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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第二章:目覚めと新たな出会い
6/72

覚醒

 ふにふにと、柔らかく温かく何とも心地良いものが、安らぎに満ちた眠りにふけるルゥナの頬を押す。

 確かにそれは率先して触りたくなるような気持ち良さだったけれども、ルゥナはこの眠りから醒めたくはなかった――守られ、大事にされ、慈しまれていると感じさせてくれるこの眠りからは。


(起こさないで。眠らせておいて)

 執拗に突いてくるそれから逃れようと、ルゥナはコロリと寝返りを打つ。


 と。


「ちょっと、いい加減に目を覚ましなさいよ! 術は解けてんだから、起きられる筈でしょ!」

 耳のすぐ傍であがったキンキンと尖った声と、それに続いて頬に走った鋭い痛み。

「痛い!」

 思わず目を見開いてパッとルゥナが飛び起きると、その肩先からひらりと毛の塊が飛び降りた。彼女を見上げているのは、薄紅色をした仔猫だ。金色の目を光らせて、鼻先をぺろりと舐める。

「やっと起きた」

「ピシカ……ひどいよ、引っ掻くなんて」

 もの言う仔猫の所業に唇を尖らせながらルゥナが頬に触れると、指先に赤いものが付く。

「大したもんじゃないでしょ。あんたを見つけるの苦労したんだから、起こすのにまで手間をかけさせないでよ」

「……見つける?」

 ピシカの台詞に、ルゥナはようやく状況に気付き始めた。


「ここ、どこ……?」

 ぐるりとまわりを見渡すと周囲は岩でできた天井と壁とに覆われていて、そこは洞窟か何かの中のようだった。壁はぼんやりと薄緑色の光を放っていて、出口は見えないというのに、明るい。

 そこにいるのは、ルゥナとピシカだけだ。


「ソワレ……?」

 ポツリと、ルゥナはその名を呟いた。彼女が呼べば、いつもならすぐに答えが返る。

 それなのに。


 ――ルゥナ。


 優しく、温かく、宝物のように彼女の名前を呼んでくれる声が、なかった。


「みんなは? ……ソワレは、どこ?」

 ルゥナは再びピシカに目を落とす。

 生まれてから片時も離れたことのない弟の姿が、見当たらない。それに、旅の仲間も。限られた時間しか共に過ごせなくても、みんなを守るのだという志を一つにした、大事な仲間。

 いつもルゥナの傍にいたその彼らが、いない。

 不安に呼吸を速める彼女に、ピシカが髭をヒクつかせながら首をかしげる。

「あんた、何も覚えてないの?」

「覚えて――?」

 眉をひそめてピシカの言葉を繰り返し、ルゥナはそこでハッと息を呑む。眠りに落ちる直前の場面が、一気に脳裏によみがえってきたのだ。


「ソワレは――みんなは、どうなったの!?」

 冷たい地面に両手をついて食ってかかったルゥナに、ピシカは尻尾を揺らして鼻先を上げる。

「落ち着きなさいよ。今、ここにはいないわ」

「じゃあ、どこに? 早くあの子を探さないと。だけど、あの子ってば、何であんなことをしたの? 何をしたかったの?」

「……さぁね。取り敢えず、ここから動かない? 積もる話もあるし、道々説明するわ」

「え、でも、他のみんなは? エデストルは? ヤンダルムは、どこにいるの?」

 ピシカに促されるままに立ち上がるルゥナに、仔猫は奇妙な眼差しを向けた。それはやけに彼女を落ち着かなくさせる。


「何?」

「あのね、ごまかしても意味がないからさっさと言っちゃうけど、あんたが眠ってから、百五十年以上経ってんの」

「え?」

 ルゥナはポカンと目と口を丸くする。

「ひゃくごじゅう……?」

「正確には、もうちょっとあるけどね」

「でも、それじゃぁ、邪神は? どうなったの?」

「被害は抑えられてる。多分、ソワレの仕業」

 簡潔なピシカの返事にかえってルゥナは混乱する。かつて彼女から教えられたことと、矛盾するからだ。

「だけど、わたしじゃないとダメなんじゃないの?」

「そうなんだけどね、まあ、色々事情が変わってきてるのよ。でも、とにかく、こんな山奥にいつまでもいるわけにはいかないの。人のいるところに行かないと」

「わかった……」

 自分が時の流れに置き去りにされてしまったという事実は、まだルゥナの頭に浸透してはいなかった。まだ、何もかもが呑み込めない――特に、大事な弟が隣にいないということが。


 ルゥナは俯き、唇を噛んだ。

「百五十年……」

 口に出してみても、それだけの年月が過ぎてしまったという実感は持てない。

 けれど、こんなことでピシカがウソをつく筈がなかった。彼女が言うなら、それは事実に違いない。

(ソワレは、もういないんだ)

 普通の人間は、せいぜい五、六十年しか生きられない。その倍以上の時が流れていては、彼が生きている筈がない。

 ルゥナは自分の中に喪失感が湧いてくるのを待ったが、まだその事実を受け入れられていないのか、ソワレとの絆は切れていないように思われてならなかった。今にも「驚いた?」と言いながら、彼が抱き付いてきそうな気がする。


「わたし……ソワレがいないと真っ直ぐ歩けない」

 喪われた実感は持てなくても、今彼が抱き締めてくれないことは歴然とした事実だ。生まれる前から共にあった分身が傍にいないと、どうしようもなく心細かった。

 ポソリと呟いたルゥナの脚に、ピシカが身体をすり付ける。彼女が抱き上げると、ピシカはそっと頬を舌先でくすぐってきた。

「ピシカ……」

「大丈夫、あんたにはアタシが付いてるでしょ? あんたが役目を全うするまでは、ずっと一緒にいてあげるわよ」

「うん……うん、そうだね」

 全てを失ってしまったルゥナにとって、ピシカは唯一残されたよすがだ。


「ちょっと、苦しいわよ、力緩めなさいよ」

「ごめん」

 謝りながらも、ピシカを抱き締めるルゥナの腕にはいっそうの力が入っていた。


   *


 今、ルニア大陸には五つの『国』があるのだという。

 ルゥナは険しい山道に気を取られながらも、懸命にピシカから教えられた『現在』を自分の中の記憶と重ねようとしていた。


「『国』はね、あんたが知ってる一番大きな村の何倍もの人間が一所に集まってできてるのよ。それを『王』がまとめてるの。この『王』がエデストル達の子孫なんだけど」

 ルゥナの肩の上で、ピシカが言う。ルゥナは浮き出している木の根につま先をひっかけ、転びそうになったのをこらえながら、問い返した。

「その『国』の名前が『エデストル』だったりするんだよね? でも、『王』の名前も『エデストル』なの?」

「『王の名前』というより、『神器の使い手の名前』、なんだけど――同じようなもんか。ソワレがあんたに何かする筈がなかったから、みんなあんたが生きてるのは信じてた。……まあ、そもそも死ぬ筈がないんだけどさ。で、生きてる限り、絶対、あんたはまたいつか必ず邪神に挑むだろうって。その時にあんたが判り易いようにってね。だから、神器と『印』と一緒に、名前も引き継いでいくことに決めたのよ。覚えてるのと同じ名前だったら、いざ再開した時に馴染み易いでしょ?」

「そうかな……そうかも」


 それは実際に彼らと顔を合わせてみないと何とも言えなくて、ルゥナは適当に言葉を濁す。ソワレさえいてくれればどんなことも大丈夫だけれど、その彼がいないとルゥナには何もかもが心許なく感じられる。

 本当に独りきりで目覚めていたら、ルゥナはきっといつまでもあの洞穴の中で途方に暮れていただろう。ピシカが自分を見つけてくれて、本当に良かったとしみじみと思う。


(ソワレ)

 ルゥナは足を止め、空を仰いだ。

 小鳥が枝の間を擦り抜け、可愛らしい鳴き声を残していく。

 平和そのものだった。けれど、ピシカは、まだ危機は去っていないと言う。

 それを完全に解決する為には、ルゥナと――そしてソワレの力も必要な筈だ。彼の不在を、ピシカはどうやって補うのだろうかと小さな息をつき、ルゥナはまた歩き出す。


 ルゥナとソワレはルニア大陸から北に浮かぶ孤島イシュラの出身だ。

 生活環境が過酷な為か、イシュラには強力な魔力を有する者が多く生まれる。その中でも、ルゥナたちの力は群を抜いていた。ルゥナの持つ治癒の力は死人すら生き返らせると謳われるほどの威力を持ち、ソワレは生きる喜びに溢れる人をも死に導くことができると恐れられる幻惑の力を操ったのだ。

 死に別れたのか捨てられたのかは覚えていないが、物心ついた時には、ルゥナとソワレにはもうお互いしかいなかった。両親やそれに代わる保護者の存在を持たなかった二人は、周囲から浮いてしまうほどの力故にどこかの集団に属することができず、彼らの間を転々としていたのだ。


 そんな生活の中でルゥナはその癒しの力故に人々から狙われ、ソワレはその特異な力を使って彼女を護った。

 元から安全で平穏な暮らしとはかけ離れてはいたけれど、あの『疫病』が流行り始めてからは、より一層、ソワレはルゥナを人々の目から隠さなければならなくなったのだ。


 なぜなら、彼女だけが、その病から人々を救えたから。


 ルゥナは彼らを救いたかったが、その数はあまりに膨大で、更に増える一方だった。癒すそばから、病んでいく。とてもではないが、彼女一人で何とかできるものではなかった。

 ソワレは押し寄せる人々に力を揮うことを、ルゥナに禁じた。きりがないのだから、と。


 そして際限なく続いた、逃亡の日々。

 ルゥナは無力感にさいなまれ、ソワレは身勝手な人々に苛立った。


 そんなある日、二人の前に突然薄紅色の仔猫が現れたのだ。

 その仔猫はピシカと名乗り、この世界を救う為に降りてきた神なのだと言った。そうして、ルゥナとソワレの力で疫病を完全に駆逐することができるのだとも。

 求められて、ルゥナはすぐに喰い付いた。昔から、彼女は『必要とされること』に弱かった。


 けれど。


(きっと、ソワレはあんまり乗り気じゃなかったのよね……)

 ルゥナは胸の中で呟く。彼女があまりに強く望んだから、ソワレも承諾したのだ。旅の間、彼からはいつも迷いが感じられていた。けれど、自分が嬉しいのだからソワレも嬉しい筈だと、ルゥナは思い込んでいた――思い込もうとしていたのだ。

 多分、イシュラから出て初めて経験した数々のことに、興奮して目がくらんでしまっていたのだろう。いつもなら、ソワレの不安や迷いを彼自身よりも敏感に、ルゥナは察知できていたのだから。


 そしてルゥナを百五十年もの時の流れから置き去りにさせることになった、ソワレのあの行動。

 未だに、ルゥナは弟があの時何を望んでいたのかが解からない。きっと、ずっと解からないままなのだろう――ソワレはもういないのだから。


 彼の気持ちをルゥナが解かってあげていたら、きっとあんなことにはならなかった。


 ピシカは、百五十年が過ぎても、邪神の脅威は残されたままだと言う。

 ソワレの気持ちをルゥナが解かっていてあげていたら、今頃邪神は完璧に封じられていた筈だ。


 全て、ルゥナがいけない。


(何で、あんなことをしたの……ソワレ?)

 彼の行動は、全てルゥナの幸せを考えての事だ。きっと、彼女を守る為に、何かをしようと思ったのだ。

 ルゥナを何も考えずに済む眠りにおとしてから、独りで生きていったのであろうソワレを想って、彼女の視界がにじむ。


 過去に浸っていたルゥナを、ピシカの声が引き戻す。

「『都』に入ったら、あんたびっくりするわよ。建物は見上げるくらい高かったり、中で迷っちゃいそうになるほど広かったりするんだから」

「へえ……」

 どこか得意そうに説明するピシカに、ルゥナは無理やり笑顔を作って相槌を返した。

「ここから一番近いのは、トルベスタよ。弓を受け継いでいる国」

「トルベスタの……」


 ピシカの話を聞きながら、ルゥナは弓の使い手だった青年の事を脳裏に思い浮かべる。栗色のくせ毛と同じ色の目をしていた彼は、寡黙で優しい人だった。彼と出会ったのは、森の中の小さな村だ。

 邪神討伐の仲間を探す為にルニア大陸に渡った時、その暮らしの違いぶりにルゥナはとても驚いたものだ。


 イシュラは豊かではなかったから、殆どの民が天幕での旅暮らしだった。一定期間一か所にとどまって『村』として生活するが、季節が変われば天幕をたたんでより住みやすい場所へと移動する。

 ルニア大陸にも、もちろん、イシュラと同じように日々移動して暮らす人々もいた。一方で、一か所にとどまり、その土地で食べ物を育てる人々もいた。そんな所では天幕ではなく頑丈な住処を用いていたけれど、木で造られた家はまだしも、石や泥の塊で建物を造るなんて、目にするまでルゥナは想像もしていなかった。


 素材の違いだけでもしばらく驚嘆の眼差しで見ていたルゥナだったけれど、かつて彼女が目にしたのは、せいぜい二部屋かそこらの仕切りを持つ程度の家屋である。更にその上『見上げるような』とか、『迷うような』とか言われても、それがどんなものなのか、話で聞いただけではルゥナには今一つピンとこなかった。

 一歩間違えればふもとまで滑り落ちていけそうなほど傾斜のきつい足元に意識を向けるのと、過去のことに思いを馳せるのと、突然突き付けられた現状を理解しようとするのと、その三つを同時にこなそうとしているルゥナの肩の上で、ピシカは取り留めもなくしゃべり続ける。


「あの時、アタシたちが目を覚ましたらあんたはいなくてね、結構頑張って探したんだけど、なかなか見つからなかったのよ。でも、人には寿命ってもんがあるでしょ? いつまでも悠長にやってらんなかったから、エデストルたちはあんたを探すのは諦めて、それぞれの故郷に戻ったの。あんたが消えてしばらくしたら邪神の気配が急に薄くなってね、疫病もぱったり下火になったの。だから、あっちを何とかするよりもあんたを探す方が優先事項になった。彼らはアタシがあんたを見つけるまでの間、神器を子孫に引き継いでいくことにしたわ。で、それからは割と平和な感じになって、今に至るのよ」

「そうなんだ。だけど、よくわたしを見つけられたね。ここって、すごい山奥じゃない?」

「ソワレが術をかけて隠してたんだけど、最近、急にそれが緩んできていたのよ。時々漏れてくるあんたの気配を追って、百五十年ぶりにようやく見っけたってわけ」

「何で、今になって?」

「ああ、多分、ソワレが方針転換でもしたんじゃないの?」

 サラリと告げられたピシカの台詞は、一瞬ルゥナの耳を素通りした。が、すぐにその意味するところにハッと気付いて、ルゥナは思わず足元から肩へと目を移す。


「ソワレが――って、ソワレ、生きてるの!?」

 ルゥナとソワレは双子だが、有している力は全く違う。

 他の神器の使い手と同じように、ルゥナとソワレもピシカに『印』を刻まれた。それによって本来の力を変異させられたルゥナが百五十年もの間変わらずにいるのはあり得ても、ソワレはそうではない。彼とルゥナの力は、全然違うのだから。

「何で、生きてるの? どこにいるの?」

 混乱したルゥナが肩の上のピシカに手を伸ばそうとしたのと、薄紅色の身体がひらりと地面に身を躍らせたのとは、ほぼ同時の事だった。


 ピシカはペロリと鼻づらを舐めて、言いよどむ。

「えぇっと、それが――」

「何か隠してるのね?」

 ルゥナはヒラリと彼女の手を避けた仔猫を捕らえようと、身体を捻った。


 が。


「あ、バカ、ルゥナ!」

「キャッ!」

 ピシカの叱責とルゥナが大きな石に足を取られてふら付くのとはほぼ同時だった。

 慌てて踏みかえたルゥナの足は、今度はそこに降り積もっていた落ち葉溜まりに突っ込まれる。硬いと思っていたそこは全く抵抗なくルゥナの足を呑み込み、彼女の身体は大きく傾いた。


(あ、まずい)

 やけに冷静にそう思った瞬間、ルゥナは体勢を大きく崩し、急な斜面へと投げ出された。そして視界が目まぐるしく回転する。

 身体のあちらこちらを打ち据えられながら懸命に何かに掴まろうとしても、あっという間に通り過ぎていってしまう。


「ッ!」


 為す術もなく崖を転がり落ちていくルゥナの脇腹を、突然、焼けつくような衝撃が襲った。痛みに息が詰まる。

「ルゥナ!」

 呼ばれてそちらに霞む目を走らせると、必死の形相で追い付こうとしている薄紅色の小さな身体が見えた。それはどんどん遠ざかっていく。

「無理、しないで……わたしはだいじょうぶ、なんだから……」

 その声が、ピシカに届いたかどうか判らない。それが確認できないままに、ルゥナの意識は急速に遠のいていった。


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