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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第六章:集う者たち
34/72

内省

「驚いただろう? でも、王城を見たら、もっと驚くよ」

「おうじょう?」

 笑いを含んだトールの言葉に、耳慣れない単語だったのだろう、平らな声でルゥナが繰り返した。

 少し後ろの方で始まった朗らかな会話に、エディは耳だけそちらに向ける。

「シュタは中央に城があってね、東西南北でだいたいの役割が決まっているんだよ。南のこの辺は住宅街なんだ。北の方は商店なんかが集められていて、西は学問や研究かな。いろんな分野の学者が日々新しい技術や知識を開拓しているんだ。東は畑があったり、牛や羊がいたり、かな」

「え、塀の中に畑とかもあるの?」

「あるよ、すごく広いのが」

 絶句したルゥナに、彼女を乗せた馬を操っているサビエが補足する。

「人が住む場所は建物を上に伸ばせば何とかなるけど、そういうのはどうしても平面で土地が必要だからなぁ。オレがガキの頃に来た時、東の方の壁を一部壊して、作り直してた記憶がある」

「でも、一度壊したらまた作るのには何年もかかるんじゃないの?」

「いや、確か翌年スクートが来た時には、もうできてたって言ってなかったけかな」

「そんなにすぐできちゃうの?」

「まあ、一年かからなかったのは確かだな」

「すごぉい……」


 感嘆しきりのルゥナの声が、エディの耳にも届く。

 和気あいあいとした三人の会話はそのまま途切れることなく続いている。

 仲間が仲良くやっているのは喜ばしい筈だ。それなのに、一瞬エディの胸の中はざわついた。

「お兄様ったら、そんなふうにムッとするくらいなら、もっと普通にルゥナとお話しなさればいいのに」

 奇妙な不快感に思わず眉をしかめたエディに、呆れたような声を投げてきたのはフロアールだ。彼はそちらに目を向け、眉を上げる。

「はあ?」

「もう、そんな怖いお顔をなさって。会話のとっかかりなんて、なんでもよろしくてよ? それこそ、天気の話から始めたって、いいんです。お兄様の方から声をかけてもらえたら、ルゥナだってもっと寛げますわ」

「俺は、別に彼女と話なんか――」

「まあ。それなら、最後に食べようと取っておいた大好きなおかずを横からサビエに取られてしまったようなお顔をなさってらっしゃるのは、どうしてですの?」

「そんな顔してねぇよ」

「鏡をすぐにお見せできないのは残念ですわ」

 そう言って、やれやれという風情で首を振るフロアールを、エディはギリギリと睨み付ける。


 旅に出てからはエディが塞ぎがちだったのでこういうやり取りは久し振りだったが、国にいた時は、一日一回はこんな兄弟げんか――けんかというよりも一方的にエディがやり込められているだけとも言えるが――が繰り広げられていたものだった。

 フロアールの後ろでスクートが目元をほころばせているのが、いっそう腹立たしい。


「とにかく、俺は、何も気にしちゃいない」

 ピシャリとそう言って話を打ち切ると、エディは視線を真っ直ぐ前に向ける。そんな彼の背後では、楽しげな会話が続けられていた。

「ほら、ご覧」

 その声につられてエディが振り返ると、トールは前方を真っ直ぐ指差していた。その先には、そびえたつ城がある。

「うわぁ」

 シュリータの王都シュタは、門から城を目指すだけならいたって単純な道筋になっている。南北二つの門から城には、真っ直ぐな大通りが伸びているからだ。門をくぐった時からすでにルゥナの視界には巨大な城が入りこんでいた筈だが、気付いていなかったらしい。

 つい、ルゥナの顔に目をやると、彼女は元から大きな目をさらに大きく見開き、同じ形に口もぽかんと開けていた。

 思わずエディは小さく笑ってしまう。そして、真顔に戻った。


 ルゥナの表情は、実に素直だ。

 最初に壁の前に立った時は驚きと若干の怯え、そして門を見て明らかな怯えと不安になって、街並を前にひとしきり感嘆と驚きを浮かべたかと思ったら、不意に沈んだ顔になった。まるで帰り道が判らなくなった幼子のような心許なさがよぎったかと思えば、何かを決意した風情でキッと顔を上げて、それがまた揺らいだ。

 もしかしたら、トールは彼女のそんな様子に何かを感じ取ったから、気を紛らわさせようとしてあんなふうに話しかけたのかもしれない。

 彼だったら、そんな気遣いをさりげなく発揮できる。エディは、何かがおかしいということまでは気付けるけれど、そこまでなのだ。

 何か面白くないような気分を抱えて、エディはむっつりと考え込んだ。


(でも、だったら彼女は何を考えてたんだ?)

 怯えや驚きは判る。

 だが、何故、あんなふうに暗い顔になるのだろう。

 ルゥナは、控えめだけれど、基本的には朗らかだ。いつも柔らかな表情で、彼女がはにかみがちに微かな笑みを浮かべると、空気が温かくなったような感じになる。

 けれど、何かの拍子に、ほんの一瞬、その顔にフッと陰がよぎるのだ。

(まあ、当たり前といえば当たり前か)

 エディは内心で肩をすくめる。

 屈託のない顔の方が、『作った』もので、本当はずっと不安を抱いているに違いない。

 あんな非力な少女が唐突に寄る辺ない状況に放り出されてしまったのだから、へらへら能天気に笑っていられる方が、おかしいだろう。

 エディの周りには、いつも誰かがいた。お目付け役の双子やこまっしゃくれた妹の存在が時には気に障ることもあるけれど、彼らがいなくなることなど、想像すらできない。

 だけど、ルゥナは独りなのだ。

 彼女と親しかった者は、全て百五十年の時の向こうに置き去りにしてきてしまった。

 誰も、残っていない。


(いや、誰も、じゃないな)

 ――彼女には、あの猫がいる。


 エディはムッと唇を捻じ曲げた。肩越しに振り返ると、サビエやトールと言葉を交わしているルゥナと、彼女のその腕の中に丸まっている薄紅色の毛皮が見えた。

 トールの話では、ピシカにはまだまだ隠していることがあるらしい。多分、ルゥナに大きく関わっていることを、あの胡散臭い猫は隠しているというのだ。

 ルゥナはピシカを「神だ」と言うけれど、エディは時折ヒトを見下しているように煌めく金色の目を信じきることができないでいた。

 それなのに、ルゥナは、ピシカを頼りにしている。まるであの薄紅色の小さな身体が唯一この世で頼れるものであるかのように、彼女はいつもそれを抱き締めていた。両手でしっかりと抱き締めていて、他の者にはその指先すらも伸ばす気はないかのように。

 それが、エディにはやけに不満だった。


(もう俺たちがいるんだから、俺たちにだって頼ったらいいじゃないか)

 何かがくすぶる思いで胸の中でそう呟いた彼に、声がかかる。

「どうしたんだい、機嫌が悪そうじゃないか」

 馬を並べてそう問い掛けてきたのは、トールだ。

「別に」

「ふうん?」

 トールが片方の眉を上げて彼を見返してくる。

 むっつりと、まさに不機嫌そのものの態度で答えてしまったことに、エディは自己嫌悪に陥った。

「本当に、何でもないんだ」

 もう一度トールに向けてそう繰り返し、漫然と馬を進ませつつ眉間に皺を寄せる。

(多分、こういうところがダメなんだ)

 自分が感情を制御できないことは、常々自覚していた。

 重い気持ちでトールを見ると、彼は常に変わらぬ笑みを口元に刻んだまま、軽く首をかしげて見せる。

 彼を見習えというのが、フロアールの口癖だ。それは半ば冗談、半ばからかいからのもので、エディはいつも鼻で嗤って返していたものだ。

 だが、この旅を始めてからというもの、自分の幼稚さが身に滲みる。

 ただの少年なら、別に構わない。

 けれど、エディは王子――いや、レジールが喪われた以上、もうエデストルの王だった。

 民をまとめ、支え、導く者。

 何よりも誰よりも強い者。

 それがこんなふうに感情を露わにしてそれに振り回されていては、駄目なのだ。解かっているのに、やっぱりやってしまう。

 自分を制御できず他の者に当たってしまうということは、取りも直さず、エディの弱さを明らかにしているのだ。


(強くなりたい)

 心の底からそう願うエディの中に、焦燥感のようなものが立ち上がる。

 強く望めば望むほど、まるで空に浮かぶ雲を掴もうとしているかのような心持ちになってしまう。

「俺は、強くなりたいんだ」

 胸の中の呟きが、エディの口を突いて出る。それを聞き止めたトールが振り返った。

「強く?」

「ああ」

 エディはそこで眉間に皺を寄せる。

 では、何をもってして『強い』と言うのか。

 強者といって即座に頭に浮かぶのは、父レジールだ。

 民は皆レジールを慕い頼り、そして彼はそれに苦も無く応えていた。

 父のようになりたいと、エディは思う。

 しかし、その願いと同時に、本当にそれでいいのだろうかという疑問も、頭の片隅にジワジワと染みをにじませ始めていた。

 レジールのようになりたい。けれど、父を模倣し同じものになったとして、それは『エディとしての』強さを手に入れたと言えるのだろうか。


 強くなりたい。

 自分自身の強さを得たい。


 そう思うのに、それがどんなものなのか、判らない。


 だから、エディの胸の中にはいつまでもモヤモヤとしたものが居座り続けている。不甲斐なさに、自分自身を罵りたくなる。


 ――エディが怒っているのは、誰に対してなの? あなた自身?

 不意に脳裏をよぎったルゥナの声に、エディはハッと肩を強張らせた。あの時は、何故彼女がそんなことを言うのか、解からなかった。悪いのはマギクと魔物であって、他の何ものでもなかった――ないと思っていたから。

(確かに、俺は俺に対して苛立ちを覚えている)

 エディはそれを認めた。

 だが――

(いつからだ?)

 国を追われる前も自分の力不足は感じてはいたが、ならばより努力しようという向上心をかき立てられこそすれ、憤ることはなかった。

(俺の中にくすぶり続けるこの怒りは、いったい何なのだろう)

 自問に対する答えは、一つの筈だった。

 それは、マギクと魔物に対するものだ。他に向ける対象がある筈がない。


 ――本当に?


 頭の片隅で、囁きが問い掛けてくる。それは、ルゥナの声のようであり、エディ自身の声のようでもあった。

 生来エディはカッとしやすくはあるが、同時に、その怒りを持ち続けるということはできない性質たちだった。だが、この旅に出てからは、彼の胸の奥にはずっと炎のような熱がくすぶり続けている。

 その理由は、マギクと魔物だと思っていた。しかし、もしかしたら、それだけではないのかもしれない。

 もちろん、妹やサビエにからかわれるのと、味方だと思っていた者に裏切られ国を蹂躙されるのとを同列に置くことはできない。だが。ルゥナに言われたことを考えれば考えるほど、エディの中で何かが揺らいでくる。

 エディはグッと手綱を握り締めた。と、変に力が加わった為か、馬が戸惑ったように足並みを乱す。

 身体が揺れて我に返ったエディは、姿勢を正して馬を落ち着かせた。


「大丈夫かい?」

 眉をひそめたトールが、問いかけてくる。見れば他の面々も案じる眼差しをエディに向けていて、気まずくなった彼は小さく咳ばらいをした。

「何でもない」

 ぶっきらぼうにそう答えると、ポンと一つ、トールの手がエディの肩を叩いていった。

(クソ)

 エディは胸の中で自分を罵った。

 スクートやサビエだけでなく、フロアールやルゥナにも心配をかけている。フロアールは兄と目が合うとサッと表情を変えていつもの彼女に戻ったけれど、ルゥナはあからさまに彼を気遣う色をその目に宿したままだ。

 彼は、そんな目で見られたくなかった。

 護ってやらなければならないと思っている相手からは、特に。

 エディは殆ど顔をそむけるようにしてルゥナの視線から目を逸らし、背筋を伸ばす。


 自分の中を焦がすモノの正体。

 自分が求める姿。


 それを見定めなければ。


 彼はそう己に言い聞かせる。マギクと魔物に対する憎悪だけでこのまま進むわけにはいかないのだと、初めて思った。

 エディは、またそっと振り返る。ルゥナは話しかけてくるサビエに気を取られていて、エディにはその横顔しか見えなかった。

 大柄なサビエの前にあるルゥナの姿は、いっそう華奢で頼りなさそうだ。

 そんな彼女と出逢っていなければ、エディはこんなふうに色々なことを考えようとはしなかっただろう。

 不意にルゥナの頭が動いて、エディとハタと目が合った。

 わずかな間を置いて、彼女がオズオズとした微笑みを浮かべる。まるで、彼に笑顔を向けてよいものかどうか、迷っているような笑みを。

 いつものエディなら、即座に顔をそむけていた。

 今も反射的にそうなりかけた首にグッと力を入れて、エディはそのままルゥナの微笑みを受け止める。そして、彼も笑顔を作った。

 多分それは、引きつっていただろう。

 けれど、ルゥナは一瞬驚いたように瞬きをして、そして、また微笑んだのだ。今度のそれはふわりと花が開いたような温かく柔らかなもので、目にした瞬間、エディのみぞおちの辺りがキュッと縮こまる。


(なんだ?)

 首筋の辺りが、やけにドクドクと脈打っている気がする。

 ギコギコと音がしそうなほどぎこちなく顔を前に戻すと、今度は何やら愉快そうなトールと目が合った。

「……何だよ?」

「別に。ああ、ほらもう城門だ」

 そう言いながら、トールは顎で前方を示す。明らかなごまかしに、エディはムッと空気を吸い込んで、そして答えた。

「ああ、そうだな。ようやくだ」

 不機嫌そのものな彼の声に、トールはこらえきれなかったかのように、プハッと笑いをこぼした。


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