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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第六章:集う者たち
36/72

苛立

 芳しく色とりどりの花が咲き乱れるシュタの王城の中庭。そのほぼ中央に置かれた丸い卓に、ルゥナとフロアール、そして女王シュリータが集っていた。

 シュリータの侍女のルジャニカが真っ白な器に鮮やかな紅色の茶を注ぎ、主と彼女の二人の友人の前に配っていく。


「きれい……」

 ルジャニカが差し出す器を受け取ったルゥナが、磁器の純白とお茶の深紅の対比に目を奪われながら感嘆の声を漏らす。キラキラした彼女の眼差しに、シュリータが得意げに頷いた。

「見事な紅色だろう? 改良を重ねたイヌイバラに香草や茶葉を加えたものだ」

「香りも素敵でしょう? わたくし、これに糖蜜をたくさん入れるのが好きなの」

 言いながら、フロアールはさっそく黄金色の蜜を数匙すくって茶に入れている。

「ルゥナもいかが?」

「蜜にはいくつか種類があるからな。色々試してみるがいい。フロアールが入れたヤツも良いが、こっちも美味いぞ」

 両側から交互に言われ、ルゥナはどちらから先に応じようか決められず、結局どちらにも答えられないようだった。そんな彼女に救いの手を伸ばしたのは、ルジャニカだ。侍女は苦笑混じりに二人をたしなめる。


「シュウ様もフロアール様も、せっかち過ぎますわ。ルゥナ様が困っておいでです。お茶の時間はゆっくりと過ごすものですよ」

「そうだな、すまない、ルゥナ」

「ルジャニカのおっしゃるとおりですわね」

「ううん、そんな……」

 今度は同時に謝られ、ルゥナはほんのりと頬を染めて視線を卓の上の茶に落とした。その仕草に、三人がクスクスと笑う。


 何とも平和な光景だ。

 彼女たちの笑い声を聞きながら、いつものようにルゥナの膝の上で丸まっているピシカは、その呑気な雰囲気にひげをヒクヒクと震わせていた。


 シュリータが言い出した『お茶会』とやらは、のんびりと流れていく。

 フロアールの旅の間のちょっとした笑い話やシュタの街中での噂話など、取るに足らないおしゃべりを際限なく垂れ流しながら。

 ピシカは尻尾をパタリパタリとルゥナの腿に打ち付けながら耐えていたが、ついに我慢しきれなくなる。


「ちょっと、女王サマ?」

 ヒョイと卓の上に飛び乗りシュウをねめつけたピシカに、あわあわとルゥナが手を伸ばす。

「ピシカ!」

 ルゥナの膝の上に戻されたピシカは身体を一振りして彼女の手を振り払うと、両の前脚を卓の縁にのせて身を乗り出した。

「あんた、王サマじゃないの? なのにこんな所でこんなふうにくっちゃべってていいわけ? 他の連中は作戦会議とか何とか、やってるんでしょ?」

 食ってかかるピシカに、シュリータは切れ長の目を一瞬丸くした。そして、ニヤリと笑い、言う。

「何度目にしても、猫がしゃべるというのは妙な感じがするものだな」

「はあ?」

 この状況で、言うに事欠いて口にするのはそれか。


 最初にピシカがシュリータやルジャニカの前で口を開いたのは、ここに来てすぐ、謁見の間で彼女達と初顔合わせをした時だ。これまでの経緯をエディやトールから聞かされ、そしてピシカが補足の為に言葉を発した時、シュリータは言った。


「これは面白い」


 と。


 その時ピシカは、もしかしたら、このシュリータは少し頭が弱いのではないだろうかと思ったものだ。百五十年前のシュリータは冷静沈着知的な男で、どちらかと言うとカルの方に似ていた。

 ふざけた感想を口にした槍の『印』持ちは、更に言ったのだ。「もう少し喋って見せてくれ」と。

 今またいたって能天気な台詞を吐いたシュリータに、ピシカはイラッと身を震わせる。

 小さな身体の薄紅色の毛が逆立っているのを見て、女王が苦笑混じりに言う。

「まあ、そう怒るな。物にはそれが置かれるべき場所というものがあるのだ。私は机上であれこれ捻くるのは向かん。そういうのはカルの奴の仕事なのだよ」

「だからって言ってこんな所で遊んでていいもんでもないでしょ」

「やることもないのにボウッとクソつまらん野郎どもの面を眺めているなど、無駄でしかない」

 うそぶいたシュリータは、次いで、フッと微笑みの形を変えた。


「ピシカが焦る気持ちはよく解かるが、急いては事を仕損じる。ヤンダルムの動向も、まだ何の報せもないしな」

 能天気な伊達女から一転して上に立つ者の顔になったシュリータに、ピシカはフンと小さく鼻を鳴らして卓から脚を下ろす。再びルゥナの膝の上で丸くなり脇腹に鼻先を突っ込んだピシカの背中に、小さな手がそっと置かれた。

 一瞬、それに噛み付いてやろうかと思ったけれど、結局そのままになる。


(何で、こんなにイライラしなきゃなんないのよ)

 ピシカ自身にも判らない。

 だが、同行者が増えるにつれ――ルゥナが彼らと交わす笑顔が増えるにつれ、ピシカの中でザワザワとうごめく何かも膨らんでいく。特にそれは、こんなふうに穏やかな時を過ごしている時に、強まった。

 百五十年前だって、ソワレは言うまでもなく、五人の『印』持ちも皆、ルゥナを大事に扱っていた。それこそ、傷一つ付けてはならない宝珠のように。

 それは、当然だろう。

 彼女は邪神に対抗するためのほとんど唯一の切り札と言っていい存在だったのだから。

 けれど、あの頃は、ルゥナが下にも置かない扱いを受けていても、別に何も感じなかったのだ。


(今と昔と、何が違うっていうの?)

 今の方が、皆、無造作でぞんざいに、ルゥナに接しているような気がする――まるで彼女が、普通の、何の力もない、ただの人間であるかのように。

 そんなふうに真剣みが足りていないから、気にくわないのだろうか。

 ピシカには、判らなかった。

 彼女は、ともすればそれに身を委ねてしまいたくなってしまう背中の温もりを無視して、耳をそばだてる。卓を囲んで交わされている会話はヤンダルムについてのことに移り変わっていて、それなら心をかき乱されずに済むような気がしたから。


「ヤンダルムはどう動くおつもりでしょう?」

 微かな不安を滲ませた声でそう言ったのは、散々、ヤンダルムの野蛮さについてあげつらっていたフロアールだ。

「もちろん、我らと共闘するさ」

「ですが、長年、このシュリータを襲い続けてきたのでしょう? それに、ヤン王が膝を屈するとは思えませんが」

「ああ、確かにそれはないだろうな。きっと、偉そうに『休戦』を申し入れてくるよ。まるで、自分達の協力が必要なんだろう? と言わんばかりに」

 続いた忍び笑い。

「ヤン王は愚かではないからね。それに、転身も素早い。ヤンダルムは魔物に襲われたのだろう? 今がどんな状況で自分たちにとって何が必要なのかを理解すれば、余計な自尊心などさっさと捨てて、ヤンダルムにとって最も利のある道を選んでくるよ」

「あんな野蛮でわがままな者たちでも、貴重な戦力には変わりありませんものね……」

 いかにも不服そうに、フロアールが言う。そんな彼女を、おずおずとした声が取り成した。

「でも、そんなにひどいことは、されなかったよね……?」

「まあ、ルゥナ! 女性をあんなふうに拉致したこと自体が、『ひどいこと』でしてよ? 礼節の欠片もなく、ただの『物』みたいに抱え上げて!」

「だけど、怪我はしなかったし、痛くもなかったし……」

 片目を開けたピシカは、少し困ったようなルゥナの微笑みを見る。卓の下にいるピシカの視界には入ってこないが、きっとフロアールは呆れたような顔をしていることだろう。


「ルゥナはずいぶんとヤン王に懐いてしまったようだね」

 そう言ったシュリータの声には、微かなからかいを含んでいた。

「え、や、そんな、ことは……」

 言葉と共にルゥナの手がギュッとピシカの背中を掴む。彼女は、自分がそうしていることには気付いていないようだった。

「まあ、ヤン王は男っぷりはいいからね。懐に入れたものに対しては面倒見がいいし。年はだいぶ離れているが、ギリギリ、赦される範囲かな」

「赦されるって、何が?」

 戸惑うルゥナの問いかけに、ルジャニカが口を挟む。

「いけませんわ! ルゥナ様のように繊細そのものな方があんな山奥で暮らすだなんて、有り得ません」

「何の、話を――」

 ルゥナの小さな呟きはさっくりと無視される。

「そうだなぁ。ああ、そうか、ことが終わったらシュリータに住むといい。誰も身寄りがいないのだろう? だったら、どこに住んでもいいわけだ。家なら用意してやるし、何なら夫も見繕ってあげよう」

 飛躍する話に、すかさずフロアールが参入した。

「ダメです。ルゥナはエデストルに来るのですもの」

「おや、そうなのかい?」

「ええ、もちろん。城があまり壊されていなければいいのですけど……でも、ルゥナ一人くらい、いくらでもお招きできますもの。第一、お兄様が黙っておりませんわ」

 フロアールが最後に投下したその一言に、残る二人が一気にざわめき立つ。


「何? そういうことなのか? エディ王子にもようやく男の自覚が出てきたのか!?」

「まあ……お子様だったエディ様も、ついに、ですわね」

 目を輝かせて喰い付いてくる年長者二人に、フロアールは溜め息混じりにかぶりを振る。

「多分お兄様も気付いておられませんし全然ダメダメですけど、間違いありませんわ」

「それでも大進歩だろう」

「そうですわ。最初から多くを望んではいけませんわ」

「ですが、あまりにも不甲斐なくて。お兄様のルゥナへの態度を目にしていると、お尻を蹴飛ばして差し上げたくなりますの」

 ブツブツ呟く声に続く、はぁ、という小さなため息。そしてフロアールは、一転して明るい声になる。


「で、ルゥナ、エデストルでよろしいのよね? 邪神を封じたら、エデストルに来てくださるのでしょう?」

 突然話を振られたルゥナが、ピシカの背に置いた手をハッと強張らせる。

「え……」

「ルゥナ?」

 すぐさま賛同を得られると思っていたらしいフロアールが、いぶかしげな声で答えを促す。けれどルゥナは、口ごもるばかりだった。

「や、あの……」

 ルゥナの手が、助けを求めるようにピシカの毛を探る。

 彼女には、フロアールの言葉に頷くことはできないのだ。

 ピシカは、その理由を知っている。

(それを知ったら、こいつらはどうする?)

 ピンと立てた耳を澄ませて、ピシカは誰かが何かを言うのを待った。ルゥナが『真実』を暴露して、ピシカが思う姿をシュリータたちが見せてくれるのを心の片隅で望みながら。


「ルゥナ、エデストルはお嫌なの? ここがお気に召したのかしら?」

 がっかりしているのが明らかなフロアールに、ルゥナが慌ててかぶりを振る。

「ちがう、ちがうよ、そうじゃないの。そうじゃなくて……」

 その台詞は尻すぼみになって、すぐに途切れた。

「まさかと思いますけれど、ヤンダルムがよろしいの? ――本気で、ヤン王のことをお好きになってしまわれたの?」

「ヤンダルムのことは好きだけど……」

「いけませんわ、あんな乱暴者。きっとルゥナのことを雑巾のようにボロボロになるまで酷使するに決まってます」

 ぴしゃりと決めつけたフロアールに、しかし、ルゥナは白銀の髪を揺らしてそれを否定する。

「ヤンダルムは、そんなことしないよ」

「おや、随分きっぱりと断言するんだね。根拠はなんだい?」

「こんきょ……? 根拠、は……」

 シュリータに追及されて、ルゥナは俯いた。そんな彼女に、女王が優しげに更に問いかける。

「根拠は?」

 ルゥナの指が、モジモジとピシカの毛をいじくった。毛羽立った背中がムズムズするけれど、ピシカは黙って寝たふりをする。


「あの、ヤンダルムは、昔のヤンダルムにそっくりなの」

 小さな声は、それが『根拠』というにはあまりに弱いものであることを承知している証拠だ。案の定、シュリータが更に切り込んでくる。

「見た目が似ているからと言って、中身もそうとは限らないと思うが」

「中身は、似てるところもあるし――似てないところも……」

「似ている、と思いたいんじゃないのかい?」

「え?」

「君は心細いんだろう。だから、見た目に馴染みがあるヤン王に少し特別な思いを抱いてしまうんじゃないのかな。似ていないところだって多いのに、似ているところに注目してしまうんだ。君が、百五十年前の仲間たちに想いを残しているから、無意識のうちに似ていることを望んでしまうってのは充分に有り得るだろう? 君は、過去に囚われているんだ」

 穏やかなシュリータの言葉に、ルゥナの手が止まる。彼女の身体が強張っているのが、ピシカには感じられた。


 口を噤んだままのルゥナに向けて、淡々とした、けれど温もりのこもる声でシュリータが続ける。

「いいかい、ルゥナ。君が生きているのは、『今』なんだ。昔の事を忘れろなんて言わないが、どうやっても過去に戻ることはできないのだから、失ってしまったものを求めるのはやめなさい」

 ルゥナは唇を噛んで俯いている。

 甘ちゃんの彼女に、それは至極難しいことなのだろう――かつてのつながりを思い切るということは。

 こんな時はすかさず場をなだめようとするフロアールも今は何も言わなくて、さやさやと吹き抜ける風が庭木の枝を揺らしていく。


「シュウ様、お手柔らかに」

 そっとルゥナの肩に手を置きながらそう言ったのは、ルジャニカだ。

「ルゥナ様がこの時代に目覚めてからまだ間もないのですから、そんなにすぐには気持ちを切り替えることは難しいでしょう」

「だけどな、ルジャニカ」

「こういうことは、どうにかしようとしてどうにかなるものではないでしょう? 『今』の人々と触れ合って、好きな人をたくさん作れば、きっと自然と過去を過去にできますわ」

 その台詞に、ルゥナがパッと顔を上げる。そうして、これだけは、と言わんばかりの勢いで言い募る。

「わたし……わたし、ちゃんとこの時代の人も好きです。フロアールとか、エディとか、トールとか……シュウも、ルジャニカのことも好きなの。だけど……」

 彼女の声は次第に小さく、震えを帯びたものになり、最後は囁きだった。


(バカな子だわ。どうせ、すぐに彼らとも別れなければならないのに)

 ピシカはパタリと尻尾を揺らす。すぐに誰にも彼にも心を許してしまうルゥナは、愚かだとしか思えなかった。とりわけ、この先にあることを考えれば。

 と、不意にシュリータが立ち上がる。そうして身を屈めて、ルゥナをその腕の中に抱き締めた。宥めるように頭の天辺に口づけて、言う。


「悪かった、確かにルジャニカの言うとおり、急がせ過ぎだな。私は単純で気が短いんだ。大丈夫、君は強い子だ。きっと、いずれ全てが良くなるよ」

 それこそ、根拠なんて微塵もないのに、自身に満ち溢れた声。

 だが、そんなシュリータの言葉に、ルゥナの身体が微かに震えた。少し間を置いて、コクリと頷く。その小さな動きにシュリータが微笑んだ。

「さっき私が言ったことは、本気だよ」

「え?」

「全てが終わったら、この国でも、エデストルでも、君の好きなところに行けばいい。どこに行っても君は受け入れられるだろう。行く先々で君は大事な人を作り、君を大事に想う人ができる」

「はい……」

 呟きと共にピシカの背中からルゥナの手が離れていった。それはおずおずとシュリータの身体に添えられる。

 その些細な仕草に、ピシカの中がチクリと疼く。その痛みは一瞬で、何がそれをもたらしたのか、彼女にも判らなかった。


(?)


 馴染みのない感覚に眉間に皺を寄せているピシカをよそに、シュリータはもう一度ルゥナをギュッと抱き締め、その頭をポンと叩いて、彼女から離れる。

「さて、そろそろ楽しいお茶会もお開きにするか。――ちょうど、何か動きがあったようだしな」

 それまでの気楽な声音が低くなり、真っ直ぐに背を伸ばしたシュリータの視線がスッと動いた。彼女の緑の目がこちらへ駆けてくる一人の兵士に向けられる。

「あら……会議が終わったのでしょうか」

「いや、違うんじゃないかな。あれは、恐らく――」

 首をかしげたルジャニカに答えるシュリータの台詞は、彼女の前で直立した兵士の敬礼で止められた。

「シュウ様、至急謁見の間へいらしてください」

「何事だ?」

 その答えを知っているかのような鷹揚な態度でシュリータが兵士に訊ねる。そうして彼が告げたその報せに、女王はにんまりと満足そうな笑みを浮かべたのだった。


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