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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
最終章:乙女の祈りが叶うとき
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孤島

 眼下に広がるのは荒涼とした大地。

 小高い丘に立って一望する孤島イシュラは、見渡す限り、どこからどこまでも荒れ地だった。


「ヤンダルムの山もそれなりに険しい土地だと思っていたが、ここには負けるな。本当にここにヒトが棲めているのか?」

 呆れと感心が混じったような声はヤンのものだ。

 彼の問いに、ルゥナは百五十年前と変わらぬ光景に目をやった。

 百五十年前と変わらない、灰色と茶色の世界。

 飲み水は滴を集め、凶暴な獣と争って、地を這う小さきものを糧にする。

 人が生きるには、あまりにも厳しい、世界。

 だから、ここに生きる人々はそれ以上に厳しくなる。


「一か所には留まれないので、何十人かの集団を作ってあちこちを動くの。そうしないと、すぐに食べるものが無くなってしまうから」

 答えて、ルゥナはうつむいた。

 それはいくつかの家族が集まってできるもので、彼らの結束は強かった。ルゥナとソワレはその中に紛れ込ませてもらっていたけれど、常に『よそ者』であることをヒシヒシと感じさせられていたのだ。

 その群れの中に何か良くないことが起きると必ず二人の所為にされて追い出される。

 あるいは、ルゥナの治癒の力を独占しようとした者に拘束されてそこから逃げ出す。

 たいていはそのいずれかの理由で、一つの集団に長く留まれることはなかった。


 良い思い出は、あまりない。

 けれども、こうやってこの地に立つと、ルゥナの胸の中には「帰ってきた」という想いが溢れてくる。


 ――マギクの北の岬ノルヴェスタ、その更に遥か北に浮かぶ孤島イシュラ。

 そこがルゥナとソワレの生まれ故郷だった。


 エデストルの港ポルトからシュリータの船で出発したのは、十日ほど前のこと。

 ルゥナ、ソワレ、エディ、トール、シュウ、ヤン――マギクがいないことを除けば百五十年前と同じ顔触れで、船から降りた。

 イシュラに上陸して馬に乗り変えてからは七日になる。

 エトルからポルトまでは五日かかったから、全部併せて数えれば、エデストルの首都エトルを発って、十五日が過ぎた。

 十五日は、短い時間ではないと思う。けれど、その間も、ピシカは姿を現さなかった。


(今、何をしているの?)

 心の中で問いかけても、答える声はない。


『何情けない顔してんのよ』


 いつもの鼻で嗤うような声でいいから返して欲しいと、ルゥナは思ってしまう。

 ピシカがたった独りで彷徨っているのかと思うと、胸が痛くなった。

 ――この、北海の孤島イシュラを目指すことになったのは、ルゥナたちがエデストルに腰を落ち着けて三日が過ぎても、ピシカが何もしかけて来ようとしなかったからだった。

 シュリータからエデストルへの移動中にピシカが姿を見せなかったのは、単に動き続けるルゥナたちの居場所を特定することが難しかったからだろうと思っていた。

 けれど、ルゥナたちがエトルに到着してから、一日経ち、二日経ち、三日経っても何も起きず、真っ先にしびれを切らしたのはやっぱりエディだった。


「アイツは何をやってるんだ?」

 聖剣を手に入れてから四日目、エトル城内での朝食の席で彼が苛立たしげに放った台詞は、口にはしなかったけれども皆が胸に抱いていたものだっただろう。

「もしかしたら自分の世界に帰ったとか?」

 へらへらと笑いながらのサビエの茶化しは双子の兄の冷ややかな一瞥で一蹴された。

「私たちがここに集まっているということに気付いていないということはないだろうな?」

 念の為、という風情で首をかしげたシュウに、ルゥナはかぶりを振る。

「それはないと思うの」

 遠く離れていても、ピシカはルゥナの居場所を知ることができる。というより、『印』の所有者の居場所を感じることができるのだ。

 それが五人、いや、ソワレを入れて六人も集まっているのだから、彼女が気付かない筈がない。

 それなのに、まったく、音沙汰がなかった。


「もしかしたら、こっちが捜しに行くのを待っているのかな」

 呟いたトールに、エディは眉間にしわを寄せる。

「そんなこと言ったって、どこに行けって言うんだよ? あっちが呼び出し状でも送ってくりゃ別だけど、それすらないじゃないか」

「うぅん……それも含めて、こっちから捜して欲しい、みたいな?」

「はあ?」

 訳が解からないという気持ちをありありと表した声をあげるエディをよそに、トールがチラリとルゥナに目を走らせた。

「ほら、ワタシを見つけて、アンタなら判るでしょ的な、複雑な乙女心みたいな?」

「なんですか、それ、コドモですか?」

 サビエはそんなバカなと言わんばかりに笑ったが、腕を組んで顎に右手を当てたシュウが頷く。

「ああ、確かに、そういうところがあるかもしれないな。何百年も生きてきた、という割に、彼女からはやけに幼い印象を受けた。別れ際なんか、癇癪を起こした幼子のようだっただろう?」

 言われて、ルゥナは唇を噛んであの時のピシカの姿を思い出す。

 シュウの言葉の通り、あのピシカは突き放されて打ちひしがれた小さな女の子のようだった。声や台詞は怒っているのに、金色の目は途方に暮れて悲しそうだった。


(そうさせてしまったのは、わたしなんだけど)

 ピシカが伸ばした手を、ルゥナは拒んでしまった。ずっと、傍にいてくれた彼女の手を。

(ごめんね)

 ここにはいない相手に、ルゥナは胸の中でそう呟く。

 けれど、今の彼女には手放せないものが、手放したくないと思うものができてしまった。ピシカを選ぶということは、それらを諦めなければならないということだった。


「アイツがいるとしたら、どこだ?」

 そんなヤンの声に、ルゥナは物思いから覚めて顔を上げる。

「どこかあの猫がこだわっているような場所はないのか?」

 彼の台詞で、ルゥナの頭の中にはパッと一つの場所が頭に浮かぶ。

「イシュラ」

 ポツリとこぼれた彼女の一言に、パッと一同が振り返った。

「イシュラ?」

 エディは、聞き覚えはあるがどこだっけ、というふうに眉をひそめた。

「マギクの北にある島だよ。僕らが生まれ育った土地。もともと、ルゥナの中に邪神を封じたらイシュラの最北のある場所で眠らせる予定だったんだ」

 そう言うソワレの顔が晴れないのは、彼らがその島で過ごした日々のことを思い出しているせいか、それとも、彼らがその島でしようとしていたことを思い出したせいなのか。


 諸々の事情を聞かされている皆が複雑な眼差しを向ける中で、彼は続ける。

「あの島はすごく魔力が濃いんだ。マギクの地の比じゃない。あそこなら土地からの力がルゥナの魔力を補ってくれる」

「ふむ……で、ルゥナはピシカがその場所にいると思うのだな?」

 問われて、ルゥナはヤンに振り返って頷いた。

「わたしは……うん、そんな気がするの」


 言葉にすればより強く、ピシカがあの場所で待っているという気持ちが強くなる。

 彼女の脳裏に浮かぶのは、岩だらけの地でうなだれて座り込む小さな薄紅色の仔猫。

 意地っ張りで、孤独で、寂しげな、神さま。


(わたしが、ピシカを迎えに行くんだ)

 不意に、ルゥナはそう思った。

 今まで、彼女は全てにおいて受け身だった。

 いつも、ピシカが道を示し、背中を押してくれていた。

(今度は、わたしがピシカを捜して、会いに行く。話をして、一緒に道を探していく)

 あの場所にピシカがいるという確証はない。

 けれど、あの場所に彼女がいると確信している。


「ピシカは、きっとあそこで待ってる」

 顔を上げてきっぱりとそう告げると、皆からは信頼に満ちた静かな眼差しを返してくれた。

 何も確かなものはないのに、皆、ルゥナの言葉だけを信じてくれた。

 ソワレ以外の人から注がれる無条件の想いは、こそばゆくて、新鮮で、少し不思議な感じがして。

 色々と入り混じる中、一番強く覚えたのは、心地良い温かさだった。

 独りで背負い込むなというトールの言葉はルゥナの胸の中に深く食い込んでいたけれど、そんなふうに感じると、やっぱり何かしなければと思ってしまった。

 彼らの為に、何でもいいから自分にできることは力の及ぶ限りしようと思った。


(ピシカの言うなりになるんじゃなくて、ちゃんと、考えよう)

 そんなふうに決意して。


 ――そうして今、ルゥナは、かつてソワレと二人で孤独を噛み締めていた土地に立っている。


 荒涼とした大地を見渡せば、あの頃の記憶がよみがえる。

 望まれると同時に拒まれ、混乱した、決して、楽ではなかった頃の記憶が。

 けれど、エディたちとの出逢いは、何度も重ねられた彼らの言葉や真っ直ぐに向けられる温かな眼差しは、ルゥナを「自分は受け入れられている」という安心感に包み込んでくれた。

 そう、彼らは、『ルゥナ』という一人の人間を尊重し、受け入れてくれている。

 今、一緒にいるこの人たちだけではない。

 フロアールやスクート、サビエ……今のルゥナはたくさんの人たちとつながっているのだ。

 それは、ルゥナの方から一方的に切れる絆ではない。

 まだ、どんな手段を取るのかは定まってはいないけれど。

 すべてにケリが着いた時――


(みんなが笑っていられるといい)


 頬に吹き付ける乾いた風を受けながら、ルゥナは心の底からそう願った。

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