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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第七章:叶えられた再会
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来襲

 硬いレンガで形成された街並に、ありとあらゆる戦いの音が響き渡る。

 雷のように轟く、今まで耳にしたことがないような獣の咆哮。

 巨大な翼が空気を打つ羽ばたきの音。

 雨さながらに宙を飛び交う矢尻が空気を貫き、鋭い鋼鉄の刃が血肉の詰まった温かな身体を切り裂く。

 そこかしこで、高台に設けられた強力ないしゆみに撃ち落された有翼の魔物や、それらによって運ばれていた四足の獣もどきが石畳に叩き付けられる。その悲鳴が、耳障りだ。


 ――シュタの街は、今、戦いの場と化していた。


「ああ、くそ、キリがない!」

 たった今、山猫に似た仔牛ほどもある何かを切り伏せたエディは、荒い息をつきながら剣に付いた血を振り払う。日の出と共に戦い始め、倒した魔物は今日だけでもすでに両手の指の数よりも多くなった。

 魔物どもの襲撃が始まってから、もう三日が過ぎている。

 その三日の間に、エディはたくさんの魔物を屠った。

 剣を振るって温かな肉体を切り裂き返り血を浴びる、その行為。

 数をこなしていればじきに慣れると思っていたけれど、やっぱり、慣れない。だが、彼の身体は機械的に、確実に、躊躇いなく命を奪えるようになっていた。旅の間続けていた鍛練で身に付いた技能には、この三日の実戦で、それまで得ることができていなかった何かが、加わっている。


(俺は、強くなっている。これはいいことなんだ。俺は、これを望んでいたんだ)

 エディは胸の中でそう呟いたが、その奥にはもやもやとこごるものがある。それが何か判らないまま、彼は殺したばかりの魔物を見遣った。


 それは、敵だ。


 もしかしたら、この魔物が、父王レジールを殺したのかもしれない。


 レジールではないとしても、エデストルの兵士の誰かはこいつに殺されたはずだ。


 だから、エディはその仇を取ったことになる。


 ――そう思っても、彼の心は一向に高揚してこない。

 目の前にあるのは、確かに異形ではあるが、生きて動いていたモノのその命を奪ったのだという事実だけ。

 彼の中には、『敵』を倒したという思いよりも、一体の生き物を殺したという思いの方が大きい。


(……だから、なんだ? これは戦いなんだから)

 奥歯を噛み締めエディが路上に倒れ伏す魔物から引きはがすように目を離すと、少し離れた所で剣を振るっていたサビエとスクートが駆け寄ってきた。

「エディ様、お怪我は」

「ない。お前たちも大丈夫か?」

「かすり傷一つありませんよ。まあ、たとえ腕がもげても、フロアール様とルゥナがいれば、なんてことないですけどね」

「……彼女たちにそんな姿を見せるなよ」

 サビエの軽口に、エディはむっつりと返した。二人に、そんな凄惨なものは見せたくない。


 戦いにおいて、彼女たちの癒しの力は貴重だった。

 フロアールは都の東、ルゥナは西で、城と壁との中間あたりに設置された救護所で怪我人の治療にあたっている。多少の怪我だったら医師が対処するから、二人の元に集まるのは、医療の技術では手に負えない――命も危うい重傷者ばかりだ。


(そんなのを診させられるのは、きっと辛いだろう)

 エディはギュッと柄を握り締めた。

 彼らは今、都の南西の区域にいるから、もしも怪我を負ったらルゥナの元に運び込まれることになる。

 彼女は、見知らぬ兵士の傷にも、心を痛めているに違いない。

 ましてや、エディやサビエ、スクート……よく見知った者が命も危ないようなことになったら、どんなにか悲しむことだろう。

 あの夜空のような瞳から星のような涙がボロボロこぼれる姿が、エディの脳裏に浮かぶ。

 ――そんなものは、見たくなかった。断じて、見たくなかった。


「俺は、怪我なんかしないからな。お前たちもするな」

 断固とした口調でそう言った主に、双子が顔を見合わせる。そうして小さく笑ったが、彼らから目を逸らしていたエディはそれに気付かなかった。

 エディの言葉に頷く代わりに、サビエが空を仰ぎ見る。

「しっかし、よくぞボトボト落としてくれるもんだよなぁ」

 片手を目の上にかざしながら、彼は芝居がかったため息をついた。エディは、それに釣られるように視線を上げる。こうしている間も、青く晴れ渡る空には有翼の魔物が飛び交い、街中へと様々な異形を落としていく。その中に、ヤンが率いる竜騎兵が魔物たちに空中戦を挑んでいる姿もちらほらと交じっていた。


 飛翔する魔物の半数は壁の上や随所に配置されている物見台から放たれる矢で射落とされているが、かなりの高さから落とされても、魔物たちは生きていることが殆どだ。だが、流石に無傷ではない。野の獣とは段違いの奴らの動きを鈍らせることはできており、それらの止めを刺しに行くのがエディたち地上部隊の役割だった。

 時たまほとんど無傷の獣もいて、そんな相手には苦戦する。今しがた倒した山猫もどきも、手こずった魔物のうちの一頭だった。

 エディたちと共に街中を駆け巡り、魔物と対峙している者には、他にシュリータの騎馬兵とトルベスタの弓兵もいる。


 魔物の動向を教えてくれていたトルベスタの民は、奴らの襲撃が始まる前日にシュタの都に入った。そしてラープス王がシュウと会談をし、それが終わると同時に、およそ千五百はいる弓兵は一瞬にして姿を消したのだ。王と宰相サルキーは城に残っているが、王妃トランフィと兄王子フレイトも街中に身を潜めたらしい。

 トルベスタ兵は弓を使うが、彼らは見晴らしが良く格子で守られている物見台に留まってはいなかった。そこにいるのは、シュリータの市民兵だ。トルベスタの弓兵は街中に散開し、姿を見せずに魔物を仕留めていく。彼らは時たまエディたちの視界の隅をかすめることがあっても、すぐに霞のように掻き消えた。


 シュリータの王であり軍の将でもあるシュウは一部の兵士と共に壁の上におり、接近戦になったら分が悪い投石器や設置型いしゆみの援護にあたっている。

 援護とは言え、彼女がいる場所は魔物たちが攻め入ろうとしているその最前線になるわけだから、当然戦いは激しいものになる。しかし、毎晩シュウとは顔を合わせているが、この難局に、彼女はやけに生き生きとしているように見えてならない。

 昨晩試しにエディが「楽しそうですね」とシュウに言ってみたら、晴れやかな笑顔を返された。

 ヤン王のことを好戦的だと思っていたが、シュウも、似たようなものなのかもしれない。

 エディも、自らの腕を磨くのは好きだ。

 スクートやサビエと手合せをするのは、どんなにしてもし足りない。

 だが、鍛錬と戦いとは、天と地ほどの差があるのだ。


「……父上は、魔物と戦うこと、どう思ってたんだろう」

 無意識のうちに、エディの口からそんな言葉が漏れていた。双子の視線が注がれ、彼はハッと我に返る。

「あ、いや、何でもない」

 もちろんレジールは、戦うことに迷いもためらいも覚えなかったに違いない。彼は強い王だったのだ。

「行こう、さっさと片付けないと」

 暗くなるまでに斃さなければならない魔物は、まだ街中に溢れかえっている。余計な事を考える暇はない。

(とにかく、この戦いを終わらせないと)

 エディは努めて頭を切り替え、顔を上げる。

 今のところは、こちらの方が優勢だった。だが、どんなに倒しても、魔物が投下される勢いは全く弱まらない。使い捨ての矢よりも無造作に、壁の中へと送り込まれて来る。

 空を見上げれば、次々と来襲する魔物たちの姿がある。


 ふと、エディは眉をひそめた。


 やつらの種族はバラバラで、『群れ』ではない。だが、進み方に明らかな『意志』は感じられる。


 しかし――


「しっかし、何かが率いているにしちゃ、作戦ってもんが全然感じられないですよね」

 サビエの声が、エディの頭の中をよぎった違和感を代弁した。

 そう、魔物たちから感じられるのは、「突き進む」という意志だけなのだ。

 ただ、とにかく、数で押しているだけのようにしか思えない。その数が膨大で魔物一体一体も強いから、ここまで攻め込むことができただけのようだ。

 エディも戦術やら戦略やらを多少は学ばされているから、魔物の行動に違和感を覚えずにはいられない。

「こいつらは、何を考えてるんだ?」

 エディの呟きに、サビエが肩をすくめる。彼にも何か感じるものがあるらしく、微かに眉をひそめていた。

「何にも考えてないように見えますよねぇ」

「取り敢えず、夜には止むことが救いですが」

 隣に立ったスクートが、苦笑交じりに言う。二人の言葉に物思いから抜け出して、あちらこちらで上がっている獣の声に耳を澄まし、その距離を測りつつ、エディは頷いた。

「まあな。やっぱり、鳥は鳥目なんだろ」

「そうですね、どの魔物も強くはなっていますが、外見に即した特徴みたいなものは変わらないように思えます」


 戦い方もそうだ。

 よくよく見ると、道端に転がる魔物たちの死骸には既存の動物たちの名残があった。


 猫のような外見をしているモノは、主に爪で。

 犬のような外見をしているモノは、主に牙で。


 戦い方自体は、大きな変わりはない。

 外壁は頑強で、今のところ、それを崩して侵入してくる魔物はいない。皆、空を飛ぶ魔物に運ばれて来るのだが、翼を持つモノは殆どが鳥から変化したものらしく、暗くなるとピタリと活動を止めるのだ。

『既存の動物たちの名残』――確かにそれがある魔物たちの姿を目にして、エディはピシカが言っていた「生き物を変化させる」という邪神の力に身震いをする。


(獣が変わるなら、人間も変わるんじゃないのか?)

 今のところ、ヒトの形をした魔物は、ヤンダルムでお目にかかったあの一体だけだ。だが、その一体はすさまじい力を持っていた。

(あんなのがゴロゴロいたら、かなりヤバいよな)

 エディの頭にそれらが群れを成して現れる場面が思い浮かび、思わず眉間に皺を寄せた。

 ただ爪と牙で攻撃してくるだけの獣型の魔物だけでも、かなり手ごわい。この上、魔法を使うモノが参戦したら、いったいどうなることやら。


「魔物相手はだいぶ慣れてきたのでいいのですが、そのうちマギク兵が参戦してくるようになったらまた厄介なことになるでしょうね」

 エディの懸念を感じ取ったようにそう言ったのは、スクートだ。兄に向けてサビエが肩をすくめてみせる。

「マギク兵を魔物みたくポイポイ落としていくわけにはいかないからだろ? 外にはそこそこ集まってるらしいけどな。ほら、壁の上に置かれてる投石器で牽制してるから、魔法で壁を壊されるのは今のとこ防げてるみたいだぜ?」

 ヤンたち竜騎兵からは、壁から少し離れた所に数百程度のマギク兵が待機しているのを確認したとの報告を受けている。だが、控えているだけで、明らかな攻撃を仕掛けてはきていない。

 いかに頑強な壁とはいえ、一点に集中して魔法で攻撃されたら穴も開くかもしれない。しかし、魔法による攻撃は、多少の溜めが必要だ。それを赦さぬよう、投石器で岩や熱湯を満たした樽を投げつけて牽制しているらしい。


「あとどのくらい残ってんのかな」

 ――魔物も、未だ敵としては姿を見せていないマギク兵も。

 エディがため息混じりにそう呟いた時だった。


 ヒュンヒュン、と高い音がして、彼のすぐそばを何かが飛び過ぎる。そして間髪容れず、断末魔の声。


「フギャゥ!」

 背後で起こった背筋を逆なでするような不快な鳴き声と共に、先ほどエディが止めを刺した――その筈だった山猫がもんどりうって石畳に倒れ伏した。見れば、四、五本の矢がその身体に深々と突き刺さっている。


「お見事」

「トルベスタの方ですね」

 サビエが口笛を吹き、スクートが目を見張る。

 エディは矢が飛んできたと思しき方向に目を凝らしたが、そこには何も見いだせなかった。彼と同じように周囲を窺いながら、サビエが言う。

「ホント、彼らは姿隠すの巧いですよねぇ」

 感心しきりの彼のその台詞に、エディも頷く。彼らの実際の戦いぶりを目にして、トールが言っていたことが理解できた。彼はよく「こそこそ隠れるのが得意なんだよね」と笑うが、それこそがトルベスタの弓兵の真骨頂なのだろう。弓の腕もそうだが、何より、自らの姿を消すことができるというのが、彼らにとっての一番の利点なのだ。


「俺たちも負けてられないからな。行くぞ」

 大きく息をつき、エディは一番間近で轟いた咆哮に振り返る。多分、路地一本か二本、向こうにいるのだろう。

 とにかく今は、考えるよりも動かなければ。

 双子に先んじてエディが走り出そうとした、その時だった。


「うわ、ウソだろ、あれ」

 心の底から愕然としているのが伝わってくる声が、エディの足を止める。振り返れば、サビエが見開いた目を壁の方に向けていた。いつも飄々とふざけた態度を崩さない彼が、呆気に取られている。

 滅多に見ることのできないサビエのそんな姿に、エディは眉をひそめた。

「何だ?」

「いや、まさか、とは思うんですけどね? アレ、オレが見ているものがエディ様にもおんなじように見えてますかね?」

「だから、何なんだよ?」

 訳の解からないことを言うサビエに眉をしかめながら、彼の隣に行く。と、サビエは腕を上げ、真っ直ぐに一点を指差した。


「アレ、銀髪の女の子に見えませんか?」


「は?」


 銀髪の女の子、と言われて真っ先にエディの頭に浮かぶのは一人きりだ。

 そんなものがどこにいるのか、と道の先まで目を走らせたが、当然いない。


「何処にいるんだよ、そんなの」

「ほら、壁の所。外階段」

 言われて、エディはグッと視点を遠くした。


 都をぐるりと取り囲む壁の内側には、その上に登る為の外階段が東西南北に設置されている。サビエが指差しているのは、南に作られている、それだ。

 エディたちは比較的壁の近くにいるが、それでも、だいぶ距離はある。しかし、距離はあっても、その階段を登っていく小さな姿は、しっかりと見て取れた。


 シュウから贈られた純白の長衣に、風になびく長い銀髪。


 あれがルゥナ以外の者だとしたら、いったい、誰だというのか。


「何で、彼女が……」

 ルゥナは、兵に守られた安全な救護所に、いる筈なのに。

 呆然としたのは一瞬で、即座に我に返ったエディは双子に声を変えるよりも先に走り出していた。

 魔物は、南側から攻めてきている。

 外壁をよじ登って攻めてくるものはいないとは言え、ルゥナが行こうとしているところが危険な場所であることは、間違いない。

「ああ、くそ、何考えてるんだよ!?」

 毒づきながら、エディは地面を蹴る。


 おぼつかない足取りの彼女の姿は、もう壁の半ばほどにあった。


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