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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第五章:それぞれの思い
31/72

体温

「ねえ、ピシカ」

 エデストルとルゥナが連れ立って部屋を出て行った後、やんわりとした声で名前を呼ばれて、ピシカは顔を上げた。

 声の主は、弓の使い手トルベスタだ。

「何?」

 ピシカは床を蹴って寝台の上に跳び上がり、彼と目を合わせる。

 何か異議や質問が出るとしたらトルベスタからだろうと、ピシカは思っていた。予想通りの展開に、前足を揃えて座って続く彼の言葉を待ち受ける。

 トルベスタはのんびりとした口調で切り出した。

「まあ、なんで邪神がこの世界に現れたのかとか、なんで君が僕たちを助けようとしてくれるのかとか、疑問は色々あるんだけどね。率先して話してくれなかったっていうことは教える気がないのかな、とも思うんだけど……」

 そこでニコリと微笑む。だが、笑みの形を作ったのは頬から下だけで、その目はピシカを貫くような鋭さを帯びていた。そんな眼差しを澄まして受け止め、ピシカはツンと鼻先を上げる。


「なら、訊く必要はないんじゃないの?」

「まあね。でも、一つだけ、どうしても確かめておきたいことがあるんだな」

「……何?」

 トルベスタが一つだけ、と言うならば、その答えを手に入れるまで、きっと簡単には引き下がらないのだろう。

 ピシカは微かに目を細めて、首をかしげる。


「ルゥナを、どんなふうに使う気なんだい?」

「どんなふうにって、どういう意味?」

 トルベスタが言わんとしていることは、察しがついていた。けれど、どういう意味? と言わんばかりにピシカはパチリと大きく瞬きをする。それに応じて、トルベスタもニッコリと笑顔になった。

「そうだね、たとえば生贄にするとか?」

「生贄? まさか! 生贄ってことは、あの子が死ぬってことでしょう? それは有り得ないわ」

「へえ?」

 即座に否定したピシカを、トルベスタはいかにも疑わしげに見つめてくる。

 彼女はあからさまなため息をついて、髭を震わせた。そして、答える。


「だって、あの子は死なないもの」

「え?」

 さらりと告げたピシカの返事に、その場の一同が揃って眉をひそめる。

「死なないって……でも、ルゥナは人間よね? 人間は皆死ぬものよ?」

 フロアールが微かに身震いをして、言う。

 ピシカはグルリと皆を見渡した。

「確かにルゥナはこの世界の人間だけど、死なないのよ。まあ、百の欠片に刻んですり潰すなり火にくべるなりしたら判らないけど、そうね、腕とかがもげたとしても、しばらくくっ付けとけばまたつながるわ」

「ウソ……」

「ホント。元々あの子の治癒能力はけた外れだったけど、それをアタシが増幅したから」

 その時、「あ」とサビエが声をあげる。


「そういや、最初に彼女を見つけた時、服の腹の所にでっかい穴が開いてたよな。前と後ろに。あれって……」

「そう、アンタの腕くらいの太さの枝が貫いた痕。結構血も出てたし、普通なら死んでるんじゃない?」

「でも、ルゥナのお腹に、そんな傷なんて残ってないわ……」

 ひげをヒクつかせながらのピシカの言葉に、フロアールが呆然と呟いた。

「そ、きれいさっぱり消えちゃうの。あれは、確か、怪我してから二日くらい経った頃だったかしら。アンタたちと合流したのは」

「二日……」

「意識なかったから、あの子が意図して力を使ったわけじゃないわよ。放っておいたら、治るのよ」

「でも、そんなの聞いたことないわ。癒しの術も使わず、勝手に死にそうなほどの傷が癒されるだなんて……」

「まあ、そこがルゥナの力の一番特殊なところかもね」

「だけど、仮に殺そうとしても死なないんだとしても、邪神封じにあの子がどう関わってくるってんだ?」

 そう訊いてきたのはサビエだ。


 ピシカは、答えようかどうしようか、一瞬迷う。迷って、結局答える方に決めた。

「……あの子の中に、邪神を閉じ込めるのよ」

「中に!? そんなことして大丈夫なのかよ」

「言ったでしょ? 邪神の力は、生き物を変質させるって。ルゥナは唯一、それを治すことができるの。アタシが力を強める前から、できてたわ。……他にもそれだけの治癒能力を持つのがいるのかもしれないけど、少なくともこの二百年のうちに見つけたのはあの子一人ね。まあ、かなり消耗するみたいだけど。今はアタシの『印』で力が増してるから、そんなに苦も無くできる筈よ。あの子が望めば、普通に暮らしていくことだってできるわ」

「本当に?」

 心の底から案じている色を浮かべて、フロアールが念を押してくる。

 ピシカはピンと耳を震わせ、頷いた。

「ホント」


 それは、事実だ。

 だが、まだ隠していることもある。


(もしも全部話したら、こいつらは何て言うのかしら?)

 そんなの絶対に許されないと言うのだろうか。それとも、死にはしないのだからと、受け入れる?

 多分、後者なのだろう。

 自分達の平穏がかかっているのだから、多少は渋って見せるかもしれないけれど、結局は他に手がないならば、と言うに違いない。

(所詮、我が身が一番なのよね)

 みんな、同じだわ。

 心の中で嘲って、ピシカは心配そうな色を浮かべている面々を見回した。そう、ルゥナを案じているように見えても、それは自分の身が安泰なうちだけだ。他に手がないとなれば、はいどうぞと彼女を差し出すのだろう。


 トルベスタと目が合うと、彼はわずかに目を細めた。

「君が真実を言っているっていう保証は、どこにあるのかな」

「それは、もう信じてもらうしかないわね。アタシは隠し事はするけど、嘘はつかないわ」

 トルベスタの鋭い眼差しを真っ向から受けて、ピシカはケロリとそう答える。彼はピシカの心の中を見通そうとしているかのように、ジッと彼女に視線を注いでいた。

 やがて、トルベスタがホッと小さな息をつく。

「まあ、今のところは、仕方がないか」

 彼が肩をすくめてそう言った。と思ったら、それまでの笑みを掻き消して、ピシカを見据えてきた。

「いずれ、全部話してもらうよ? 僕は女の子の犠牲の上に世界を救う気はないし、エディはもっとそう思っている筈だよ。……じゃあ、バニーク、僕たちは部屋に下がろうか。フロアール、良い夢を。スクートとサビエもお疲れさま。ルゥナにもお休みって言っておいてよ」

 今度はいつものような優しげな笑みを浮かべて皆にそう言うと、後はピシカに一瞥も寄越すことなく部屋を出て行った。


 その背中を、ピシカは冷ややかな眼差しで見送る。

(何よ。それこそ、今だけのくせに。本当のことを知ったからって、どうしようもないんだから)

 胸の中でそう呟くと、残った三人の物言いたげな視線が注がれているのを無視して、ピシカは枕の脇に丸まり目を閉じた。


   *


 

 ――自分が、消えていくんだ。すごく怖い。助けて、助けてよ。

 ――お前はアレの対なる者だろう?

 ――お前にはそうする義務がある。

 ――お前は……

 ――お前の……

 ――……ピシカ? ねえ、ピシカ?


 怯えた声、冷淡な声、はねつける声――それらに混じって、柔らかな声が彼女の名前を呼んでいる。


(……誰?)

 ピシカはピクピクと耳を震わせ、そしてゆっくりと目を開けた。まるで泥沼の中で泳いでいたかのように、身体がだるい。

(ああ、なんだ、夢か)

 無秩序に襲ってくる記憶の波から逃れ出て、ピシカは小さく身震いした。

 次第にぼんやりとしていた焦点がゆっくりと絞られてきて、暗闇の中で気遣わしげに彼女を見つめている目と視線が合った。星を宿したその瞳に、はからずも安堵の念が胸に湧く。

(何で、こんな気持ち……)

 自分の胸の中が相手に伝わった筈はないけれど、何だか弱みを見せてしまったような気がしてならない。

 重い頭を一振りして、ピシカはうっとうしそうに彼女の名前を口にする。


「何よ、ルゥナ」

「何って……」

 ムスッとしたピシカの声に怯むことなくルゥナは彼女の背に手を置いてきて、そこが、じんわりと温かくなった。そういう肉体的な感覚はない筈なのに、確かに、温もりを感じる。

 遥か昔に、同じような感じが常にピシカのすぐ傍に存在していた――それは失われてしまって、もう二度と戻ってはこないけれど。

「ピシカ、震えてたよ?」

 ひそひそとそう囁かれながらそっと撫でられて、ピシカは初めて自分が小刻みに震えていたことに気が付いた。


「何でもないわよ」

「だけど――」

 更に言い募ろうとするルゥナを、ピシャリと遮る。

「夢! ――そう、夢見が悪かったんだわ」

「夢?」

 問い返しながら、ルゥナの手がゆっくりとピシカの毛並みを撫でる。それが、やけに気持ち良かった。

 ルゥナの手に自分を委ねそうになって、ピシカはハッと我に返る。

「大きな金色熊ウルズに食べられそうになる夢だったのよ」

「金色熊?」

「そう。だから、もう平気。それより、アンタの方は、何の話だったの? エデストルは何だって?」

「え――えっと……うまく、説明できないの。でも、すごく迷ってた。力になれたら良かったんだけど、多分、全然ダメだったんだと思う」

「ふうん……」

 鼻を鳴らしてみたけれど、別に興味はないのだ。

「まあ、アイツの問題はアイツのモノだから。アンタに何もできなくても、仕方ないんじゃないの? アンタも余計なこと考えてないで、さっさと寝なさいよ」

 そう言ってさっさとルゥナに背を向けて丸くなる。ピシカとしては「もう終わり」と言う意思表示のつもりだったのに、ルゥナの手はまだ彼女を撫で続けていた。

 それが気持ち良くて、イライラする。


「何なのよ?」

 軽く毛を逆立てて、フゥッと唸りながらピシカはルゥナを睨み付けた。

 確かに、ルゥナの手は心地良い。もしかすると、無意識のうちに癒しの力を使っているのかもしれない。

 けれど、それに甘んじているのは、ピシカの望むところではなかった。

 ピシカに怒られて、ルゥナの手が一瞬止まる。

「何って……何となく……」

「アンタに労わられるほど、アタシは落ちぶれちゃいないわよ。さっさと寝なさいよ」

「だけど、夢、怖かったんでしょう?」

「夢は夢よ。現実じゃないわ」

 にべもなくはねつけたピシカに返事はなくて、背中に手は置かれたままだったけれど、撫でてくることはなかった。これで終わりかと彼女はまた腹の辺りに鼻面を突っ込む。


 しばらくは、静寂。

 宥めるように毛並みを撫でる手も、止まったままだった。


 それが何となく寂しく感じられて、ピシカはそんな自分に胸の中で罵りの声をあげる。

 が、彼女の心の揺れを感じ取ったかのように、また、その手がゆっくりと動き出した。


「アンタね――」

 パッと顔を上げてルゥナに食ってかかろうとしたピシカを、静かな声が制する。

「現実でも、わたしがピシカを守るよ」

「は?」

 ピシカは、思わず頓狂な声を出してしまう。そんな彼女に、ルゥナが囁き声で続けた。

「わたし、昔も今も、みんなに守られてばっかり。でも、ピシカはわたしが守るから」

「アンタなんかに守られるほど、アタシは情けなくないわよ」

「うん、そうなんだけど……でも、何かあっても、わたしがピシカを抱いて、逃げるから。ほら、わたしは死なないんでしょう?」

 死ななくても、怪我したら動けなくなるじゃない。

 そんなふうに言ってやりたかったけれど、ピシカの口は動かなかった。

 彼女の背を撫でる手の動きは、次第に緩慢になっていく。


「ソワレも、わたしが守ってあげれば良かった……」


 小さな呟きを最後に、ルゥナの手が完全に止まる。


 微かに重みを増してからも、彼女の手は、ピシカの背に置かれたままだった。ちょっと身じろぎすれば、それから逃れることができる。けれど、身体の上にあるその温もりを振るい落とすことが、ピシカにはできなかった。


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