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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第四章:飛竜の猛将
21/72

秘密

 飛び立つ二頭の翼竜を為す術もなく見送り、エディは砕けんばかりに奥歯を噛み締めた。

「エディ、どうする――って、訊くまでもないよね」

 エディの顔を見たトールが眉を上げ、肩を竦める。

 残っているヤンダルムの兵は、雑魚だ。簡単に倒すことができるだろう。

 だが、フロアールとルゥナが連れて行かれてしまっては、逆らうことなどできはしない。おとなしく従うしかないのだ。


「さっさと行くぞ」

 エディはブスリと皆にそう告げ、音高く指笛を鳴らす。と、すぐに蹄の音が近付いてきて、離れた場所に散っていた馬たちが姿を見せた。

 手綱を取ろうとして、エディはハタとあることを思い出す。

 周囲に目を巡らせて、ソレを見つけた。

 目当ては薄紅色の仔猫だ――いや、仔猫の形をした、何か、だ。

 エディは大股にソレに歩み寄り、首根っこを掴んで持ち上げる。ぞんざいな扱いにシャーッと威嚇の声を上げた仔猫もどきを、彼はねめつけた。


「黙れ。バレてんだよ」

 他の者には聞こえないほどの小さな声でそう言うと、ソレはピタリと唸るのを止め人間臭い眼差しで彼を見上げてくる。

 仔猫を掴んだまま、エディは鞍にまたがった。そうして、他の者の様子を確認することなく、手綱を振るう。馬の首を向けたのは、南方――ヤンの竜が消えていった方角だ。


 馬を走らせながら、エディは腕の中に抱え込んだ仔猫に囁く。

「お前、何なんだ?」

 仔猫はピクリと耳と震わせて、彼を見返してきた。澄ました様子にエディは苛つく。

「バレてんだって言っただろ? お前、人間の言葉をしゃべったよな?」

 傍から見れば、猫に話しかけるなど珍妙に見えることこの上ないだろう。だが、エディは確かに聞いたのだ。この猫がルゥナに向けてはっきりと叱咤の声を上げたのを。

「ルゥナを見つけた時の声も、お前だったんだろ」

 倒れていたルゥナを見つけた時に聞こえた少女の声。あれは彼女の声ではなかった。すっかり忘れ去ってしまっていたが、ルゥナは意識を失っていたのだから、今思えばあの時少女の声が聞こえたのは不自然な事だったのだ。


 そして、もう一つ。


 つい先ほど気付いた事実。


「何でルゥナから『印』の気配がするんだ?」

 最初から、きっとルゥナに何かを感じていたのだろうと思う。だから、エディはあんなに彼女のことが気になって仕方がなかったのだ。

 ヤンが『印』を――神器の力を使って初めて、その何かが『印』の気配なのだということに気が付いた。

 ルゥナが金色熊ウルズを癒した時は、多分彼女自身の力を使っただけだったのだろう。あの時は気付かなかったが、先ほど皆を癒したあれには、ヤンが力を放った時と同じものを――『印』の力を感じた。


「おい、何とか言えよ」

 唸るように問いを重ねても、仔猫は相変わらずシレッとしている。

 苛立ちを募らせたエディは、馬から捨ててやろうかという衝動を辛うじてこらえる。

「お前は何なんだ? ルゥナは、いったい何なんだ?」

 先ほどと同じ問いを、もう一度口にした。

 やはり、答えはない。澄ましている。

 さほど太くはないエディの堪忍袋の緒が、擦り切れそうになる。

「何なら、ここに捨てていってもいいんだぞ? バレているんだ、本性表わせよ」

 歯ぎしりしながらそう言って、首根っこを掴んで腕を伸ばし、鞍の外に宙吊りにする。


 と、仔猫の尻尾が大きく揺れた。


「お前お前って、失礼ね。アタシにはピシカっていう名前があんのよ」

 小さいけれど、間違えようがないほどはっきりと聞こえた、不機嫌そうな、声。

 以前にルゥナを見つけたあの時と、ついさっき耳にしたのと、同じだ。

 柔らかなルゥナの声とは違って、キンキンと尖った、きつい口調。

「あんたは『エデストル』とよく似てるわ。ホンット、礼儀がなってないんだから。あいつもたいがいだったけど、あんたも頭悪いし、お子様だし、まったく……」

 猫――もとい、ピシカは、今まで良く無言で過ごせてきたなと感心するほど滔々と、悪態を垂れ流している。

 あまりに流暢な喋りにしばし呆気に取られていたエディだったが、じきにハタと我に返った。


「おい、ちょっと待て、話の筋が良く見えない。俺と似ているエデストルって、どういうことだ? 父上のことか? 父上を知っているのか?」

 自分以外の『エデストル』と言われたら、思い浮かべるのはレジールのことだ。だが、レジールはピシカが言うような人物ではない。確かに情に厚いが言動は冷静沈着で、礼儀を尊ぶ。

「あんたの父親? ああ、顔は知ってるわ。話したことはないけどね」

「なら、祖父か?」

 祖父は五十歳を少し越えたところで亡くなっていて、エディも顔を覚えていない。レジールに言わせると、エディは祖父とよく似ているらしい。

 だが、そう訊いてはみたものの、仔猫はどう見ても二年と生きているようには思えない。十数年も前に亡くなった者のことを知っている筈がないだろう。

 常識に囚われてそう考えて、そもそも猫と話せること自体が普通ではないことにエディは思い至った。


(喋る化け猫だもんな……もしかしたら、何十年も生きているのか……?)

 ヒトなら五十年も生きれば充分だ。

 数世代に渡ってエデストルを見ているというのなら、この猫はいったいどれほど生きているというのだろうか。

 そう考えると、当然、あの白銀の髪の少女のことも頭に浮かんでくる。

(……ルゥナは、なんでこんなのと一緒にいるんだ?)

 第一、あの『印』だ。

『印』は神器を受け継ぐ者――各国の王にしか存在しない筈だ。

 にも拘らず、ルゥナには、それがある。そのものを目にしたわけではないが、ヤンの力を感じた今ならエディにも判る。


「ルゥナから、『印』の気配を感じた。あれはいったいどういうことなんだ?」

 鞍の上に戻したピシカを睨み付けながら、エディは答えを迫る。薄紅色の猫はゆらゆらと尾を振りながらそっぽを向いていたが、やがて小さなため息を漏らした。

「あの子もかつて邪神を封じる為に集まった者の一人なのよ。あんたたちが言うところの『英雄』の一人――どこをどう見ても、そんな柄じゃないけどね」

「え?」

「邪神を封じるには、あの子のあの癒しの力が必要なの」

「ルゥナも俺たちみたいに『印』を引き継いできたのか? そんな一族がどこかに隠れ住んでいるのか?」

「違うわよ。あの子は特別」

 ピシカの尾がビタンとエディの腹の辺りを叩く。

「あの子は、最初からあの子だけ」

「最初から?」

 ピシカの話がよく理解できないエディは、ムッと眉をしかめる。

「最初って、どの最初だ?」

「もちろん、邪神がこの世界に現れた時から。邪神を何とかしなくちゃならなくなった時から」

 エディは唇を引き結んだ。ピシカの話は筋が通らない。


「邪神が現れたのはもう何代も前の話だろう? 言い伝えが本当なら、少なくとも百五十年は経ってるじゃないか」

「そうよ。あの子はもう二百歳近いの」

 ケロリと言ったピシカに、エディは思わず笑ってしまう。

「彼女がか? どう見たって、俺よりも年下じゃないか」

「まあ、ほとんど眠らされてたからね」

 どうやら、ごまかされているわけでも、からかわれているわけでもないらしい。

 素っ気ないピシカの口調が、むしろ真実を口にしているのだと思わせる。

(ルゥナが、二百年生きている……? それに、邪神と戦う、だって……?)


 とてもではないが、信じられない。


 彼女は、見るからに頼りなさげだ。誰かを助けるよりも、助けられる側の者だ。

 けれど、そう思って、エディはふと本当にそうだろうかと出会ってからの彼女を思い返してみる。


 傷付いた獣にためらいなく飛び付いていった姿、いつかの夜に交わした言葉とその時の眼差し、そして先ほどヤンに食ってかかった彼女の声の強さ。

 ――見た目ほど、か弱き者ではないのかもしれない。


 確かに、彼女に剣を振るう力はない。


 しかし。


(強さ、とは何なんだ?)

 ヤンは、強い。

 だが、どんなに打ち負かされようとも、エディは何度でも立ち向かっていくだろう。

 ルゥナは、少し小突けばすぐに地面に転がってしまいそうだ。

 だが、彼女の言葉に、彼女が投げかけてきた疑問に、エディは怯んだ。


 ――それは……憎いの? 怒ってるの? それで戦えるの?

 ――わたしはまだ戦ったことはないけれど、もしも戦うことがあるのなら、もっと、違う気持ちで戦いたいの。


 マギクへの怒りと憎悪をルゥナに見せたあの夜、彼女はそう言った。

 あの時は、ルゥナが何と戦おうとしているのかを知らなかった。戦う必要もない者が何を言うのかと、内心でバカにしていたかもしれない。

「邪神は、本当にいるのか?」

 今の今まで、エディは半信半疑だった。古びたおとぎ話のように思っていた。

 疑問というよりもほとんど呟きのようなものだった彼のその言葉に、ピシカが頷く。

「いるわよ。百五十年以上も鳴りを潜めていたけど、今また目覚めようとしている。そうなったら、人間はどうなるでしょうね。人間だけじゃなくて、生き物全て。このルニアだけのことで済んだらまだマシね。放っておけば、海も越えて、あんたたちが知らない、遥か遠くの土地まで力は及ぶでしょうよ」

「海も越えて――遥か、遠く……?」

 エディには想像もつかなかった。繰り返した彼に、ピシカが肩をすくめんばかりに答える。

「世界はもっともっと広いのよ。ルニアなんて、島の一つに過ぎないわ。あんたが目にしているものなんて、ちっぽけなものなのよ」


 ひげをヒクつかせる小さな仔猫。

 そんなものに『ちっぽけ』と言われても、返す言葉もない。


 黙ったままのエディに、ピシカは続ける。

「ルゥナには、あんたとは逆の意味で呆れるわね。まったく、あの力のせいで皆に追われてたのに、そんな奴らの為に邪神と戦おうって言うんだから、お人よしもいいとこだと思わない? あんたに世界が救えるけど、やってみる? って訊いたら二つ返事で頷いたのよ? まさか、あんなに簡単に釣れるとは思わなかった」

 バカにしているのか感心しているのか判らない、あるいは、どちらとも取れる声でのピシカの言葉に、自分の小ささに対する情けなさにドップリとつかり込んでいたエディは引っ張り上げられた。

「どういうことだ?」

 そう訊いたエディに、ピシカがヒトであれば確実に肩をすくめていただろう。代わりに、彼女は小さく首をかしげて金色の目で見上げてきた。


「人からすれば、あの力って喉から手が出るほど欲しいんじゃない? 死にかけてる人間だって、癒すのよ? あの子、どこに行っても狙われて、逃げ回っていたわ。まあ、エデストルたち――あんたの先祖たちと出会ってからは、そういうこともなくなったけど」

「追われていたのに、助けるのか?」

「そ。バカでしょう? 何でなのかとかは、アタシに訊かないでよ? アタシにだって理解不能なんだから。まあ、同じ話を何度もしたくないから、詳しいことはルゥナを取り戻して『印』持ちが揃ったら話すわよ。……ヤンがどうなるか、判らないしね……」

 最後の呟きは小さくて、エディの耳にはほとんど届かなかった。聞かされた内容で頭の中が飽和状態で、それ以上何か言われても、もう収まりきらなかっただろう。


(ルゥナが英雄の中の、一人……? 邪神は存在していて、世界は滅びに向かっている……?)

 全然、実感が湧かない。

 それに彼女は、虐げられていたのに、彼女を虐げていた者たちの為に戦うのだ。彼らを恨んで放置するのではなく、救う為に戦うことを決意した。

 言うなれば、エディがマギクを救うために戦うようなことだろうか。

 そもそも世界が壊れたら彼女だって生きていけないのだから、世界を救うことは彼女自身の為でもあるかもしれないし、世界を救った英雄になればルゥナは追われなくなるかもしれないが、何となく、彼女はそんなことを考えてはいないような気がした。

 金色熊ウルズを癒した時だって、下手をしたら癒した傍から殺されていたかもしれないではないか。殺されないまでも、傷付けられていたかもしれない。

 けれどあの時、ルゥナの頭の中には獣の傷を癒すことしかなかったのだろう。

 同じように、彼女は、ただ、救うために戦うのか。


(じゃあ、俺は? 俺は何の為に戦う?)

 それは、国を、母を取り戻す為。

 父やバニーク、命を落とした兵達の仇を取る為。

 その根底にあるのは、怒りであり憎悪だ。

 いつかの夜にルゥナが放った言葉が、脳裏によみがえる。

 怒りも憎しみも、けっして消せはしない。

 だが。

(そうやってマギクを倒したとして、その先は……?)

 また、平和な日々が戻ってくるだろう。

 マギクと魔物を倒しさえすれば、そうなる。

 そう思うのに、恨みを晴らし、全てを取り戻して喜ぶ自分や国の人々の姿を、エディは思い描くことができなかった。


 明々白々だと思っていた自分の頭の中がそうではなかったことに、ただ単に、目の前にぶら下がっているものしか見ていなかったのだということに気付いて、彼は愕然とする。

 機械的に手綱を繰るエディの脚の間で薄紅色の仔猫は退屈そうに大きな欠伸を漏らすと、クルリとそこに丸くなった。


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