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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第八章:明かされる真実
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冀望

 真綿のような温かな闇が、ゆっくりとルゥナを包み込んでいく。

 逃れようと懸命にもがいても、それはまるで黒い波のように何度も何度も押し寄せてくる。


 闇がもたらすのは安寧だ。


 それは判っている。

 けれど、ルゥナはその安らぎに甘んじて身を委ねてはいけない――もう、二度と。


(ソワレ、ソワレ、ソワレ)

 朦朧とする意識の中、呪文のように彼の名前を唱える。


 彼を止めなくちゃいけない。

 彼を独りにさせてはいけない。


 そう思うのに、手足は鉛のように重くてピクリとも動かなかった。


(なんとか、しないと)

 ほんの少しでも気を抜けばストンと眠りの底へと落ちてしまうだろう。その世界へ片足を踏み入れながら、ルゥナは頬の内側をきつく噛み締めた。

 途端、焼け付くような痛みと共に口の中に溢れる生温かさと鉄臭さ。

 強い刺激にひっぱたかれたようにルゥナは目覚め、ガバッと高い台の上で身体を起こした。喉の奥に流れ込んできた気持ちの悪い感触に咳き込むと、純白の衣に深紅の滴が飛ぶ。


 眠気が消え失せたルゥナは、目を瞬かせて周囲を見回した。

「ソワレ……ソワレ、は……」


 いない。

 ガランとした空間の中に、ルゥナの他に息あるものの気配はない。


 ここは、かつて目覚めた場所だった。あの時はピシカに起こされて、彼女と一緒に旅立った。そしてエディたちと出逢って……


 もしかして、長い夢を見ていたのだろうかと、ルゥナは一瞬思った。エディたちとも出逢ってなくて、これからまたピシカと二人きりの旅が始まるのだろうかと。

 突如溢れ出してきた言いようのない寂しさと不安に、ルゥナは、思わず自分の身体を抱き締める。


 と。


「アンタ、ちょっと何ボケッとしてんのよ!」

 ピシャリと叩き付けるような厳しい声に、ルゥナはあたふたと振り返る。

「ピシカ」

 思わず、頬が緩んでしまった。それを目にしたピシカが不機嫌そうに尻尾でパタンと地面を叩く。

「何ふにゃけた顔してんのよ! 起きてるならさっさと動きなさいよ。エデストルやヤンダルムたちでソワレのヤツを何とかできるわけがないでしょ!」

「エディたちが来てるの!?」

「そりゃ来るでしょうよ」

 クルリと金色の目をまわしたピシカの声は何寝ぼけたこと言ってるのよと言わんばかりで、ルゥナは込み上げた安堵に力が抜けた。

 そんな彼女を、ピシカが急き立てる。


「とにかく、早く! ソワレはエデストルたちのところに行っちゃったんだから。今頃全滅してるかもよ」

「そんな……そんなことしないよ、ソワレは」

「するわよ。えげつないとこ、アンタに見せてなかっただけでしょ。アイツはアンタ以外には優しさの欠片も見せないからね。とにかく、早くそこから降りなさいよ」

「あ、うん」

 ズル、と滑り落ちるようにして、ルゥナは寝かされていた台から降りる。

「……アンタ、ちゃんとやるのよね?」

 膝までめくれてしまった服を整えるルゥナに、低い声がそう問い掛けてきた。

「え?」

 見下ろしたピシカの目は、爛々と光っているのに、どこか――暗い。


「ソワレにほだされたり、エデストルになんか言われて考え変えたり、しないわよね?」

 ピンと立った尻尾は、ピシカらしくなく緊張を漂わせている。

 ルゥナはふわりとしゃがみこみ、そっと彼女の頭を撫でた。

「やるよ。だって、それがソワレの――エディやみんなの、為だもの」

 きっぱりと言い切ったルゥナに、ピシカの目が微かに細められる。

「じゃあ……」

 言いかけて、止める。いつも言いたいことを容赦なく口に出すピシカらしくなくて、ルゥナは小首をかしげて彼女を見下ろした。


「『じゃあ』?」

「――何でもないわ。アンタがやるって言うなら、いい。ほら、急ぐわよ」

 ピシカの後に続いて外を目指して走り出した彼女の頭の中で、さっきの台詞が繰り返される。

 ――アンタに見せてなかっただけでしょ。


 ピシカの言うとおりだった。


 ソワレは、ルゥナに心の中を見せていなかった。ルゥナがしようとしていることを、彼は受け入れてくれているのだと、彼女は思い込んでいた。だから、百五十年前のルゥナはしくじったのだ。


(今度は、ちゃんとやらないと)

 薄暗い洞窟の先に見えてきた明るい光を目指しながら、ルゥナは自分自身を叱咤する。

 今度こそちゃんとソワレと話をして、自分の考えを伝えなければいけない。

 全ては、ソワレのことを想ってしようとしていることなのだ。それを言葉を尽くして伝えれば、きっと、彼も解かってくれる。


 洞窟を出ると、急に明るくなった。木々が生い茂って陰を作っていても、それまでの暗さに慣れていた目には眩しくて、ルゥナは思わず立ちすくむ。

 何度か強く瞬きをして、ようやく慣れてくる。


 目を開けると――


「な、に……?」

 真っ先に視界に入ってきたのは、眩い金髪。

 エディに、ヤンに、トール、スクート、サビエ――それにヤンダルムの兵士も何人か。


 彼らは、独りで戦っていた。


 相手もいないのに。


 みんな、まるで何かの群れに襲われているかのように、左右前後にめまぐるしく武器を振るっている。


「なんで……エディたちは、何、してるの?」

 訳が判らなくて呆然と呟いたルゥナの耳に、舌打ちと問いへの答えが届く。足元を見下ろすと、ピシカが忌々しげに尻尾を揺らしている。

「ソワレでしょ。あいつの幻惑にでもかかってるんじゃないの?」

「ソワレが?」

 それは、充分に有り得た。

 ルゥナは彼の姿を探そうと振り返りかけたけれど、そうするよりも先に身体がふわりと浮く。顔を上げると深紅の縦長の瞳孔が見下ろしていた。


「ルゥナ! なんでここに――って、お前か」

 ルゥナを抱き上げたソワレは、すぐ傍にいるピシカに気付くと同時にルゥナを肩に押し付けるようにして片手で抱き直し、空いたもう一方の手をぞんざいに横に払った。

「ふみゃッ」

「ピシカ!?」

 押し潰されたような声に振り返ろうとしても、頭の後ろに回されたソワレの手はピクリとも動かない。

「ピシカ、ピシカ! だいじょうぶ!?」

 声だけでそう問い掛けると、少し間を置いて答えが返ってきた。

「大丈夫よ」

 声を聞く限りでは、元気そうだ。


「アンタ……その力、何なのよ? 何やらかしたわけ?」

 いつもよりもグッと低いその問いは、ルゥナではなくソワレに向けられているものだろう。ルゥナの頬が当たっているソワレの広い肩が、軽く竦められた。

「まあ、色々だよ。お前には判るだろ?」

「……その、『印』……マギクと、――あいつ、も」

「何かもう、あれこれ混ざっちゃっててね。だから、『印』持ちにも僕の力は充分に効いてくれる。でも逆に、『印』の力は僕には効かない。元々持ってた力も、少し変わったし」

「見てくれだって、えらく変わっちゃってるんじゃない?」

「まあ、仕方がないね。でも些細なことだ。もっと力が手に入るなら、姿なんかどうでもいいさ。ここに三人も引き連れてきてくれたから、探す手間が省けた。そこのところは礼を言っておくよ」

 軽い口調のソワレの言葉に、ピシカが一瞬間を置いてから、ハッと息を呑むのが伝わってきた。


「まさか……他の『印』も手に入れるつもり?」

「もちろん」

「あんたバカじゃないの!? そんなことして、そのちっぽけな身体がもつわけないじゃないの」

 嘲りを含んだピシカの台詞にも、ソワレは何も言わない。それを耳にして動揺したのは、ルゥナだった。

「え、ちょっと、待って、ソワレ……何、それ」

 ジタバタと暴れて、ソワレの拘束を振りほどこうとする。彼の目を見て、ちゃんと話したかった。

「危ないよ、ルゥナ。怪我をするじゃないか」

 ため息混じりに言いながら、ソワレは肩からルゥナを下ろして腕の中の横抱きに戻す。

 まるで、木の上に登った猫を助けようとして結局一緒に下りられなくなった時のルゥナに向けるような、呑気な声と眼差しだった。


「だいたい……あ、これ、何なの? 血がついているじゃないか!」

 真っ白なルゥナの服の胸元に跳んだ小さな赤茶色のシミに気付いたソワレが、大きな声をあげる。

「これは、口の中を噛んで……」

「まさか、目を覚ます為に!? ああ、もう! だからって、そんな血が滴るほどに傷付けなくたっていいじゃないか!」

 まるで、舌を食いちぎったかのような騒ぎぶりだ。


 そんな場合じゃない、と抗議しようとしたルゥナの口の中に、ソワレは容赦なく指を突っ込んでくる。

「ほら、口開けて。どっち? 右? 左? まさか、何度も噛んだわけじゃないよね?」

 乱暴ではないけれど有無を言わさぬ力でルゥナの口をこじ開けて、覗き込む。

「……もう治ってるみたいだな」

 ルゥナの顎が痛くなるまで見続けて、ようやくソワレが納得してくれる。ちょっと口の中を噛んだくらいでこの騒ぎ。これで、横っ腹に大きな穴を開けたこともあるのだと教えた日には、どうなることか。


 絶対に知られないようにしようと心に刻み込んだルゥナの耳に、剣呑な声が届く。

「ちょっと、アンタたち、この状況解かってる?」

 とげとげしいピシカのその言い様に、ルゥナはハッと我に返った。こうしている間も、ソワレの背後ではみんなが武器を振るい続けているのだ。

「そう、ソワレ、エディたちを止めて」

 彼の胸元を掴んで、懇願する。

 けれどソワレは、間断なく戦い続けているエディたちの方にチラリと視線を走らせただけで、かぶりを振った。

「死にはしないよ」

「死ななくたって、ケガするでしょう!」

「弱らせた方が、『印』を奪いやすい。抵抗されたら面倒くさいし」

「ソワレ!」

「ダメだよ。いいかい、ルゥナ。『印』を全部手に入れたら、僕が邪神を何とかしてあげるから。君はその間眠っていたらいい。僕が生きているうちに、僕が邪神を封じてあげる。そうしたら、また起こしてあげるから、また一緒にいよう。この姿だから街中で暮らすってわけにはいかないけど、どこか誰も来ない山奥で、静かに暮らしたらいいだろう?」

 宥めるような、懇願するような口調だった。

 ルゥナは、折れそうになってしまう。

 けれど、折れるわけにはいかないのだと、きつく自分を戒める。


「ソワレ、下ろして」

 決然とそう告げたルゥナに、ソワレは一瞬固まり、そうして諦めたようにそっと彼女を地面に立たせる。

 まだルゥナの腰に手を添えている彼の両腕に手を置くと、生地を通して硬い鱗が触れた。その感触に、手ではなく、心が痛くなる。


「ねえ、ソワレ。わたしだって、ソワレの為に何かしたいんだよ? ソワレだって、いつかわたし以外の人を好きになって、子どもだってできて……その子たちにちゃんとした世界を残してあげたいでしょう? わたしはみんなに幸せになって欲しいと思うけど、その中で一番、ソワレに幸せになって欲しいの。だいじょうぶ、その身体だってちゃんと治してあげるから。ほら、昔だって邪神のせいで変わっちゃった人を治したことがあったでしょう? 時間はかかるかもしれないけど、ソワレだって治せるよ――治してみせる」

 切々と説くルゥナを、ソワレは微動だにせず凝視している。

「ねえ、ソワレ。エディたちの戦いをやめさせて? そうして、みんなと一緒に行こう? わたし、ソワレよりもずっとずっと長生きするんだし、ソワレが寂しいなら……ソワレに好きな人とか大事な人とかできるまで、起きてそばにいるよ。だいじょうぶ、ソワレを独りきりにはしないから。ソワレがもういいよって言うまで、一緒にいるから」


 安心させるために、ルゥナはソワレに笑いかける。

 けれど、彼の顔はクシャリと歪んだ。まるで泣き出す寸前のように。


「ルゥナは、全然解かってない」

「え?」

 がさついた手のひらが、柔らかなルゥナの頬を包み込む。

「ルゥナの幸せが、僕の幸せなのに。僕がいない世界で、ずっとずっと未来の、別世界みたいになった世界で、ルゥナは独りで平気なの? 僕はルゥナが寂しい思いをするのが嫌だ。誰かにひどい目に遭わされるのも嫌だ。君が笑っていられるように傍にいて守るのが、僕の幸せなのに。それなのに、ただ眠り続けるだけの君を見ながら死んでいけって言うの?」


 血を吐くような震える声で、ソワレが言う。そして、ポツリとつぶやいた。


「……ひどいよ」


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