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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
最終章:乙女の祈りが叶うとき
70/72

癒し

 激痛で意識が遠のいたのは、決して長い時間のことではなかったと思う。

 だが、ハッと目を開けて、まだぼんやりとした頭で何を探すでもなくエディが左右に首を巡らせた時、真っ先に見えたのは地面に這いつくばるマギクの成れの果てに両手を差し伸べているルゥナの姿だった。


「ルゥナ!?」

 ガバリと飛び起きたエディは慌てるあまりにつまずきながら、彼女のもとに馳せる。

「あ、ちょっと、エディ――」

 真っ直ぐにマギ王の巨体に向かうエディをトールの声が追いかけてきたが、それに応えている余裕はなかった。

 ルゥナが何を考えているのか、さっぱり解からない。しかし、今のマギ王に近づいてはいけないことは、判る。触れるなんて、もっての外だ。

 だが――間に合わない。

 彼が三歩駆けたところで、ルゥナの手がマギに触れる。


 刹那。


 マギの動きが、全て止まった。

 立ち上がろうともがいて大地を抉るように爪を立てていた手も、エディを吹き飛ばした背中で蠢く触手も。


「何が……」

 一瞬呆気に取られて立ち止まったエディだったが、すぐに我に返る。


「ルゥナ!」

 エディはクタリとマギにもたれかかっているルゥナの隣に膝をつき、彼女の肩に手を伸ばした。今にも彼女に届こうとしたその手が、グイと後ろに引かれる。


「触るな」

「!」

 眉を逆立てて睨み付けながら振り返ると、冷ややかなソワレの眼差しが見返してきた。

「何でだよ!?」

「何が起きているのか判らないんだから、無闇に触るな」

 エディはいつものようにどこか小ばかにしたソワレの口調にムッとしたが、すぐに自分の腕を掴んだままの彼の手が微かな震えを帯びていることに気付いてしまった。


(こいつも、不安なんだ)

 超然とした態度を装っていても、ソワレにだって、『何が起きているのか判らない』のだ。

 エディが腕を引くと、ソワレは抵抗なく彼の手を解放する。

 ルゥナを抱き起したい衝動をこらえて、エディは伏せている彼女の横顔を見つめる。その視界の片隅に、ふわりと薄紅色の何かがかすめた。

 その色彩を持つ者は、この場に一人しかいない。


 ルゥナと同じ姿を持つ、薄紅色の少女。


 黙ってエディとソワレの遣り取りを見守っていたトールとヤン、シュウが動いて、ルゥナと彼女の間に立ちふさがる。


「何よ、何もしないわよ」

 その言葉の通り、ピシカはそれ以上近寄ることはしなかった。立ち止まり、金色の瞳で食い入るようにルゥナを見つめている。

 と、不意に、トールが振り向いた。眉をひそめて、ルゥナを見下ろす。


「『印』、光ってない?」

「え?」

 エディは額に手をやった。が、トールはかぶりを振る。

「違うよ、君じゃない。ルゥナだよ」

 確かに、彼も感じた。

 エディは、指先でそっとルゥナの白銀の髪をよけてみる。

 彼女のうなじの『印』はほんのりと輝きを放っていた。それが急速に全身へと広がっていく。


「何に対して力を使っているんだ?」

 首を傾げたシュウがルゥナを挟んでエディの反対側に膝をつき、ルゥナの身体を探った。

「……少なくとも、彼女自身には目立った怪我はないが?」

 シュウがそう言った時だった。


 光の、奔流。


 ルゥナが発していた光が一気に膨らみ、爆発する。

 輝きはあまりに強く、エディは思わず目蓋を閉じ腕でその上を覆った。しかし、それでも遮り切れずに光が目を眩ませる。


 何が起きているのか確かめようと頬を歪ませながら薄目を開けても、視界を満たすのは白銀の光だけだ。


 何も見えない――何一つ。


 不安に駆られたエディは両手を伸ばしてルゥナがいるはずの場所を探る。


 いた。

 いたけれど、熱い。


(こんなに熱くても大丈夫なのか?)

 熱がある、なんていう程度ではなかった。彼女の華奢な身体は燃えているようで、このままでは燃え尽きてしまうのではないかとすら、思わされる。

 何度かルゥナが力を使う場面を見たことはあるが、こんな状態になったことはなかった。


(何が起きているんだ?)

 焦燥が突き上げてきたけれど、何が起きているのか判らない以上動かすことはできない。エディは手探りでルゥナの手を取り、握る。


 その指先も、熱い。


(早く、戻ってこい)


 彼女の小さな手を自分の額に押し当てて祈った、その時。


 突然、光が消えた。

 フッと、炎に息を吹きかけた時のように、突然。


 取り戻した視界の中に、真っ先に入ってきたのはもちろんルゥナの姿。

 その下にあった、変異したマギクの巨体は消えていた。代わりに、ボロボロの衣服の残骸を身にまとわせたマギクがうつぶせで横たわっている。左肩から失われた腕はそのままだけれども背中は微かに上下していて、命があることは判った。


「ルゥナはどう?」

 トールに声をかけられて、エディは彼女に目を戻す。まだ、意識は戻っていない。

 触れていいものかどうか迷ったエディは後ろにいるはずのソワレを振り向いて、目を瞠った。


「ソワレ、お前……」

「うわぁ、すごい。治ってる」

 呆然としたエディと驚くトールの声が重なった。

 二人――そして多分ヤンとシュウの視線を受けて、ソワレは訝し気に自分の両手を持ち上げ、しげしげと見つめる。エディのものよりももう少し淡い空色の目で、彼のものとよく似た金髪を太陽の光で輝かせながら。

 獣のようだったかぎ爪は消え失せ、手の甲から腕にかけてびっしりと生えていた鱗も無くなっていた。


「……ルゥナだ」

 エディは呟いた。

 他に、誰にこんなことをできるだろう。


 彼は息を一つ吸い、ルゥナの肩に手をかけ、腕の中でそっと仰向けにする。その下から、ころりと珠が、転がった。

(魔晶球……?)

 見たことのない色だった。

 青みを帯びた銀色で、呼吸をするかのように微かに明滅している。

 それはコロコロと転がり続け、やがて止まった――薄紅色の少女の足元で。


 彼女は、ピシカはガクリと膝をつき、震える両の手でその珠を拾い上げた。

 何か力のあるものなのかもしれない。それを使って、また彼女が何かしようとしているのかもしれない。

 そう思ったエディはピシカから珠を取り上げなければと身体を起こしかけたが、ルゥナが腕の中にいてはそうもいかない。


「トール、あれを取り上げろ――」

 振り返ってそう言おうとしたエディを、小さな声が遮る。


「いいの、あの珠はピシカの大事なひとなの」

「ルゥナ!」

 即座に一同の注目がエディの腕の中に集まった。


「大丈夫? どこかおかしいところは?」

 覗き込んでそう問いかけるソワレに、ルゥナは微笑んでかぶりを振る。

「全然平気。どこも何ともないよ」

 そこで、彼女はフフッと小さく笑った。


「何?」

「やっぱり、その色、エディと同じだなって思って。最初にエディに会った時、真っ先にそう思ったの」

 夜空を映した瞳を煌めかせながらルゥナが言うと、ソワレはどこか微妙な顔になった。そして、ふっと眉をひそめる。


「ルゥナ、君……」

「何?」

「――いい、今は。何でもない」

 らしくなく言葉を濁したソワレに、ルゥナは小さく首をかしげたが、すぐにその目がエディに向けられた。


「エディ、放してくれる?」

 請われて、エディはずっと彼女を抱き締めていたことを思い出す。多分、必要以上に力を込めて。

「ごめん」

 そっと手を放すと、ルゥナは危なげなく立ち上がった。そうして、数歩離れたところにうずくまっているピシカに歩み寄る。

 珠を胸に抱き締めたままで身じろぎもしないピシカと向かい合う形で、ルゥナは彼女の前にしゃがみ込んだ。


 少し前までの戦いが嘘のように、辺りには静けさが満ちている。

 その静寂を乱すことなく、他の者は何も言わずに、二人を見守った。


 と。


「……ありがと」

 風のそよぎにも掻き消されそうな、小さな声。

 とても小さな声だったが、その一言はその場の全員の耳に届いた。

 うつむいていたピシカが顔を上げ、ルゥナを見る。それは、彼女が初めて見せる和らいだ顔だった。

 身にまとっていた分厚い甲羅をすべてこそぎ落とした、和らいで、無防備な、顔。


「もう、何も聞こえない――何も。やっと眠ってくれた」

 そう言って、いっそう強く珠を胸に押し付ける。それはまるで、自分の中に取り込もうとしているかのようだった。

「ユクレアはずっと苦しんでた。だけど、アタシは何もできなくて」


(ユクレア……?)

 ピシカが呟いた名前に、エディは眉をひそめる。


 あの珠の、あれに封じられている何かの、名前なのだろうか。

 エディの疑問はルゥナの中にはよぎりもしなかったようで、彼女は構わず言い募る。


「でも、ピシカだってずっと何とかしようとしてきたでしょう? ピシカも、ずっと苦しんできたんでしょう?」

 労りを含んだルゥナの言葉に、ピシカはクシャリと顔を歪めて、またうつむいた。

「だって、全部アタシのせいなんだ」

「え?」


 一瞬の沈黙。


「アタシがユクレアに『印』を刻んだから、コイツは狂ってしまったんだもの」


 ピシカのその言葉に、痛いほどの静寂がその場に覆い被さった。


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