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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第八章:明かされる真実
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犠牲

 シュウの言葉通り、あれほど激しかった襲撃も、いつものように日没と同時にピタリと止んだ。頭となる長衣の男はもうこの近辺にはいないだろうに、魔物たちの統制の取れ方は変わらない。合図も何もなく、太陽が地平線の向こうに消えると共に、空を舞う有翼の魔物たちも消え失せたのだ。

 ルゥナを長衣の男に奪われた一同は、会議室の卓に集っていた。

 エデストルはエディとフロアールに双子、トルベスタの王族四人と宰相のサルキー、ヤン、そしてシュウとカルに二人の背後に控えるルジャニカ。

 マギク以外の英雄の末裔が、この場に集まっている。


(――マギクは、何をしているんだろう)

 黒衣の男にルゥナが攫われた経緯を話すシュウの声を耳から耳へと聞き流すエディの頭の中に、ふと、彼らのことがよぎる。

 旅に出た当初は、彼の目の前にはひっきりなしにマギクのことがちらついていた。憎しみと恨みと怒りを伴って。馬の前にぶら下げた人参のように、それが彼の原動力になっていたのだ。

 だが最近は、こうやって何かの拍子に思い出す程度になっている。


 いつの間に変わったのか。


 マギクのことを考えても、あまり強い感情が込み上げてくなくなっている。

 代わりに、彼らのことを思う時、マギ王が何を考えているのか、何故魔物の側に回ったのか、その理由に考えを巡らせている自分がいることにエディは気付く。

(このルニア大陸の人間の信頼を裏切ったにも等しいのに、何で、今は魔物たちと一緒に攻めてこないんだ?)


 今、日々繰り返されているシュタへの襲撃に、マギク兵の姿はない。全て鳥や獣の形をした魔物ばかりだ。

 魔物の群れと付かず離れず移動してきたトルベスタ兵は、奴らに同行するマギク兵を確認しているし、今現在も、壁の外にはいる筈だ。

 だが、シュタへの襲撃が始まって以来、魔法による攻撃は仕掛けられてきていない。


 今更、魔物と袂を分かったのだろうか。

 それでまた、こちら側に受け入れてもらいたいと思っているのだろうか。


 もしも――もしも、マギクが赦しを乞うてきたとして。


 エディは考える。

(俺は、あいつらを赦せるのか? 父上やベリートを殺されたことも、母上を奪われたことも、国を蹂躙されたことも……全部、水に流せるのか?)

 自問に答えは見つからない。

 何度考えても、判らないのだ。

 いざマギク王を目の前にした時、ようやく答えが出るのかもしれない。その時を自分が望んでいるのかいないのか、エディにはそれすらも判らなかった。


 出口のない彼の物思いを、太い声が破る。

「まったく、私がその場におれば、すぐさま追いかけ彼女を奪い返してやったものを」

 唸るように言ったのはヤンだ。エディはその言葉にギュッと肩を強張らせた。と、そんな彼の反応に気付いたヤンが苦笑する。

「別にエディ王子が力不足だったと言っているわけではない。翼があるかないかの問題だ」

 ヤンは苦笑混じりにそう言ったが、エディは膝の上に置いた両手を更にきつく握り締めた。

 エディのその手は、いつも大事なところに届かない。

 あの時、あの場に駆け付けたのがエディではなくヤンだったら。


(そもそも、ルゥナをあいつの手に渡さずに済んだんだ。きっと、飛び立つ前に取り戻してた)

 国を追われた頃に比べたら、エディは格段に強くなった。戦う為の力は、着実に手に入れられている。それは実感している。

 けれど、足りない。

 どんなに身体を鍛えても、どんなに剣の腕を磨いても、誰かを――何かを守るのには充分ということがなかった。『英雄の末裔』という肩書に、嘲笑われているような気さえする。


 悔しさを噛み締めるエディの耳に、コンコンッという音が入る。

 顔を上げると、シュウと目が合った。さっきの音は、綺麗に整えられた彼女の爪が机を叩いた音だ。いいかい? というように、器用に片方の眉だけ持ち上げる。


「まあ、取り敢えずは、過ぎたことをくよくよ言うより、建設的なことを話し合おうか」

 二十人ほどが座れそうな長方形の卓の上座に構えたシュウが、場にそぐわないのんびりとした声で言う。

「ルゥナを取り戻す――前に、一つ確認しておきたいことがある」

「確認したいこと?」

 フロアールが眉をひそめて繰り返した。ルゥナが拉致されるその場にいなかった彼女は、エディに負けず劣らずヤキモキしている。シュウはそんな彼女ににっこりと笑いかけ、そして一転して厳しい眼差しになるとそれを正面に向けた。

 彼女の視線の先にいるのは、ピシカだ。

 薄紅色の仔猫は、長方形の卓の真ん中、シュウの真正面に座っていた。前足を揃えて背筋を伸ばし、鼻面をツンと上げているその姿は、ふてぶてしくもある。


「それって、アタシに、かしら?」

 シュウの視線は彼女だけに注がれているのだから、他の誰である筈もない。判っているだろうに、ピシカは皮肉げにそう尋ねる。

「心当たりがあるなら早々に全部話してしまって欲しいものだが?」

 面白くもなさそうに口元に笑みの形を刻みながら、シュウが促した。だが、ピシカはピンと立てた髭をぴくぴくと震わせる。

「別に、アタシは何も隠し立てするつもりはないわよ。訊きたいことがあるなら、訊けば?」

「では、まず、あの長衣の男はいったい何者だ? 君もルゥナも、彼のことを知っているようだった」

「ああ、あれはソワレ。ルゥナの双子の弟よ」

 ケロリと答えたピシカに、会議室内にざわめきが走る。


「『双子』――って、だけど、ルゥナは二百年近く前の子なんだろ? その弟って言ったら、ちょっと長生き過ぎやしないか?」

 茶化す口調でそう言ったサビエを、ピシカの金色の目が見返す。

「何がどうなってなのかは知らないけど、どうやら身体の成長がすごく遅くなってるみたいね。別れた時には今のルゥナと同じくらいの年だったわ。金髪に青い眼で、そうね……そこのエデストルみたいな感じ」

 唐突に言われて、エディは目を瞬かせた。

「俺?」

「そ。色はよく似てる。アイツは女の子みたいな顔だったけどね。中身は、生意気でふてぶてしくて図太かったけど」

 どれも似たような形容詞をつらつらと並べて、ピシカはフンと鼻を鳴らす。


「アイツは生き物を操れるのよ。死にたくない人間も、死なせることができるくらいに完璧に。まあ、間違いなく、魔物にも力を使ってるわね……あの頃とはちょっと違う力も手に入れたみたいだけど」

 そう言って、ピシカはふと金色の目を陰らせた。

「でも、何故、双子の弟がルゥナを攫っていってしまったの?」

 何か考え込んでいるようなピシカに首をかしげて問い掛けたのはフロアールだ。彼女はそれに尻尾をパタリと叩いて答える。

「最初っから、アイツはルゥナが邪神封じに関わるのを嫌がってたのよね。嫉妬か何か? アイツはルゥナを独り占めしていたかったから」

「そんな理由か?」

「じゃないの?」

 眉をしかめたエディに、ピシカは肩をすくめる仕草で返した。


 空惚けた仔猫に、シュウの鋭い視線が注がれる。

「他に、邪神に近付かせたくない理由があるのではないのか?」

「どんな?」

「そうだな――では訊くが、『犠牲』、とは何のことだ?」

 シュウが口にした不穏なその言葉に、一瞬にしてその場の空気が張り詰めた。

「……『犠牲』?」

 エディは、口の中で呟く。そんな彼には目もくれず、シュウは続けた。


「あの男は、『ルゥナにどんな犠牲を』と言って、そこでルゥナに遮られた。文脈から考えれば、続くのは『払わせるのかわかっているのか』とか、そんなところだろうな。これはかなり気になるところだ」

 冷ややかな声で斬り込むように言ったシュウに、ピシカはフンと鼻を鳴らす。

「アイツは大げさに言い過ぎなのよ。ルゥナはちゃんと解かってるわ。何がどうなるか解かってて、それでもやるって本人が言ってるんだからいいじゃない」

「ごまかすなよ、ルゥナは何を解かってるっていうんだ!? 前に、彼女の中に邪神を閉じ込めるとか言っていたな? それで何も変わりがないように言っていたけど、本当は違うんじゃないのか?」

 食ってかかったエディに、ピシカはチラリと視線を投げる。


「別に、何も変わらないわ。あの子の癒しの力は、邪神にも勝るのよね。元々、ルゥナの癒しの力って、あの子が使おうと意識した時だけ発動するものだったけど、アタシの『印』を刻んでその力がずっとあの子自身に向くようにしてるわけ。だから横っ腹に穴が開いてもすぐに治っちゃう。多分、この城の天辺から落っこちても、半日もすれば元に戻るわ。邪神の力は生き物を変容させるものなのだけど、ルゥナの中に閉じ込めておけば変わる傍から癒していくから、別に魔物にもなりはしないし、死にもしない」

「じゃあ、なんで『犠牲』だなんて言われるんだよ」

「さあね。アタシとアイツじゃ、考え方が違うから解からないわ」

 ピシカには取りつく島もなかった。


 皆が口をつぐんだ中、トールが呟くように言う。

「……邪神を封じても、ルゥナが死ぬことはない。変わることもない。確か、普通に暮らしていけるんだよね。――だけど、それって、どのくらいの期間?」

 温厚な彼が据わった眼差しでピシカを見つめる。

「ルゥナにも寿命があるよね。今、十四か十五歳くらい? 眠らされていた間は何らかの術で時を止められていたんだろうけど、普通なら、あと三十年か、長生きでも四十年くらいかな。そうしたら、邪神はどうなるんだい?」

「あら、あの子はもっともっと生きるわよ」

「それって、どのくらい?」

「そうね、邪神の寿命が尽きるのが、あと千年か――もうちょっとくらいかしら。それまであの子は不老不死になるの」


 シンと、その場が静まり返った。


「……それはまた、ずいぶんと気の長い話だな」

 静寂を蹴ってそう呟いたのは、ヤンだ。元から鋭い眼差しが更に険しくなって、ピシカに向けられている。

「そうかしら。まあ、眠らされていれば、百年も千年も同じでしょ? 神器で邪神をルゥナの中に封じて、ソワレの力で眠らせるのよ。で、邪神の寿命が尽きたらルゥナの『印』を消して、おしまい。それからならあの子だってちゃんと年を取るようになるし、普通に死ねるわ」

 まるで何でもない事のように澄まして小首をかしげたピシカを、エディは捻り潰してやりたくなった。


 百五十年。


 その年月だけでも孤独にさいなまれている彼女なのに。


(千年、だと?)


 確かに、死なないのだろう。

 だが、ルゥナは本当にそれでいいのだろうか。

 千年の後に目が覚めたとして、彼女はそれで幸せに生きていけるのだろうか。

 ルゥナが次に目覚めた時、エディはいない。目覚めて嬉しいと伝えることもできない。変わってしまった世界に、大丈夫だよと受け入れてやることもできない。たった独りになってしまった心細さを、慰めてやることもできない。

 目覚めた時に彼女が最初に浮かべる笑顔を、エディは見ることができないのだ。


 その時、彼はもういないから。


「そんなの、駄目だ」

 唸るように、エディは言う。

「駄目だ、絶対、駄目だ。そんなの許せない」

「許せないって、じゃあどうするの? あの子がそうしなければ、あと数百年もしないうちにまともな生物はいなくなるわよ。この世界は滅びるんだわ。それでいいなら、別にいいけど」

「良くはない、良くはないさ。だけど――」

「大勢を見なさいよ。ルゥナ一人がしばらく眠るだけで、世界が救われる。どちらを選ぶかなんて、迷うことないじゃない」

 どうしてこんな簡単なことが解からないのかと言わんばかりに、ピシカはクルリと金色の目を回した。


「アンタ個人がどう思おうと、関係ないでしょ。ルゥナはもう決めてるんだから。ああ見えてあの子は、感情に振り回されて、しなきゃいけないことを見失ったりしないのよ」

 ピシャリと言われても、エディはそれに反論できる言葉を持たなかった。

 ピシカが正しいとは思えないのに、彼には自分の考えを押し通すこともできない。

 もどかしさと悔しさに顔を歪めたエディに、穏やかな声がかかる。


「まあ、取り敢えずはルゥナを取り戻さなければだな。私も彼女一人に全てを負わせるのがいい事だとは、思えない。だが、彼女に関わることを彼女がいない場所で云々するのは意味がないだろう? ルゥナを交えて、またちゃんと話し合おう」

 シュウのその言葉はもっともだ。

 だが、エディは、ルゥナが何と言おうとも、今ピシカが言ったような事を認めるつもりはなかった。


(ルゥナは、解かっていないんだ)

 彼女がしようとしていることが、残される者にどんな痛みを残すのかを。

 彼女一人を犠牲にして助かって、それで彼女に関わった者が――彼女を大事に想う者が、どんなふうに感じるのかを。


 そう考えて、エディは、ルゥナが邪神に身を捧げることを嫌だと思うのは、彼自身の為なのだということに気付く。

 彼女を酷い目に遭わせたくないというのではなく、彼女がそうした後に自分がつらいのが嫌なのだ。


(俺は、ズルい)

 自分の卑小さが、嫌になる。


 だが、それでも、ルゥナに千年の眠りになんて就いて欲しくない。

 この時代で、エディ達がいるこの時代で、幸せになって欲しい。


 できるなら、彼の傍で。


「エディ様?」

 呼ばれて顔を上げると皆いつの間にか退室していて、会議室に残っているのは彼と双子だけだった。

「夕食後、ルゥナを追いかける為の話し合いをしますよ」

「ああ……」

 スクートの言葉に頷いて、エディは席を立った。


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