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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
最終章:乙女の祈りが叶うとき
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約束

「『印』を……?」

 ルゥナが繰り返すと、ピシカはギュッと小さくなった。


「アタシとユクレアは、『対』の存在なのよ」

「『対』?」

「そう。アンタたちで言うところの双子みたいなもん。それよりも、もっともっと『近い』けど。唯一無二で、他の何にも代えられない、存在。決して離れられない、失えない、相手」

 ピシカは手の中の珠に目を落とし、そして小さく息をつく。

「それなのに、アタシはコイツを裏切った。アイツらに言われるままに、『印』を刻んだ。……刻んじゃったんだ」


「あいつらって、誰?」

「『オトナ』だよ。アタシたちより、ずっとずっと長く生きてきた奴ら。あの世界で、アタシたちはまだ産まれたばっかで、何も解かってなかった」

「赤ちゃんみたいなもの?」

 首をかしげたルゥナにピシカは肩をすくめて返す。それは多分、同意なのだろう。

「アタシの『力の形を変える力』もコイツの『力を増幅させる力』も、珍しいものだったんだ。だからアイツらは興味半分でユクレアにアタシの力を使わせた。アタシの力でユクレアの力はユクレア自身に作用するようになって、増幅の力は真っ先にユクレアを壊してしまった。制御できなくなったんだ。アタシの世界はあっという間に滅茶苦茶になって、手に負えなくなったユクレアを……ユクレアとアタシを、アイツらは追い出した」

「ピシカ」

「アタシたちはアタシたちの世界を追い出されて、色んな世界を渡り歩いた。一つの世界に留まるとユクレアの力でそこが壊れちゃうから、そうなる前に動かなくちゃいけなかった。もう、どれだけの世界を通り抜けてきたか、覚えてない。……中には、間に合わなくて壊しちゃったところもあった」

 ピシカが顔を上げてルゥナを見る。


 彼女の眼差しには、もう怒りも恨みも聞き取れなかった。

 あるのは、ただ、悔恨のみ。


 不意にそれが揺れる。


「こんなふうに長くいられたのは、この世界が初めて。ここではユクレアの力がもたらす変化がすごくゆっくりで……この世界で、ルゥナのことを知って、ここならユクレアを何とかできるんじゃないかって、思えた。コイツの力で変わってしまったものを元に戻せたのなんて、ルゥナが初めてだったんだ」

 そうして浮かんだ、泣いているような笑顔。

 ピシカのその金色の目が、手の中の青銀色の珠を見つめる。

 至高の宝物を見るように。


「最期を迎えるまで静かに眠らせてやれればいいって、それだけでもいいって思ってたのに、こんな……」

 震える声でそう言って、両手の中に珠を包み込んだ。

 恨みつらみをまくしたててやりたいところなのに、そんなふうに弱さを見せた彼女など初めてだったから、エディは何も言えなくなってしまう。


「何か、やりきれないなぁ」

 隣で呟かれたトールのぼやきを、エディは否定することができなかった。

 この地に災厄を持ち込んだピシカが単純な『悪』であったなら、話は簡単だったのに。


 唇を噛んだエディの後ろから、能天気とも言えそうなほど明るい声が響き渡る。

「まあ、取り敢えず、その魔晶球の中身は『邪神だったもの』で、ルゥナが何とかしてくれたわけだ。もう危機は去ったということで、大事に至らず良かったじゃないか。ほら、弟君もすっかり元に戻って」

 終わり良ければ全て良し――結果が良ければ経過などどうでもいい、と言わんばかりのシュウの台詞に、ヤンもうなずいて同意を示す。

「確かにな。さっきのルゥナの力がどこまで広がったのか見当もつかないが、あの勢いでは、少なくともこの島にいるものくらいは全て癒していそうだ」

「だな。さて、万事万々歳、というところで帰るとするか。ピシカの話にまだ続きあるなら、道々聞けばいいだろう?」

 そこで、ハッとルゥナが立ち上がった。そうして慌てたように振り返る。


「どうしたの、ルゥナ?」

 勢い余ってふらついたルゥナを支えながらソワレが訊くのへ、彼女は振り返ることなく答える。

「マギクが――マギクは大丈夫なの? 腕が取れて……治さなくちゃ」

 今にも駆け出しそうなルゥナの腕を、ソワレが改めて掴み直した。

「マギクなら大丈夫だよ。さっきの君の力ですっかり治してやったみたい。まあ、腕は生えてきてないけどね」

「そう……良かった」

 ホッと肩を撫で下ろしたルゥナに、ソワレは奇妙な眼差しを向けていた。弟の様子に気付いた彼女は、首をかしげて彼を見上げる。


「ソワレ、どうかした?」

「いや、君の力なんだけど……」

 言いかけて、彼は口ごもった。

「わたしの力?」

 それが? と言いたげなルゥナに、らしくなくためらいがちに、続ける。


「君の力、多分、消えてる」


「え?」

「ルゥナから、魔力が感じられないんだ。ほんの少しも。そのうち戻るのかもしれないけど、今のところはまるっきり、空っぽって感じだ」

 ルゥナはポカンとソワレを見上げている。

 だが、何でもない事のように平然としているソワレの台詞に驚いているのは、彼女だけのようだった。

「別にいいだろう。もう旅暮らしもしないんだし。ルゥナはエデストルで暮らすんだから。別に、治癒の力が必要になるような目には、もう遭わない」

「いやいや、シュリータに住むんだろ?」

「ルゥナには暮らし易いとは言えないだろうが、ヤンダルムでも構わない」

 エディ、シュウ、ヤンから次々に提案されて、ルゥナは絶句している。


「でも……だって……わたし、力が無かったら、役に立たないし……」

 しどろもどろにルゥナがそう言うから、エディは眉間にしわを寄せた。

「何が違うんだ? ルゥナはルゥナだろう? 何も変わってないじゃないか」

「だけど」

「前にもエデストルに来いって言っただろ。あの時も今も、俺は治癒の力を持つから来て欲しいわけじゃない」

「エディ……」

 ルゥナは、あからさまな困惑の眼差しを返してくる。


 エディには、なぜ彼女が自分の言葉を受け入れないのかが解からない。

 ほとんど睨み付けるようにして彼女を見ていると、背後から忍び笑いが聞こえてきた。


「……何だよ、トール」

「いや、別に。気にしないで。まあ、エデストルに連れて帰ったら、時間をかけて解からせなよ」

 言われなくても、そうするつもりだ。

「とにかく、ルゥナがエデストルに来るのは決まりだ」

 ビシッと決めつけると、彼女はいくつか瞬きをしてから頷いた。


「じゃあ、ケリがついたところで出発しようか」

 訳知り顔ににやにや笑いを浮かべたシュウが、妙に腹立たしい。が、何か言えば言うほどシュウやその他を楽しませそうな気がする。


(クソ)

 腹の中で罵りつつ、エディは黙って指笛を鳴らして馬を呼んだ。

 じきに、蹄の音が近づいてくる。


 感心なことに、あれほど派手な戦闘を繰り広げたにもかかわらず、馬は五頭ともちゃんと戻ってきた。

 ルゥナは来た時と同じようにソワレの馬に、意識がまだ戻らないマギは馬を操り慣れているシュウの馬に乗せる。


 残っているのは――


「ピシカは、エディと一緒?」

 大地に立ったまま動こうとしないピシカに、次いでエディに、ルゥナが伺うような眼差しを向ける。

 ピシカを同乗させることにどうの、ではなく、ルゥナがさっさとソワレの馬に乗ってしまったことについて何となく釈然としない気分を抱きながら、エディはピシカに向けて手を伸ばした。


「ほら、掴まれよ」

 素っ気なく付け加えたが、彼女は動かない。


「ピシカ? どうしたの?」

 ルゥナが声をかけても、まだ反応はなかった。

 ルゥナはまた馬を降りて、ピシカの前に行く。

「ピシカ、行くんでしょう?」

 向かい合ってもまだ固まっているピシカに、少し心許なげな響きが、ルゥナの声に加わった。鈍いエディが聞いても、判るのだ。ピシカが気付いていないはずがない。


(何とか言えよ)

 胸の中で、エディがそう言った時だった。


「アタシ、一度自分の世界に行ってくるわ」

「え?」

 ピシカの言葉に、ルゥナが眉をひそめる。そんな彼女に、同じ顔をした薄紅色の少女が笑った。ピシカが初めて見せる、屈託のない笑顔で。


「アタシは一回、アタシの世界に行ってくる。アタシたちをオモチャにして放り出した奴らを、張り飛ばしてやりたいから」

「ピシカ……」

「何変な顔してんのよ。別に、帰るわけじゃないわ。アタシは、追い出されてじゃなくて、自分の意志で、あそこと決別したいのよ」

 同じ形の顔なのに、一人は泣きそうで、もう一人は吹っ切れたような晴れやかな笑みを浮かべているから、全く違うように見える。


 ピシカは苦笑して、左手に魔晶球を持ち、空いた右手でルゥナの頬に触れた。

「まあ、戻るって言っても、あちこち動き過ぎちゃって、もう、あの世界がどこにあるのかわからないから、辿り着くのにどれくらいかかるか判んないんだけど」

「だったら、別に無理して帰らなくても……」

「帰るんじゃないよ、ちょっと行ってくるだけだよ。アタシが帰りたい場所は、他にできたから」

 ピシカはニッと笑って、そしてふと真顔になった。


「こいつは、ここに置いていっていい? もうほとんど力出してないから、この世界への影響はないと思うんだ。……もう、アイツらの傍には行かせたくないから」

「そんなに嫌な思い出があるところに、独りで行くの?」

「行くよ。それが、ヤツラの命令に唯々諾々と従った自分への罰であり、けじめでもあるから」

 ピシカはルゥナの頬から手を放し、両手で青銀色の魔晶球を捧げ持った。


 ピシリと音がし、直後、珠が砕け散る。


 その中からふわりと立ち上った、淡い、青とも銀ともつかない霞は、束の間少女の形を取った。宙に漂うその少女は身体を屈め、ピシカの額に唇を寄せ――掻き消える。

 消える寸前、淡い笑みを浮かべたのが、エディの目には確かに見えた。


 ピシカはしばらく少女が居たあたりを見つめていたが、やがてその金色の目をまたルゥナに戻す。

「じゃあ、アタシもちょっと行ってくるわ」

 ヒラヒラとルゥナに向けて振られた手を、彼女は取った。それを握り締めて、ピシカをじっと見つめる。

「絶対、帰って来てね」

「もちろんよ」


 そう残し。


 ピシカは消えた。


 あっさりと。

 それは、あまりに彼女らしい去り方で。


 ルゥナは彼女が立っていた場所を見つめたまま動かない。

 エディがソワレに目をやると、彼は小さく肩をすくめて返した。


 少し迷って、エディは馬を降りる。

 佇むルゥナの後ろに立ってその細い背中を見守った。


 ややして、彼女の肩が少し大きめに上下する。吐息をこぼす微かな音をさせてから、身じろぎをした。ルゥナは白銀の髪を揺らして振り返る――その予兆に、エディは身構えた。

 絶対に泣いている、と思ったから。


 けれど。


「わたしたちも、帰ろ」

「……ああ」

 エディに向けられたルゥナの顔にある、柔らかだけれども明るい笑みに、彼はホッとすると同時に拍子抜けする。まじまじと見つめていると、ルゥナが首をかしげた。


「どうか、した?」

「いや、――泣くかと思った」

 エディがそう言うと、彼女はきょとんとして、また、微笑んだ。

「泣かないよ。泣くことなんて、一つもないもの」

「……そうだな」

 全てを正し、あるべき姿に戻すことができたのだ。

 泣くことなど――悲しむことなど、一つもない。

 確かにその通りだったけれど、エディは手を伸ばし、ルゥナをそっと抱き寄せた。


「エディ?」

「ルゥナは、この先一生、絶対、独りきりにはならない。させない。俺は、ずっと君の傍にいる……傍にいさせて欲しい」

 エディは心の底からそう願っているのに、何故かルゥナは声を震わせる。


「だけど、わたし、もう何の役にも立たないんだよ?」

 まだそんなふうに言う彼女に、エディはもどかしさを通り越して腹立たしさすら覚えてしまう。

「さっきも言っただろう? 俺は『ルゥナ』にいて欲しいんだ。治癒の力を持つ誰かじゃない。ルゥナはルゥナで、他の誰にも代えられないんだ。ルゥナがルゥナだから傍に居たいと思うし傍に居て欲しいと思う。そう思うのは俺の勝手で、ルゥナが自分のことをどう思っているかは関係ない。そうしたいと思う理由なんか解からない。けど、俺はそうしたいんだ」


(どれだけ言ったら、どんなふうに言ったら、通じるんだ?)

 力なんて、関係ない。

 役に立つとか立たないとか、そんなことは関係ない。

 彼女はただそれだけでかけがえのない存在であるというのに、どうしてルゥナ自身はその価値を認めようとしないのか。


(俺にとっては、こんなに大事なのに)

 この胸の内にある想いの名前を、エディは知らない。

 けれど、何故そんなふうに思うのかが解からなくても、彼女を手放してはいけないということは判っていた。

 そして、そんなふうにエディが思っているのだということを、いつかルゥナにも解かって欲しいと思う。

 何もできなくてもいい、ただ、ルゥナという一人の人間を望んでいる者が、ちゃんといるということを。

 たとえ、どれだけ時間がかかっても。


 時間は、これからいくらでもある。

 そう、いくらでも。


 彼が思いを新たにしたその時、腕の中のルゥナがクスリと笑った。

「ルゥナ……?」

 眉をひそめて見下ろすと、星が瞬く夜空の瞳が真っ直ぐな眼差しを返してきた。


「あのね、わたし、ピシカの――ユクレアと話をしたの。その時、思った。何かを、誰かを守ろうと思うのに理由や意味なんて必要ないんだって。ただ、あるだけで愛おしいから守りたい、守りたいから守るんだって。これってエディが言っていることと同じ……かな?」

 首をかしげて尋ねられ、エディはグゥと喉を鳴らす。

 何度か唾を呑み込んで、かろうじて頷いた。

「多分」

 ボソッと答えた彼に、ルゥナがパッと笑顔になった。

 それは、月下の元でしか開かないという白銀の花のような可憐さで。

 無防備で打ち解けたその満面の笑みが、容赦なくエディの心臓を貫く。


 彼は危うく渾身の力を込めてしまいそうになった寸前正気を取り戻し、腕を解いた。そうして、一歩下がる。


(ああクソ。俺はこれから絶対苦労する)

 たった今、世界を守るという大きな労苦を乗り越えたばかりだというのに、エディはそう確信した。

 ある意味、この問題の方が解決するのが難しいのかもしれない。

 何をどうしたらいいのか、さっぱり判らないのだから。


 耳に届く複数の忍び笑いが、実に腹立たしい。

 突然距離を取られていぶかしげにしているルゥナの顔を見下ろし、エディは小さく咳払いをしてから告げる。


 短くて、今、一番相応しい言葉を。


「帰ろう」


 その時ルゥナが浮かべた笑顔は、エディの胸の中に永く、永く、刻み込まれた。

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