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癒しの乙女の永久なる祈り  作者: トウリン
第四章:飛竜の猛将
20/72

拉致

 大柄なヤンの前で、まだ少年の域を出ていないエディの身体はあまりに小さい。

 エディがスクートやサビエを相手に鍛錬しているところを毎晩のように目にしていたから、ルゥナにも彼が決して弱いわけではないことは判っている。

 けれども、それでも、エディがヤンに勝てるとは思えなかった。

 何度剣を跳ね返されても、エディは果敢にヤンに挑んでいく。その一挙手一投足を、ルゥナの隣に立つフロアールが息を詰めて見守っている。時折彼女が息を呑む音が、ルゥナの耳に届いた。


(何で……何であの二人は戦っているの? 仲間の筈なのに)

 唇を噛み、胸中で誰にともなく問いかけたルゥナに答えたのは、彼女の腕の中に抱かれたピシカだった。薄紅色の仔猫は、髭をピクピクと震わせる。

(百五十年以上――二百年近い時間が、経ってるのよ。ヒトにとってのその年月は長いわ。ずっと平和だったしね。どんな煮え湯でも、喉を過ぎてしまえばその怖さを忘れちゃうのよ)

(じゃあ、もっとちゃんと邪神のことを伝えていけば良かったのに。エディだって、邪神のこと、半信半疑よ? 何でもっとしっかりと記録を残さなかったの?)

 わずかに責めるような響きが、ルゥナのその声ににじむ。そんな彼女を、ピシカの金色に光る目が見つめ返してきた。微かに首をかしげて、パチリと瞬きをする。


(あんたの為よ)


「え?」

 思わず、声が漏れた。ルゥナはハッと隣のフロアールに目を走らせたが、彼女は兄に気を取られて気付いていない。そのエディにはスクートが助っ人に入ってきていて、ルゥナは少しホッとした。それはフロアールも同じ気持ちのようで、それまでよりも表情が和らいでいる。

 ルゥナは再びピシカへと意識を戻した。

(わたしの為って、どういうこと?)

(あんたが隠されちゃったからよ。どういう状態なのか判らなかったし……あんたの存在をルニア中に広めるわけにはいかないでしょ? だから、適当にごまかすしかなかったの)

(何で……? それこそ、色んな人に探してもらえば、わたしのこともすぐに見つかったかもしれないでしょう?)

 ピシカの説明が理解できなくて眉間に皺を寄せたルゥナに、仔猫は、心底呆れた、と言わんばかりのため息を返してよこした。


(まったく、あんたは呑気なんだから。あんた、自分がどれほど他のヤツらに追いかけ回されていたか、もう忘れたの?)

(それは……)

 口ごもるルゥナに、ピシカがたたみ掛ける。

(まあ、ソワレがそんな手抜かりするとは思えないし、実際、アタシですら見つけるのに随分時間がかかったけど、もしもルニア中の人間があんたを探したら誰かがあんたを見つけていたかもしれないわ。そうなった時に、そいつがあんたを『印』持ちに差し出す保証はないでしょ? ていうか、閉じ込められていいように使われるのが目に見えてたわ)

「そんな……」


 また、ため息。


(ホント、あんたは……ソワレが気の毒だわ。さぞかし苦労したんでしょうね。ていうか、あいつが過保護だったからあんたがこうなったのかしらね)

 呆れた、というよりも、諦めた、というおもむきのピシカの呟き。ソワレのことを言われてしまっては、ルゥナには返す言葉もない。

 確かに、弟にはずっと守ってもらってきた。苦労もかけた。最後に対峙したあの時に彼が何を考えていたのかは未だに解からないけれど、きっと、それまでのルゥナの諸々が、何か関係していることは間違いない。

 それなのに、ソワレが何故そうしたのかがさっぱり解からないのが情けないのだけれど。


 落ち込む彼女の腕の中で、不意にピシカが動いた。

 元から大きな目を更に大きく見開き、ルゥナの腕に爪を立て、全身の毛を逆立てている。

 一拍遅れて、彼女もソレに気が付いた。

「ピシカ、これって……」

 思わずルゥナは呟く。

(ええ、そうね)

 間違えようがない、『印』の力。その発動。

 この時代に目覚めてから一度も感じたことのなかったそれが、今ヒシヒシと伝わってくる。

 頷くピシカに何か言葉を返すこともできず、ルゥナはハッと戦いの場へと目を走らせた。


『印』を持っているのは、エディとトールとヤン。

 神器を持っているのはトールとヤン。


 その二人のうちで――


(ヤンダルムだわ。邪神のことは信じてないのに『印』の力は使うのね。しかも使い方を教えられもせずに。まあ、本来の力には遠く及ばないけど、たいしたもんだわ)

(感心してる場合じゃないでしょう!? 何とかしないと――)

 焦るルゥナの目の前で、ヤンの『印』が光を放ち始める。


 そして。


「フロアール、伏せて!」

 ピシカを放り出し、ルゥナは叫びながらフロアールに覆い被さる。

 直後、何かが吹き抜ける気配がした。気配だけだ。『印』の力は同じく『印』を持つ者には影響を及ぼさないから。


 それは、一瞬のことだった。

 そして、まるで錯覚だったかのように、その気配は掻き消える。


 静けさを取り戻すとすぐにルゥナは身体を起こし、エディたちの方に向き直る。立っているのは、『印』を持っている三人だけだった。スクート、サビエ、バニークは三人から離れた地面に倒れ伏してピクリともしない。痛みに呻くことすらしていなかった。

(生きてる……? 生きてるよね……?)

 震える足で、ルゥナは立ち上がる。

 彼らがどんな怪我を負っているのか、その場所からは判らなかった。


 ひどい怪我をしたのなら、癒さないと。


 ルゥナがそう思って彼らの方へと足を踏み出した時だった。

 風一つないその場所に響いた、何かが折れる音。

 ハッとそちらに顔を向けたルゥナが見たものは、地面を転がるエディだった。彼はすぐに立ち上がったけれど、その右腕はぶらりと力なく垂れ下がっている。

 脱臼したのか、折れたのか。

 息を呑んだルゥナが見守る中、エディは近くに落ちている剣を無事な方の手で拾ってヤンに向き直った。

 そんな彼にヤンが近付いていく。どんなに欲目で見てみたとしても、エディに勝ち目があるとは思えなかった。

 片手で剣を構えるエディに向けて、ヤンが巨斧を振り上げる。


 エデストルとヤンダルムが争う――ルゥナは、そんな光景は見たくなかった。


「だめぇ!」

 両手を握り締め、思わず叫んだ彼女に、三人の男たちの視線がキュッと集まる。

 彼らに見つめられながら、ルゥナは胸の前で両手を組んで瞼を閉じる。

 この場にいるものの中で唯一、ルゥナがしようとしていることに気が付いたピシカが鋭い制止の声を上げた。

「ちょっと、あんた、何すんのよ、そんなことしたらアイツが――!」

 ピシカのその声は頭の中ではなく、ルゥナの鼓膜を震わせた。当然他の者の耳にも届いていて、彼女の隣でフロアールが息を呑む。だが、そちらを向くこともせず、ルゥナはキッと顔を上げる。

 ルゥナがしようとしていることを止めさせようとピシカが彼女の脚にバリバリと爪を立てるが、もう止まらなかった。


(お願い、苦しめないで――苦しまないで)

 胸の前で祈る形で両手を組み合わせたルゥナの頭の中には、それしかない。

 ふわりと白銀の髪が浮き上がり彼女の全身が光を帯びた。


 刹那。


 その光が放たれる。それは彼女を中心にパァッと放射状に広がって、傷付いた者をふわりと包み込んだ。


 ルゥナの力には、敵も味方もない。ただ、癒すだけだ。


「す、ごい……」

 足元でフロアールがかすれた声で囁くのが耳に届いたけれど、ルゥナは願い続けた。彼らの痛みも苦しみもなくなるように、と。

 輝きは、瞬き数回分ほどの間周囲を満たし、そして消失する。

 最初に我に返ったのは、ヤンだった。昏倒していた者たちが呻き声を上げながら起き上ってくるのをチラリと見、そしてルゥナを見つめる。

「お前は……?」

 訝しげに眉をひそめながら、大股でルゥナたちに近付いてくる。

「ちょっと、待てよ!」

 追いすがろうとしたエディにヤンは目を走らせると、ヒュッと短く指笛を鳴らした。と、どこからともなく舞い降りた翼竜がヤンとエディの間に立ちふさがる。

「くそ、卑怯だぞ!」

 エディの邪魔をする翼竜の動きは、巧みだった。彼を傷付けるつもりはないようだが、無理やり通り抜けようとするのを頭で、脚で、翼で妨害する。

 真っ直ぐに近づいてくる大きな身体を、ルゥナは怯むことなく見据えてその場に留まった。


 じきに、ヤンは彼女と一歩分も離れていないところで立ち止る。

 間近で見るほど、このヤンダルムはルゥナが知るヤンダルムに良く似ていた。

「お前、名前は?」

 どこかで聞いたことがあるような気がする低く響く声で、彼がそう訊いてくる。

 これほどかつてのヤンダルムとそっくりな姿と声で全く知らない者に対する口調で問いかけられて、ルゥナの胸がチクリと微かな痛みを訴えた。

(仕方ないじゃない。そっくりでも、この人は、わたしの知ってるヤンダルムではないのだもの)

 事あるごとに、ここはルゥナの知る世界ではないのだということを実感させられる。

 どんなに同じに見えても、違うのだ。

 失ったものを嘆いても仕方がない。今目の前にあることを受け入れなければならない。

 自分自身にそう言い聞かせ、彼女はヤンを見上げて答える。


「ルゥナ」

「ルゥナ、か」

 彼は口の中で転がすように彼女の名前を繰り返し、そしてスッと目を細めた。

「お前には、何故ソレがある?」

 ヤンの問い。

 彼が言うのが『印』のことであるのは、すぐに判った。ルゥナのうなじがチクチク疼くような気がする――彼女の『印』はそこに刻まれていた。

「『仲間』を傷付けるようなあなたには、話せない」

 キッとヤンを睨み付け、ルゥナはそう答える。と、彼の目が嘲るような色を帯びた。

「『仲間』?」

 揶揄する声で繰り返されて、ルゥナは声を張り上げる。

「『仲間』でしょう? あなたのその『印』は邪神を封じる為のものだわ。あなたの先祖は、その為だけにわたしと旅に出てくれたのよ! とっても優しかった! あなたと違って!」


(ルゥナ!)

 頭の中に、半ば呆れたようなピシカの声が響く。

 彼女に言われなくても、ルゥナにも自分の言っていることが目の前の男には支離滅裂に聞こえるだろうことは判っていた。けれど、言わずにはいられなかったのだ。

 ――目の前に立つ人が、あまりに彼女の知るヤンダルムと似ていたから。

 彼に否定されたら、『印』を持つ他の全員からも否定されてしまう気がする。


 鼻息の荒いルゥナをヤンはしげしげと見下ろしていたが、不意に声を張り上げる。

「ソイン!」

 呼ばわる声に即座に反応したのは、最後までサビエと戦っていたヤンダルム兵だった。先ほどは地面に伏していたけれど、今は身軽く寄ってくる。

 すぐそばまで来た彼に振り返りもせずに、ヤンが命じた。

「お前はフロアール姫をお連れしろ」

「は!」

 ソインと呼ばれた男が、即座に動く。

「わたくしに触れないで!」

 抗おうとするフロアールを難なく封じ、ソインは彼女を小脇に抱えてしまう。

「フロアール!」

 身を翻し、彼女の元に向かおうとしたルゥナの身体が、ふわりと浮きあがった。次の瞬間高いところから地面を見下ろしていて、一瞬遅れてヤンの肩に担ぎ上げられたのだと気付く。


「放して!」

 バタバタと手足を振るって暴れても、彼は全く気にした様子がない。クルリと向き直り、朗々と響く声で言い放った。

「エデストルの王子よ。姫君たちはいただいていこう。もしも我がヤンダルムの下につくと言うのなら、我が城に案内しよう。エデストルとトルベスタの王子が我らの側についたとなれば、シュリータも仰天するだろうからな。あるいはさっさとシュリータに赴き為そうとしたことを果たそうというのなら、追いはしない。好きにするがいい」

 言いたいことを言い終えると、ヤンはひらりと翼竜にまたがった。そしてルゥナを肩から彼の前に下ろすと、彼女が飛び降りようとする隙を与えず竜を舞い上がらせてしまう。


「ルゥナ!」

(ルゥナ!)

 耳と頭に響いた、エディとピシカの声。

 見下ろした地上は、あっという間に遠ざかっていってしまう。

 少し遅れてもう一頭の翼竜が飛び立ったのだけが、見て取れた。

 ルゥナは首を捻ってヤンを振り返り、風に負けないように声を張り上げる。


「わたしとフロアールをみんなの所に帰して!」

 だが、その主張は鼻で嗤われただけだった。

「は! お前が知る『ヤンダルム』とやらは、そんなにぬるい男だったのか? 捕らえた獲物をおめおめと解放するような?」

 先ほどのルゥナの言葉を真に受けたとも思えないのに、ヤンが言う。ルゥナは唇を噛み締めて応じた。

「ヤンダルムはこんなことをしない。彼は優しいもの」

「それは我が飛竜の民ではないな。我らは略奪が生業だ。欲しければ奪う。お前やエデストルの姫のように癒しの術を使えるものは貴重だからな。どんな宝にも勝る」

 物扱いにカッとして、ルゥナは鞍の上で身体の向きを変えようとした。が、即座にヤンの片腕で抱え込まれてしまう。


「おとなしくしていろよ? ここから落ちたらまず助からん」

 ルゥナは、一瞬そうしてしまおうかと思った。まさに死ぬほど痛いだろうけれど、彼からは逃れられる。しばらくは動けなくなるけれど、身体が元に戻ればエディたちのところに帰れるだろう。

 けれど、そう考えて、すぐにフロアールのことを思い出した。ルゥナが行かなければ、ヤンダルムの城で、彼女を独りにしてしまう。

 エディたちは、少なくともフロアールは置いていかない筈だ。もしも彼らが来なくても、ピシカは助けに来てくれる。

(そうしたら、逃げよう)

 不意におとなしくなったルゥナに、ヤンの腕の力が緩んだ。そうして、捕らえる為とは違う手付きで彼女を胸元に引き寄せる。

「高度が上がると寒くなる。しっかり長衣に包まっておけ」

 言いながら、彼はルゥナ自身の長衣で彼女を包み、更に自分の長衣の中に入れる――さながら親鳥が卵を守るかのように。


 それは、かつてのヤンダルムがルゥナを翼竜に乗せてくれた時と、まるきり同じ仕草だった。


 ふと、ルゥナの目の奥が熱くなり、視界がにじんだ。

(やっぱり、このヤンダルムも優しいんだ)

 ――それなのに、あんなことをする。

 仲間である筈のエディやトールを、傷付けたのだ。


 目に浮かんできた滴をいくつか強く瞬きをして、散らす。

(エディたちが着くまでに、ヤンを説得しよう)

 ルゥナはそう自分に言い聞かせた。話せば、きっとこのヤンダルムも解かってくれる筈。かつてのヤンダルムも、そうだったのだから。

 頬に当たる風が冷たくなってきて、ルゥナは背後の温もりにすり寄る。彼女の知る者とは違う男なのだと知りつつも、あまりに懐かしいその感触に安らぎを覚えずにはいられなかった。


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