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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第四章:飛竜の猛将
26/72

急襲

 ヤンダルムの穴倉のような一室で、ピシカと二人で三晩を過ごした後のことだった。

 寝台に座ったルゥナの膝の上で丸まっていたピシカが、ピクリと耳を動かす。

「ピシカ?」

 唐突に身動きを見せた彼女に、ルゥナが首を傾げた。

「来たのよ、あいつが。これで逃げ出せるわ。流石に、ここも大騒動になるでしょうしね」

 謎めいたピシカの台詞では、ルゥナにはさっぱり状況がつかめない。

「あいつって……?」

 眉をひそめながらルゥナは手を差し伸べようとしたけれど、それよりもいち早く彼女は身を翻して床へと飛び降りてしまった。


「アタシはエディたちを連れてくるから」

 言うなり扉へと突進していく。

「え? だって、ピシカ、扉が――!」

 寝台に片手をつき、もう片方を伸ばして仔猫を引き止めようとしたルゥナだったが、次の瞬間起きた現象に、息を呑んだ。

 薄紅色の小さな身体は、まるでそんなものなど存在しないかのように、するんと扉の向こうに抜け出していってしまったのだ。

 慌てて扉に駆け寄り、触れて、その硬さを実感する。


「ピシカ……」

 彼女にこんなことができるとは全く知らなかったルゥナは床に座り込んでまじまじと扉を見つめてしまったけれど、考えてみたら、可愛らしい姿をしていてもピシカは仔猫などではないのだ。

「神さま、だもんね……」

 もしかしたら、あの形さえ、本当のものではないのかもしれない。


 最初に、ピシカがルゥナの前に現れて「この世界を救いに来たの」と言った時、ルゥナは彼女に神なのかと問い掛けた。世界を救うというなら、そういう存在だと思ったからだ。

 あの時、ピシカは否定も肯定も返さなかった。

 ただ、好きなように考えればいい、と言っただけで。


 すごい力を持っていて、何の関係もないルゥナたちを助けようとしてくれて。


 そんな存在を、他に何と考えれば良いのか判らなかったから、ルゥナはピシカを神さまなのだと思っている。

 ――彼女がそう言うたびに、ソワレは鼻の頭に皺を寄せたけれども。


「でも、わたしはピシカを信じてるもの」

 誰もいない部屋の中で、ルゥナはポソリと呟く。

 と、不意に、扉の外が、騒がしくなった。扉に耳を押し当てると、バタバタと、何人もの人が行き来する足音が聞こえてくる。

(何だろう)

 ルゥナがここに入れられて、もう十日くらいにはなるけれど、こんなふうに気配がざわついたことはない。いつもシンと鎮まり返っていて、一日一回顔を見せるヤンや、食事を持ってくる兵士くらいしかいないのではないかと思ってしまうくらいだ。

(何が起きているんだろう)

 ルゥナは立ち上がり、後ずさって扉を見つめる。

 どれだけ人の気配が溢れていても、それが開かれる気配はない。

 部屋の中央に佇んで、エディたちを連れてくるというピシカの言葉を信じて、待った。

 そうしているうちに足音は止んだけれど、静かな気配に緊張感がみなぎり始める。空気が、痛いほどに張りつめていた。


(あまり、良くないことな気がする……)

 思わず、ルゥナがギュッと目を閉じた時だった。

 ガン、ガン、と二度ほど激しく扉が叩かれる。いや、叩くというよりも、何かが叩き付けられているというか、ぶつかってきているというか。

 ビクリと、文字通りその場で跳び上がったルゥナは目を見開いて扉を注視した。頑強なそれが、少し、ぐらついているように見える


 と。


「ルゥナ! 扉から離れてろ!」

 外からの、怒鳴り声。

 もう充分に戸口から距離を取っていたルゥナは、更に数歩、下がる。

 再び、激しい物音。

 それが三度ほど繰り返された時、ものすごい勢いで扉が開け放たれた。

 ぶつかる距離ではなかったけれど、ルゥナは思わず後ろに跳んでしまう。

「ルゥナ!」

 真っ先に跳び込んできたのは、エディだ。グルッと部屋の中を見回して真っ青な目でルゥナを見つけると、強張っていた顔がふと緩んだのが見て取れた。

「あ……エディ……」

(来てくれた)

 彼を信じていなかった訳ではない。でも、やっぱり、ホッとする。

(何か言わないと)

 ありがとうとか、なんとか。

 そう思って口を開きかけたルゥナに、兄を押しのけてフロアールが駆け寄ってくる。


「ルゥナ、大丈夫? ひどいこと、されてませんわね?」

 彼女はギュッと一度ルゥナを抱き締めて、それから身体を引いて少し距離を取る。フロアールの視線がルゥナの頭のてっぺんからつま先まで一往復したかと思うと、その目がキュッとすぼまった。

「少し、痩せましたわ」

 唇を尖らせた彼女はそう言うと、ハッと眉を逆立てる。

「まさか、あなたを従わせようと、兵糧攻めにしたとか!?」

「あ、や、違う、違うよ、ヤンダルムはそんなことしてないから!」

 少し危険な光を帯びているフロアールの眼差しに、ルゥナは慌ててかぶりを振る。

「本当に……? まあ、確かに、わたくしへの対応は至極丁寧でしたけれど……」

 フロアールは呟き、少し目付きを和らげた。そこへ、妹に押しやられる形になっていたエディが割り込んでくる。

 何となく、ムッとしているように見えるのはルゥナの気のせいではない気がする。


(わたしのせいで、足止めされちゃってたから、かな……)

 こうやって一緒にいるということは、多分、フロアールは早々にエディたちに返されたのだろう。ルゥナも連れて行こうと思ってくれていたから、ずっと機会を窺っていたに違いない。それで、何日か無駄にしてしまったのだ。

 早く国を取り戻したいと思っているエディには、もどかしい時間の浪費だっただろう。

「あの、ごめんなさ……」

 謝ろうとしたルゥナに、エディが顔をしかめる。

「何がだ? 謝るなら俺の方だろ?」

「え?」

「君をヤンダルムに連れて行かせた」

 ぼそりとエディがこぼした台詞に、ルゥナは一瞬目を丸くした。

 戸惑う彼女に、フロアールが朗らかに笑いかける。

「お兄様はわたくしに先を越されたからふくれてるだけですわ?」

「え? 先?」

(何の?)

 眉根を寄せるルゥナに、フロアールがフフッと笑った。そんな彼女たちに、更にぶっきらぼうな顔と口調でエディが言う。


「おい、そろそろ行くぞ。あいつらに気付かれる」

「あ、うん」

 彼の言葉で状況を思い出したルゥナは、慌てて頷いた。

 あいつら、とはヤンダルムの兵士達のことだろう。けれど、何故、彼らにこんな隙ができたのか。

「あの……何があったの? ヤンダルムの兵士は?」

 首をかしげたルゥナに、エディが肩をすくめる。

「よく判らない。急に外が騒がしくなって、どうやらみんな外に出て行っているみたいだ。まさか、シュリータがこんな所まで攻めてくる筈がないだろうし、獣が出たくらいではヤンダルムの竜騎兵が大騒ぎするとは思えないしな」

「外に……」

 ルゥナが顔を上げて見回せば、皆同じ疑問を抱いているのか、一様に渋い顔をしていた。

「とにかく、行くぞ」

 エディがもう一度言って、踵を返して部屋を出て行く。


 静まり返った岩壁の廊下には、ルゥナたちの他には誰もいなかった。

「やはり、皆出払っているようですね」

 先行するスクートが、油断なく辺りを窺いながら声を潜めて言う。そんな兄に返したのは、サビエだ。

「よっぽどの一大事なのか。まあ、この城じゃあ入口は限られてるから、中を警戒する必要はないんだろうけどな」

 ヤンダルムの住居は自然の洞窟を利用している為、作りは簡単だ。

 通路は曲がりくねってはいるものの、出口に向けて集束していく形で枝分かれしていて、迷うことはなかった。

 他の道との合流を重ね、次第に通路は広くなっていく。

 やがて先方に陽の光が射し始めた時、スクートが皆に立ち止まるように手を振った。


「何だか騒がしいですね……壁際に寄って進みましょう」

 少し隊列を変えて、先頭にスクートとサビエ、次にルゥナとフロアールを挟むようにしてエディとトール、そして一番後ろにバニークを置いて、出口へと慎重に足を進める。

 次第に大きくなってくる喊声かんせいは、否応なしに不安を掻き立てる。

「そこで止まって」

 ルゥナたちがスクートの指示に従うと、彼はそろりと出口に向かった。

「これは……」

 外を覗き、息を呑んで絶句するスクートサビエに、エディが近寄る。

「何なんだ――!」

 長身の二人を押しのけるようにしたエディは、双子に手をかけたまま、固まった。その三つの身体が壁になって、外の様子はよく見えない。ルゥナは我慢できなくて一歩を踏み出す。

「あ、ルゥナ」

 タッと駆け出したルゥナをトールが捕まえようとするのを擦り抜けて、彼女はエディたちの元に行く。彼らの間からチラリと見えたモノにハッと唇を噛み、更によく見ようと身を乗り出した。

「あ、おい」

 振り返ったエディが、慌ててルゥナを洞窟の中へと押し戻そうとしたけれど、彼女はそれを振り払った。


 そうして、一面に広がる光景に目を見張る。


 天でも、地でも、何かが戦っていた。


「やだ、うそ……」

 上空に舞っているのは、竜騎兵だけではない。斧を構えた彼らが対峙しているのは、鳥なのか竜なのかよく判らない、けれど、翼をもつモノたちだ。空を埋め尽くさんばかりに溢れているのに、どれ一つとして、同じものはいないように見えた。

 それらは形だけでなく大きさもまちまちで、ヤンダルムの竜よりも大きなモノもいれば、遥かに小さいモノもいる。

 そして、その空飛ぶモノたちは、ただ竜騎兵を相手に戦っているだけではなかった。

 北西の方から新しく舞ってきたモノが、フッと地面に近付くとその度に何かを落としていく。

 それらもまた、異形だった。

 多くは四足、その中には二本の足だけで立ち上がる姿もある。

 狼なのか、熊なのか、それとも、まったく別の何かなのか。

 地面に落とされたそれらはもんどりうって体勢を整えると、間髪を容れずに近くにいる人間――ヤンダルムの兵に襲いかかっていく。空でも地でも、人一人に対して数体の歪な獣が群がっていた。

 ヤンダルムの兵士は果敢に得物を振るっていたけれど、異形は次々に現れる。


「何なんだ、アレは……」

 一度は振り払われた両手でしっかりとルゥナの肩を掴んだエディが、呟く。彼の手の中で、ルゥナは答えた。

「あれが、『魔物』だよ? 『邪神』の力に侵された、なれの果て……」

「『邪神の』って――邪神がアレを生み出すのか?」

 ルゥナは、答えるべきかどうか、迷った。

 本当のことを伝えるべきなのか。

『邪神』は魔物を無から生み出すわけではないことを。

 あの『魔物』の、正体を――

 見渡せば、どこもかしこも、異形ばかりだった。


 ルゥナは俯く。


(わたしが、百五十年前に失敗したからだ。その百五十年で、こんなに広まってしまったの?)

 平和で何の変りもないように見えたのは、見せ掛けだけだったようだ。

 ヤンダルムは、ルニア大陸のほぼ中央だ。

(それなのに、こんなにもたくさん、あの力に侵されたモノの姿を見るなんて)

 そう思って、ルゥナはふと小さな違和感に気付いた。

(あれ、でも……)

 目を上げると、やはり続々と新たな異形が運ばれてきている。

 そう、こんなふうに『運んで』くるのはおかしいのではないだろうか。


(まるで、誰かが指揮を執ってるみたい)


 エディたちの話によれば、魔物とマギクは手を組んだのだという。

 その誰かは、マギク兵なのだろうか。

(でも、『魔物』がマギクのいう事を聞くなんて、そんなことをするかしら……?)

 それに、一面に戦いを繰り広げている中で見受けられる人間の姿は、斧や剣を手にしたヤンダルムの兵ばかりだ。魔法兵士であるマギクの者は、一つもない。

 この大群の頭脳となる人間の姿は、見られなかった。

 異形のほとんどは、所詮、獣だ。異種族を集めれば、当然、互いに争い始めるはず。

 それなのに、異形たちが襲いかかるのは、ヤンダルムの兵だけだ。

 数頭を飼い慣らすならともかく、それをこんなふうに統制するなんて。


(まるで、何かに操られているみたい)

 そんなふうに考えて、ルゥナはドキリとした――自分の中に浮かんだ、『操る』という言葉に。

 その力を持つ者の姿が、懐かしく慕わしいその姿が、脳裏に浮かんだから。

 彼なら、きっと、可能だ。

「魔物がこんな所まで攻めてきたなら、トルベスタはどうなったんだ?」

 軋るようなエディの声と、肩を掴む力の強さで、ルゥナはハッと我に返る。横を見上げて彼を見、そしていつの間にかすぐ近くに来ていたトールを振り返った。

「トルベスタは――」

 トールは一度きつく唇を噛み締め、そして続ける。


「トルベスタは、大丈夫だ。ほら、皆空から来ているだろう? きっと、陸路は取れなかったんだ。トルベスタ領内を通り抜けることは、できていないんだよ」

 その声は、半ば自分自身に言い聞かせているようだった。

「うちは小ズルい手が得意だからね、そう簡単にはやられないから。敵を殲滅、とかは無理だけど、逃げたり足止めしたりなら完璧にこなしてくれるさ」

 楽観的な口調でそう言ったトールは、ルゥナと目が合うとニコリと笑う。明るい笑顔なのに、その目の奥にある微かな影に、彼女は気付いてしまった。


(わたしが、ちゃんとやれなかったからだ)

 果たすべきことを成し遂げられなかったその結果を目の当たりにするたび、ルゥナの胸の中には自責の念が込み上げる。

 百五十年前に、ルゥナは自ら荷物を背負うことを決めたのだ。一度決意したなら、全うしなければならないのに、彼女はかつて失敗した。

 昔、隣にいた双子の弟は、渋い顔でしょっちゅう言っていた。

 何故、ルゥナはそんなふうに全てを背負い込もうとするのだと。そんな義理はひとつもないではないか、と。

 だけど、ルゥナはずっと思っていた。

 ルゥナたちが力を持っているのには、何か意味があってのことなのだ――意味があって欲しい、と。


 自分達が『普通』ではないこと、他の皆に受け入れてもらえないことに、ルゥナは何か理由が欲しかった。

 だから、ピシカから話を聞いた時、すんなりと納得した。

 自分の力はその為に使うべきだと。

 自分にやれることをやる。

 それは彼女の存在意義であると言ってもいい。

 ルゥナの力が何かの役に立つというのなら、全力を尽くすべきだった。

 不意に、ふくらはぎの辺りに痒いような痛みが走る。見下ろすと、薄紅色の猫が小さな前足でそこをひっかいていた。


 微笑んでルゥナが抱き上げると、ピシカは彼女を励ますように「にゃあ」と鳴いた。

 それが合図であったかのように、スクートが一同を見渡す。


「まあ、いずれにせよ、私たちにとっては願ってもない状況です。ヤンダルムも我々に関わっている余裕などなさそうですからね」

「ああ、そうだな。ちゃっちゃとここからおさらばしようぜ。岩穴はもううんざりだ」

 おどけた調子で応じたサビエに、皆が一斉に頷いた。


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