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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第五章:それぞれの思い
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齟齬

 ピシカは、それ以上のことを口にする気はなさそうだった。わざとらしく毛づくろいを始め、皆の視線が注がれているというのに素知らぬふりをしている。

 全てに合点がいった、とは程遠いが、ピシカにもう話す気が無いのなら、仕方がない。部屋の中にはそろそろお開きにしようかという空気が流れ始める。

 まだ明るいうちに夕食を済ませてしまったからまだそれほど遅い時間にはなっていないが、明日も早くから出発だし、早々に休養に入った方が良いのは確かなことだ。


「では、我々は部屋に――」

 スクートが立ち上がり、サビエとエディに声をかける。今集まっているのはルゥナとフロアールの部屋で、この左隣に三人の、右隣にトールとバニークの部屋を確保していた。

「そうだな、姫様たちには休んでもらわないと」

 頷きながら、サビエも腰を上げる。それに続いて、トールたちも席を立った。

 そんな中で、エディは待ったをかける。彼には、まだ知りたいことがあったのだ。今を逃したら今度はいつ落ち着いた時を手に入れられるか判らない。

 エディはルゥナに向き直った。

「ルゥナ、少し、時間をくれるか?」

「え?」

 ルゥナだけでなく、その場にいる皆の視線がエディに集まる。それらは無視して、エディは星を浮かべた濃紺色の瞳だけを見つめた。

「話を、したいんだ」

 重ねて言われ、ルゥナは小さく首をかしげて彼を見返してくる。

「わたしと?」

「ああ」

 彼女は、明らかに戸惑っていた。その反応に、エディは何となくムッとする。

(他の奴らとは普通に話してるだろうが)

 ルゥナは、トールやサビエはもちろん、今ではスクートとも自然と言葉を交わすようになっているのに、エディとはあまり話をしたことがなかった。

 普段から、ルゥナの方から誰かに声をかけるということは滅多にない。基本は受け身の対応ではあるのだが、少なくとも、エディ以外の者から話しかけられたらすんなりを受け答えをしているように見えたのだ。

 無意識のうちに肩に力を入れながら、エディは返事を待った。周りの者も、何も言わずに様子を窺っている。


「……うん」

 ややしてコクリと頷いた彼女に、エディは自分でもばつが悪くなるほどにホッとした。

「じゃあ、オレ達はもう少しここに残りますから、あっちの部屋を使ってくださいよ」

 いつもならまず真っ先にからかう筈のサビエが、そう提案する。真剣なエディの目の色に、遊び心を抑えたらしい。

 サビエが言う『あっちの部屋』とは、エディたちの部屋のことだろう。

「わかった。行こう、ルゥナ――そいつは置いていってくれよ」

 ピシカを抱いたまま立ち上がったルゥナに、エディは釘を刺した。

「あ、うん」

 そう言って彼女は寝台の上に仔猫を下ろす。下ろしはしたが、すぐには動き出さず、名残惜しげにグズグズとその場に立ち止まったままだった。

「ルゥナ?」

 扉を押し開け部屋を出ようとしたエディは、動く気配のないルゥナを呼ぶ。彼女はどことなく心細そうにピシカを見下ろしていた。その顔は、母親にすがる小さな子どもにも似ている。


(別に、取って食いやしねぇぞ)

 ルゥナは、片時もピシカを放そうとしない。寝る時も食べる時も、常にその薄紅色の仔猫と寄り添っていた。

 確かに、全てを百五十年前に置き去りにしてきた彼女にとって、ピシカは唯一その手の中に残されているものなのだろう。けれど今はフロアールだって、トールだって……エディだっているのだ。そんなふうに、ヒトでもないちっぽけな猫に、それがまるで唯一の存在であるかのようにすがり付いていなくてもいいではないかと、エディは思う。

「ルゥナ!」

 さっきよりも少し声を大きくして、その名を呼ぶ。と、彼女はまるで叱りつけられたかのようにビクリと肩を震わせた。

「はい!」

 ルゥナはパッと振り向いて、今度こそエディの方へと飛んでくる。

「エディ……女の子にはもう少し優しくしてあげないといけないよ」

 呆れ気味の声でそう言ったトールを無言で睨み付け、エディは先にルゥナを部屋の外に出しておいてから、バタンと荒い音を立てて扉を閉めて、どことなく生温い笑みを帯びた一同の視線を遮った。


   *


 隣の部屋に入ると、ルゥナは入口から一歩進んだ所で立ち止まった。

「……座れば?」

 そう言いながらエディは椅子を引いて、そこに腰を下ろす。ルゥナは胸の前で両手を組んでしばらく佇んでいたが、やがて足を踏み出し、二つ並んでいる寝台のうちの一つへと腰掛けた。

 背筋をまっすぐに伸ばして、ほんの少し寝台が揺れたらずり落ちてしまいそうなほど浅い座り方で、彼女が緊張しているのは明らかだ。

 ルゥナが選んだ寝台がエディから遠い方だったのは、無意識なのか、意識してのことなのか。

 元々大雑把な性格の筈なのに、何故かエディはそんな小さなことが気になってしまった。それを吹き飛ばすように、咳払いをする。と、その音にルゥナの背がまたピンと伸びた。


「……そんなにビクビクするなよ」

 思わず、むっつりとそう言ってしまう。もっと軽い口調で言うべきなのは解かっていたけれど、我ながら素っ気ない物言いだと臍を噛んだのは、すでに口から出てしまってからのことだ。

「あ、ごめんなさい……」

 案の定、ルゥナは更に肩を小さくしてしまう。

 エディは深呼吸をして、切り出した。

「俺の方こそ、悪い。もっと言い方を考えろって、フロアールにもいつも言われてるんだ。トールを見習えって」

 意識して穏やかな声を出すように努めたエディを、ルゥナは瞬きをして見返してきた。

(何だって、こんなふうに真っ直ぐに人を見ることができるんだろう)

 ルゥナがエディと目を合わせることは、滅多にない。彼女と一対一で向き合うことが、ないからだ。

 けれど、時たまそんな機会が訪れると、ハッとするほど真っ直ぐに、ルゥナはエディの目を見つめてくるのだ。そんな時、思いがけない視線の強さに、エディはたじろぎに似た心持ちになる。

 久し振りに大きな目を向けられて、今度は彼の方が目を逸らしたくなってしまう。そんな事をすればまたルゥナが落ち込むだろうということは判っていたから、エディはグッと肩に力を入れて目を固定した。


「俺は王子らしい『品』がないんだとさ。乱暴すぎるって」

 そう言って、少し笑って見せる。

 と、ルゥナがかぶりを振った。

「そんなことないよ」

「え?」

「エディは優しいよ」

 ごくごく当たり前のことのようにサックリと、まったくためらいなくキッパリと、ルゥナは言った。

 あまりに簡潔に断言されて、エディは返事に詰まる。

「何を、根拠に……」

 苦し紛れにそう呟いた彼に、ルゥナは小さく首をかしげて答える。

「いつも、わたしが疲れたな……っていうところで、休憩にしようって、言ってくれる」

「――それは、フロアールを見ているからだ」

「フロアールと、わたしのお茶には蜜を入れてくれるでしょう?」

「甘いものは疲れを取るからな。女の方が体力はないんだし……」

「夜中に気温が下がった時なんかは、起こさないようにして毛布を掛けておいてくれる」

「体調を崩されたら、足が遅くなるから――」

 もごもごと、エディは口の中で返す。


 どれもこれも気付かれているとは思っていなかった。サビエやトールのしていることだと思われていると思っていたのだ。


 そんな彼に小さく微笑んで、ルゥナは最後にもう一つ、囁き声で付け加えた。

「こんな、得体の知れないわたしを、置いていかないでくれてる」

 それは、掻き消えそうな声でも、聞き逃しようがなかった。

「得体が知れなくなんか!」

 思わず、椅子を倒して立ち上がっていた。そんなエディを、ルゥナは静かな眼差しで見つめている。

「悪い」

 呟き、エディは横倒しになった椅子に手をかける。

 彼が椅子を起こしてまた座るのを、彼女は静かに見守っていた。そうして、また口を開く。

「ヤンダルムからここに着くまで、エディは優しかったけど、何となく避けられてる感じもしたの」

 ルゥナのその台詞に、否定は返せなかった。膝の上に置いた両手を握り締めたエディに、彼女は目を伏せる。

「今日、話したのよりも前に、ピシカから聞いていたんでしょう? わたしが、ずっと昔の人間なんだって」

「それは……まあ……君とフロアールが連れて行かれて、ヤンダルムに向かってる時に――」

 ルゥナの顔が、更に下を向く。

「やっぱり、ちょっと変だよね? エディのおじいちゃんやそのおじいちゃんよりも、前から生きてるのって。気持ち悪いだろうし、避けられるのも当たり前っていうのは、わかってるの」


 彼女の声が、震えている。


 そのことに気付いた瞬間、エディのみぞおちの辺りがギュッと締め付けられたような気がした。

 何かが腹の底から立ち上がってきたけれど、それが何なのか判らなくて、彼は身体を強張らせた。

 指一本でも動かせば、後は手足が勝手に動いてしまうような気がする。

 エディはまた立ち上がってしまいそうになるのを寸前でこらえて、今度は穏やかな声を出すように自分に言い聞かせながら、言う。

「ちょっと待てよ。誰も気持ち悪がってなんかいないだろう?」

 彼のその言葉に、ルゥナの顔が上がる。潤んだ彼女の目がきらりと光を弾いて、エディはグッと奥歯を噛み締めた。

 ルゥナの隣に行きたい衝動に駆られる。多分これは、泣いているフロアールを見ると「何とかしてやらないと」と思うのと、同じ気持ちだ。妹と同じように、抱き締めてぐしゃぐしゃと髪を撫でてやりたい。そうすると、フロアールは怒るけれども涙は止まるのだ。

 ――それとは、微妙に何かが違うような気がする。けれど、そんな気持ちにとてもよく似ていると、エディは思った。


 だがしかし。


 ルゥナは妹ではない。フロアールと同じように抱き締めるだなんて、言語道断だ。

 今にも動き出してしまいそうに疼いた脚を捻じ伏せて、彼はそのまま彼女に声をかける。

 ため息に見せかけて、深呼吸をしてみたりして。


「気持ち悪いなんて思っていないし、避けてもいない。何だって、そんなふうに思ったりしたんだ?」

 それは、ごまかしでも何でもない。実際、エディはルゥナのことを気持ち悪いと思ったことはないし、避けたつもりもなかった。

 ほとんど睨み付けるようなエディの視線の中で、ルゥナは微かに眉根を寄せる。

「だって……ヤンダルムを出てから、前よりももっと、わたしと口をきかなくなったし、それに、時々、チラッとわたしを見て、すぐに目を逸らすようになったでしょう?」

「それは――」

 エディは言葉を濁して顔をしかめる。まさか、自分の挙動不審な態度に気付かれているとは思っていなかった。

「別に、君のことを気味悪がっていたわけじゃないんだ」

「ちがう、の?」

 ルゥナがキョトンと目を丸くする。濃紺の虹彩にキラキラと細かい星が瞬いている。一瞬それに見惚れて、エディはその輝きも振り切るように、きっぱりと首を振った。

「違う。少しも、そんなふうには思ってない」

 エディがどうしても彼女を見ずにいられなかったのは、これから訊こうとしていたことのせいだった。ピシカから最初に話を聞かされた時から彼の胸の中でくすぶっている疑問のせいで、見る必要もないのに、どうしても彼女に目が行ってしまっていたのだ。

「だったら、どうして?」

 口をつぐんだエディに、ルゥナが問い掛けるような眼差しを注ぐ。

 その視線に促され、彼は頭の中に居座っていた疑問を言葉にした。


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