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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第八章:明かされる真実
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思慮

(ようやくだ)

 エディは、獣が通った跡すらない不安定な足場を一歩一歩踏み締めながら、胸の中でそう呟いた。

 今彼がいるのは、シュタから遠く離れたトルベスタの山奥だ。

 ピンと尻尾を立てたピシカの後を追って、道なき道を進んでいる。


 奪われたルゥナを取り戻す為の一行は、総勢九名。

 もちろんエディは真っ先に名乗りを上げ、当然双子もそれに続いた。向かう先がトルベスタ領内だからと言って、トールも加わった。

 そして、怪鳥に乗って飛び去っていったソワレを追い掛けるのに馬では分が悪すぎる。

 ヤンダルムの竜騎兵が『足』として選ばれるのは、当然の流れだっただろう。

 シュタの守りのこともあるから、当初エディは一般兵を数名借りるつもりだったが、そう主張した彼にかぶりを振ったのはヤンだった。

 エディとトールを軽んじるつもりはないが、と前置きしてから、ヤンは言ったのだ。


「あいつは強い。私でもそれなりにてこずった。奴がのんびり待ち構えているとは限らんが、もしも奴と戦うことにでもなれば並みの者では一捻りだ。帰りは足が無くなるかもしれんぞ」


 それはやっぱり、エディたちではルゥナを救い出せないと言っているも同然ではないか。


 エディはムッと唇を歪めたが、彼がヤンに言い返すより先にトールがにっこりと笑顔で頷いてしまった。

「そうですね、僕もそう思います。ヤン王に来ていただけるなら、百人どころか千人力ですから。ね、そうだろう、エディ?」

 有無を言わせない笑みを向けられて、エディがつべこべ返せるわけもない。

 シュタ上空の空中戦はヤンの腹心ソインとバーターに指揮を任せ、夜の暗闇に紛れて五体の飛竜が出立したのは七日ほど前のことである。エディたちを乗せてきた四体は速竜アサルゴルだが、ヤン王はいつもと同じ愛竜ファルグだ。ファルグは剛竜バタルゴルだが、速竜に劣らぬ飛行能力があるらしい。


(七日、か)

 竜から降り、再び地面に足を着け、岩一つに行く先を遮られるようになったエディは、内心で唸る。

 陸路であればどんなに急いでもひと月以上はかかる距離を、飛竜は易々とその五分の一以下に縮めてしまった。

 険しい山道も行く手を遮る川も回り道を余儀なくさせる谷も、全て関係なく、あっという間に後ろに遠ざかっていく。

 肌を切り裂きそうな冷たい風が、頬に吹き付ける。

 爽快、だった。

 空を飛ぶという初めての経験に、エディはヤンダルムの民が厳しい山岳での暮らしを捨てずに飛竜と共に生き続ける気持ちが、少しばかり理解できたような気がしたのだ。


(自分の尺度じゃ、物事を測れないんだ)

 そんな簡単なことを今さら実感した自分の愚かさと未熟さが情けない。

 何が大事で何を優先すべきなのか。

 国を追われるまで、エディの世界はエデストルが全てと言ってもよかった。

 トルベスタやシュリータとも交流はあったが、生活の全てはエデストルという国の中のみで完結していた。


 民は皆穏やかで明るく、日々の暮らしは平和で。


 ヤンダルムのように過酷な地で生きる人々のことなど知らなかったし、他国からの襲撃に絶えず警戒していなければならないシュリータの暮らしも解かっていなかった。


(じゃあ、マギクは? マギクの『何か』を知ったら、俺の中の何かは変わるんだろうか)

 エディは自問する。


 わからない。

 その時どうなるのか、こうやって考えているだけではわからなかった。


(とにかく、今一番重要なのはルゥナのことだ。彼女を助けないと――彼女と話をしないと)

 自分自身に言い聞かせ、エディは小さく頭を振って余計な考えを追いやった。そうして、また前を向き、険しい山道を見据える。


 今、エディたちはトルベスタの南方の山奥、トルベスタの民ですら足を踏み入れたことのない場所へと到達し、最後の行程を徒歩で詰めている。

 ピシカによれば、ルゥナがいる筈の場所はもう目と鼻の先らしい。

 一度その上空まで行ったのだが、あまりに木々がうっそうと茂っていて飛竜が下りることができず、多少なりとも開けた場所がある所まで戻ってそこから歩きとなったのだ。


「ルゥナは、こんな所から君と出会った場所まで歩いて行ったわけだよね。結構逞しいんだなぁ」

 足場の悪さに辟易しながら、トールが感嘆混じりの声でそう言った。

 エディは、その台詞に眉をしかめる。一緒に旅をするようになってから目にしていたルゥナの足取りは、決して巧みなものではなかった。よく何かにつまづいていたし、滑って転びかけてその都度サビエに支えられていた。

 エディたちと一緒になるまでに、きっと、彼女は何度も怪我をしたのだろう。いや、現に重傷を負っていたのだ。腹に、エディの拳が通り抜けるほどの穴が開くほどの。


 確かにルゥナの身体は怪我をしてもすぐに治る。

 だが、怪我を負った時の痛みは、普通に感じるに違いない。


 ただ単にけた外れの治癒力を持っているだけの、繊細で優しい少女。


 それがルゥナだ。

 そんな彼女に、全てを背負わせていいものか。


「いいわけがない」

 奥歯を噛み締めるようにして呻いたエディに、トールが目を向ける。

「え?」

「……やっぱり、納得いかない。ルゥナのこと。彼女に邪神を封じるってこと――トールはいいと思ってるのか?」

「まあ、他に手がないなら――」

 少し困ったように、けれどエディから目を逸らすことなくそう言ったトールに、エディはカッと頭に血が昇る。トールは、彼と同じ考えだと思っていたのだ。ルゥナにそんな事をさせるつもりはないよという台詞が返ってくると、当然のように思っていた。

「ルゥナに全部ひっ被せるのか!?」

 トールの肩を掴んで引き止め、エディは噛み付いた。だがトールは穏やかに彼の手を外させて肩をすくめる。


「僕だって、できれば違う方法がいいと思うよ。だけど、それしかないなら、仕方ないと思う。ルゥナ一人の犠牲で百年先、千年先を救えるのなら、彼女にひざまずいてお願いするよ」

「この!」

「エディ様!」

 思わずトールの胸倉をつかんだエディに、スクートが割って入った。

「少し落ち着いてください」

「落ち着いてられるか!」

 今度はスクートに食ってかかったエディに、襟の乱れを直したトールが穏やかな声をかける。

「エディ、僕だって、ルゥナを犠牲にするのは最後の手段だと思ってるよ。もう本当に他に手がないというのを僕自身で納得するまでは、彼女にお願いしたくない」

 そう言って、彼は足を止めて少し考え込むように俯いた。

「……僕たちは、古の英雄が邪神を封じたって聞かされてきたんだよね。結局それは、真実じゃなかったってことなのかな?」

 後半の問いは、二人の争いを興味なさそうに見つめていたピシカに向けたものだった。


「まあ、そうね」

「百五十年前、邪神封じは失敗していた。ただ単に失敗したんじゃない。今回と同じように、あの弟君が邪魔したんだね」

 断定したトールに、ピシカはヒョイと肩をすくめてみせる。

(その『邪魔』は、ルゥナの為にしたんだ。ルゥナを犠牲にしたくなかったから……)

 ソワレの気持ちが、エディには我がことのように理解できた。むしろ、当時の『英雄』たちがすんなりとルゥナを差し出したことの方が納得いかない。


 唇を噛み締めたエディをよそに、トールは続ける。

「じゃあ、なんで百五十年も無事だったんだろう? 彼は何か手を考え付いたということなのかな?」

 その言葉に、エディはパッと彼を振り返る。

 もしもそうなら、話は全然違ってくる。

 トールに向けていた目を、エディは期待を込めてピシカに移した。が、素っ気なく冷ややかな声がそれを撃ち破る。


「全然、無事じゃないわよ」

「だけど、色々起こり始めたのはここ十年足らずのうちのことだよ?」

「このルニア大陸ではね。イシュラは――ああ、マギクの北の孤島だけどね、あそこはもう『魔物』だらけよ。邪神はあそこにいる――いたからね、まともな生き物は一つもいないわ」

 邪神の所在について微妙に言い替えたピシカに、エディは「あれ?」と思ったが、彼が口を出す前に後方から低い声が入ってきた。

「だが、何故邪神は封じられたということにした? 失敗したとわかっていたら、この百五十年の間に何か他の方法を考えていただろうに」

 割り込んできたのはヤンだ。ピシカに向けた彼の目も、不機嫌そうに眇められている。


「あら、ルゥナがどこに隠されたのかわからなかったからよ。邪神放置されてて、それを何とかするにはルゥナしかいなくてってなったら、バカな連中が血眼になってあの子を探すでしょ? いくらソワレが厳重に隠したって、ルニア中の奴が探し回ったら流石に見つかっちゃうじゃない。下手したら『生贄だぁ』とか言われて、再生できないくらい細切れにされてイシュラにばらまかれるわよ。それでなくても、あの子はあの力の所為でずっと追いかけ回されてきたんだし。ルゥナのことを隠すには、邪神のことも解決したってことにしておいた方が、多少なりとも安全だったのよ」

 最後にフンと鼻を鳴らす。

 ピシカは、この世界の人間にほんのわずかな好意の欠片らしきものも抱いていないようだった。

 軽蔑して、侮って、バカにしている。

 彼女はそれを隠そうともしていない。


 エディはふと思った。

(なのに、なんだって助けようとするんだ?)


 彼女にとって、このルニアなど、この世界など、どうでもいいものだと思っているようにしか見えない。

 それなのに、何故、こんなふうに手間暇かけて邪神を封じようとするのだろう。

 ピシカの性格なら、右往左往する人間たちなど薄ら笑いを浮かべながら眺めていそうなものなのに。

 この猫もどきはいったい何モノなんだろう。


 ルゥナは彼女に全幅の信頼を置いていたけれど、エディにはこの薄紅色の仔猫が魔物よりも余程危険なものに思われた。


 世界の脅威。

 ピシカの思惑。

 マギクへの恨み。

 国と民を背負うことの重さ。


 ――そして、ルゥナのこと。


 考えることが多すぎる。


「ああ、クソ」

 思わず呻いたエディに、トールが首をかしげた。

「どうしたんだい?」

「……頭イテェ」

「風邪かい?」

「考え過ぎて頭が破裂しそうだ」

 エディはこめかみを揉みながらそう呟く。トールは一瞬眉を上げて、そしてくすりと笑った。

「エディはあんまり考え過ぎない方がいいんじゃないかな」

 その台詞は、誉め言葉ではない筈だ。

「は?」

 ムッとした顔でエディがトールを睨み付けると、彼はニッコリと笑みを深くして続ける。

「君はグダグダ悩まず思うままに動いた方がいいと思うよ」

「それは俺が単純バカだと言いたいのか?」

「というより、直感が優れてる、みたいな?」

 質問形で返されて、エディは更に言い返そうとしたけれど、やめた。押し黙った彼に、トールが柔らかく笑う。

「いや、ホントにね、色々裏読みしたり深読みしたり損得考えたりするのは、腹黒い連中に任せておいたらいいと思うよ。君は、君がそうしたいと思って、そうしたいと決めたことをしたらいい。大丈夫、そりゃまずいって方向に行きそうになったら殴ってでも止めてくれる人はいくらでもいるから。君は、君が思うままに行動したらいいんだ。行き当たりばったりでもね」


(俺が、思うがままに?)

 トールの言葉を、エディは頭の中で繰り返した。


 自分が何を思っているのか。

 どうしたいと思っているのか。


 真っ先に浮かぶのは――


「あ、ほら、アレ。あの洞窟」

 不意に響いたピシカの高い声が、エディの物思いを破る。釣られて視線を巡らせると、木々の間から覗く岩壁に、亀裂のようなものが走っているのが見て取れた。

「あの奥なんだけどね」

 言いながら立ち止まったピシカが、ぴくぴくと鼻をうごめかしている。

「何だよ?」

「アイツの仕業ね」

 一人――いや、一匹で訳知り顔をしているピシカに、エディはやきもきする。

「は?」

「まあ、放置しておくはずがないわね」

「だから、何が――ッ!?」

 イライラしながら身体を屈めてピシカを摘まみ上げようとしたエディに応えたのは、周囲の静寂を撃ち破る地響きの音だった。


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