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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第九章:剣士の帰還
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独白

 川のせせらぎ。

 鳥の聲。

 暖かな日差し。

 そよ風の囁き。

 花の芳香。


 ピシカは柔らかな草の上に寝転び、目を閉じてそれらを感じる。


 ――ここに渡ってきてから、もう二百年、いや、三百年にもなるのだろうか。

 もう、はっきりとは覚えていない。

 いずれにしてもそれは、ピシカにとっても『瞬きほどの時間』とは言い難い長さ。

 その短くない時の間彷徨ったこの世界は、美しかった。

 これまで彼女たちが壊してきたどの世界よりも、ここは美しく、そして強い。

 目を開ければ、澄み切った空と明るく輝く太陽がある。


 そう、この世界には『昼』と『夜』があった。

 初めて『夜』を経験した時は、そんなにすぐにこの世界を壊してしまったのかと、慄いたものだ。ピシカの時間では瞬きにも満たないほどの間に『朝』が来て、それもまた驚いた。しばらくの間は、世界がまるごと暗くなったり明るくなったりすることが、彼女には不思議でならなかった。

 そうやって、朝と夜がグルグルと巡るのと同じように、この世界の生き物は、驚くほどにポンポン生まれ、そしてあっという間に死んでいく。


 その為なのだろうか、それとも、また別の要因があるのだろうか。


 未だにこの世界は壊れきってはおらず、ピシカはこうやってとどまることができている。

 今までの世界だったらとっくの昔に破綻し、何もかもが失われていただろう。

 そうして、また一つ、ピシカの背中に打ち込まれる罪という名の重い鎖が増えていた――生まれた世界を追い出された時から着々と増え続けている鎖が。


 もう、いっそそれらに潰されてしまいたいと、思う時がある。

 押し潰され、消え去ってしまえれば、と。


 ピシカは胸元に手を入れ、そこに潜ませてある物を取り出した。


 漆黒の珠。

 他者を歪めるモノ。

 邪神。

 ――ピシカの、片割れ。唯一無二の、対なる者。


「ユクレア」

 名を呼んでみても、応えはない。

 ピシカは唇を引き結び、両手でそれを包み込む。

 とっくの昔に、彼女の片翼は失われてしまっているのだ。ここにあるのは、ただの抜け殻。

 まともな思考など消え失せ、ひたすらに怨嗟をこぼし続けるだけのモノ。

 無理やり本来の姿を捻じ曲げられ、制御できずに力を垂れ流し、望んでもいないのに世界を壊してしまう。

 そんな己を疎み、憎み、嫌悪し、そしるだけの存在。

 それでも、それはまだ、ピシカにとってかけがえのない存在だった――たとえもう彼女の事を認識しようとしてくれなくても、ただ在るというだけで世界を滅ぼしてしまうモノと成り果てていようとも、決して手放せない、見捨てられない存在だった。


「大丈夫、アタシがアンタに安らぎをあげるから」

 答えがないのは判っているけれど、そう囁きかける。そっとそれを胸元に置いて、ピシカは一人の少女のことを思った。


 この世界の、夜の色を映した少女。

 白銀の髪に星をちりばめたような濃紺の瞳。

 愚かで間抜けでお人よしで優しくて温かな少女。


 ピシカとは、全然、違う。

 ユクレアのことをけっして見捨てることはできないのに、全てを背負わされたことを恨んでいるピシカとは。


 最初にルゥナの事を知ったのは、風の噂だった。

 化け物になった人間を、元に戻した少女がいる、と。

 奇跡の力を持つ少女だ、と。

 好奇心で彼女のことを探って、その力のすさまじさを知って、もしかしたら、と思うようになった。

 彼女の力を使えば、もしかしたらユクレアを救えるのではないかと、微かな希望が芽生えてしまった。

 たぐいまれなる癒しの力を持つ彼女であれば、ユクレアの力を、相殺とまではいかないが、少しでも抑えておけるのではないだろうかと。ユクレアの命が尽きるまで、穏やかに眠らせておけるのではないかと。

 成功する確証はない。水に浮かんだ糸くずにすがるような心持ちだった。


 ルゥナに近付き、この世界の行く末を伝え、選択を迫った――多くのことを隠したままで。胡散臭そうな目で見下ろしてくる彼女の双子の弟には構わず、どれだけ世界が危険で、それを救うには彼女が必要なのだと力説した。

 内心の不安は押し隠し、まるで神のように、自信に満ち溢れた態度で。


 果たして、彼女は受け入れた。


 なんでわたしがだとか、いっさい言わず、まさに二つ返事で笑顔で頷かれた時、ピシカは耳を疑った。

 提案はしてみるものの、きっと拒まれるだろうと思っていたから。

 そうされても当然だ。

 その頃にはこの世界でルゥナがどんなふうに扱われているか、ピシカもよく知るようになっていたし、そんな彼女が見ず知らずの大多数の為に我が身を犠牲にするとは思えなかった。

 それなのに、ルゥナは頷いた。

 一緒に過ごすうち、時間が経てば、彼女もそのうち状況を理解して、やっぱり嫌だと言い出すかもしれないと思っていたけれど、そんなことは起きなかった。

 着々と準備は整い、必要な面子も揃え、いざ試してみようとしたら、待ったをかけたのはルゥナ本人ではなかった。


 ソワレ――ルゥナの双子の弟。

 正直言って、ルゥナの考えよりもソワレの方が、ピシカにはよほど理解できる。

 ソワレのことは憎たらしいけれど、彼が邪魔をしようとする理由は、解かる。


「ルゥナの方が、変なのよ」

 ピシカはぼそりとこぼす。

 立場的には、ピシカとルゥナは似ているかもしれない。

 どちらも、世界を救う為に自分を犠牲にすることを求められた――ピシカは拒むことを赦されなかったけれども。

 自分が受け入れられないことを、彼女がすんなりと受け入れてしまったからだろうか。

 百五十年前、ピシカの提案に何のためらいもなく頷いたルゥナに、ピシカは苛立った。

 ホッとしつつも、妙に身体の中心がざわついた。


 そして、今。


 今になって迷っているルゥナに腹が立つけれど、何故か胸の中のモヤモヤしたものが少し薄くなった。

 同時に、この時代で、彼女にユクレアの器になることをやめさせようとする者がいることにも、苛立った。


(アタシは、誰も助けてくれなかったのに)

 そんな妬ましさが、ピシカの胸には込み上げてくる。

 さっさとルゥナをユクレアの器にしてしまえと思えてくる。


 けれど、その一方で。


 ふと記憶によみがえってくるのは、ルゥナの温もりだ。

 生まれた世界を追われて、自分でもどれくらい経ったか判らなくなるほどの時が流れて数えきれないほどの世界を渡ってきたけれど、ルゥナのようにピシカの傍にいた者は、いなかった。

 仔猫の姿をしたピシカを抱き上げ、撫で、笑いかけてくるルゥナ。

 ひ弱なくせに、「ピシカを守る」と言ったルゥナ。

 その記憶が、ピシカの胸の中をかき乱す。


「バカみたい」

 ルゥナは、ユクレアに安らぎを与える為の、器。

 ピシカにとって、それだけの存在に過ぎない。

 ピシカは腕を目の上にのせ、燦々と降り注ぐ明るい陽射しを遮った。

「あの子は、ただの道具よ」


 今さら、やめられない。

 揺らぐわけにはいかない。


 それなのに動き出せないのは、何故なのだろう。


 ピシカは両手を持ち上げ、太陽にかざした。

 今、小川を覗き込めば、色の違うルゥナの顔があるはずだ。何故そうしたのか、ピシカ自身にも判らない。ヒトの姿を取った時、このカタチにしたのは、無意識のことだった。

「早く、終われ」

 ピシカは呟く。

 その『終わり』がどんな形を取るのか――自分がどんな形を望んでいるのか、彼女自身にも判らなかった。


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