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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第四章:飛竜の猛将
22/72

覚知

 トルベスタの都、トルタに人気は無かった。人の気配どころか、ネズミの吐息すら感じられない。

 魔物たちが攻め入っても抵抗一つなかった街並みに破壊の痕はなく、大木の間を埋めるように建てられた家屋はシンと静まり返っている。

 黒衣を身にまとった男は城の前に立ち、巨大な樹木を包むようにして造り上げられたそれを異形のまなこで見上げる。

 彼の姿では人目に付く場所に立つことはできない。遥か上空から街や都を見下ろしたことはあっても、こうやって建造物を目の当たりにするのはここ数年になってのことだ。


(『彼女』も、これを目にしたのだろうか)

 さぞかし驚いたことだろうと、その時の様を想像すると鋭い牙が覗く彼の口元も緩む。

 彼女は、些細なことに感動し、喜びや楽しみを見い出せる少女だ。

 人に追われ、どんなに不自由な生活を強いられようと、陽の光を浴びて気持ちが良いと言い、野の花畑を見てキレイだと言い、星の輝く夜空を見て夢のようだと言う。

 彼女のそんな小さな幸せを護る為なら、彼はどんなことでもできた。

 そんな彼女の隣にいるだけで、どんなことも苦ではなくなったのに。


 ――もう長いこと、彼女の笑顔を見ていない。


 いつか再び、それを目にすることができるのだろうかと、彼は自らの手を見下ろした。

 刃のように尖った爪の先まで覆う長衣の袖を少しめくれば、手背には硬いうろこが生えている。手のひらの皮も厚く、彼女に触れれば、それだけで柔らかな肌を傷付けてしまうだろう。力の増した腕は、彼女を潰さずに抱き締めることができる自信がない。


(この姿を見て、彼女は何て言うだろう?)


 怯えるだろうか。

 悲しむだろうか。

 怒るだろうか。


(悲しむか、怒るか、だろうな)

 その姿がくっきりと目に浮かんだ。

 普段はおとなしくて弱々しくて、まるでそよ風にも吹き飛ばされてしまう綿毛のようなくせに、何かの拍子に突風でもびくともしない鋼のようになる。

 それは、自分自身の為に、ではない。自分以外の誰かの為にしか、そうならない。

 ――だから、彼が護ってあげなければならないのだ。


 誰よりも愛しく、大事なひと。


 彼女の為なら、どんなことでもできるのだ。たとえ今、どれだけ多くの命を奪おうとも、それで彼女を悲しませることになろうとも、最終的に彼女が幸せになってくれればそれでいい。

 彼は一度まぶたを閉じ、そしてまた見開く。

 トルベスタ兵によるラウ川の防衛線を崩すのは、難しい事ではなかった。

 だが、そこから先は彼らの神出鬼没な遊撃隊の攻撃に遭い、侵攻の足は鈍りがちだった。

 元々、魔物の群れは獣とほとんど変わらない。中には人型で知能を持つモノもいるが、大半は不意打ちや罠を回避できないモノばかりだった。

 個々の身体能力は高いから、多少の傷で命を落とすことはない。しかし、足止めを食らわせるのに、トルベスタ兵の小賢しい攻撃は充分に功を奏していた。

 そうしてようやく首都に辿り着いたのはいいが、すでに住民の姿はなく、こうやってただ建物ばかりが佇んでいる。


「弓矢というのが厄介だな」

 彼は呟いた。

 マギクのように魔法で攻撃されるなら、その気配を察知することは容易だった。魔法を発動しようとした瞬間に、すぐに知れる。だが、弓矢での攻撃は、それを放つ人の気配を殺されてしまえば悟りにくい。そして、トルベスタの者は特にその術に秀でていた。


「そう言えば、彼も、コソコソと陰から獲物を仕留めるのが得意だったな」

 ぼやいて、男は城の中へと進むべく、足を踏み出す。

 両開きの巨大な扉はどっしりと閉ざされていたが、彼の手の無造作な一振りで、木の葉のようにいとも簡単にはためいた。頑強そうな閂が半ばから折れているのが、扉の陰に見える。

 彼は無造作に足を進める――進めようとした、が、その第一歩が地に着く寸前、ヒュンと空気を切り裂く鋭い音が周囲に響く。いくつも、続けざまに。

 長衣の被り物の陰から視線を走らせれば、白刃を煌めかせた何条もの矢が彼目がけて飛び来たっていた。


 彼は、ゆるりと片手をかざす。

 と、見えない何かがそこから放たれ、刹那、一瞬にして矢は全て地面に落とされていた。


「仕掛け、か。姑息な」

 これまで十日近く戦ってきたのだ。魔物たちの力の程は、トルベスタの者たちも熟知している筈だ。

 狙いも付けずに矢を放ったところで、息の根を止められる筈もなかろうに。ただの時間稼ぎか、あるいは嫌がらせとしか思えない。

 男は肩を竦め、今度こそ城の中へと足を踏み入れる。

 そこはやはり静まり返っていて、生あるものの存在は微塵も感じられない。

「『印』持ちは山の中、か?」

 籠城していてくれれば探す手間が省けたのだが、そうはいかないらしい。広大な山の中、身を潜めようと細心の注意を払っている者を探すのか。しかも、相手は地形を熟知している。

 山狩りをしてトルベスタの『印』持ちを探すべきか、それともヤンダルムかシュリータへこのまま進撃を続けるべきか。

 彼女さえ封じられたままだったら、まだ多少の猶予はあるというのに。


 彼はギリリと奥歯を噛み締める。

 あの性悪猫が彼女を連れて行ってしまったからには、一刻も早く事態を掌握しなければならないのだ。そうしなければ、アレにそそのかされて、彼女が取り返しのつかないことをしてしまう。

 本当なら、彼女を真っ先に探しに行きたかった。

 そして、再び封じ込め、今度こそアレに手を出させないようにしてやるのに。


「くそ」

 男は呻く。

 かつてはどれだけ離れていようと見失うことのなかった彼女の気配が、全く感じられないのが不安だ。彼女が命を落とすことは決してないから、この世界に存在していることは確かだが、『印』の所為なのか、それともアレが彼女の気配を封じるような何かをしているのか。

 この長い年月で彼の力も強まったが、それでもあの猫もどきの力は侮れないのだ。


「頼むから、はやまらないでくれ」

 どこにいるともわからぬ彼女へ、届かぬ声でそう懇願する。


 と、その時だった。


「!」


 彼の全身を貫いたその感覚――その気配。

 ハッと顔を上げるが、瞬きをするかしないかのうちに、それは消え失せていた。

 だが、間違えようがない。

 男は持ち上げた両手を握り締める。

「いた……見つけた」

 彼の全身が喜びに震えた。

 方角は、どちらだろう。

(東――いや、もう少し北か……?)

 男は足早に城を出て、鋭く指笛を鳴らす。それに応えて、即座に巨大な鳥が降り立った。

 ひらりとそれにまたがり、手綱を繰る。

 舞い上がった鳥の背にピタリと身体を伏せて、最大限の速度が出るようにする。

 ようやくつかんだ手がかりを、見逃すわけにはいかなかった。


   *


 怪鳥の翼を休ませることなく飛び続けて、三日。

 男は微かな力の残滓が感じられる荒地へと足を下ろしていた。

「これは、ヤンダルムの力か」

 弱いが、確かに聖斧の力の名残りだ。

 そして、もう一つ――癒しの温もり。

 彼はひざまずき、地面に触れる。彼女を見失って以来初めて得られた、その存在を証明してくれる確かな感触だった。

 他にも何人かの気配が残存しているが、ヤンダルム以外の『印』持ちがいるかどうかは、判らなかった。


「ヤンダルムと刃を交えたのは、誰だ……?」

 逃げ出したエデストルの王子だろうか。

 姿をくらましているトルベスタの『印』持ちであろうか。

 それとも、戦いを始めようとしているシュリータの者なのか。

 この場所は中立の街オプジティに近いとはいえ、まだまだヤンダルムの領地内だ。シュリータの兵は、簡単には入り込めないだろう。


 となると――


「エデストルか、トルベスタの『印』持ちか……?」

 どちらかと彼女が、合流していたということだろうか。

 可能性が高いのは、エデストルの王子だ。

 彼女を封じていたのはトルベスタの山中ではあったが、偶然にしろ探検する気にしろ、人が足を踏み入れることはまずない筈だ。ましてや、彼の力で眠りに就いていた彼女を目覚めさせることができた筈がない。

 一方、エデストルの逃亡経路と彼女が覚醒した時期を考えれば、途中で両者の行程が交わることは充分に有り得る。


 猫もどきが彼女を目覚めさせ、移動が始まってから両者は遭遇したのだろう。

 その肉体を害することはできないとは言え、彼女は身を守る力は持っていないから、『印』持ちと合流してくれたのであれば、むしろ安心できる。

 あの化け猫の入れ知恵があるなら、彼女は『印』持ちを集めようとしている筈だ。

 エデストルとトルベスタの親交が厚かったこと、ラウ川大橋が封鎖されていたこと、そして人っ子一人いないトルタの現状を考えると、逃げ延びたエデストルの王子がトルベスタに助けを求めたことは容易に導き出せる結論だ。

 もしかしたら、エデストルとトルベスタ、二人の『印』持ちはもう彼らと共にいるのかもしれない。そして、ヤンダルムかシュリータの力を得に行こうとしているのだろう。

 だが、恐らく、途中でヤンダルムの王と鉢合わせになり、戦いとなったのだ。そして誰か――恐らく複数――が負傷し、彼女が力を使った。


 エデストルたちは、ヤンダルムに勝ったのだろうか。

 もしも勝ったとしたら、ヤンダルムとシュリータと、どちらに向かったのだろう。

 破れていたら、当然ヤンダルムの首都ヤルムに連れて行かれたに違いない。

 彼は腕を組んで思案する。

 どちらに行ったとしても、最悪、『印』持ちを三人とあの化け猫を相手にすることになる。

『印』が発動させる力は彼に効果はないが、それぞれに、得物の腕は確かだろう。

 彼にも強大な魔力はあるが、剣、弓、斧あるいは槍の三者を相手にしては少々分が悪いかもしれない。


「少し、手勢は必要か」

 ここまで彼女に近付けたというのにまた離れるのは業腹だが、仕方がない。油断をしてやり損なうよりもいい。

 再び巨鳥の背の上に乗り、空に向かう。

「待っていてよ……ルゥナ」

 何よりも大事な者の名前を祈りに近い声で呟き、彼は手綱を打ち振るった。


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