表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第四章:飛竜の猛将
27/72

発現

 確かにヤンダルム兵は、さして姿を隠そうという努力もせずに進むエディたち一行の行く手を遮ることはなかった。

 しかし、この場にいるのは彼らばかりではなかったのだ。

 その場には、獣とヒトと、ありとあらゆる怒号が溢れていた。

 間近で上がったしゃがれた威嚇の雄たけび。


「クソッ」

 呻いたエディは身を翻して剣を振りきり、右手から襲いかかってきた狼に似た何かを斬り捨てた。

 ズブリと、刃が柔らかなものを切り裂く。

 ピッと頬に跳んできた温かな液体を手の甲で拭うと、そこには彼の身体に流れるものと同じ深紅が、べとりと付いていた。

 そう、『魔物』は確かにおぞましい、今までエディが目にしたことのないような姿をしている。

 だが、それらもまた、紛れもなく『生きているモノ』なのだ。


「ガァッ!」

 また横手から、唸りを上げて異形の獣が躍りかかってくる。頭が二つある、ヤマネコのような、モノ。それが振り下ろしてきた鋭い爪を紙一重でかわし、剣を振るう。

「チッ!」

 浅い。

 前足を削いだ刃を切り返し、エディは身軽く地面を蹴って再び飛びかかってきたそれの腹を薙ぎ払った。

 切っ先に、確かな手ごたえ。

 魔物は腹を裂かれ、そこから臓物を晒しながら地面にもんどりうって倒れ伏す。致命傷だが即座に命を奪うほどのものではなく、それは断末魔の叫びをあげながら四肢で空を掻いた。

 辺りにたち込める血臭に、エディは吐き気を覚える。チラリと斜め後ろに目を走らせると、フロアールとルゥナも蒼白な顔をしていた。岩壁に寄せて歩かせている彼女たちを守るように半円陣を作って進んでいるが、次々に襲いかかる魔物たちに阻まれて、その足取りは遅々として進まない。


 ピシカが馬のいる場所へ導いてくれるというルゥナの言葉に従って、一行は仔猫の姿を追い掛けていた。

 もちろん、スクート達はあからさまに胡散臭げな顔をしたが、あの猫が普通でないことを、エディはよく知っている。

 着々と魔物たちは数を増しており、彼らにグズグズしている暇はなかった。

 エディがルゥナを後押しすると、大人たちも仕方がないかと頷いた。どうせ馬の居場所など誰も知らないのだ。いつまでもその場に止まっているよりかはいいだろう、と。

 そうして洞穴から足を踏み出したエディたちを待ち受けていたのは、絶え間なく襲いかかってくる魔物たちの爪牙だったのだ。


 ヤンダルムの兵士の数よりも、魔物の方が遥かに多い。

 歪んだ獣のようにしか見えない魔物たちは、ひたすら『ヒト』を襲っている。そんな知恵があるようには見えないというのに、同士討ちをするモノはいなかった。

 そして、当然、エディたち一行も『ヒト』だ。異形の獣たちは、ヤンダルムの兵だけでなく彼らにも狙いを定めてきたのだ。

 初めて自らの手にした剣で一体の魔物を殺めた時、エディはその容易たやすさに愕然とした。

 彼は、地を蹴って飛びかかってきた四足の何かに向けて鞘から抜き放った剣を突き出し、そして払っただけだったのだ。

 ただそれだけで、敵は死んだ。ピクピクと身体をヒクつかせ、動かなくなった。

 一瞬呆然としたエディは、続けざまに絡んできた脚を持つヘビのような魔物を切り捨てた。


 無造作に、死体が増えた。

 これは、ただ命を奪う行為だった。

 食べて自分の血肉にするわけではない。

 自分を、仲間たちを守る為に殺す……殺すことが目的の殺し。

 そんなふうに頭は迷いながらも、身体は動く。

 再び剣を閃かせ、エディは半ば反射で空から舞い下りてきた鱗をまとった鷹のような代物を切り捨てた。


「これはきりがないな……」

 呟いたのは、矢をつがえて上からの敵に備えているトールだ。

 ヤンダルムの竜騎兵は確かに強い。

 だが、あまりに数の差があり過ぎた。

 ヤンダルムが劣勢に傾きつつあることは、誰の目にも明らかだった。

「お……っとぉ、これはマズいかも」

 サビエが呟く。

 魔物が輪を作り、ジリジリと一行に迫り始めたのだ。


「洞窟のどれかに立てこもるか?」

 エディの提案に、スクートがかぶりを振る。

「いえ、一度入ってしまったら、袋の鼠です。ヤンダルムが魔物を殲滅してくれればいいですが、恐らく、二度と出られないでしょうね」

「じゃあ、どうする」

 答える代りに、彼は手の中の剣の柄を握り直した。それが何よりも雄弁な返事になる。

「仕方ねぇな」

 エディは唸るようにそう呟くと、スクートと同じように剣を握る手に力を込めた。

 魔物たちの輪が、縮まる。


 と、その時だった。


「トルベスタ、弓を出しなさい!」

 その場に響いた、ルゥナのものでもフロアールのものでもない、少女の声。その声に聞き覚えのない者は――エディとルゥナ以外の者は、その主を求めてキョロキョロと視線を彷徨わせる。

「ちょっと、サッサとしなさいよ!」

「え? 猫……?」

 ようやく声の出所に視線を向けたトールが、呆然とその薄紅色の仔猫を見下ろした。

「ボケてんじゃないわよ、アンタしかやれるのはいないんだから、早く!」

 がなり立てられて、ようやくトールが背負った包みを下ろし、布をはぎ取る。聖弓を取り出したはいいが、それは弦が無い――武器として役に立たない代物なのだ。明らかな戸惑いを浮かべた眼差しでピシカを見下ろした腕に、そっと小さな手が置かれる。

 ルゥナだ。

 彼女は迷いのない目で真っ直ぐにトールを見つめる。


「トルベスタ、お願い、ピシカの言うことを信じて?」

「ルゥナ、君は……あの猫は……」

 彼が呆けていたのは、わずかな間のことだった。

 一瞬後、トールは眦を引き締め、聖弓を構えた――その、弦のない、不可思議な弓を。

 彼の肩の上に、ひらりと跳んだピシカが乗る。

「いい? それを構えて、願って。この状況を打破するにはどうするのか。アンタはこれをどうしたいのか。その聖弓は強い気持ちを具現化するもの。アンタが強く望めば望むほど、力を増す。アンタは、どうしたい?」

 トールの耳元で囁かれるピシカの声は穏やかで、深い。それが彼の頭の中に染み込んでいく様が、目に見えるようだった。


 トールの目が静謐な輝きを湛え、その手が弓を構える。存在しない弦を引き絞る。

「え……何ですの……?」

 掠れる声で囁いたのは、フロアールだった。

 たわんだ聖弓を構えるトール。そこに、ポッと小さな光が宿る。

「な、んだ……?」

 トールの呟きと共にそれは明滅し、掻き消えそうになる。

「気を逸らさないで!」

 ピシカの鋭い声が飛ぶが、トールの目から戸惑いは消えない。そしてその気持ちの揺らぎを反映しているかのように、光も震えた。


 そんな彼に、ルゥナが囁く。


「トルベスタ、今、あなたは何を望んでる?」


「僕、が?」

 トールはサッと周囲に目を走らせた。そして、奥歯を噛み締める。

「僕は、皆を守りたいよ」

「なら、それだけを願って。あなたの想いが、そのまま力になるから」

「僕の、力」

 確信に満ちたルゥナの言葉に、弓を握り締めるトールの手に力が込められた。それと共に、光の珠は再び力強い輝きを取り戻し、そして見る見る大きくなっていく。

 拳大から人の頭ほどに。

 そして、更に大きく膨らんで。


「いいわ、射て!」


 ピシカの一声。


 刹那、トールの手元から光が放たれる。それは真っ直ぐ空を目指し、魔物たちも竜騎士たちも越えて、中空で瞬いた。

 まるで、もう一つの太陽のようだ。

 目の上に手のひらをかざしてそれを見上げたエディがそんなふうに思った時だった。

 突然、珠が、弾けた。

「うわっ!?」

 無数の、光の矢が降り注ぐ。

 一瞬後、それに撃たれた上空の魔物や竜騎兵たちが、声無く地に落ち始めた。

 次々に。

 エディはとっさに身を翻し、フロアールとルゥナの腕を掴んで壁際に走り、二人を岩壁に押し付けて覆い被さった。固く目を閉じた彼の耳に、ドサ、ドゴ、と軽重様々なものが立てる物音が届く。

 高みから地に叩き付けられているだろうに、悲鳴は一つも上がらない。ただ、何かが地にぶつかる音だけが、続く。


 静かになるまでに、さほどの時間はかからなかった。


 最後の音が聞こえてから五つを数えて、エディは身体を起こす。そして振り返った彼は、思わず息を呑んだ。

 目の前には、数多の肉体が転がっていた。竜やその背に乗る人間は言うまでもなく、大小様々な異形も全て、力なく地に横たわっている。地上にいたモノも、全て意識を失っていた。


「皆、死んだのか……?」

 呟いたエディに、ハッとトールが息を呑んだ。

 やはり身を屈めていたスクートやサビエ、バニークが立ち上がり、ピクリとも動かない魔物や人間たちに歩み寄った。

「怪我はあるようですが、生きていますな。……たいした怪我をしていないモノも、意識を失っておるようです」

 いくつかの身体に触れた後、主に目を向けバニークが言う。息を詰めていたトールが、ホッと肩の力を緩めた。

「今のは、いったい……ていうか、君はいったい何なんだ?」

 我に返ったトールが、地面で澄ましているピシカをヒタと見つめる。そこに常日頃の気安げな色はない。今の彼が放っているのは、父親とよく似た鋭く全てを見通すような眼差しだった。

 皆の視線を一身に受けて、薄紅色の仔猫は座ったままペロリと肩の辺りを舐める。そして再び顔を上げてその金色に光る目でトールを見返すと、言った。

「アンタ、たいしたもんね。初めてでこんなにうまくやれると思わなかったわ」

「誉め言葉を聞きたいんじゃないんだけどな。僕が欲しいのは説明だ。僕には、君が猫じゃないという事しか、判らないよ」

 声は朗らかだが、眼差しは冷ややかだ。


「あの、ね、トール……」


 ピリピリとした空気に、立ち上がったルゥナがおずおずと声をかけた。


 が。


 バサリ、と静寂の中に突如響いた羽ばたきの音。

「チッ、まだ残っていたのか!?」

 あの珠よりも上空にいて、難を逃れたのかもしれない。振り返ったエディたちが見たモノは、中空ではばたく巨大な怪鳥だった。

(いや、鳥、か……?)

 エディは眉根を寄せる。

 確かに、翼に羽毛はあった。だが、体幹はびっしりと鎧のような鱗が覆っている。

 一同が見つめる中、奇怪なその『何か』の背から、ひらりと黒衣が舞い降りた。

 それはヒトに、見えた。

 頭からすっぽり長衣を被り、どんな容貌をしているのかは判らなかったけれど、少なくとも二本の脚で立っている。

 そして、言葉も。


「ようやく見つけたよ」

 黒衣の陰から響いたのは、低い、成熟した男の声だ。この上なく、嬉しそうな。

 彼の目元は露わにされていなかったが、何故かその視線が真っ直ぐにフロアールに注がれているのが感じられた。


 何故、妹なのか。


 エディがそう疑問を抱いたのは、束の間のことだった。


(違う、フロアールじゃない)


 ――ルゥナだ。


 男は、ひたすらに彼女だけを見つめていたのだ。


 白銀の髪を持つ少女を見れば、彼女はその夜空のような目を大きく見開いて、男を凝視している。


「そんな、うそ……」

 ルゥナの顔に、驚きと喜びが目まぐるしく浮かんでは消え、また浮かぶ。

 そんなルゥナに、男が小さく笑ったのが感じられた。

「駄目じゃないか、ルゥナ。勝手にどこかに行っちゃぁ」

 愛おしさが満ちた優しげな声でそう言いながら、男が、足を踏み出す。釣られたように、ルゥナも動いたのが気配で判った。考えるよりも先にエディの身体が動き、彼女の腕を掴む。


 その瞬間、空気がザワリと険を帯びた。


「ルゥナに触るなよ」

 立ち止まった男から発せられた、地を這うような低い声。彼はそれと共に黒衣の下から手を上げた。

 現れたそれを目にして、エディの手の中でルゥナの腕がビクリと震える。

 男のその手、その腕は、人間のものではなかった。爪は鋭く尖り、獰猛なヤマネコのように光を放っている。そして手背から見える範囲の前腕にかけては、鋼のような鱗が埋め尽くしていた。黒衣の中に隠されたその先がどんなふうになっているのかは、全く予測も付かない。

「あ、あ……」

 信じられない、と言わんばかりのルゥナの顔と、震える唇から洩れた声。

 エディは無意識のうちに彼女を引き寄せる。

 それが、男の逆鱗を更に逆撫でしたようだった。


「ルゥナを返せよ」

 男がぼそりと呟き、それと同時に、エディに向けて真っ直ぐに彼の指が伸ばされる。

(何だ?)

 眉をひそめたエディだったが、直後、頬に走った鋭い痛みに顔を歪める。

「え?」

 エディはルゥナを捉えていない方の手を上げて、頬に触れた。途端にその場所に走った妬けるような痛み。手を見れば、ぬるつく血が、指先を染めていた。

「いつの間に……」

 魔法は、発動に時間がかかる。だが、備わっている魔力が大きければ大きいほど、その時間は短縮されると、母のディアンナから聞いたことがあった。

 恐らく、男が放ったのは風の魔法だったのだろう。だが、それはあまりに速かった。


(そんなに強力な魔法兵士なのか……?)

 エディは緊張に強張る身体の後ろにルゥナを隠す。

「……ルゥナを返さないなら、皆殺すよ?」

 憎々しげな男の台詞に、エディの背後でルゥナがハッと息を呑んだのが感じられた。

「ダメ、そんなの――ッ」

 飛び出しそうになるルゥナをフロアールの方へと押しやって、エディは唸る。

「やれるものならやってみろよ」

 瞬時に発動する魔法を相手に、はっきり言って、エディに欠片も勝算は無かった。だが、すんなりと引き下がるわけにはいかない。

 剣の柄を握り締め、エディは男を見据えた。その両脇に、無言でスクートとサビエが立つ。トールとバニークも弓を構えているだろうことが、見ずとも判った。


 敵は一体。


 だが。


 今、周囲には、魔物の群れに囲まれていた時よりも遥かに強い緊迫感がみなぎっていた。


 再び、男の手が上がる。

 募る緊張。

 誰か一人の微かな身じろぎでも、空気は一気に砕けてしまいそうだった。

 エディの肩に力がこもる。


 その時。


 ザッと、弾かれたように男が横に跳ぶ。刹那、彼がいた空間を、巨斧が真っ二つに切り裂いた。男の動きがほんのわずかでも遅ければ、彼の身体は切り身となって左右に倒れていただろう。

「やるな」

 巨斧の主――ヤンが小さな口笛を吹いてニヤリと笑う。

「背後からとは、相変わらず、手を選ばないな」

 呆れたような男の呟きに、ヤンは油断なく斧を構えたまま、いぶかしげに眉をひそめた。

「相変わらず、と言われても、私は魔物の親玉と面識などないが?」

 その台詞に、男は黒衣の下で小さく肩をすくめただけだった。余裕に満ちたその仕草に、ヤンが歪んだ笑みを浮かべる。領土を侵されたという憤りと共に、手強い相手を前にして喜びを感じているのは、明らかだった。

「まあ、いい。で、どうする? お前の魔法は速いようだが、流石にこの距離なら私の斧の方が有利だ。おとなしく引くか?」

 問われて、男が長衣の陰からチラリとルゥナに目を走らせる。そして、答えた。

「まさか」

 その返事と共に、ヤンが動く。


 間髪容れずに閃いた刃を、男はわずかな動きでかわす。ヤンの攻撃がそれだけで止む筈もなく、彼は男に息を継がせる暇を与えず続けざまに斧を繰り出した。

 もう少し距離があれば、異形の男の楽勝だっただろう。だが、接近戦ではヤンの方が遥かに有利だ。

 男はヤンの斧をかわし、そしてその腕の鱗で受け止める。

 両者の力は拮抗していて、エディたちに目を向ける余裕は無さそうだった。


「今のうちに、行きましょう」

 スクートが剣を収め、エディを促す。ルゥナやフロアールを拉致したヤンも、ルゥナに執着している謎の男も、放置していきたくなかった。だが、今優先すべきはエディの苛立ちを解消することではない。


「ああ、行こう」

 エディは最後に攻防を続けている両者をチラリと見遣ってから、走り出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ