決戦
いくつもの火の塊がマギ王から放射状に放たれる。
自分目がけて向かってきた数個のそれを、エディはとっさに剣で弾く。束の間肩の力を抜いたが、すぐに彼の後方にいた者のことを――ルゥナのことを思い出した。
「ルゥナ!」
色を失い名を呼ばわりざまに振り返る。
確かに、彼女は死なない。
だが、怪我は負うのだ。
エディは、ほんのわずかな傷でも、もう彼女には与えたくなかった。
サッと視線を水平に滑らせ、その姿を探す。
ルゥナは、見えなかった。代わりに、彼女を包み込んでいるソワレの背中がある。彼がまとっている長衣はところどころくすぶっているが、身体にはこれといって怪我らしい怪我はないようだ。その近くにいるトールもパッと見たところでは無事だ。
安堵に胸を撫で下ろしたエディに鋭い声が飛ぶ。
「ぼやぼやするな、前を見ろ!」
ハッと振り返ると真っ直ぐ水平に槍を構えたシュウが目と鼻の先に居て、その槍の切っ先の向こうには半透明の壁が生み出されていた。それが次々と向かってくる火球を阻止している。
「すまない」
「愛しいルゥナが気になってしまうのは解かるが、敵がいる時には敵に集中しろ。背中を向けるなどもっての外だぞ」
自分の背丈よりも長い槍を構えているとは思えないほどのんびりした口調だった。そんな緊迫感のない声で言われても、深刻さがイマイチ伝わってこない。
それでも、エディは頷いた。
「ああ」
シュウは続けてニヤリと笑う。
「彼女は弟君に任せておけば大丈夫だろう。彼が髪一本たりとも傷付けさせやしないさ」
確かにルゥナが無事であることは最優先事項だが、エディは何となくシュウの台詞に素直に頷けなかった。彼女を守るのが別の人間だということが、気に入らない。
今度は返事をしないエディに、彼女がチラリと目を走らせる。そうして、いかにも楽し気に唇の端を持ち上げた。
その遣り取りの間にも純粋な炎の塊は音もなく次々に障壁に叩きつけられ、そのたびにパッと目を射る輝きが散る。
「普通、そろそろタネ切れにならんか?」
その絶え間ない攻撃にシュウの作る盾もびくともせずに応えてはいるが、護りに徹するばかりの状況に、彼女のしびれが切れ始めてきたようだ。
「私が会ったことがある魔法使いはソワレぐらいだが、彼は別格なのだろう? 一般的なマギク兵とは戦ったことがないから良く判らんが、これは結構な力ではないのか? 並みの軍隊ならば一人で簡単に潰せそうだな」
エディと同じくシュウの作り出す盾に護られたヤンが、感心したように言った。その声にも、焦燥などは微塵も感じられない。むしろ楽しげにすら聞こえるのは気のせいではないのだろう。
(二人とも、どこまで戦うのが好きなんだよ)
半ば呆れながら、エディは返す。
「俺も実戦じゃ見てないけど、合同演習なんかじゃこんなには凄くなかった。一発撃つのにちょっと溜めが要ったりしてたし」
だから、一対一での接近戦になると魔法は弱いのだと、ベリートが言っていたのを思い出す。数人程度が相手であれば、多少の怪我は覚悟で懐に突っ込んで行ってしまえば、さして恐れる敵ではないのだ、と。
「まあ、いずれにしてもいつまでもこうしているわけにはいかないな……、と?」
まるで、シュウのその台詞が聞こえたかのようだった。
不意に炎の攻撃がフツリとやむ。
「なんだ?」
ついに魔力も尽きたのかと、エディは剣を下げた。
が。
「気を抜くな……来るぞ!」
「ああ」
頷きながら剣を構えたエディたちが新たに目にしたのは、炎ではなかった。
「あれは私では無理そうだな」
肩をすくめて、シュウが槍を肩に担ぐ。それとともに盾が消え、一層鮮明に前方の様子を確認できるようになった。
襲い来るのは岩の槍――地中から突き上げるように次々生まれ出でるそれは、火球よりも遥かに速度は劣る。
だが。
「チッ」
思わず漏れた舌打ち。
隙間なく生える岩の槍はほとんど壁と言ってもいいほどで、左右どちらに動いても逃げられそうにない。
――となると、残るは上か。
だが、ここでエディたちが避ければ、背後のルゥナに被害が及ぶかもしれない。
ためらう彼の襟首が、前触れなく横から伸びてきた手に掴まれる。と思った瞬間、放り投げられるように後ろに追いやられた。
行動に、言葉が続く。
「下がってろ」
ヤンは一言そう残し、聖斧を振り上げた。
刹那、彼の全身から気迫がほとばしる。軋む音が聞こえてきそうなほどに強く斧の柄を握り締めた彼の左の手の甲にある『印』が、輝きを増した。
まるで、彼が手にする斧に周囲の空気が凝集していくような感覚。
「せいッ」
気合とともにヤンが斧を打ち振るう。その刃は地面をえぐり、刹那、衝撃波が不可視の力となって岩の壁目がけて放たれた。
形あるものと形なきものがぶつかり、その音が空気を震わす。
両者は呼吸数回分の間せめぎ合い、そして、束の間の均衡は唐突に崩れた。
鼓膜を貫くような破砕音とともに、岩壁の中央に大きな欠損が生じる。
ヤンの力はほんのわずかに勢いを削がれたように見えたが、それでもいまだ凄まじい破壊力を保ったまま、唸りを上げて岩壁を砕き地面を抉りながら直進を続ける。
突っ立ったままそれを見守っていたエディの背中が、ポンと叩かれた。
「ボサッとしてないで行くぞ、エディ王子」
そう言いながら彼の横を擦り抜けていったのは、シュウだ。
彼女は聖槍を片手に、ヤンが切り開いた道を軽やかに駆けて行く。
力そのものは目に捉えることができないが、大地に刻まれていく爪痕で、岩を砕いたヤンの力は一向に勢いを減じることなくその先にいる二者へと突き進んでいくのが見て取れた。
そのあとを追いかけるようにして、エディは先行するシュウに続く。
岩を破砕した威力を見れば、エディたちが出る幕はないかもしれないとも思ったが。
ピシカとマギ王も当然その猛威に気付いているはずだが、刻々と近づいていく力を前に、彼らは微動だにしない。マギ王はまともに考える頭がないのかもしれないが、ピシカも、薄ら笑いを浮かべているのではなかろうかと思うほどに、平然としている。
あと、わずか。
そして。
――やった。
地面から大小の土塊を飛ばしながらピシカたちに迫る力は、ついに彼らに到達する。
が。
「……え?」
目の前で起きた現象に、エディはつい足を止める。
いや、起きなかった現象に、か。
ちっぽけな少女と線の細い男など、木の葉のように吹き飛ばしてしまうだろうと思われた力は、二人にぶつかる寸前で消滅したのだ。
(いや、違う)
消えてはいない。
(通り抜けたんだ)
エディはすぐに訂正する。
ヤンの力は彼女たちの後方でも変わらぬ勢いで地面に爪痕を残している。そしてその向こうにあった大きな岩を砕いてようやく消え失せた。
「エディ王子!」
シュウの叱咤でエディはすぐに我に返り、また走り出す。
そうしながら、かつて同様の状況があったことを思い出した。
初めてヤンと対峙した時、あの時も、彼が振るった力に対してエディとトール――『印』を持つ者は無事だったのだ。
(まあ、いい。それならこの刃でやってやる)
そう心の中で宣言し、エディは地面を蹴る。
確かに、マギ王の繰り出す魔法は速い。
だが、だからどうした。それを上回る速度で剣を振るえばいいだけの話だ。
速く、そう、もっと速く。
エディがそう願うほどに額が熱を帯びる。その熱は全身に、指先一本一本までに満ちていく。
「来るぞ!」
すぐ前にいたシュウが短く警告を発して立ち止まる。
見れば再び襲いくる火の玉が視界に入ったが、エディは止まらなかった。
聖剣を手に入れた時と同じ感覚が身体中に満ち溢れている。
やれる、と思った。
踏み出す一歩。
足の裏が地面を感じ、次の瞬間、目の前にマギ王がいた。
戸惑う暇は一瞬たりともない。
ほとんど本能のように彼の胴目がけて真横に振りぬいた剣は、刹那現れた氷の障壁に阻まれる。弾かれたと思った瞬間、手首を翻してより低い位置から斜め上へと切り上げるようにして刃を走らせる。
ザッという布を切り裂く音。
だが、肉を斬る感触は、ない。
マギの長衣だけが大きく切り開かれ、その下にあったものが露わになった。
思わずエディは息を呑む。
(『印』……?)
――そう、マギの身体には、『印』があった。
元の肌が見えなくなりそうなほど、びっしりと。
エディたちに刻まれているものは鮮紅色だが、マギの身体にあるものは闇色だった。
その全身は精緻な紋様にどす黒く埋め尽くされ、はだけた頭巾の下から現れた顔にも、それが刻まれていた。その中で、光も力もない淡い水色の目だけがポカリと開いている。
まるで、身にまとったその紋様に、縛られているかのようだった。
束の間固まったエディの上に、いつの間にか出現していた氷の刃が降り注ぐ。
「エディ!」
シュウの声で名を呼ばわれ、反射的に横に跳んだ。一瞬遅れて地面にいくつも氷柱が突き刺さる。
「チッ」
屈んだ反動で跳び上がり、勢いに任せて剣を振り下ろした。
ほとんど本能的な動きで、狙いなどつけていない。
ズグリという、鈍い手ごたえ。
その鈍く確かな感触は、服だけを切り裂いた時とは違っていた。
どさりと、何かが落ちる音がする。
ずっと後ろの方で短い悲鳴が聞こえたような気がした。
跳躍から地面に下りて、体勢を立て直そうとしたエディの視界に無造作に転がる腕が入り込む。目を上げれば、呻き声を上げることもなく立ち尽くしているマギの左肩から、ボタボタと大量の血が滴り落ちていた。
彼は、その傷口を押さえようともしない。
腕が落ちた断面は鮮やかな赤に塗りたくられ、てらてらと光っている。
痛く、ないのだろうか。
エディは、そんなことを思ってしまう。次いで、それをしたのが自分であるということに気付いて腹の底から何かがこみ上げてきた。
グッと口を覆ったエディの頭上から、突然場違いなほど明るい、明るいから暗い、声が響いてくる。
馬鹿にしたようなその声は、可愛らしいとすらいえるのに、ぞっとするほど冷ややかだった。心底からうんざりしているような、投げやりな声。
「ああ、もう、役に立たないわね」
顔を上げると、マギの両肩に手を置くようにして、少女が身を乗り出していた。
しげしげと、とめどなく鮮血を滴らせている肩口を覗きこんで、彼女はため息のようなものをこぼす。
「普通の人間は血が出過ぎると死んじゃうのよね」
心配する気配は、毛ほども見えない。
ルゥナと同じ姿をしているというのに、何故こんなにも違って見えるのだろう。
ぼんやりとそんなことを考えるエディの前で、ピシカが何かを取り出した。
黒い、珠だ。
魔晶球――邪神が、封じ込められた。
エディがそう思うと同時に。
「どうせ死んじゃうなら、いいか」
そう言って、彼女は更に身を乗り出すと、マギのみぞおちの辺りにその珠をねじ込んだ。