対峙
「ではな」
エディに向けて短く言い置いて、ヤンが地面を蹴る。
巨人は、ひっきりなしに攻撃を繰り出す双子に翻弄され、両腕を振り回して周囲の木々をへし折り、叩き付けた拳で地面をえぐっている。その距離を詰めながら、ヤンが聖斧を振るった。
左腕の『印』が一瞬輝きを放ち、刹那生じた不可視の衝撃波が大地に深いキズを刻みながら巨人に向けてひた走る。
それはさながら姿を消した龍のようで。
次第に勢いを増しながら向かってくるそれに気付いた双子が、パッと左右に跳んだ。どちらを追うかをとっさに判断できなかった巨人の足がたたらを踏む。そのもたついたわずかな間に、衝撃波は巨人の元へと到達していた。
ドゴッと鈍く、そして硬い音。
エディは、小山ほどもある鎧猪が勢い余って巨大な岩に衝突するところを見たことがある。音は、その時のものに似ていた。
直後、巨体が揺らめく。
ヤンが放った破壊の意志を込められた力は、狙い違わず巨人の足を打ち砕いていた。ヒトで言えばくるぶしから先を失った形で、体勢を崩した巨人の動きが止まる。が、すでにその下の地面はうごめき始め、即座に再生へと向かっていた。
「エディ王子、来い!」
間髪容れずに飛ばされたヤンの一声に、エディはすぐさま駆け出した。
巨人は重心が低い為、完全に倒れ伏すことはなかった。半ば膝をついたような姿勢になっていたが、元々の巨体もあって、依然、身の丈は見上げるようだ。
普通に剣を振るったのでは、狙いの頭には届かない。
だから、巨人の背後で待ち構えているヤンめがけて、エディは走った。あと数歩、というところまで迫ると、ヤンが聖斧を投げ捨て腰を屈めて組んだ両手を差し出す。
エディは一、二、と心の中で呟き、地面を蹴り、三でヤンの手を踏む。足底が柔らかなものを感じた瞬間、エディの身体はグイと放り上げられた。
跳躍。
そして。
足を失ってもなおヤンよりも遥かに高い位置にある巨人の肩に、狙いを違えることなくエディは降り立った。肉厚なそこをしっかりと踏み締めたが、ほぼ同時に足の再生を終えた巨体が再び暴れ出す。
「ッ、とッ!」
振り落とされる前に、エディは肩車の要領で腰を下ろして巨人の頭をしっかりと脚で挟み込む。
間近で感じられる『敵』の気配を察知したのか、巨人がいっそう猛り狂った。エディは暴れ馬を乗りこなすように、腿に力を込めて脚だけで自身の身体を固定する。
「!」
暴れ狂う巨人の腕が弾いた枝がしなり、エディの左腕をしたたかに打ち据えた。
手がしびれ、危うく取り落しそうになった剣を、エディは両手で握り締める。
(頭……弱点……)
胸の中で呟きながら、足の間にある巨人の『頭』を目をすがめて睨み据えた。逆手に握り締めた剣を高く上げる。
『頭』は、ただの岩石の塊のようにしか見えなかった。
硬くて、エディの剣など突き立てた瞬間にへしゃげるか砕けるかしてしまいそうだ。
彼の頭の中を、微かな迷いがかすめる。
(できない――?)
いや。
こんな土くれ人形一つ倒せないようであれば、祖国を取り戻すことなどできない。仇を取ることもできない。邪神を封じることもできやしない。
そんなふうに自分自身に言い聞かせ、エディは剣の柄を握る手に力を込める。
そう、世界を救うという大事な使命が、彼ら『印』を戴く英雄たちにはあるのだ――とても重要で壮大な、責務が。
自らを叱咤し、エディはいっそう腕を高くする。
が、そんな彼に、どこからか小さく囁く声が聞こえる。
世界? そんなに大きなものが、お前には見えているのか――と。
漠然とした、義務感。
曖昧な、目的。
この土人形を倒すのは、邪神を倒し、世界を救う為の前哨戦。
その筈だ。
だが。
(――いや、違う)
エディには、そんな大きなものは見えない。
この土人形を土くれに戻して手に入るもの。それは――
(ルゥナ、だ)
唐突に、何かがはっきり見えた気がした。それは、触れられそうなほどに明確だ。
一瞬、エディの額が熱くなる。しかし、それは本当に一瞬で、彼は気にも留めなかった。
(俺は、このでくの坊を倒す。そして、ルゥナを取り戻す。彼女と話して、ちゃんと彼女の気持ちを訊くんだ)
本当に、その身に邪神を封じたいのか。
それは、すなわち、エディたちとの別れだ。殆ど永久に近い時間を、たった独りで彷徨い歩くことになる。
それは、本当に彼女の望むところなのか。それを従容として受け入れるのか。
もしも、ほんの少しでもルゥナの中にそれを望んでいない気持ちがあるのであれば。
(絶対に、させない)
ルゥナが笑顔でいられないのなら、それは正しい道じゃない。
一人を犠牲にして世界が救われるのならば万々歳なのかもしれないが、その一人がルゥナなのは、駄目だ。彼女自身が応と言っても、エディは断固否と言う。
世界を、救わなければならないのかもしれない。
だが、その前に。
「俺は、ルゥナを守るんだ!」
全てから――彼女自身から。
エディは剣を振りかざす。
彼の額は、今、燃えるように熱かった。そこから湧き上がる灼熱の波が、全身に広がる。全てが熱く、血潮がたぎる。
漲る力を剣に込め、エディはそれを一気に振り下ろした。
微かな抵抗。
そして刃は深々と突き刺さる――硬い障壁を貫く。
身を焼く力に耐え兼ねて、エディの口から咆哮がほとばしる。
「邪神なんか、クソくらえ!」
ガツンという手ごたえと共に、白刃は鍔まで埋まった。
巨人が、静止する。
一瞬の静寂。
そして、頭頂部から指の先まで、ピシピシと小さな軋みを立てながら細かなひびが走り出した。
その隙間から、光が漏れる。それはふくらみ、爆発する。
巨大な土人形の全身が眩い輝きに包まれたかと思うと、瞬き一つの間にサァッと崩れ落ちた。
打って変わって、周囲に満ちるのは静寂。
その中で、土山の上に座り込む形で、エディは瞬きをする。彼の尻の下にある土の塊は、もうモソリともしない。
「やった、か?」
なんだか、呆気なかったような気がする。
ボウッと呟いたエディに、聖斧を拾い上げたヤンがどこか感心したような響きを含んだ声で頷いた。
「どうやらそのようだな」
言いながら彼はハの字の形に広げられたエディの足の間に手を伸ばし、そこの土を探った。彼がそれを避けると、ヤンの拳よりも大きいくらいの、丸いガラス球のようなものが現れる。綺麗な球面には、何かで貫かれた痕が残っていた。
「それは、魔晶球――ですか?」
近寄ってきたスクートがエディに手を貸して彼を立たせると、ヤンの手元を覗き込んだ。
「ああ。土の魔法で操っていたんだろう」
「そんなふうに使うところは見たことがありませんでした」
スクートはヤンから魔晶球の残骸を受け取り、しげしげと見つめる。横からサビエも物珍しそうに覗き込んだ。
「そうなのか?」
スクートやサビエはマギクと共に戦いに出たことがあるから、魔晶球が使われる場面もよく目にした筈だ。その彼らが見たことがないというのなら、よほど珍しい使い方なのだろう。
「見たところがないと言えばさ」
考え込むような口調でそう切り出してきたのは、離れた場所から攻撃を補助していたトールだ。いつの間にかエディのすぐ後ろに立っていた彼は、首をかしげてエディを見つめてくる。
「神器を使わずに『印』の力を発揮するっていうのも、結構珍しい事態なんじゃないかな?」
「え?」
「あれ、気付いていないの? エディ、君、『印』の力を使ってたよ? おでこ光ってたし」
言われて、エディは額を――『印』があるその場所に手を伸ばす。
「まさか」
呟き、彼は思い出したように両手のひらに目を落とす。そう言えば、いつの間にか剣を手放していた。
「あれ?」
少なくとも、ヤンが魔晶球を見つけ出した所にはなかった。きょろきょろと辺りを見渡してみても、やはり見つからない。
「実はあれは聖剣で、君の危機を察知してエデストルから飛んできて、また帰っていったとか?」
「そんなバカな」
能天気で楽しげなトールの『推理』に、エディは呆れた声で返した。
と、そこに被るように低い声が響く。
「その通り、そんなバカな、だ」
揶揄するその声に、弾かれたように、皆が一斉に振り返る。
ヤンすらその存在に気付いていなかったようだ。一瞬にして全身に闘気をみなぎらせた彼の目が、不満そうに細められる。
声は、洞窟の奥――その暗がりからのものだった。
一同が見守る中、ゆっくりと、闇に紛れた黒衣が明るい陽の光の下へと姿を現す。
「お前――ソワレ」
その名を呟いたエディに、異形の瞳が向けられた。
「あんたに僕の名前なんて教えていないよな、エデストル。……ああ、そうか、あの化け猫か」
黒衣の男――ソワレは、そう言って肩をすくめる。
「しかし、大したもんじゃなかったとはいえ、聖剣なしで『印』の力を引き出したんだな」
彼の眼差しは、感心しているようであって、同時にどこか不服そうでもあった。
「やっぱり、そうだったんだ? だけど、じゃあ、神器って別に必要ないわけ?」
『敵』に対して、トールがまるで旧知の友のような口調でそう問い掛ける。ソワレはまた肩をすくめた。
「まあ、ね。単に意識に方向性を持たせやすくするだけの玩具だよ。後は強度かな。あんたの剣は跡形もないだろ?」
「え? ああ……じゃなくて!」
まるで、他愛のない世間話をしているかのような雰囲気を振り払うように、エディは大きく頭を振る。
「ルゥナを返せよ!」
洞窟の入り口を塞ぐようにして立っているソワレの方へと一歩を踏み出して、エディは吠える。が、ソワレは不快そうに睨み返してきた。
「返す? あんたのものじゃないよ、ルゥナは。僕の方こそ返してくれと言いたいよ」
「嫌がる彼女を無理やり連れ去って、何が『返せ』だよ」
「ルゥナには正しい判断ができないからだ」
仕方ないな、というふうにかぶりを振りながらそう言ったソワレに、エディの頭に血が昇る。
「そんなの、お前が決めることじゃないだろ!」
剣の柄を握ろうとして腰に手をやったが、空振りする。チッと舌打ちを漏らしたエディに、ヤンが戦えなくなった部下から受け取った剣を投げ渡す。
エデストルのものよりも太目な剣の柄を何度か握り直し、エディは再びソワレに詰め寄った。
「とにかく、ルゥナを返せ。彼女とちゃんと話をしなくちゃいけないんだ」
「話? してどうする」
「彼女の気持ちを確認して――」
「そして、邪神に捧げるのか?」
「そうじゃない! そうじゃなくて!」
「どうせ、他に手がないとなったらあっさり手のひら返すんだろ? 第一、ルゥナの気持ちは変わらないよ。ルゥナは、世界を救いたくて仕方がないんだ。そうしないと、この世界に受け入れてもらえないと思ってるんだ。だけど、ルゥナが世界を救ったとして、千年後に、彼女には何が残っているんだ?」
暗い声でそう言いながら、ソワレが懐を探る。
そこから取り出したものは、黒い珠だった。
「何だ、それ……魔晶球?」
見た目は、そうだ。
だが、漆黒の魔法なんて、見たことがない。
横目で見れば、トールやスクート、サビエも眉をひそめている。
「これはね、邪神だよ」
淡々と告げられた言葉を、エディはサラリと聞き流しそうになった。
「……え?」
「ようやく、こうやってこの中に閉じ込めることには成功したんだ。まあ、力は漏れまくりだけどね」
「邪神って……」
二の句を継げずにいるエディに構わず、ソワレが手の中の珠に視線を注いで続ける。闇しか見ていないような、暗い瞳で。
「これにも多少の意思みたいなのがあるようなんだけどね、てんで支離滅裂なんだ。だけど、どれも気が滅入るもんだよ。怨嗟とか、怒りとか、ね。もう、ひっきりなしに垂れ流しにしている」
ふと彼が顔を上げた。その目はエディたちの方へ向けられているが、『見られている』という感じがしない。その深紅の瞳孔は、彼ら数人ではなく、もっと大きなものを捉えているようだった。
「ルゥナはね、ずっと僕が大事に守ってきたんだ。すごく大事に」
だから、とソワレは言った。
一転して強い光を宿した眼差しで。
「だから、ルゥナにこんなものを近付けさせやしない」
彼がそう宣言すると同時に、周囲には魔物が溢れ返った。