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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第四章:飛竜の猛将
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再会

 エディたちから離れたピシカは、尻尾をピンと上に伸ばして洞窟の中に足を踏み入れた。

 擦れ違うヤンダルムの民は仔猫姿の彼女に目を走らせるものの、注意は払わない。迷い込んだ獣の仔としか、認識されていないのだろう。


(さて、あのおバカさんはどこかしら?)

 時々鼻をヒクつかせ、ピシカはルゥナの気配を探った。

 封印され、隠されていた時ならいざ知らず、今は彼女の『印』の気配がはっきりと伝わってくる。

 トットットッと迷いなく軽い足取りで進むピシカは、やがて一枚の扉へとたどり着いた。

 それはぴったりと閉ざされていて、多分鍵もかかっているだろう。覗き格子はなく、中の様子を見ることはできないけれど、逆を言えば中に入ってしまえば外の様子を気にしなくて済むということだ。


(入るのは簡単だけど……)

 ピシカにとって、物理的な障壁など何の意味もない。難なく通り抜けられる。けれど、ルゥナには彼女のそういうところは見せたことがないから、止めておいた。

 扉の横の壁にくっつくようにして、小さく丸くなる。気配を消すと、通り過ぎる者の誰一人として、彼女に目を走らせる事すらなくなった。

 時機を待ちながら、ピシカはルゥナのことに思いを馳せる。

 お人よしのあの少女は心の底からピシカのことを信じきっている。教えていないことはたくさんあるのに、彼女から見ればピシカのことは謎だらけだろうに、まったく何の疑問も抱いていないのだ。


(ホント、なんであんなに鵜呑みにできるのかしらね)

 ピシカは呆れてしまう。

 ルゥナのことを「バカだなぁ」と思うのは、ピシカ自身のことばかりではない。そもそも、彼女がアレを封じる役目を背負うと決めたこと自体が、正直言って、ピシカには理解不能だった。

(なぁんで、赤の他人の為にそんなことする気になれるんでしょうね)

 確かにアレの間近にいれば、ルゥナたちにも影響は出る。だけど、アレから遠く離れてしまえば、彼女が人としての生を終えるまで、問題なく過ごせるのだ。ルゥナに直接の害はない。


 一応、ルゥナにはそのことを説明してある。

 すぐに、世界がどうにかなってしまうわけではないのだという事は。

 何もせずに放っておけば、数世代を重ねるうちにアレの力が浸透して、いずれ生き物は死に絶えるだろう。けれど彼らの殆どは、ルゥナと彼女の弟のことを虐げた者の子孫になるのだ。ルゥナのことをただの道具として利用しようとして追い立て、安らぎを奪った者たちの。


 そんな奴らを助けようなどと、何故思えるのか。


 エディにほんの少しだけ『真実』を話した時に彼にもそう言ったけれど、ルゥナの思考回路はピシカには謎だ。


 百五十七年前にルゥナを見つけた時、ピシカは彼女が抱える問題について、いい解決方法が見つかったと思ったものだ。

 そして、何が何でもルゥナを説得し、自分の望みを叶えよう、と。

 しかしそんな必要は全くなかった。

『邪神』を封じる為に彼女を説き伏せる必要など、全然なかったのだ。

 ピシカは、ただ、この世界に起きている異変について説明し、更にどんな事態に陥るかを伝え、解決方法を教えた。

 それだけで、ルゥナは頷いたのだから。


(何で、自分からそんな面倒なことを背負い込もうと思えるのかしら?)

 ピシカにはルゥナを従わせるための脅しの台詞など一つも必要なかった。彼女の双子の弟のソワレは疑わしそうな眼差しを返してきたものの、ルゥナの意志には「否」と言えなかった。

 結局、そのソワレに目論見を崩されてしまったけれど、またこうやって、ピシカはルゥナを手に入れた。


「今度こそ、うまくやるわ」

 ピシカは小さな声で呟く。断固とした口調でそうしたつもりだったけれど、自分でも意外なほどに、その声には力が入っていなかった。

 そんな自分を鼓舞するように、彼女は自らに言い聞かせる。

(そう、さっさと終わらせて、こんな所から去ってやるんだから)

 と、その時、通路の向こうから足音が近付いてきた。どうやら、一人だけらしい。ジッと息をひそめて丸まっていると、やがてそれはピシカのすぐそばで止まった――いつ開くかと彼女が待ち構えていた、扉の前で。

 足音の主は平の兵士のようだった。両手にはいくつか皿の載った盆がある。彼は懐から鍵を取り出すと、それで扉を開けた。


「おい、飯だ。今日はちゃんと最後まで食えよ?」

 扉を開けっ放しで囚われの人物にそう声をかけながら、兵士は盆を小さな卓の上に下ろしている。

 ピシカは彼の後ろでするりと部屋の中に忍び込んだ。と、すぐさま彼女の登場に気付いたルゥナがハッと息を呑む。それをぎろりと光らせた目で黙らせた。

「ん? なんだ?」

「あ、えっと、何でも、ない……」

 いかにも無理やり、という感じでルゥナはピシカから視線を剥がし、怪訝そうな顔をしている兵士に笑いかけた。


(バカ。ワザとらし過ぎるでしょうに)

 内心で呆れながら、ピシカは兵士が振り返るのに合わせて動き、するりと寝台の下に潜り込む。

 兵士はしばらく部屋の中を見回して、やがて肩をすくめた。

「……とにかく、飯食えよ?」

 最後にもう一度そう念押しをして彼が出て行くのを待って、ピシカは隠れ場所から這い出してくる。勢いよく身体を振って全身に付いた埃を払い落そうとしたのが終わらないうちに、身体が浮いた。

「あ、ちょっと!」

 あっという間にぎゅうぎゅうと抱き締められて、ピシカは思わず目の前にあるルゥナの頬を肉球の付いた足裏で押しやった。


「ごめ……ごめんなさい。嬉しくて……」

 緩んだ腕からひらりと飛び降りたピシカに、ルゥナが涙交じりの笑顔を向けてくる。

「まったくもう……」

 ぶつぶつとぼやきながら、ピシカは乱れた毛並みを舐めて整えた。

 人心地がつくと、ピシカはまたルゥナに目を戻した。彼女は床にしゃがみ込んで、キラキラと輝く目でピシカを見つめている。その頬が少し細くなっていて、彼女は目をすがめた。


「あんた……食べてなかったの?」

「え?」

「バカじゃないの? 体力落ちたら、逃げる時に足手まといになるじゃない。あんた死なないけど、そういうふうに衰弱したら、戻すの大変なんだからね」

「あ、その……弱ったら解放してくれるかな……とか。前に――ソワレと二人で旅してた時にも一回だけ捕まった時があって、その時は食べずにいて動けなくなったら、逃がしてもらえたの」

 えへ、と笑った彼女を刺し貫くような視線で睨み付けると、その笑顔は次第に小さくなっていき、やがて最後には「ごめんなさい」という小さな呟きに変わった。


(まったく)

 ピシカは更に罵りたくなるのを抑えて、深呼吸をする。

「それは逃がしてもらえたんじゃなくて、単に放り出されただけでしょ。捨てられたの、要らなくなったゴミか何かのように。もう死ぬと思われたのよ」

「でも、すぐにソワレが見つけてくれたんだよ」

「……その時のあいつの姿が目に浮かぶわ」

 計画を邪魔されている恨みはあるが、こういう時はルゥナの双子の弟のことが哀れになってくる。

 連れ去られただけでも気も狂わんばかりになっただろうに、その上、死にそうになった姿で見つける羽目になるとは。よくぞ彼女を攫った連中を皆殺しにしなかったものだ。


「まあ、とにかく、あんまり無意味なことをしないでよ。エディたち、来てるわよ、ここに」

「え」

 ピシカの言葉に、しょげていたルゥナの顔が、一瞬にしてパッと輝く。

「みんな、元気? 無事? 怪我はなない?」

「怪我はアンタが治したでしょ。ピンピンしてるわよ。それにカッカとしてる」

「え?」

「ヤンダルムはさっぱり聞く耳持たないわね」

 ピシカは会見の場にはいなかったが、エディに意識の一部を憑かせて彼らのやり取りは覗き見していた。


「あいつ、フロアールは返すけど、アンタはダメだってさ」

「エディたちはわたしを置いてくかな……」

 不安に揺れる、ルゥナの眼差し。

 それを横目で見やり、ピシカはその後の彼らの会話を脳裏によみがえらせる。彼らの会話と、エディの憤りを。

「……それはないでしょ。すっごい息巻いてたもの」

「ホントに?」

「まあね」

 ヒョイと肩をすくめたピシカに、ルゥナが強張らせていた頬をホッと緩める。

 そんな彼女をわずかに細めた目で見るピシカの胸の中は、何故かざわついていた。


 エディたちがルゥナを見捨てないと断言するのは、ピシカにとっても嬉しいことの筈だ。はぐれてしまったら、また合流するのが面倒臭い。ルゥナをここから出すのも、その後旅をするのも、エディたちがいる方がやり易くなるだろう。

 それなのに、あの遣り取りを覗き見してから、何故か、ピシカの心にはチクチクと細かな棘が刺さるような、そんな不快感が付いてまわっている。

 彼らにとったら、ルゥナは、ただの『山の中で行き倒れていた少女』だ。

 それなのに、とても彼女のことを気遣っているように感じられた。きっと、ルゥナ一人をここに残していく選択肢など、彼らにはないのだろう。


 エディには少し事情を話してしまったけれど、あの時の彼の様子も真剣で、ルゥナのことを考えて頭の中がいっぱいなのがヒシヒシと伝わってきた。

 ピシカはルゥナを見つめる。目が合って、微笑みながら首をかしげて問い掛けるような眼差しを向けてくる彼女に、何故、と思った。


(どうして、彼らはこの子のことをそんなにも想うのだろう?)

 百五十年前も、ルゥナの周りの者たちは、彼女のことを思いやっていた。


 今も昔も、ピシカは『邪神』封じについて詳しいことを話してはいないけれど、もしも全てを話したら、一体どんなことになるのだろう。

 ルゥナは、協力を拒むだろうか。

 エディたちは、ルゥナに何を望むのだろう。


「ピシカ? どうしたの?」

 心配しています、というのがありありと伝わってくる声と眼差しに、ピシカはハッと我に返る。

「何でもないわよ。あ、そうだ。エディにはちょっと話しちゃった」

「話しちゃったって?」

「あんたが二百歳近い年寄りだってこと」

「え……」

 ルゥナは絶句している。と思ったら、おろおろと両手を床について身を乗り出してくる。

「エディ、何か言ってた?」

「べっつにぃ」

 ルゥナのことは何も言っていなかったけれど、あの時彼から伝わってきたのは、ルゥナに対する温かく明るい感情だった。少なくとも、気味悪がっているとか、恐れているとか、そんな陰性のものではなかった。


 ルゥナにそう伝えてやれば、喜ぶかもしれない。いいや、きっと喜ぶ。

 けれどピシカは、そうしなかった。ただ黙って、尻尾を揺らす――自分でも不可解な何かに囚われて。


「二百歳、かぁ……そう言われると、そうなんだよねぇ……」

 しみじみと、という口調で、ルゥナが言う。

 不意に、ピシカは彼女に問いかけたくなった。

「アンタ、後悔したりしたことはないの?」

 気付くと言葉は口からこぼれ出していて、しまった、と思った時には遅かった。

 唐突なその問いに、ルゥナが首をかしげる。


「後悔?」

 繰り返されて、ピシカは適当にごまかしてしまおうかとも思ったが、結局さらに続けていた。

「そうよ。やめときゃ良かったとか、思わないわけ?」

「何で?」

 逆に尋ね返されて、ピシカは面食らう。

「わたし、やめないよ? もっと……いい方法があるなら別だけど、他に方法がないなら、わたしはやめない」

 迷いを微塵も感じさせない声でそう言って、ルゥナはピシカに手を伸ばしてきた。

 今度はふわりと優しく、包み込むように抱き締めてくる。そうして小さく柔らかく温かな手が、首筋から背中を何度もゆっくりと撫で下ろす。

 ピシカは温度や感触で快、不快を感じることはない。


 だけど。


(こういうのは、悪くないと思うわ)

 ルゥナから発せられる温かな波動に微かに身体を震わせながら、ピシカは胸の内で呟く。

 ルゥナはろくに考えもせずに自分自身の人生を投げ出す決断を下してしまうような愚か者だけれども、多分、『何か』を持っている。ヒトの怪我や病を治す力以外の『何か』を。

 その『何か』が、自分と彼女の違いなのだろうか。

(その『何か』を持っていれば、アタシもこんなことをしなくて済んだの……?)

 自問に答えはない。きっと、永久に得られない。ピシカはそもそも彼らとは全く『違う』のだから。


「わたしたち、ここから抜け出せるかなぁ……」

 不意に、ルゥナがそうこぼした。

「わたし、ここに連れてこられてから毎日会うたびヤンダルムを説得しようとしてみたんだけど、全然聞いてもらえなかった」

 ため息混じりのルゥナの言葉に、ピシカは小さく笑う。

「あれは一度懲りないとダメでしょ」

「懲りるって?」

「『魔物』の襲撃を受けるとかね」

「そんなの、ダメだよ。そうなってからじゃ遅いのに。それに、わたしたちは早く動かなくちゃでしょう?」

「まあね。でも、多分、好機はもうすぐ訪れるわよ」

「好機?」

 ルゥナが手を止め、ピシカを覗き込んでくる。

 彼女はそれに、答えなかった。チラリとルゥナを見て、ひげを震わせる。


(アイツがあの時のルゥナの力に気付いてないわけないわよね)

 気付いたからには、きっと『彼』はルゥナを追ってくる。トルベスタ攻略など、二の次にして。

 『彼』がこちらへ来るか、それともシュリータに向かうかは、賭けだ。

 けれど、何となく、ヤンダルムに先に来そうな気がする。

(あの頃も、アイツはヤンダルムを目の敵にしてたしね)

 百五十年前の道中で、ヤンダルムはその無骨さとは裏腹の優しさで、何くれとなくルゥナの世話を焼いていた。ルゥナがそんなヤンダルムに微笑みかける度に『彼』が苛立っているのが伝わってきたものだ。

 この部屋から抜け出すことは、今でも簡単にできる。けれど、ヤンダルム領内を隈なく索敵している翼竜の目を逃れるのは、困難だ。

(だけど、アイツがここを襲えば、それどころじゃなくなるものね)

 竜騎兵はそこそこの打撃を受けるだろうが、そもそも彼らがピシカの邪魔をしたのが悪いのだ。


「ピシカ?」

 フンと鼻を鳴らした彼女を、ルゥナが髪を揺らして覗き込んでくる。

「とにかく、そのうち何とかなるわよ」

 まだ何か問いたげなルゥナを無視して、ピシカは彼女の膝の上で鼻面をお腹に突っ込んで丸くなった。

「もう、ピシカのいじわる」

 そう言いながらも、またルゥナの手が動き出す――ゆっくりと、何度も。

 彼女が放つ『温もり』に包み込まれて、ピシカは『眠り』と呼ばれるものに近い状態へと墜ちていった。


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