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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
最終章:乙女の祈りが叶うとき
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慟哭

「で、ここなわけ?」

 ソワレに抱き込まれるようにして後ろの方に立っているルゥナに向けてそう言いながら、エディは目の前に口を開いている大地の割れ目に胡乱げな眼差しを向ける。

 百歩ほど先にあるその入口は、飛竜が羽ばたきしながらでも通れそうな広さだ。

 しかし、地の底に続いているのではなかろうかというその先は真っ暗で、まったく奥を見通すことができない。


「入口より先は広くなっていて、一番奥まで行くと地下水が湧き出て湖になっているの」

 ソワレの腕の中から抜け出してきたルゥナがエディの隣に立って、彼と同じように亀裂を見つめる。

「湖?」

「そう」

 頷いたルゥナの眼差しは、暗く沈んでいる。

「その湖の真ん中で、わたしは眠ることになっていたの――邪神の力が消えるまで」

 彼女は今、『眠ることになっていた』と言った。過去形だ。


 それはつまり――


「アイツの言うことには応じないんだな?」

 期待半分、断定半分で、エディはそう訊いた。

 だが、亀裂を見つめるルゥナは黙ったままで、彼女のそんな態度にエディは苛立つ。


「ルゥナ!」

 声を荒らげ細い肩を掴んで自分の方に向き直らせても、視線は合わない。

 ルゥナは、まだ迷っているのだ。

 それがありありと伝わってきて、エディは掴んだその肩を力任せに揺さぶってやりたくなる。

 が、彼の腕がそうするより先に、呆れたような声が割って入ってきた。


「おいおい、女の子はそんなふうに扱うものではないぞ?」

 その台詞と共にこの上なくさり気なく、ルゥナとエディの間にしなやかな腕が挿し込まれた。と思ったら、サッとルゥナが奪われる。

「シュウ王!」

 名を呼ばれた彼女は、艶やかな笑みを浮かべながらエディに見せつけるようにルゥナを腕の中に抱き込んだ。


「君はとことん女性の扱いがなってないな。やっぱりルゥナは、事が済んだら私の元へ来るべきだ。きっちり幸せにしてあげよう」

 白銀の頭をこれでもかとばかりに撫で回すシュウを、エディはギリギリと奥歯をきしらせながら睨みつける。

「ルゥナはエデストルで幸せになる」

「ふふん。まあ、五年後ぐらいに再度検討してやっても良いが?」

 シュウはニヤリと笑うと頭を下げて、ルゥナの頭のてっぺんに唇で触れた。


 明らかに、からかわれている。


 それがわかっていても、エディは反応せずにいられない。


 更に食ってかかろうとした彼は、刹那その気配に気付いて剣の柄に手をやった。

 殺気、ではない。

 そんな鋭いものではないが、一瞬にして変化した空気がヒリヒリと肌を刺す。

「……ようやくご登場、だね」

 エディの緊張を、トールののんびりした声が和らげる。

「ああ、ようやく、だ」

 エディはそう返しながら、亀裂へと鋭い眼差しを向けた。

 多分、気付いていないのはルゥナだけだろう。

 彼女を除く全員は、エディと同じ方向に視線を注いでいた。

 ルゥナだけが戸惑い混じりに皆を見渡している。


 エディはそんな彼女をシュウの腕の中から引っ張り出し、ソワレの方へと押しやった。彼が姉をしっかりと抱き締めると同時に、亀裂の暗がりの奥から二つの人影が光のもとへと姿を現す。

 一つは長衣の頭巾をすっぽりと被った、中背の人物。いや、あるいは、背筋がうなだれるように曲がっているから、正確な身長が読めないだけなのかもしれなかった。

 黒い頭巾に顔の半ばまで覆われていてその奥を窺うことはできない。細身だが、男であるということだけは見て取れた。

 もう一つは、薄紅色の髪、金色の眼差しを炯炯と光らせた少女。言うまでもなく、瓜二つの姿が、こちら側にもいる。


「ピシカ……」

 背後で、ルゥナがその名を呟くのが聞こえた。

 それを合図にしたように、皆がそれぞれ武器を手にする。エディも、腰の鞘からスラリと刃を抜き放った。

 それぞれの神器が、持ち主の意志を表わすかのように鋭い輝きを放つ。

 だが、薄紅色の少女は、そんな武器など一つも目に入っていないかのようだった。

 金色の眼差しはただ真っ直ぐに、ルゥナだけに注がれている。


「……で、どうするか、決めたわけ?」

 淡々としたピシカの問いかけは、まるでこの場に彼女たちしかいないという素振りだ。

 答えられずにいるルゥナに、ピシカは歪んだ笑みを浮かべてたたみ掛ける。

「何よ、まだなの? ねえ、さっさと決めなさいよ。アンタの我を通して、この世界が滅びるのを眺めて過ごす? それとも、アンタのその手で、『アンタの大事な人たち』とやらを守ってみせる?」

 エディが思わずルゥナを振り返ると、彼女はどこかを切りつけられたような顔でピシカを見つめていた。


(なんで、そこで迷うんだよ)

 腹立たしさと共にエディがそう胸の中で声を上げた時、まるで彼の考えを読み取ったかのように、ピシカが低く唸る。

「なんで、黙ってるのよ?」


 エディの気持ちと、ピシカの気持ちと。


 それはどちらもすぐに返事をしないルゥナへの苛立ちを含んでいる。だが、彼女に求めているものは、正反対の方向を向いていた。


「アンタ、決めてたでしょ!? あの時アタシに頷いたじゃない! 何でもするからって! なのに今さら裏切るの!?」

 ピシカは長衣の男の隣から数歩踏み出し、ルゥナを糾弾する。

 その声に、ルゥナはビクリと肩を震わせた。

「ピシカ……わたし……」

 それきり何も言えなくなったルゥナに、ピシカは金色の目を光らせながら重ねる。


「ねえ、ルゥナ。アタシにはアンタが必要なのよ。アンタはアタシを助けてくれるんでしょ? アンタは皆を守ってやりたいんでしょ?」

 ピシカが口にするその言葉一つ一つがルゥナの心を動かそうとしていることが、エディには手に取るように判った。それらが彼女の望みを、いや、欲求を満たすものであるということが。


 ルゥナは、人から望まれることに飢えているのだ。

 求められれば、断れない。

 たとえ、我が身をおろそかにしてでも、相手の望みを叶えようとする。

 ほとんどそれが本能のように。

 ピシカはそれがよく解かっているのに――よく解かっているから、ルゥナを追い詰めるのだ。


 エディは奥歯を軋らせピシカに振り返る。

「お前、勝手なこと言ってんじゃねぇよ!」

「あら? 放っておいたらこの世界が壊れちゃうのよ? それがルゥナ一人差し出せば解決するんだから、いいじゃない。ああ、そっか。アンタやアンタの子くらいまでは、影響あんまりないもんね。そりゃ、どうでもいいわよね」

 鼻で嗤うようなピシカの台詞で、ルゥナの肩がビクリと震えたのが視界の隅に映った。そんな姉を、隠すように包み込むソワレの腕も。

 大事に想う少女と瓜二つだというのに、エディが薄紅色の姿に抱くのは、怒りだけだった。彼女を睨みつけながら、エディは一歩踏み込んだ。


「ざけんな! どうでもいいわけがないだろうが! でもな、ルゥナ一人にはやらせねぇよ! 俺はそんなの認めねぇ……そんなことさせやしねぇ!」

 腹の底からの怒号に、一瞬の沈黙が走る。


「……全部その子におっ被せちゃえば、アンタたちは皆安泰なのよ。楽なもんでしょ? 本当は、そうしたいんじゃないの?」

 その台詞は、ピシカらしくない声だった。

 高飛車な彼女らしくない、低い声。

 それまでの押し付けるような口調ではなく、どこか、何かを窺うような。

 その言い方に微かな引っ掛かりを覚えたが、エディはそれを振り払った。

 聖剣の柄を握る手に力を込めて、真正面からピシカを見据える。


「ルゥナはお前の道具にはさせない。俺達と生きていくんだ。俺達と一緒に!」

「だったらこの世界は滅びるわよ!? そうなったら元も子もないじゃない! いいの、ルゥナ? アンタはそれでもいいって言うの!?」

 背後で、息を呑む気配。

 それが誰から発せられたのか、エディには振り返らなくても判った。


 彼は剣を薙ぎ払う。

 ピシカから執拗に伸びてくる見えない鎖を断ち切るように。


「うるせぇ! ルゥナも聞くな! そもそもそいつはお前が勝手にこの世界に持ち込んだもんなんだろ!? てめぇの不始末はてめぇでケリを着けやがれ!」

 吼えきったエディは、即座に返されるだろう嘲りに身構える。だが、彼の視線の先で、いつの間にかピシカは面を伏せていた。彼女は両脇で拳を固めて微動だにしない。

 気を削がれたエディの耳に、先ほどよりもいっそう低まった声が届く。


「……んじゃないわよ」

 それは、ほとんど呟きのようで、距離のあるエディたちが聞き取ることはできなかった。


「はぁ?」

 眉をひそめたエディの前で、再びピシカの顔が上がる。

 その金色の目は、憎悪とも取れそうな強い光を放っていた。


「何を――」

「……アタシだって好きでこんなことやってんじゃないわよ!」

 胸を切り裂き血を吐き出すような、叫び。それと共にルゥナを模したピシカの華奢な身体から、ブワリと何かが噴き出すのが目に見えたような気がした。


「アンタたちなんか何も知らないくせに!」

 ぎらつく眼差しが一同をねめつける。

 常に一歩距離を置いていた彼女が、初めて見せた激しい感情の発露かも知れない。

 その唐突な激情に、エディたちは一瞬息を呑んだ。

 気迫に押されたというよりも、彼女の心の奥に潜んでいる何かの片鱗が垣間見えたからだった。

 と、一転して冷ややかになった声が淡々と告げる。


「まあ、いいわ。アタシはアタシのやるべきことをやるだけよ」

 それが合図であるかのように、ふわりとピシカの周りを風が舞った。その煽りで、終始無言で彼女の後ろに佇んでいた人物の頭巾がはだける。


 現れたのは、殆ど銀色に近い、淡い金髪。


 その顔は――


「あれは……マギ王?」

 エディの背後に立つトールが、半信半疑の声で呟いた。

「に、見えるが、でも、あの文様は、なんだ?」

 代々マギク王の『印』は右頬に刻まれている筈で、今、それはソワレに移されている。

 ピシカの隣に立つ男に、『印』はなかった。それは、『印持ち』であるエディたちには感じ取ることができる。

 代わりに、服に隠されていない肌は隙間なく複雑な文様で埋め尽くされているのが見て取れた。衣服を剥げば、全身に隈なく刻まれているのだろうということは容易に想像できる。


「『印』とは違いそうだけど、『印』と同じ作用があるなら、あれだけびっしり刻まれてたら効果はかなりスゴイんじゃないかな?」

 深刻さを感じさせないのんびりした口調で、トールが言った。彼に負けず劣らず緊張感に欠ける風情でシュウが受ける。

「私はマギ王の魔法にはお目にかかったことがないが、きっと、暖炉に火を点ける、なんてものとは比較にならないのだろうな」

「想像力にその判定を委ねる必要は無さそうだ――来るぞ」

 すでに斧を手にしたヤンが前方へと顎をしゃくる。


 ――無数の火球が襲いかかってきたのは、その直後のことだった。

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