捨てて少女に聞いた。


「え?・・・あー、うん。簡単に言うと、許可を持っていない人があれの近くを通ると、捕縛されて動けなくなるんだよ」

「へ、へぇー」


なるほどそうだったのか、と納得。

まぁそれはいいとして、答えてくれたのは良かったのだが、最初にあった少しの間が気になる。

表情にはあまり出ていなかったけど、やはり馬鹿だと思われたのだろうか。

思われただろうな。


ジルがガクリと肩を落としているのを尻目に、リブはくだんの結界とやらをじっと見つめ、「少し強引だけど」と独り言のように呟いた。


それはどういう意味なのかをジルが質問しようとすると、リブはそれを遮るように素早く動いていた。


白亜の髪を揺らめかせながらリブが手を前に掲げると、ジルの視認できない何かがリブから溢れ出て、その掌に集まっていく。


「っ!?これって・・・まさか」


昼間にその身で受けた風の魔法とは何かが違う。

半ば本能的に、これは魔法ではないとジルは理解した。

それは力の奔流。


魔力を持たない、つまり魔力に全く適性のないジルには、魔力そのものを知覚することは本来出来ない。

魔法という事象をもって、初めてその存在を認識できるのだ。


しかし今、自分の頬を撫でているドロリとしたこれが、恐らく魔力という物なのだろうと、ジルは不思議とすんなり理解した。

同時に体に纏わりつく違和感に怖気が走り、体が鉛のように固まる。


ただただ圧倒されるジルをそのままに、少女はそれを解放した。

それとほぼ同時に、正面で変化が起こる。


リブの言う結界。地面に立てられている結晶付きの棒の全てが、何かに反応してけたたましい音を辺りに響かせた。が、それもほんの数秒のこと。耳障りなその音は、少女が前に突き出している掌をぎゅっと閉じると鳴りやんだ。

よく見ると、先端に付いていた結晶が砕けている。


「ーーーーー」


辺りに不自然な静寂が降りる。


隣に立つ少女の所業にジルは唖然としながらも、高価そうな物だけど大丈夫だろうか、とよく分からない立場からの心配をしていたが、それを他所にして状況は進んでいく。



『ーーーッ!!』


突然のことに動揺を見せた警備団達だったが、流石はプロといったところか。

全員がすぐに表情を引き締めて、事態の把握に努め始めた。


相手の人数。

見た限りでは一人の少女。

その隣にいる少年はーーー関係ないだろう。

相手の目的。

だいたいの予想はつく。中にいる賊の仲間であろう。

相手の力量。

先程の魔法を見るかぎり、間違いなく強い。無傷で取り押さえるのは難しいかもしれないーーー


三秒程の思考の後、誰一人として声を出さず、警備団は鋭く動いた。

リブの近くにいた四人が躊躇いもなく抜刀。

油断のない表情で少女との距離を詰めてくる。

後の数人は魔法を発動。

仲間が近くにいるかもしれないと、周囲への警戒も怠らない。


逃げ出す野次馬の間を縫って踏み込んできた警備団の剣閃に、ジルが『切られるっ』と目を背けた瞬間。

その場にいた警備団員全てが、突然ばたりと倒れた。


「・・・え!?なに、なにこれ!?」


狼狽するジルをよそに、リブは若干息を切らしながら「よしっ」と呟いた。

どうやらこの子がやったらしい。と、ジルが理解して驚愕の視線をリブに向けていると、倒れた団員達が苦しそうなうなり声を上げた。

どうやら死んではいないらしい。多少の安堵。

しかし、大きな疑問が残る。

魔法を使えれば、誰でもこの子のような芸当が可能なのだろうか。


ーーーいや、おそらくは無理だろう。


ジルは自身の常識のもとで判断する。

詳しくは知らないが、目の前で倒れている男達は皆、一定の訓練を積んだ戦いのプロとも呼べる警備団である。

隣に立つ少女は、その彼等を一蹴できる程の腕前なのだ。

学校のいじめっ子などとは比べ物にもならない。


「・・・」


ジルは唾を飲み込む。

相変わらず体は固まって動かないが、自分の中にあるのが少しばかりの恐怖と好奇心であると、錯綜する思考の中でジルは自己分析した。


そんなジルに、リブは「ありがとう」と一言だけ残すと、躊躇いもなく建物の中へと走っていった。


自分は特に何もしていないが、建物の中に入るという目的は達成されてしまった。

リブという少女は、やはり普通ではなかった。

暫くその背中を見つめる。


頭が止めておけと言っている。

心がやれと叫んでいる。


ジルは自分の意思とは関係なく震える足を手で押さえるが、それでも震えは止まらなかった。

少し考えて、無視することにする。


顔を上げたジルは小さく一歩、前へ踏み出した。

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